女子高生 玄倉新・5 ファーストキス
病院に着いて、桐野くんと顔を合わせる。
当然のように「来るのが遅い」と、ひとくさり文句を言われる。
帰り際に篠田さんが絡むから、もう。
もう、それは儀式として流して。
今日は、桐野くんに頼まれて書店で買ってきたものを渡す。
マンガ雑誌2冊、問題集3冊。最近話題のベストセラー小説1冊。
「よし、ちゃんと買ってきたな」
うなずく桐野くん。まあ、メモして行ったからね。
そして更に、書店の袋をチェックする桐野くん。
「エッチな本が入ってないじゃん。玄倉、忘れたな」
セクハラ発言はスルーしておく。マンガ雑誌の片一方に水着の女の子の写真が載ってるから、それでいいと思うけど。
「ところで、玄倉って胸のサイズどのくらいあるの?」
せっかくスルーしてあげているのに、セクハラを重ねて来る桐野くん。
どうにかならないんだろうか、彼の感性。
私が黙っているのをいいことに、胸の辺りをジロジロ眺め、
「結構あるよな。AとかBじゃないだろ。そのくらいの大きさだと、何センチくらいで、カップどのくらいなの?」
と具体的な数値を求めていらっしゃる。
だーかーらー、その手の発言は黙殺すると決めているのであって。
と言って、黙っていると段々追及がエスカレートしてくる。
それに対して、どう答えるべきか。
ご想像にお任せします、というのもヘンだし。というか具体的なご想像を奨励するのもどうかと思う。
結局、
「教えません」
と、完全拒否した。
「何だよ。玄倉のケチ」
桐野くんは口をとがらせたが、そういうことを教えてくれる女子というのはそうそういないと思うよ?
あれ、それとも。私がそう思ってるだけで、案外そうでもないのか。
何だか、桐野くんと一緒にいると何が常識で何がそうでないのか段々分からなくなってくる。
これだから、どんなに桐野くんの夢を見ても。
どうにも、自分が恋する乙女と思えないのであって。
それとも、現実って案外こういうものなのだろうか。少女マンガにあるような恋は、あれは作り事というか、理想形であって。現実は案外、こうやって一緒にいるだけで恋は進行する?
「玄倉。キスしたことって、ある?」
……こんなこと軽く聞かれるし。
桐野くんはちょっと女の子みたいな、カワイイ顔をしているくせに、肉食系この上ない。
「それも回答拒否? 正直に言えよ、ナイんだろ」
と、何が嬉しいのか笑っている桐野くん。
本当に、何が嬉しいんだかさっぱり分からん。
桐野くんは私が買ってきた問題集をパラパラと眺めている。マジメなところも、あるんだけど。
もし、ここで。私が毎晩のように桐野くんの夢を見てる、なんて話しちゃったらどうなるんだろ。
やっぱりそれは、告白みたいに聞こえちゃうだろうか。
私はこっそり、桐野くんに気付かれないように胸を押さえる。
昨日の夢。全部覚えているわけではないけれど、その最後で。
桐野くんが。いや、チュウリィが。
夢の中で、私を抱きしめてキスをした。
その感触が、まるで本当にキスされたみたいにリアルに唇に残っていて。
私は今、かなりドキドキしている。
本当、自分で自分が分からない。
私は、恋してるのか、どうなのか。
恋してるとして、それは。桐野くんになのか、チュウリィになのか。
実は、夢の中では更に胸をさわられたりしていて。
そんな夢を見る女子高校生って、どうなんだろう。私、よっぽど欲求不満か何か?
ああもう、考えれば考えるほど、私の恋の悩みはリリカルでもセンチメンタルでもなくて。
ため息が出てしまう……。
と、思った時に。後ろから肩を指でつつかれた。
「玄倉、玄倉」
なに、と思って振り返ると。
思いがけず、近いところに桐野くんの顔があって。
心臓が止まりそうになった。
「な、何」
私は小さな声で問う。
桐野くんはそれへ、悪魔のような笑顔を浮かべ、
「してみる? 試しに」
なんて言ってきた。
試しに、って。
「何を」
この場をなんとかごまかしたくって。
話をなんとかそらしたくって。
聞かなくてもいいことを聞く。
すると、案の定。
「何って。キス」
アッサリと答えが返って来てしまった。
ですよね! これで、ますます私の逃げ場はなくなった。
「何。僕とじゃイヤ?」
逃げ場のない私を、更に追いつめる桐野くん。
イヤ、っていうわけじゃ。
私は、自分の気持ちを急いで掘り下げてみざるを得なくなっている。
桐野くんのことは、キライじゃない。何度も言うけど、キライじゃない。
というか、多分好きだと思う。少なくとも、友だちとしては大好きだし。
異性としても、意識はしていると思う、たぶん。
でなければ、こんなにドキドキはしないと思うし。
だから、相手が桐野くんだからイヤだっていうわけじゃなく。
イヤなのは、だから。
初めてなんだから。(夢の中は数に入れない、ウン、もちろん)
それを、試しに、とかそんな軽く済ませてしまいたくないのであって。
もっと大切にしたいというか。
「玄倉、僕のことキライ?」
いっそう顔を寄せて、囁きかける桐野くん。
あ。ダメだ、断りきれない。
だって私は、桐野くんをキライじゃない。
だから断りきれない。
きれないけれども。
試しに、っていうのはやっぱりヒドイと思う。
桐野くんは、私のこと好きなのかそうでもないのか。
ハッキリさせないのは、ズルいと思うぞ!!
