魔術師 チュウリィ・4 合格通知
更に数日後。
その日僕は、シュラハと一緒に宿の狭い庭で巻物を広げていた。
ここ何日かで、都の中の二人で見て回れそうなところは、見て回り切ってしまって。
後は、お金のかかるところとか、女人禁制の寺とか。
本当はちょっとくらいお金がかかったって、遊んでも構わないんだけど。シュラハはマジメだから、あんまり露骨に遊びに走ると、帰ってしまいそうになるんだ。
僕としては、試験のための勉強はもう何年もしてきたことだし。いったい、どんな問題が出るか分かりはしないのだから、今さらムキになって勉強することないと思うんだけど。
シュラハは、マジメにやりたがるんだよな。融通がきかなくて困る。
かといって、ひとりで遊び回るのも冴えないし。
せっかく、シュラハみたいな美人と知り合えたんだから、一緒に過ごさない手はないよな。
シュラハは今、僕が買ってやった女物の服を着ている。薄紫に、花を染め抜いた袖の長い胴着と、深紅色のゆったりしたスカートがシュラハの落ち着いた雰囲気に似合っている。
彼女はどういうわけだか、部族の女衣装は着て来られないと言い張るので。
僕が自分で、人気の店で仕立ててやった。
まあ、野暮ったい蛮族の衣装でついて来られるより、流行の衣服をまとってもらった方が僕も嬉しいし。
シュラハは流行りの服の着方を知らなかったみたいで。僕が着せてやるのもいいかなあ、ってちょっと期待したんだけど。
しっかり店の売り子から着方を教わって来てた。ヘンなとこ抜かりがないヤツ。
僕は、巻物を懸命に読んでいるシュラハに目をやる。
その柔らかそうな耳朶から、細い、白い首のライン。丸い肩と、その下にあるさらに丸い胸のふくらみ、とか。
だってさ、やっぱり気になるじゃないか?本当に本当に、女の子かどうか。僕は確かめたわけじゃないし。
出来れば、この目でキチンと確かめたい、と思っちゃうよなあ。
そんなことを考えていると。
不意に、視界の中に黒いシミみたいなものが現れた。
それは宿屋の建物の角を曲がって、いやらしいニヤニヤ笑いを浮かべながら僕たちに近付いてくる。
魔術庁の黒い上着を肩からなびかせてやってくるのは、僕がこの都で三兄のタイスーと同じくらい会いたくない人物。
七兄のチーリン。タイスーが他人に対する悪意の塊で出来ているとすれば、チーリンは他人を陥れることしか考えていないヤツだ。
同じようなものかもしれないが、そこには確かに違いがあって。
「やあ、チュウリィ。我が親愛なる、嫡出の九男くん。元気そうじゃないか」
チーリンは手を上げて、笑顔で近付いてきた。
この愛想のよさにだまされてはいけない。肚の中で全然違うことを考えているのがこの男だ。
「何しに来た」
僕は冷淡に言った。コイツに愛想を売るだけ、時間の無駄だ。
「そう邪険にするものじゃないよ。半分とはいえ、血のつながった兄弟だろう」
チーリンは相変わらずニヤニヤ笑いながら、勝手に空いている席に腰を下ろした。シュラハをチラリと見て、
「お前さんは本当にあの親父殿の息子だね」
と言う。冴えないブ男のコイツは、僕がカワイイ女の子と一緒にいるのを見てやっかんでいるのだろう。
「僕が誰と一緒にいようと、僕の自由だろ。それで、何しに来たんだよ」
僕はぴしゃりと言った。とにかく、コイツにはなるべく関わらないに限る。
「だから、邪険にしなさんなって。お前さんにとっていい知らせを持ってきたんだから」
と言ってチーリンは、懐の中をあちこち探った。
それから、しわくちゃになった紙を一枚取り出して、読み上げた。
