魔術師 チュウリィ・3 双子の石
試験初日から三日。僕は退屈していたので、宿を出て都の西側に向かう。
王城からだいぶ離れたその辺りは、庶民の住む場所になっているようだ。辺りを粗末な衣類を着た奴らが行き交い、物売りたちの声がやかましい。
通りの真ん中を通っていく僕は注目の的だ。当たり前だね、この辺には香をたきしめた絹の装束を身につけた男なんて一人もいないし、そもそも靴を履いている人間だって五人に一人くらいしかいない有様。僕のことが天上の使いみたいに見えるのは、まあ仕方ないだろう。
中には、その僕の懐の中を狙って近付いてくる不埒者もいるようだが、備えは万全だよ。良からぬ気持ちで近付いてきたヤツは、僕にあと三歩、というところまで近付くと標的を見失う。
いったん見失えば、次に僕の姿を目に出来るのは時計の秒針が三回転してからだ。というわけで、愚か者たちは僕に指一本触れることも出来ない。
貧民たちのための下市場をくぐり抜け、僕は更に都の外れに向かう。
方形に設計されたこの都の西側は、城壁ではなく大きな水路で仕切られている。
僕はとうとうと流れる水路の横に立ち、反対側を見る。
そこには、都へ入れてもらうのを待っている隊商だとか、旅行者たち、王城内での興業の許可をとろうとする見世物一座なんかが列を成している。こういうヤツらは、都に入れてもらうまで何日もかかることがあるから、水路の向こう側にはいくつもの野営地が出来ている。何十人もが生活する大きいものから、一人用の小さいものまであるが、僕の目当てはその中でもひときわ大きい、何百人がそこで生活するのかと驚くような、巨大な天幕の群れ。
北方の蛮族の中でも勢威のあるモク族のうちの一氏族、サカルンの内の一つの部族が今、それぐるみ王都に滞在しているらしい。
僕は懐から、この三日肌身離さず付けている玉を翳し、その巨大なテント群に向けて念を飛ばした。
この玉には、対になった兄弟石が存在する。同じ一つの石から磨きだされた、そっくりな半身が。
彼女が僕と同じように、この玉の半身を身に付けていてくれれば。僕の来訪は伝わっているはずなのだけれど。
待つこと十五分。水路の反対側に、その相手はひょっこり現れた。
分厚く、荒い布地で織られた装束。腕や足に防具をつけた戦士装束。小柄な体をすっぽりと覆うフードつきマントには、色とりどりのビーズが飾られている。
そのフードの下からのぞく、黒い髪にふちどられた黒い瞳の整った顔立ち。
シュラハ。
「よお」
と僕は片手を上げて水路越しにあいさつした。
それにしても、予想外。試験のない日だったら、シュラハは女装束を着ていると思ったのに、何で戦士姿のままなんだよ。
「チュウリィ。何か、あったか」
シュラハは緊張した面持ちで言う。コイツはいつも、余裕というものがない。
「別に、何もないけど。三日も放置されて、ヒマだろ。遊びに行かない?」
シュラハは目を丸くした。
「鍛錬は」
短く、尋ねる。
「そんなもの、今さら何をやったってムダさ。この前の試験で、分かっただろう」
と僕。
シュラハは首を傾げる。
僕は、苦々しい気持ちで思い返した。三日前、シュラハと手をつなぎ、暗い石造りの道に出現した扉を開いた時のことを。
※
扉を開けると、部屋だった。
拍子抜けするくらいに、普通の、講堂みたいな部屋で。静かで、穏やかで、左側の窓から日が燦々とさしていて、眠気がくるくらいにポカポカしていて。
百人ほどの人間が、既に座について、巻物を広げ手には筆を持っており。
僕たちの正面には、背の高い、やせぎすだががっしりした体格の男が、この世にいいことなんかひとつもないと言いたげな仏頂面で立って、こちらに鋭い眼光を投げていた。
げ。
ソイツを見た途端に、僕は思ったよ。
最悪だ。最悪の上にも最悪だ。
ソイツは知っているヤツだった。有体に言えば、僕の十三人の異母兄姉のひとり、三兄のタイスー・フォングに間違いはなかった。
兄弟と言っても、二十は離れているし、母も違う。今までに会ったことも数回しかないが、コイツのことは、忘れたくても忘れられない。
僕の異母兄姉にはろくでもないヤツが多いが、コイツはその中でもダントツといっていいくらいイヤなヤツなのだ。
「ほう」
たっぷり間を取って、タイスーは太い眉毛を上げてみせた。
「今さら、新しい受験者か。これだけ待って来ないのでは、もう誰も来ないだろうと判断し、試験を開始しようとしたところだったが」
僕は血の気が引いた。時間制限内に着けなかったのか? だってまだ、第一試験も受けていないぞ?
