女子高生 玄倉新・20 二人で
「マリアがお前を殴ろうとしたろう」
落ち着いてから、そんな風に星太くんは話を始めた。
マリアというのはお母さんのこと。家ではそういう風に呼んでいるのだそうだ。
「あれで、僕の中のチュウリィがキレちゃったみたいでさ。まあ、推測だけど。今日の夜、夢を見ればはっきりするんだろうけど、他に原因がないし、多分それだろ。それで、急に苦しくなって。すぐに分かったよ、あの時と同じだって」
ペットボトルの水を飲む。
私がさっき買ってきた水は、もう半分くらいになっている。
「アイツは、きっとお前を守ってマリアを責めるつもりだったんだろ。シュラハと別れて、今アイツが大事なのはお前だけなんだ」
なんかカン違いしてるんだよな、新は僕の彼女でアイツとは無関係なのに。
とブツブツ言う。
「別れたって。シュラハはそんなこと思ってないし」
私は一応、不満の意を表しておく。
「だから。僕に言われても困るって。アイツはそう思ってるの」
と言われても。星太くんに言わないと、チュウリィに伝わらないし。
それにしても、チュウリィってちょっと思いこみ強い?
「けど。マリアは僕の母親だし、新は僕の彼女だろ。だから、お前を守るのもマリアを守るのも、僕の役目だ」
星太くんは晴れ晴れとした顔で言い切る。
そうか。星太くんは、お母さんのことも一生懸命守ってるんだね。
私のうちとは違う。そういうつながりが親子の間にあることが、私にはちょっとうらやましかった。
「だからさ。アイツがこっちに出てこようとするのを必死で抑えてさ。疲れたよ」
ため息をつく。
「うん。頑張ったね、星太くん」
私は素直にそう思った。
星太くんにとっては大切なお母さんでも、チュウリィにとっては他人だ。だから私の時みたいに、チュウリィがひどいことをしようとしたかもしれない。星太くんが頑張ったから、何事も起きなかった。
それに、私は。星太くんが星太くんでいようと頑張ってくれたこと、そのものが。なんだかすごく、嬉しかったのだ。
「そうだろ。言っておくけど、新が思ってるよりずっと大変なんだぞ。体を乗っ取られないようにするの」
星太くんは、そう言いながら長い指先で私の髪を梳く。
「うん。すごかった」
「何、それ。ホントにそう思ってる?」
唇を歪める星太くん。
「思ってるってば」
「じゃ、何かご褒美をくれよ」
髪から胸の辺りへ、下りてくる指先。
「ダメ。もうすぐ、看護師さん来るでしょう」
それを、軽くはじいて私は自分の胸を押さえる。
検温の時間が近いのだ。
「もうそんな時間? 何だよ。じゃあ」
星太くんは肩をすくめる。
「僕が退院したら、いいだろう? 僕のうちさ、学校から近いんだけど、普段は誰もいないから」
学校の近くに自宅があるのに寮生活なのか。まあ、家事をやってくれる人がいないと寮の方が便利かもしれないけど。
ではなくて、今のは結構キケンな提案だった気がするけれど。
それより。
「退院できるの?」
私は身を乗り出して訊ねた。
星太くんはニヤリと笑ってうなずいた。
「当たり前だろ。いつまでも入院生活じゃ、たまらないよ」
「いつ?」
「来週。何曜日になるかは、まだ未定だけど」
「良かった」
私は星太くんを抱きしめる。
それから、気付いた。
「それ、お母さんにも話してあげれば良かったのに。きっと安心したよ」
「ムリ。マリアのヤツ、そんなこと言わせてくれなかったじゃないか」
まあ、確かに。
「けど、いい気味だったな」
星太くんは声を上げて笑った。
「マリア、僕がちょっと怒鳴ったらビクビクして。あの時はさ、チュウリィのヤツを抑えるのに精一杯で、あんな言い方しか出来なかったんだけど、僕が強く出たらあっさり引っ込んじまって。こんなことだったら、もっと前からこうしていれば良かった」
「まあ。怒鳴るのはどうかと思うけど」
でも。
「自分の気持ち、ハッキリ言ったことなかったの?」
「だってアイツ、人の話聞かないじゃん」
