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エピローグ・1 遠く遠く

 目を開けると、抜けるような青空が高く高く広がっている。

 周りに見えるのは、ゆったりと流れる大河と、その岸辺の風景。あれから二日、僕たちは、南へ向かう船の乗客となっている。

 僕は水面に目をやりながら。あの日のことを思い出す。



「やり口がヒドイ。これじゃ完全な事後承諾だ」

 後から屋敷にやってきたウェンバクはぷんぷん怒っていたが、チーリンは柳に風で妙に機嫌が良かった。

「まあ、そう言うなよ。これも可愛い弟のためだ。多少の泥はかぶってくれ」


「チーリンちゃんがかぶるのは勝手。今、問題にしてるのはなんでそれにオレを巻き込むのかってことだよ」

 かみつくウェンバク。チーリンは、

「いつも手を貸してやってるだろう。しかも、お前が自分で勝手に始めた面倒事の後処理を俺にムリヤリ押し付けてきた回数を数えてみろ、両手の指じゃ足りないぞ」

 と反駁した。

「全部数え上げてやろうか。まず、サーイ家の令嬢の事件だろ。赤絵の壺の事件だろ。龍の入れ墨の事件だろ……」

「ああ、もういい、いい」

 ウェンバクは途中で遮った。僕に聞かれたくないわけがあるのか、いちいち図星だったためか。真相は分からない。


「いいよ分かったよ。オレの屋敷に匿われている以上、今さら知りませんでしたでは通用しない。で? 話はどうなってるって?」

 不満たらたらの様子で長椅子に腰を下ろす。チーリンはニヤリと笑う。

「陛下は親父殿が宥めている。三兄殿を通じて、ウチの長官にも根回ししてある」

 チーリンから聞いたところによると、ぎょろ目のタイスーは魔法庁長官の懐刀であるらしい。アイツがそんな使いでのある男とは、いまだに信じられないが。


「チュウリィは、このまま中央からもフォング家からも消える。陛下を怒らせた無礼な受験生の名前は名簿から抹消されて、もうたどりようがない。受験生に罰を受けさせずに勝手に叩き出したかどで、俺には多少のおとがめがあるだろうが、陛下お気に入りの花火の効力でそれはチャラになる予定だ」

 ニヤリと笑う。この男は、本当にどんな顔をしても悪党にしか見えない。宮廷の役人には到底見えない。


「消えるって。それでいいのか、チュウリィちゃん」

 ウェンバクが心配そうな目を僕に向けた。


 僕はうなずいた。

「もう、父や母の世話になるつもりはない」

 まあ、なろうったって陛下を怒らせた僕だ。あの両親の方で僕を受け容れないだろう。


「なあ。殊勝な決意だろう」

 チーリンが僕の左肩に手を置いた。馴れ馴れしいな、おい。

「ここは、兄貴である俺たちが助けてやらにゃならんところだろうが。で、お前の役目だがウェンバク」

「あー、分かった分かった。落ち延び先を見繕えって言うんでしょ。あーもう、今回に限ってどうしたんだか。チーリンちゃんがそんな温情を見せるなんてねえ」


 ブツブツ言いながら、ウェンバクは書き物机の書類をいくつか漁り、紙を何枚か出し筆を走らせた。

 しばらく書き物を続けてから、僕に向かって書き付けを一枚と、手紙の入った封筒を一つ差し出す。

「その住所までなんとか行って、その手紙をそこの主人に渡しなさい。そうすれば、当座の寝床と路傍の占い師くらいの仕事は与えてもらえる」

 不機嫌そうにウェンバクは言った。


「本当か?」

 思わず疑い深くなるのは、習性というものだ。

「あ、信じられないならこの話はなかったことで」

 封筒と書き付けを引っ込めようとするウェンバク。その手を、チーリンが止めた。

「いい加減に腹をくくれよ、ウェンバク。チュウリィも。言っただろう、こいつの人脈は利用するに越したことはないんだ。あのな、これから一人で生きていこうって言うんなら」