「ふうむ」
タイスーは、イヤな目付きで僕と、シュラハをジロジロと眺めまわす。
それから、わざとらしく大きなため息をついた。
「よかろう。余人ならともかく、ほかならぬフォング家の跡取り殿だ。大変残念なことだが、この私の異母弟でもある君をここで落としたら、私にもひとかたならぬ災いがふりかかる。幸い、まだ試験の問題を口外する寸前であった。特例として、君を試験参加者として認めよう、チュウリィ・フォング」
イラッとする。つまり、僕は本当は失格だけど、フォング家の跡取りだから特例で試験を受けさせるっていうのか。僕自身の才能とか関係なく、家柄のおかげだと。
言っとくけど、僕はあのオバサンに陥れられて、死ぬような危険をいくつもいくつもかいくぐって、ここまでたどり着いたんだぞ。それだけだって、一位で合格させてもらっても良さそうなものじゃないか。
それに、偉そうに言ってるけど、お前だってフォング家の庶子だって身分を十分にひけらかして今の地位を得ているんだろ、知ってるぞ。
それにしても、コイツの発言のせいで、会場の他の受験者が僕に向ける視線が三割ばかり冷たくなったような。
だまされるなよ、僕が受かるのは家柄のせいじゃない。天命だ。
「さて」
僕に対する攻撃をひととおり終えた後、タイスーはようやくシュラハを見た。
「お前は蛮族だな。受験番号を言いたまえ」
僕に対する、揶揄や軽蔑や嫉妬を含んだ複雑な口調ではなく、純粋に冷たい、相手に興味を持たない口調。コイツ、本当に性格悪いよな。
「七百三十一」
シュラハが高い声で言う。タイスーは手元の資料に目を落す。
「最終番号か。それにしても時間がかかったな。遅くとも、もう十分は前に会場に入っているべきだ」
叱責する口調。だからお前は何様か、っての。
シュラハは今はまだ、お前の部下でもなんでもない。ただ試験を受けに来ただけの一般人なんだから、もう少し柔らかい対応をしろよ。
それにしても、最終番号が七百三十一、か。思ったよりたくさんいた。そして、ここには明らかにそれだけの人数はいない。何らかの形で、既に振り落としが行われたのか。
「とはいえ」
タイスーは興味を失ったようにシュラハから目をそらした。
「チュウリィを特例として受験を認めた上は、一緒に入ってきた君を排除するわけにもいかぬな。仕方ない、君にも機会を与えよう。二人とも席に着きなさい。ああ」
猛禽類のような目を、嗜虐的に細めるタイスー。
「こどもではないのだから、手は離しなさい。手をつないで神聖なる試験会場に足を踏み入れるとは。いったいどういう了見か聞きたいものだ、チュウリィ」
忘れてた。手をつないだままだった。僕はシュラハと一瞬、目を合わせてから手を離す。
ふふん、タイスーのばーか。コイツの目には、僕が子供みたいに不安になって他の受験者と手をつないでたみたいに見えるのかもしれないけど。
今は魔術師試験を受験するため、男のなりをしているけど。シュラハは女の子なんだぞ、それもとびきり美人な。お前、こんなかわいい子の手を握ったこと、一度だってある?