うん、それはそうだね。
「それにさ。今までは、言えば更にアイツがキレて、怒鳴り散らされるばっかりで。叩かれたりもしたし。だから、アイツの言うことは聞き流す癖がついて。ああ、誤解するなよ」
星太くんは言った。
「アイツも仕事、大変だと思うんだ。お前だから言うけど、僕がもっと小さい頃には酒浸りの時もあったし。僕をひとりで育てたんだから、そのことには感謝してる」
そうか。
「うん。分かった」
私は頷く。
星太くんは、強くて弱いお母さんのことをひとりでずっと支えていたんだろう。
お母さんとのことは、きっと星太くんにとってとても大切なこと。
それを話してくれたのが、嬉しかった。
「けど、言いたいことはやっぱり言った方がいいな。清々した」
星太くんは、伸びをする。
親と子の関係は。何も考えずに親に抱かれていた、あの頃のようにいつまでもはいられなくて。
成長するごとに、少しずつ変わっていく。
いや、変えて行かなくてはいけないのかもしれない。
「私も、手紙でも書いてみようかな」
ふと、そんなことを思った。
「何。誰に」
「親。今、住んでるところは知らないけど、弁護士さんの連絡先なら分かるから。届けてって頼むことは出来るんじゃないかな」
「何で」
星太くんは唇を曲げる。
「そんなの書いて、どうする気さ。ハッキリ言うけど、お前の親ってそんなことしても返事とかくれなさそうじゃん」
また、言いにくいことをハッキリと。
「うん、まあ。そうだろうとは思う。けど、自分の気持ちを整理するため、っていうか」
親に養われて、甘えていられるのが当然だと思っていた私に訣別するために。
いらないものとして断ち切られた、その時の哀しみと衝撃に時間を止めていた私の時計を、もう一度動かすために。
「星太くんが頑張ってるのを見たら、勇気もらった。私も、頑張ってみたいって思った」
私が言うと、星太くんは少しだけ顔を赤くした。
「あ、そう。まあ、そういうことなら、やってみてもいいんじゃないの」
なんて言っている。ああこれ、結構照れている。
うん。
いつまでも親を恨んでいるだけの、幼い自分じゃいたくない。
「前から聞きたいと思ってたんだけどさ」
星太くんは、話をそらそうとするように言った。
「シュラハは、新の体を乗っ取ろうとしたこと、一度もないのか。お前、よくチュウリィのことを聞いてくるけど、あれもシュラハに言われてやってるんだろ。今、二人が離れ離れになって、何か言って来たりしないの?」
「え。いや、別に」
チュウリィのことは、私が気になって聞いてるだけだし。
「シュラハが、私にチュウリィのことを聞いてほしいって思ったことは、ないと思うよ」
「ホントに? ウソだろ」
不服そうな星太くん。
「チュウリィは、シュラハとうまくいってた時から僕に何か聞き出せってうるさかったぞ。うまくいかなくなってからは、気持ち悪いほどお前に執着してさっきみたいなことをしでかす始末だし。僕が新とうまくいってるのを完全に妬んでるしな。シュラハだって、あの状況じゃそうなんじゃないの?」
妬んでるって。またスゴイ単語出たな。
「ううん、あんまり。あの子、夢は夢って割り切ってるし。性格的に、あんまり深く悩まないタイプなんじゃないかなあ」
そういうところ、自分と結構似ている気がする。
「だって。毎日泣いてるとか言ってたじゃないか」
それはそうなんだけど。あくまで彼女にとっての現実の範囲で悩んでいるというか。
夢の世界の私と引き比べてどうとか、私を使ってこの状況をどうにかしようとか。そういう方向には考えていない。
夢のつながりを自分の支えにしているようではあるけれど。介入してこようとはしない。
だから、私は私、シュラハはシュラハ、ってお互い割り切っていられるのかも。
けど、そう考えてみると。
「何。何だよ」
私の説明を聞いて納得のいかなそうな星太くんは、不機嫌にそう問いかける。