「受験番号五百十五番、チュウリィ・フォング。第一試験を通過したことを通知する、と。はい、おめでとうさん」
ヤツはそのしわくちゃの紙を僕に放って寄越した。
あわてて受け止める。
その紙片には、ヤツが読み上げた通りのことと、それから二次試験の会場と時間が記してあった。
最後には、魔術庁長官ドゥルドク・ザカハンのサインが書いてある。
「まあ、ご愁傷さまってところだね」
チーリンは肩をすくめた。
「ここでスッキリ落ちていた方が、あきらめもついただろうに。引っ張るだけ引っ張られて、お気の毒だね、チュウリィ」
何だそれ。僕が最終的に落ちると言いたいのか。
「言っとくけどね、チーリン。この試験、最後に受かるのは僕だよ」
僕は言った。
「そりゃ、ますますご愁傷様。受かっても、お前さんにはお城勤めはムリだよ」
チーリンは空を見上げながら、どうでも良さそうに言った。
僕は眉を上げる。
「何だよそれ。何でそんなこと言い切れるんだよ」
「俺は根拠のないことは言わないよ」
チーリンは、色の薄い灰色の瞳で僕を見つめた。コイツには西方の異民族の血が流れている。
「チュウリィ。お前、第一試験でプヤン女官長様を怒らせただろう」
ヤツは声を低くした。
誰だ、それ、と言いかけて。
ふと思いついた。
「あのオバサンか」
城門の内側に立っていて、僕に名前を聞いてきたオバサン。受験者の誘導をやっていたみたいだったけど。女官長だったのか。
「そう、そのオバサン」
チーリンは肩をすくめた。
「お前さんのことだから、どうせただの案内役とでも思ってぞんざいな扱いをしたんだろ。バカ、今回の試験のメインの試験官はあの人だぜ。うちの無能な三兄様なんて、ただの飾りみたいなものだ。門をくぐった者は全員、女官長殿と面接をして、彼女が受験者を選別する。彼女に認めてもらえなければ、試験すら受けられない仕組みになっていたのに、気付いていたかい」
僕は黙り込んだ。
確かに、僕は試験会場まで二時間もかかる、それも命の危険すら感じる道を教えられて、危うく試験を受けられなくなるところだった。
「何だよ、それ。何であのオバサンがそんな権限与えられているわけ。魔術師試験に、何で女官長が出しゃばってくるんだよ」
「さあ。お偉方の権力綱引きの結果なのか、それともドゥルドク長官閣下の思いつきなのか、俺みたいな下っ端には分からんけどね」
チーリンはせせらわらう。
「とにかく、彼女は受験者の人物を見て、彼女の好き嫌いで人を選別するわけ。合格者は試験会場まで平均で十五分、最短のヤツは十分たらずでたどり着いてるよ」
む。じゃ、僕の二時間って言うのは。
「ちなみに、お前さんの通ったのは落第者用の道。そっちに行かされたが最後、絶対に受験会場にたどり着けないようにしろ、って命令がくだってたんだよ。通るの大変だっただろ?」
「大変どころじゃない」
僕はチーリンにくってかかった。
「死ぬかと思ったぞ。なんだ、あれ。試験を受けに行こうとしただけで、殺されるところだったんだぞ」
チーリンは目を細める。冷たい表情。
「バーカ。だからお前は落第させられるんだ。国王陛下に仕えて、国の命運を左右する魔術師になろうっていうのに、命賭ける局面があると思わなくてどうするよ。ま、あっちに行かされるのはそういうバカだけだろうから、身を持って分かってもらうため、確実に殺すつもりで設計したはずなんだがね」
僕は仰天する。ヤツは何が面白いのか、喉の奥でくつくつと嗤って言った。
