魔術師 チュウリィ・18 求めるもの
数日間、父の館で過ごした。
チーリンに取り上げられた僕の魔術用具は全て返って来たから、おとなしく最終試験に向けての勉強をしていた。
五日目に、チーリンが二次試験通過の報せを持ってきた。当然、と思った他に感慨はなかった。
もう、僕は全てを把握している。
セイタとの夢のつながりは、まだ生きているのだ。夢の中のセイタとクロクラの会話で、僕はあの日何があったのかおおよそ把握することが出来たし、シュラハとあの師匠野郎との関係も理解した。
シュラハはシュラハなりに、僕を好きでいてくれたことも分かった。
胸の玉石は今も温かい。彼女の気持ちは、嬉しいと思う。
だけど、僕は今も彼女に気持ちを返せないでいる。双子の玉石を握り返し、「僕も君を想ってる」と伝えられないでいる。
夢の中で、クロクラが語った僕の姿は、何だか別人みたいだった。優雅で、金持ちで、いつも余裕のある男。
シュラハ。僕は、そんなんじゃないよ。全然違う。
今も、父の館に閉じこもり。ただ、父の権威にすがって存在している、つまらない男だ。
こんな僕だと分かったら、多分君はガッカリするだろ。それなら、このまま別れた方がいい。
僕は夢の中で、セイタがクロクラと仲良くしているのを見ているだけで満足する。
あったかもしれない未来。僕が手に入れることが出来たかもしれない未来を、眺めているだけでいい。
シュラハは多分、アイマグと結婚した方がいい。クロクラは、アイマグに恋愛感情なんかないと言って笑っていたけど、僕はそうじゃないと思う。少なくとも、アイツはとてもシュラハを大事に思っている。僕が横からつまみ食いして悪かったけど、とってもキレイな花だったんだ。そのくらいは許してもらおう。
王宮に仕える夢も、何だか色あせてしまった。所詮、父の操り人形になるしかないと思うと、何の希望も抱けない。
いつの間にか、立場が逆転している。
初め、夢を奪われ、ベッドの上に縛りつけられて、何も出来ずに苦しんでいたのはセイタの方だった。僕は、そんな彼をこちら側から憐れみながら。シュラハとの恋を楽しみ。夢に向かって邁進し。
だけど、今では。セイタの傍にはクロクラが寄り添い。
僕の傍には、誰もいない。
セイタの幸せは、正直妬ましい。クロクラがシュラハにそっくりだから、余計に。まるで僕から奪ってアイツが所有しているような気さえする。
だけど、クロクラが幸せそうだから。セイタの傍で、とっても嬉しそうな顔をしてるから。
僕は、それだけで満足する。
「チュウリィ。落ち込んでるか」
そんなことを考えていたら、チーリンが顔を出した。コイツは、あの父との会見以来ここには寄り付かなくなるのかと思いきや、結構気軽に館の中に出没する。図々しいんだ。
「チーリン。何の用だ?」
僕は魔術書から顔を上げずに返事をする。コイツの顔も、今は見たくない。
「はん、おとなしいな。お前さん、そんなに素直じゃないと思ってたんだが、見込み違いか。親父殿に、すっかり牙を抜かれたか?」
ウルサイ。
「何か用があって来たんじゃないの。そうじゃないなら、帰ってくれるかな。見てのとおり、勉強で忙しいんだ」
わざと音を立てて頁をめくる。
「ふーん、まあ、お前が落ち込んでようがどうしようが、俺には関係のない話だな」
肩をすくめる気配。
「じゃあ、用件のみで失礼しよう。明後日の最終試験な。国王陛下のご臨席が決まったから。まあ、俺が言わなくても親父殿あたりが騒ぎだすだろうが、一応教えといてやるよ。これは、身内が宮廷内にいるから分かる極秘情報だから。当日慌てなくていいように、という俺の兄心だ」
何でだろう。
ちょっと前だったら、奮い立ったろうその情報も、今は僕の気持ちをまったく動かさない。
「ああ、そう」
とだけ、僕は無感動に言った。
「何だ。わざわざご注進に来てやったのに、ずいぶんな態度だな」
チーリンは肩透かしをくらった様子だった。
「僕はね。もう、くだらないことで大騒ぎしないことにしたんだよ」
一応、返事をしてやる。