僕は知ってるぞ。お前はもうすぐ四十だっていうのに妻はおろか、恋人もいないだろう。性格が悪い上にブ男だからじゃないの? ちょっと年を取ってるからって、僕にエラそうな口をきいているとそのうち後悔するぞ。
僕は必ずこの試験に受かって、官職もお前の上を行って見せるし、もちろんその暁にはシュラハみたいなかわいい女の子たちにモテモテなるはずだから。
というわけで、僕たちは下級の官吏に案内されて別々に座についた。
ひと巻の巻物と、墨と筆が渡される。
「では、これ以上受験者も現れぬようだし、改めて出題内容を発表する」
タイスーは、もったいぶった口調で言った。
「今回の出題は、『炎を発する術』。以上だ。何か質問は」
この三兄らしい、他人をぶった切るような口調で、不愛想に題目が伝えられる。炎を発する術、が何だって。それをどうするのか、もう少し丁寧な出題はないのかよ。
しかし、タイスーという人間を知っている僕でさえ、反論の切り口を見つけられなかったのだ。残念ながら、ここでこの不愛想人間に何か言えるような猛者はおらず。
「では、開始」
不愛想人間により、開始の宣告がなされた。
この出題については、僕もどうしようかと相当悩んだが。要するに、炎を発する術に関することを何でも書けばいいんだろ、と思いつくことを片っ端から書いていってやった。
大体、この一次試験には制限時間は設けられていない、というのは有名な話だ。
この試験は、受験者の魔術に対する知識を見るものだから、書いてあることが多ければ多いほど、良いだろう。
というわけで、四時間ほどかけて僕は巻物ひと巻を使い切って、座を立ち上がった。
ちなみに、早々に諦めて三十分足らずで帰ったヤツが数人。
一、二時間で、巻物を途中まで使って立ち上がったヤツらが半分強。
残った半分の更に半分が僕より早く座を立っており。
僕が立った時にはまだ十人ちょっとが回答を書き入れるのに四苦八苦していた。
シュラハがまだ残っているのを確認して、僕は部屋を出た。
今度は、出口のところに下級官吏が立っていて、城門の外まで僕を黙って連れて行った。
その道は、僕の通った殺人的な経路とも、シュラハがやってきたものとも違っていた。
何事もなく、僕はすぐに城門に至った。
城門の外は、いろいろ。すぐに帰っていく受験者もあれば、他の受験者をつかまえて喋り出すヤツも、地面に巻物を広げて、うなりながら眺め出すヤツもいる。
僕は誰とも違い、城壁に背中を預けて、ただ黙って時が過ぎるのを待っていた。
そう待たず、二十分ほどしてから、シュラハの小柄な姿が扉から出てきた。
僕は、今日と同じに片手を上げて彼女に挨拶した。
「チュウリィ」
シュラハはすぐに駆け寄ってきた。
「どうした。もう帰った、思っていた」
「君がちゃんと答えを書けたか、気になってさ」
僕は笑って言った。シュラハは気難しそうな表情になる。
「分からない。試験とても難しい。チュウリィは、大丈夫?」
「楽勝だね」
僕は言い切った。あれだけ書けば、タイスーも文句は言えないだろ。
「チュウリィ、すごい。私は、ダメかもしれない」
ため息をつくシュラハ。
「シュラハ。とりあえず、メシを食べに行かないか」
僕は彼女を誘ってみた。
シュラハがビックリしたように顔を上げる。
「メシ? 何?」
俗語はシュラハの脳内辞書には記載されていないようなので、僕は言い直した。
「食事。一緒に、食べよう」
「チュウリィと、私? 一緒に、食事?」
シュラハは、不思議そうに首を傾げた。
「どうして?」
「どうしてって」
僕は笑った。
「どっちかが落第するかもしれないし。そうしたら、今日しか機会はないかもしれないだろ」
それに。
僕は声を落して、シュラハの耳元でささやく。
「かわいい女の子と一緒の方が、食事も楽しいし」
こんなことを言われたら普通の女は喜ぶんだが、シュラハは普通じゃないのか、単に言語力の問題なのか、更に不審げな顔をして、