「そう。あの罠を設計したのは俺だよ、弟くん。万が一にも仕損じることがないように作ったつもりだが、俺もまだまだ優しいねえ。まさか生き残っちまうとは。その上、試験に間に合って合格しちまうとは。いったいどんな悪魔の技を使った、お前さん」
って。何だ、ソレ。僕はあそこで殺されるはずだったって言うのか。
「そんな……! そんなことで僕が死んだりしたら、父上が黙っているはずがない。お前の身だって危ないだろ、チーリン」
「だから、そんな了見で来てるバカを振り落すための試験だったんだって」
チーリンは手慰み、という感じで卓の上に積んである魔導書の一つをパラパラとめくった。
「俺は命令されて、『絶対に試験会場へたどり着けない径路』を作り出しただけ。誰が来るかなんて知ったこっちゃない。プヤン女官長は、『試験を受けるのに値しない』と考えた受験者を、落第者が行くべき道に送るだけ。その道に何があるのか知ってたのは俺だけだから、彼女も別にお前を殺そうとまで思ったわけじゃない。その結果、おバカな末弟殿がお亡くなりになったら、俺も空涙の一つも流してやるところだったがね。正直、こうやってお前さんに合格通知を渡すためになったのは、ひとりの魔術師として大いに不本意だ。まあ、用意しといた罠は全部出会いがしらに殺す系だったから、初撃さえ運よく外せれば生き残る可能性はあるわけだが」
大層失礼な感じの、人を値踏みする感丸出しで僕を上から下まで眺めるチーリン。
「全部運だけで乗り切ったか? それはそれで大したものだが、おめでとうチュウリィ。お前、たぶん一生分の幸運をあの通路で使い切ったぜ。これからは悪いことしかないな。俺が保証する」
僕は開いた口がふさがらない。
この七兄、前々からロクなヤツではないと思っていたが、どうやら殺人狂の素質があるらしい。
あのオバサンと二人して、僕を謀殺しようとしやがった……!
「覚えとけ。次の試験はこんな風にうまくはいかない」
ヤツは立ち上がり、僕のすぐ横に立った。灰色の瞳が、冷たく僕を見下ろす。
「もう一つ教えておいてやる。プヤン女官長は、公正で温和な人柄で有名な方だ。その人に、試験を受けることも許されず退場を強いられるなんて、よっぽどのヤツだぜ。まあ、俺はお前さんを知ってるから、何があったかはだいたい察しがつくけどな。いいか、チュウリィ」
ヤツの痩せこけた手が僕の喉元に伸びる。コイツは、フォング家で不自由なく育ったくせに、なぜだか骨と皮みたいに痩せこけていて、ギラギラした目をしている。
「今度の件で、俺も女官長様のご不興を蒙ったぜ。弟だから手加減した、って思われたみたいでな。冗談じゃない、お前さんが来ると分かってたら、あと三つは罠を増やしてどうやったって通り抜けられないようにしてやったさ」
低い声。憎しみがこもっている。
「三兄殿はあれで甘いところがあるから、お前さんに温情をかけたみたいだけどな。俺はお前の敵だぜ、九弟殿。こっちは、生き馬の目を抜くような宮廷社会を、綱渡りして生きてんだ。お前さんみたいな、右も左も見ないバカにそれを邪魔されちゃたまったものじゃないんだよ。世間は、父親が同じだってだけで、お前も俺も同じ穴のムジナだと思うからな」
襟首をつかまれて締め上げられる。息が苦しい。
「いいか、チュウリィ。最後の警告だ。命が惜しいなら、二次試験は辞退して田舎へ帰れ。それがお前のためだ」
畜生。何でお前にそんなこと言う権利があるんだよ。僕の人生は僕のものだろ。お前みたいな、クズみたいな庶子風情が、たまたま先に魔術師試験に合格したからって偉そうに……!