 灰色の目が僕の目を覗きこむ。


「油断しないことはもちろん大事だ。人を疑うこともな。だが、ここぞというところで他人を信じる勇気ってヤツも必要だぜ」


「まあチーリンちゃん。立派なお言葉」

 僕が何か言う前に、ウェンバクがせせらわらった。チーリンはうるせぇと言ってウェンバクの頭をはたいた。


 僕は黙って、ウェンバクの手から紙片と封筒を受け取った。紙片には、南方の交易で栄えている大都市の住所が書いてあった。

「木を隠すなら森の中。隠れ潜むなら、都会が一番やりやすいからな」

 と、ウェンバクは言った。


 僕とシュラハの二人分の衣装が用意された。質素な庶民向きのもので僕の美意識には反するが、これからはそれに慣れなくてはいけないのだろう。

 僕の魔術の道具や様々な身のまわりのものは、父の館からチーリンが持ってきてくれた。同じく、シュラハの荷物も宿屋からチーリンがとってきた。

 シュラハは一族の天幕を出て、都で宿屋暮らしをしていたらしい。

「掟の環が断たれれば、師匠と私は同じ天幕の内にはいられない」

 と彼女は言った。要するに、婚約者でなくなったから一つ屋根の下で暮らすのはオカシイとか、そういうことだと思うけど。


 僕も彼女も、旅の途上にあった者。お互い、荷物は多くなかった。まあ、僕の魔術用具がちょっとかさばっているけれど。

 チーリンは、シュラハと僕から花火に使う火薬の組成と術式の書き付けを受け取って、もう一度屋敷を出て行った。

 夜遅く、戻ってきた時の満足そうな様子を見ると、事態はヤツの思い通りに進んでいるらしい。まあ、それはもう僕にとってはどうでもいいことだ。


 荷物を抱えて、深夜僕たちはウェンバクの屋敷を出た。

 チーリンが御する馬車で、都の外れまで行く。都の端を流れる水路には、灯りを黒い布で隠した小舟が待っていた。


「さ。これに乗って行きな。夜が明ける前に、適当なところで降ろしてくれる。そこからは、普通の旅人として南に向かえよ」

 と言うウェンバク。


「ああ」

 僕は短く言って。それから、この二人の異母兄を改めて見直した。

「その。こんなにしてくれるとは思わなかった。……ありがとう」


「何。どこでだって生きていける、と大口叩いたお前さんの姿が、わが弟ながらちょっとカッコ良かったからな」

 チーリンはまた、ニヤリと笑った。

「けど、次に同じことを言う時は、王国は広いじゃなくて世界は広い、にしておけよ。その方がカッコいい」


「まあ、何だかんだ言ってオレたちもうんざりしてるからさ」

 ウェンバクが言葉を添えた。

「高圧的な親父殿にも、気ままで夢見がちな陛下にも、さ。だから、まあ今回チュウリィちゃんのしでかしたことを聞けば、宮仕えをしている兄弟姉妹みんながよくやった! と快哉を叫ぶよ。オレたちの敵二人をぎゃふんと言わせたんだもんねえ。うん、だからさ」

 ヤツは長めの前髪をかきあげた。


「何か困ったことがあったら、兄さん姉さんを頼りなさい。何、王国中いたるところに君の兄姉はいる。そして大半が宮仕えしていて、全員がとんでもない曲者だ。それを忘れないように」


「どっちだよ? 全員が曲者だってところか、それとも」

 全員が味方になってくれる、ってところか?