けど、そんなこと言うのも何か違う気がして。
何も言えないまま。
桐野くんの顔が近付いて来て、熱い息がかかって。
あ。夢の中と同じ。
夢の中で、チュウリィは立って普通に歩いていたから。ベッドに寝たきりで、上半身を起こしただけの桐野くんとは姿勢が違うから、その点だけは違うけど。
重ねた唇の感触も、熱さも。ビックリするくらい、夢の中と一緒で。
何だか、初めてという気がしない。
いやいや、ファーストキスなんだから、こんな無感動なことではいけない。もっと感動しないと。
けどやっぱり。何もかもが同じで、同じすぎて。
桐野くんの手が、私のブラウスのボタンにかかる。
こんなところまで、同じ。どうしよう。
私は、彼の手を離そうとしてみる。
彼は、それを妨げようとますます強く私を抱きしめて来る。
ああ、やっぱり同じ、だ。
同じだ、けど。
夢の中の私は、ためらいながらもチュウリィに身を任せて。
けど、こっちの私も、それでいいのかというと。
ここ、病院だし。いつ、看護師さんが来るか分からないし。
それを抜きにしてもですね、やっぱり、なされるがままというのはどうかと思うわけですよ!
私は自分の躰を押さえつけている桐野くんの腕に手をかける。
あー、このまま投げちゃいたい。と、いうのはファーストキスをしている最中の相手に対して抱くべき感想ではないだろうけど。
そのまま絞め技を外す要領で身を沈め、拘束から逃れる。その際、桐野くんの腕を多少ひねり上げる感じになってしまったのは致し方ない。
「いたたたた! 僕はケガ人だぞ! 何するんだ」
何する、はそのまま私の方が返したい言葉です。
「だって、桐野くんが」
「だってって何だよ。いいだろ、もうキスもしたんだから、ちょっとくらい胸さわらせてくれたって」
その辺りの論理のつながりが、私にはさっぱりわかりません。
「何。それとも、何か不満があるの。僕のやり方じゃ感じなかった?」
とか、今日はもうセクハラ発言しかされてない気がする。
「やり方がどうとかじゃなくて」
私は反論を試みた。
「こういうことって、やっぱり、好き合ってる人同士がすることだと思う」
桐野くんは唇を曲げる。
「何ソレ。玄倉、僕のことキライなの」
だから、私がどうとか言う問題じゃなくて。
「キライじゃないけど」
と言うと、続けて何か言う前に桐野くんはいい笑顔を浮かべて。
「何だ。じゃ、何も問題ないじゃないか。僕も玄倉、好きだもの」
とかおっしゃる。
私は力が抜けそうになった。
軽い。軽すぎる。言葉に何の重みもない!
今の一言で、桐野くんにとって女の子とキスするなんてなんでもないんだなー、と実感できてしまった。
こういう人にファーストキスをあげてしまったことは、おそらく人生における大失敗。
今は周りに私しかいないから、好きだなんて言ってるけど、足が治って学校に戻ったらすぐ忘れられて捨てられるんだろうなー、きっと。
こんなガッカリなファーストキスって。
何かヒドイ。
私がため息をついているのに気付いているのかいないのか、桐野くんはまあいいや、という感じでまたベッドの上の本をめくり始めた。
「玄倉。今日のノートは?」
はいはいはい。どうせ桐野くんにはその程度のことだよね。
私はムスッとして、カバンの中から今日の分の授業のノートを取り出す。今日は英語が二教科、地理と数学と古典があったから、結構分厚い。
「はい」
「おう。いつもサンキュな」
なんて会話していると、さっきのことがウソのような。世の中、こんなモノ?
ノートをパラパラとめくっている桐野くん。私は窓の外の景色に目をやって。
今日は天気が良くて、少し遠くの海までよく見えて。そういえば、テレビカード、新しいの買ってきてあげた方がいいかなあ。
ふと、桐野くんの動きが止まった。
何となく不自然な感じ。私は何だろうと思って振り返る。
「玄倉」
桐野くんの声が固い。目は、ノートの一点を見つめている。
「これ、何」
私は、不思議に思ってノートをのぞきこんだ。
そして、愕然とした。
チュウリィ。
ノートの端っこに書いた、あのラクガキ。篠田さんとのやりとりで、消し忘れていた。
「ち、違うの、それはただのラクガキなの。私の夢に出てきた人で……」
冷静に考えれば、私はそんなに慌てる必要はなかった。そんなの、あの夢を知らない人には、ただの意味のない文字の羅列で。
考えてみればきっと、私がヘンに慌てたから篠田さんだって食いついて来たわけで。
だけど、桐野くんはその文字をじっと見つめている。
なんだ、なんて言いそうなものなのに。何慌ててるの、なんてからかってきそうなものなのに。
「……違う」
ものすごく固い声で、呟くように桐野くんは言った。
「違うよ。玄倉の夢じゃない」
桐野くんは、初めて見る人を見る様な目付きで私を眺めた。
「これは、夢の中の僕の名前だ。玄倉。お前、何者」
え。何を言っているの、桐野くん。
からかってるんだろう、と思った。そう言いたかった。でも、桐野くんの目が怖くて。そう言いだせなくて。
「もしかして」
桐野くんが、ためらうように言葉を止める。
病室に、沈黙が落ちる。
「シュラハ……?」
かすれた声が、囁くように静かな室内を震わす。
あ。
「それ。その名前」
異国の言葉で『バラ』を意味すると。夢の中で師匠が教えてくれた、名前。
さっきまで、思い出せなかった『私』の名前。
「それ、だ……」
私は思わず、呟いていた。
でもなぜ、桐野くんがそれを知っているの。
私たちは、わけのわからないまま。
ただ、お互いの顔を見つめていた。