「誰と食べても、味、変わらない、でしょう?」
と真顔で返してきた。
あ、コイツ結構めんどうくさそう。
だけど、僕がこの王府に来て数日、シュラハよりかわいい女の子には出会ったことがないわけであって。それで僕は、おだてたりすかしたり、いろいろやって、何とか彼女と食事を共にすることに成功して。
帰りは、彼女の部族のテントへと続く、外城壁の開閉口まで送っていき。
双子の玉石の片方を、渡した。
シュラハはそんなに感情を表に出すタイプじゃないけど、結構楽しそうにしていた、と思う。
最後に僕が手を振った時は、彼女も笑顔で手を振り返してくれた、し。
同じ一つの石から磨きだされた二つの玉石には、互いに引き合う性質がある。
それを利用して、この石にはちょっとした仕掛けが施してあって。
心得のある者が片方の石に魔力をこめれば、もう片方の石が熱くなって反応する。
だから。
僕に会いたくなったら、これに魔力をこめればいいんだよ、と教えた。
オモチャみたいな物だけど、女の子はこんな物が好きだから。
シュラハは不思議そうに石を見ていたけれど。
革紐に通してあるその玉石を、大事そうに首にかけてくれた。
その時の表情で、僕はまたすぐに彼女に会えるって。
彼女の方から僕に会いたがる、って確信した。
※
というわけで、それから三日。
玉石の使い方はちゃんと説明したし、僕の予定ではもっと早く、シュラハの方から僕に会いたい、って連絡してくるはずだったんだけど。
まあ、些細な予定の狂いは良しとしておこう。
こうやって、呼んだら彼女はちゃんときてくれたわけだし。
「シュラハ、暇だろ。王城の中に来いよ。一緒に遊ぼう」
もう一度僕が誘うと、彼女はまた、とまどった顔をして。
「暇、ない。やることたくさんある」
とか言いやがった。何だ、この女。
「一日くらい、いいだろう。僕がわざわざ、誘いに来てやってるんだよ?」
僕が強く言うと、彼女はますます困ったような顔になる。
「仕方ないなあ。じゃ、二次試験に向けて一緒に勉強しようよ。僕の持ってる、古い魔導書とか見せてやるよ。それならいいだろう」
少しだけ考えてから、シュラハは大きくうなずいた。まったく。こういうマジメちゃんタイプは、遊ぶって言葉自体が苦手なんだよな。人生に余裕がないヤツは、遊びに誘うにも苦労させられる。
「私、も、書物持ってくる。それチュウリィに見せる。それで平等」
とか一生懸命言っているが。そんな蛮族の、出典のアヤシイ魔導書を見たからって、何の勉強になるとも思えないんだけど。
「シュラハ。僕にお礼がしたいんだったらさ」
僕は走り出しそうな彼女に声をかける。
「ちゃんと、女の恰好で来てよ。シュラハが女らしくしたところを、見てみたいな」
シュラハは振り向くと、またとまどったように目をパチパチさせ、蛮族の言葉で何か呟いた。
僕の耳には、「師匠」とか「言う」とか聞こえた。
「お前の師匠が何か言うのか。だったら、女が女らしくして、何が悪いんだ、って言ってやれよ。シュラハはキレイなんだから、そんな恰好をしているのはもったいないだろ」
と、僕は言った。シュラハの師匠とか言うヤツが、何を考えて彼女にこんな恰好をさせているのか知らないが。魔術師試験を受けるため、女ということを隠しているだけかと思っていたけど。もし、そのこと以外に目的があるなら、彼女の師匠とかいうヤツは何かの種類のヘンタイに違いない。
シュラハはぼうっとしばらく立ち尽くしていた。それから、不意に頬をサッと赤くして、天幕に向けてパッと走り出した。
「シュラハ」
僕はその背中に声をかける。
「この前の外城の門の中で、待ってるから」
シュラハの声の代わりに、首から下げた玉石が分かった、と言うようにほのかな熱を持った。
どうやら、僕は今日という日をシュラハと二人で過ごせそうだった。