「まあ、両方だな。うん」

 チーリンが腕を組んでしきりにうなずいた。

「兄弟姉妹のつながりはうまく利用しろ。ただ、簡単に手の内は見せるな」


 信じられるのか、られないのか。どっちなんだよ。

 だけど、そんなのも。何だか僕たち兄弟らしくて。

 僕は、知らぬ間に微笑んでいた。


「おお。少しはふてぶてしくなったじゃないか」

 チーリンとウェンバクが嬉しそうに笑った。

 僕は。こいつらの、こんな顔を見たのは初めてだってことに気が付いて。

 これが、別れの場だっていうことが、何だかちょっと惜しい気がしてきた。


「じゃあ。もういい加減に行かないと、夜回りの巡卒に見つかる」

 コートのフードを深くかぶり直しながら、チーリンが言った。

「元気でね。まあ、女連れの都落ちとはいい身分だから、心配はしてないよ」

 とウェンバク。

 二人は素早い動きで馬車に乗り込む。


 そうだな。僕はもう、決断したんだ。


 小舟に乗り込む。手を伸ばして、シュラハが乗り込むのを手伝う。

 シュラハがしっかりと腰を下ろすのと同時に、もやい綱が解かれ、小舟は水路の真ん中に躍り出た。

 夜の闇は深くて。チーリンとウェンバクがいるはずの馬車の輪郭は、たちまちおぼろになっていく。

 向こうからもきっと、僕たちの姿はもう追えないのだろう。



 そして、夜明け前。森の小道と交叉する渡し場で、小舟の持ち主は僕たちを下ろした。小銭程度の礼を渡しておいた。ウェンバクがなにがしかの取引をしているのだろうが、ケチケチして恨まれるのもイヤだった。


 旅の詳細は、道中ウェンバクから教え込まれていた。渡し場からは、街道に出るまで追いはぎに気を付けること。街道に出たら、連絡馬車に乗って大河の岸まで出る。そこからは、沿岸の諸都市への定期船が出ている。

 ちょっと不安もあったけれど、腕利きの魔術師の二人旅だ。僕たちは、大した困難にも遭わず定期船に乗り込むことが出来た。


 意外だったのは、シュラハが船が不得意なこと。

 彼女いわく、馬には何時間でも乗っていられるが、船はダメなのだそうだ。あの揺れがどうしようもなく苦手なのだそうである。

 僕にしてみれば、馬も船も揺れることでは同じだと思うんだけど。


 で。今、船室から青い顔で現れた彼女の肩を抱きながら。

 僕は、晴れた空を見上げて船の行く手を望んでいるわけである。


「ほら。河のずっと先。地平線にきらきら輝くモノが見えるだろう。あれが、僕たちが目指す街なんだよ」

 さっき船員から仕入れた情報を披露する。

 街にはたくさんの寺院があり、それぞれが立派な屋根瓦で飾られた高い塔を所有しており、こんな風に遠くから見てもきらきら輝くのだそうだ。


「もうすぐ、着く?」

 シュラハの関心はそれひとつにしぼられている。よっぽど船がお気に召さないらしい。

「うーん。あと半日くらいかな?」

 と言うと、ガッカリした顔をした。

「大丈夫だよ」

 僕は彼女をはげます。

「あの街に着いたら、当分水路の旅なんてないだろうし。どこかに腰を落ち着けて、のんびりやろう。占いでも魔術でも、うまくやれば結構もうかるってウェンバクは言っていた」


「街の人間は計算高い。気をつけないと、財産をかすめ取られる」

 遊牧の民であるモク族出身の彼女は、定住民の商人に対して否定的である。

 ウェンバクとその母方の一族なんて、おおかた彼女の部族の最大の敵なんだろう。

「大丈夫。うまくやるさ。利益をかすめ取られるなんて、そんなことをされてたまるものか」

 そんなこと、もしされでもしたら僕の自尊心を傷つける。魔術を使ってでも、そういう羽目に陥らないよう用心をしておこう。


 もう一度、空を見上げる。青い、青い空。吸い込まれるように高い。

 

 いつか僕は、こんな風に旅をして都に出てきた。都では、富と名声が自分を待っていると信じて。


 そこでは、思っていたような幸運は僕を待ってはいなかったけれど。

 それでも、かけがえのない大切なものを僕は手に入れることが出来た。


 僕はもう一度、彼女を抱き寄せる。

 彼女と出会った不思議。僕たちを結びつけた不思議な夢は、今もまだ続いているけれど。僕はもうセイタをうらやむことはしない。

 だって、僕の方が絶対に幸せだからな。


 僕たちはこれから、二人で新しい未来を切り開いていく。

 二人なら、高く高く。あの空の彼方まで。遠く遠く、あの地平の彼方まで。

 少し前まで、僕の世界を区切っていた狭苦しい境界を越えて。

 どこまでだって、行けると思うんだ。


 僕たち二人だったら、

「天国だって、たどり着けるさ」

 と言って。


 僕はシュラハに口づけした。


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