「うん。私とシュラハより、星太くんとチュウリィの方が一体感が強いのかな、って」
「げえ。やめろよ」
星太くんは本気で嫌そうな声を出した。
「あんなヤツ、大っ嫌いなんだよ。今日だって迷惑かけられて、イラついてるんだ。二度とそんなこと言うなよな」
そういうものだろうか。
「けど、不思議だね」
私は言った。
「何が」
「この夢。いつまで見るのか分からないけど、私たち、二人じゃないんだよね」
この十日余り。いつも、四人でいたようなものだった。
辛い時には、お互いの存在が励みになったり。
反発したり、利用しあったり、思いがけず触れ合ったり。
いろんなことがあったけど。
「四人だったから、私は何とかやって来られた気がする」
「へえ。僕は、アイツがいなかったら話がもっと簡単だった気しかしないけど」
まあ、星太くんとチュウリィはそういう関係なのかも。
私は。
いつもしないことをしてみる。
今、この私のすることや思うことを、夢に見ているだろうシュラハに、メッセージを送ってみる。
今まで、あなたがいたから私は頑張って来られたよ。星太くんに嫌われた時も、あなたとの夢の絆が私の支えだった。
そうして、今がある。だから。
あなたとチュウリィも、きっとうまくいくよ。
だって、私たち、ずっと四人だったでしょう。
だから、頑張れ、シュラハ。
応援してるから。
「何。急に黙り込んじゃって」
星太くんが聞いてくる。
私は、ただ。
「うん。シュラハとチュウリィがうまくいくように、って願ってた」
と言った。
ずっと四人だった私たちの。それが、あるべきカタチ。
「へえ。僕はまあ、今のままでもいいと思うけど」
星太くんは憎まれ口をたたく。
「まあ。そうしてくれれば、アイツがヘンにお前に興味を持つこともないから、いいかもしれないね」
ひねくれた回路を通ってたどりつく結論は、私と同じ。
それが嬉しくて、私は笑った。
うん。大好き、星太くん。
私たちはどちらからともなく手を握り合う。
「あ。星太くん、包帯ほどけてる」
白い布が、床に垂れている。
「あ、ホントだ。新、巻き直してよ」
そう言って彼は、少し大儀そうに怪我した脚をベッドの上に戻した。
パジャマの裾をまくりあげる。
包帯は、ふくらはぎの下あたりから膝の上まで、右脚のほとんどを覆っている。
ほどけたのは、ふくらはぎのあたり、一番下のほんの少しの部分だけれど。
チラリと見える傷痕は大きく、やはり痛々しい。もうすぐ退院だなんて思えないほどに。
「新。早くしてよ」
急かされて、気が付いた。
「ゴメン。手が止まってた」
「どうしたのさ」
「うん。大事故だったな、と思って」
私は、包帯を巻き直した彼の脚を改めて眺める。傷のある部分を、ふくらはぎから太ももに添ってなでていく。あの日、一瞬で。星太くんから多くのものを奪ってしまった事故。
「まあね」
星太くんは脚を引き寄せ、傷痕が見えているかのようにじっと脚を眺める。
「この怪我のせいで、いろいろ考えた、けどさ。それに痛いし。リハビリきついし」
言いながら、サラサラの前髪をかき上げる。
「けど、こうなったのも運命だと思うし。こうなったからこそ、新とこういう風になれたっていうのもあると思うし、まあしょうがないかな、って」
言いながら私を抱き寄せる星太くんを。その優しい強さを。
私は、ものすごく愛おしいと思って。
私の彼氏はものすごくカッコいい、と誇らしく思った。
ちょっと前まで、ひとりで生きていると思っていた私。ひとりで生きていけると思っていた私。
だけど、もうひとりで生きるのはイヤだ。
誰かといると、泣いたり怒ったり、イライラしたりわずらわしかったり、いろいろするけれど。
だけど私は、誰かといる方がいい。
そして、その一番近くには。
星太くんにいてほしい。
この先、私が歩く長い道。そこにいつも彼の姿があれば、とても嬉しい。
そうであることを心から願って、私は彼の胸に顔を埋めた。