不意に鋭い叫びが上がった。
チーリンが、僕の襟元から手を離した。
「チュウリィに、ひどいことする、ダメ。私の友だち」
いつの間にか立ち上がったシュラハが、蛮族の使う短剣を抜いて僕たちの傍にいた。切っ先にはわずかに血がついている。
チーリンは、血の流れる手の甲を反対の手で押さえて舌打ちした。
「面倒くさいのとつるみやがって……。モク族の女戦士なんか、どこで引っかけてきやがった」
シュラハは女戦士なのか? だったら、いつも戦士装束で現れるのも分かるけど。チーリンのヤツ、どこでそんなこと知ったんだ。
「もういいよ。今日はここまでだ」
チーリンは後ろへ大きく飛んで、僕たちから距離を取った。気持ちの悪い虫みたいな動きだった。
「万一にもお前が試験を全部くぐり抜けた時には、この俺が責任もってお前を始末してやるから、覚悟しておけ。それがイヤなら田舎へ帰るんだな。お前は、そんな風に女の子をひっかけて遊んでる方が似合ってるよ……!」
そう言い捨てて、ヤツはサッと姿を消した。
僕とシュラハだけが、そこに残された。
シュラハはしばらく緊張した面持ちで、ヤツが去った方角を見ていたが、やがてほっとしたように息をついた。
「アイツ、いなくなった。イヤなヤツ。チュウリィ、大丈夫か」
僕も吐息をついた。僕の一族は、互いにすこぶる仲が悪い。そんなことはもちろん知っているが、まさか白昼堂々、血のつながった半兄に殺害されそうになるとは思っても見なかった。
乱れた襟元を直しながら、立ち上がってシュラハの顔を見る。
「大丈夫だ。なんてことない。あんなヤツにやられる僕じゃないよ」
と、とりあえず言っておいたが。
「でも、助けられた。ありがとう、シュラハ」
お礼は一応言っておいた。
まあ、チーリンは弱いから、とっくみあえば僕だって倒せたとは思うけど。
それでもまだ、シュラハの表情は不安そうだ。僕を真剣に心配してくれている。
「大丈夫。この宿は、父上の息のかかったところだし。僕がもうアイツを入れないように言えば、今後は足を踏み入れることも出来ない」
「アイツ、入れない、本当?」
シュラハは聞き返す。言葉があまり達者ではない彼女は、その部分しか理解できなかったんだろう。
「大丈夫、大丈夫。心配してくれるのかい」
シュラハの頬に手を伸ばし、そっとさわった。やわらかい。
彼女はビクリとして首をすくめる。その動きが、とても、可愛くて。
「なあ、シュラハ。僕、一次試験を通過したよ」
耳元で、そう囁いた。
そうだ、僕は合格したんだ。チーリンやあのオバサンが何をしようとも。たとえ殺そうとして来たって、それを跳ね返した。
「君も受かってるといいな。そうしたら、また二人で試験に挑戦できる」
僕の言葉が分かっているのかどうか。シュラハは不思議そうに僕の顔を見上げる。
僕は彼女を抱きよせた。そして、その桜色の唇に、そっと唇を重ねた。
シュラハが驚いたように逃げようとするのをしっかりと抱きしめて。僕は彼女の唇をむさぼる。
甘い味。
僕の体に当たる、シュラハの柔らかい胸。
そこに手を伸ばし、きっちりとした上着の間から奥へ手をすべりこませる。ああ、ちゃんと女の子だ。
彼女が身じろぎするのを、くちづけで押さえつける。体が熱くなる。
シュラハがやがて抵抗するのをやめて、僕の手の動きに身を任せる。
シュラハ。
僕はけっこう、彼女が好きみたいだ。
言葉はあまり通じないけれど、いつも僕のために真摯に身を尽くしてくれる彼女。
出しゃばったりせず、それでいて僕の言いなりでもない彼女を。
今まで一緒に遊んできた女の子たちよりずっと、魅力的に感じてる。
もしシュラハが試験に落第していたら。
僕が全ての試験に受かるのを待って、彼女を妻にしてもいいな、と思った。
試験に受かりさえすれば、もう父や母の意向を気にする必要もなく、好きなように生きていくことが出来るのだし。
うん、いい考えだな。シュラハが蛮族の出身なのは、きっと父や母を怒らせるだろうけど。
僕だって、もう大人なんだし。人生の伴侶くらい自分で選べる。
うん、そうだ、そうしよう。
そんなことを思いながら、僕は彼女を抱きしめていた。