「お前らのおかげでさ、僕も思い知ったんだ。大人になったっていうのかな。まあ、その点は感謝してるよ」
「はああん」
バカにしたような返事。
「そりゃあ、ご立派なことで。だが、一つ教えておいてやる。宮廷に仕えるつもりなら陛下の動きにだけは大騒ぎした方がいいぜ。陛下の一挙手一投足を、廷臣たちが鵜の目鷹の目で見つめているのが宮廷社会だ。あの方のお言葉ひとつで、首が飛びもする。我らが親父殿だって、同じだぜ。まあ、あの人は年食ってる分うまいし、いろいろなつながりもあるから、そう簡単に首を飛ばされはしないだろうけど。残念ながら」
自分の父親が失脚するという話を、叶わぬ願望のように語る。
少し前だったら理解できなかったけれど、今なら分かる。チーリンにとっては父上は守ってくれる庇護者ではなく、邪魔な敵性分子なのだ。目の上のたんこぶ、というヤツか。
それからチーリンは、近くまでやってきてじろじろと僕の顔を眺めた。ぎょろぎょろした灰色の目に見つめられて、僕は居心地が悪い。
「何だよ。もう用は済んだんだろ。帰ったら」
「いや、さ。お前さん、本当に最終試験を受けに来るのか?」
そう聞いたチーリンの声はやけに沈んでいて。僕はむっとした。
「何だよ。僕じゃ受からないとでも言いたいのか」
「逆だよ、逆。お前さんなら受かるだろうと思うから危ぶんでるんだ。あのな、チュウリィ。宮廷はお前さんが思ってるようなところじゃないぜ。常にお互いが足の引っ張り合いをしているし、敵味方の勢力にいつも気を遣っていなくちゃならない。お前さんがどんなに立派な魔術師になろうが、心からほめたたえてくれる人はいないぜ。美辞麗句を並べようが、裏ではすぐさまお前さんを引きずりおろそうと計をめぐらす。そんなところだ」
「だったら、何だ。僕は宮廷に夢なんて」
言葉が途切れる。僕は宮廷をどんなところだと思っていたのだろう?
父の息子だから、同じように宮廷に仕えるのは当たり前だと思い込んで。みなが感心し、喝采を送るような魔術師になろうと、ただ勉強を続けて。
「だからさ。俺たちみたいな、ひねくれた人間はいいんだよ。人が人を裏なしでホメるなんて有りえない、って思ってるしな、もともと。中味のない美辞麗句なんていくらでも並べられるし、そんなもん聞かされたって何とも思わんし。けどな、お前さんは違うだろ」
僕の目の前に、人差し指を突き付ける。
「お前さんはさ。裏のない賞賛ってヤツを求めてる人間だ。俺は、お前さんが行こうとしてる宮廷にはそんなもんはないぜ、って親切に教えてやってるのさ。お前さんが欲しがってるのは、賞賛とか友情とか愛情とか、そういうまじりけのないものだろう。宮廷にはそんなもんはない。お前さんを支えてくれるようなものは何もない。そんなもので自分を支えてるヤツは、よってたかってその糸を切られてすぐにつぶされちまうぜ」
「な。ふざけるな。僕がいつ、そんなものを欲しがった」
僕は。ムキになって反論する。
「そんな幼稚なものが欲しいなんて、僕は一度だって言ってない」
だけど、僕の胸に浮かぶのは。
セイタの傍に寄りそう、クロクラの姿。
セイタがどんなにわがままでも、短気でも。変わらずに根気強く彼の傍に寄りそう彼女。
いつでもまっすぐにセイタを肯定してくれる彼女の存在を、僕は。
心の底からうらやましいと思っていて。
「ああ、言ってないね。言ってないけど、俺には分かるのさ」
チーリンは肩をすくめた。
「こういうカンが俺の売り物でね。お前はさ、育ちのせいで少々歪んでるけど。本質はそれほどひねくれちゃいないのさ。けどな、そういう純真さは宮廷では何の役にも立たない。今のままで宮廷入りすれば、お前さんは今以上に踏みにじられ、引き裂かれてボロボロにされるぜ。誰かにいいように利用されて、お前さん自身も、お前さんの大切なものも全部一緒くたにしてなくすんだ」
異母兄の目は憐れむように僕を見て。
その声は恫喝するように低くなる。
「前にも言ったろう。そういう風に、不様に潰れられると俺たちに迷惑が及ぶんだ。身内の不始末ってヤツは始末が悪い。いくら、俺やウェンバクのバカが揚げ足とられないように気を遣って生活をしていても、お前さんの不始末を理由に失脚させられることだって有り得る。どんなに仲が悪かろうが、お互い憎みあっていようが、俺たちは兄弟なんだよ。お前一人の失敗が、宮廷内で細々と頑張って生きてる異母兄異母姉の迷惑になることは理解しとけ。それを踏まえて、お前にはそんな世界はムリだから、初めっから入ってくるな、と俺は言っているわけだ」
僕は、むっとする。
何だそれ。初めっから失敗すると決めつけて、さ。
「僕は試験を受けるよ。宮廷に仕えるのは、子供の頃からの夢だったんだ」
「処置なし、だな」
チーリンは大げさにため息をついた。
「お前がそこまでバカだと、俺に出来ることは二つに一つ。お前を蹴り落とす側に回るか」
チーリンは言葉を切って、つらつらと僕の顔を眺めた。
「お前のバカの尻拭いをする側に回るか、だな。まあ、後者の可能性は限りなく低いが。生き残りたかったら精々、俺たち兄弟にお前についた方が得だと思わせる何かを見せてくれ。今のままのお前さんじゃ、正直、自分を危険に晒してまで応援してやる気にはなれないね」
そう言うなり、チーリンはするりと姿を消した。魔術でも使ったような見事な消えっぷりだったが、魔力の痕跡はない。身ごなしによるものだろう。
僕は、しばらく黙ってチーリンが姿を消した戸口を眺めていた。
チーリンから見れば、僕はまったくの青臭い子供なんだろう。そう言い切られたのが悔しかったし、それに反論できないのはもっと悔しかった。
けれど、一番悔しかったのは。
(お前さんが欲しがってるのは、賞賛とか友情とか愛情とか、そういうまじりけのないものだろう)
そんなくだらないものを求めてる人間だと、当たり前のように決めつけられたこと。
僕はそんなんじゃなくて。もっと、大きなものを求めて。僕は。
目の裏にクロクラの姿がちらつく。
僕は。セイタみたいな器の小さな人間じゃない。アイツは彼女に拒否されるのが怖くて、自分から彼女を拒否した。僕は、あんな情けない男じゃない。
僕は。彼女が変わらずセイタの元に通い続けるのを。
まっすぐにセイタへの想いを打ち明け、彼を肯定してくれることを。
セイタが彼女の揺るがない愛情に安堵し、少しずつ心を許していく様を。
僕は。そんな風に。
権益や利害なんか関係なく、ただ僕だけを愛している存在を。
うらやんでなんか。
欲してなんか。
僕の母と母の親族は、僕を甘やかしてくれたけど。彼らはいつも、僕ではなく僕の後ろにいる父の影を見ていた。僕を通して父の権益や富を吸い上げることを考えて。僕には、父に次ぐ存在になれと、それだけを教え。育てた自分たちの恩を忘れるなと、絡みつくように愛し。
セイタの母は、仕事の合間に顔を合わせる彼のことを愛玩物のように扱っている。彼には自分の思うままの息子であることだけを求め。ありのままの彼を受け止めたことは、一度もない。
あり方は違うけれど。僕もセイタも、産みの親にまっすぐに愛されたことはなかった。
だから。人と人とのかかわりに絶望しながら、どこかで。
飢えて乾いていて。
まじりけのない愛情ってヤツに。
彼女の笑顔が脳裏に広がる。もうそれが、クロクラなのかシュラハなのか分からない。
僕は、手に持っていた魔術書を床にたたきつけた。
ああ、そうだよ、チーリン。僕はどうやら、お前が言うとおりの小さいヤツだ。
ちっぽけな自分のちっぽけな幸せにしか興味のない器の小さい人間だ。
だけど、それを知ったからって今さら僕に何が出来る。僕の周りには誰もいない。
冷酷な父と、利権しか頭にない母とその親族。互いに憎しみ合う異母兄姉。
その中で僕に出来ることは。父と母の望みのとおりに宮廷に仕えることだけで。
胸にかけた玉石の温かさは、無視する。それは、もう喪われた夢。
僕に出来ることは。父と母の望みどおりの人間であるフリを続けることと。
喪われた夢のカケラを守ることだけ。
僕は。玉石を握りしめながら立ち上がる。
そうだ。僕の夢の残滓。セイタの傍でクロクラが笑っている、そんな幻を守ることなら。
今の僕でもできるかもしれない。




