女子高生 玄倉新・18 バスケットボール
ホームルームが終わり、私は席に座ったまま、今日の分のノートをチェックする。
星太くんの分もノートを作るのが、もう習慣になっている。
「おーい、玄倉っているか」
隣のクラスの男子に名前を呼ばれた。
「星太に頼まれたんだけど」
「あ、聞いてる」
私は立ち上がった。
「ボールね。一緒に行く」
彼は、男子寮で星太くんと同室だ、とのことだった。
「入院してから、一度もメールとか来なかったから。昨日は、ビックリした」
「うん。一大決心だったんだと思う」
私は微笑む。
「ああ。アイツ、結構小心者だろ? 見舞いの時の騒ぎでキレちゃったけど、内心ではやっちまったと思ってたんじゃないかな」
笑っている。
私は、少し意外だった。
「何?」
「あ、いえ。星太くんに、そういう仲のいい友達がいるって、思わなかったから」
最近分かって来たのだが。いつも、人に囲まれているように見えた王子様は、実は結構小心者で。
他人に心をなかなか開かない、シャイなあんちくしょうだったりするのだ。
だから、星太くんを「小心者」とズバリ言い切り、優しく笑っている人の存在が、私には驚きで。
「あー、おれ? そんなに仲良くないよ、ただ、中学の時からの腐れ縁でさ。いろいろと」
と彼はまた笑う。
「おれは、どっちかというと玄倉の方が意外だった。アイツ、彼女作らないって言ってるの知ってた?」
「ええ、まあ」
私はうなずく。
「でもさ。昨日のメールには、彼女が行くから、って書いてあったから」
はは。そうなのか。照れる。
「ダサいからビックリしたでしょ」
「いや。アイツ、お前みたいのがタイプだったんだな、ってちょっとビックリしたけど。玄倉、確か柔道部だよな。姿勢がキレイで、おれたちの方から見ても目立ってた」
うわ。男の子から面と向かってキレイと言われる日が来るとは。
しかも、遊び人の星太くんとは違う、真面目そうな男子から。
「安心した。星太のこと、よろしくな」
私から見れば。こんな友だちが星太くんにいたことが、安心で。
「ちょっと待ってろ」
男子寮の前に着く。お友だち君は、寮の中に走り込んでいく。
待ってる間、他の男子にジロジロ見られたけど。
「お待たせ。これ、星太のマイボール」
バスケットボールを渡されるまで、時間もかからなかったし、気にならなかった。
「あ、玄倉」
帰り際、呼び止められた。
「あのさ。他の女子とか、大丈夫か。星太のヤツ、人気あるしいろいろヤバいんじゃないのか。何かあったら、素直にアイツを頼れよな」
心配してくれる。いい人だなあ。
「大丈夫。ありがとう」
笑顔を見せて、手を振った。
本当に、その点に関しては。拍子抜けがするほど、何の反応もなく。
たった一人お見舞いに通っている私は、もはや勝手に「公式彼女」状態なのだけれど。篠田さんに呼び出しを食らった事件以外は、これということも起こっておらず。
その篠田さんも、今ではどういうわけだか、何かと私の世話を焼いてくれているのである。
やはり、あの時の私の対応に問題があったのか。いわゆる、「シメた」状態になってしまったのだろうか。そうだとしたら、特待生として問題があるような気もしないでもないが。
怖くて、篠田さんには真相を聞けない毎日なのである。
ボールを抱えて、病院まで歩いて行く。
通い慣れた外科病棟の廊下を進み、星太くんの病室へ。
「こんにちは」
いつもの通り、開け放しのドアをノックしながら部屋に入る。
「遅い」
と、いきなり睨みつけられるのもいつも通り。
「だって、ボール受け取りに行ってたんだもん。はい、これ」
持ってきたボールを渡した。
「大きくて、重いんだね。私の中学では、もっと小さくて軽いのを使ってた」
「へえ。これ、公式ボールだけどな。5号球だったんじゃないの? 小学生用だぞ、それ」
「あ、そうそう。小学校と同じの」
星太くんは、久しぶりに触るボールを嬉しそうに見ている。
ずっと、拒否していたけれど。やっぱり、バスケしたかったんだな。
昨日、帰る時。これを持ってくるように、星太くんに頼まれたのだ。寮の自分の部屋にあるから、って。同室のヤツに連絡しておくからって。
入院してすぐのお見舞い騒動があってから、私以外の誰とも連絡を取っていなかった星太くんにとっては、それは。大層な決心だったはずで。
いかに同室のお友だちがあんな良心的な人であっても、きっとメールを打つまでには、すごく悩んだに違いないんだ。
「いい人だね、星太くんのルームメイト」
私は言った。
「山下? バカだよアイツは。お前にヘンなコト、しなかったろうな?」
「しないしない」
私は笑った。
「黙ってされたりしないし。私、ほら。柔道やってるし」
「ま、そうか」
納得したような、納得しないような顔で頷く星太くん。
でも。キレイ、って言われたのは、自分だけの内緒にしておく。
ボールを軽く投げあげてみる星太くん。受け止める時、パンッと固い音がする。
「僕さ。NBAの選手になりたかったんだ」
ボソリと言う。目はボールだけを見てる。
「一年からレギュラー入りして、全国行って。アンダー18に選抜されて。大学は留学して、向こうでバスケやって。そういう予定で。いい調子に進んでると思ってたんだけどな。先輩たちヘタクソだし、少なくとも最初のレギュラー入りだけは固いと思ってたんだ」
私は。返事が出来ない。相づちも、打てない。
「僕の脚、さ。折った時に筋肉も断裂してるし、すぐには前みたいに走ったり跳んだりは出来なさそうなんだ。すぐに、どころか。折れたところが弱ってるから。一生、ダメなのかもしれない」
アスリートにとって、ケガは恐怖だ。
ちょっとしたケガが、一生を左右してしまうことがある。
まして、星太くんのケガは。ちょっとしたものではなかった。
私は。ただ、黙って彼を抱きしめるしか出来なくて。
あの時の運転手は、裁判にかけられているというけれど。
その人が、どんな罪に問われても。
喪われた夢の補償は、誰もしてくれない。
「ゴメン」
小さな声でそう言った。
私がはねられたら良かった。星太くんの誘いを、断っていればよかった。あの日、あの時間、あんなところにいなければ良かった。
「何で謝るんだよ。新のせいじゃないだろ」
星太くんは、笑った。笑って、私の手に手を重ねた。
「ただ、ちょっと僕に運がなかったんだ。それだけのことさ」
それを笑って言うために。どれだけ彼が苦しんだか。
私は想像する。
特別に強い人間じゃない彼が、どれだけ、何度。私を、あの運転者を、運命を呪ったか。
私だったら呪う。他人のせいにして、黒い気持ちをまき散らす。自分の人生を潰した何かに、怒りをぶつける。
だけど、星太くんは。それを表に出さずに。
今、こうやって笑ってくれる。
その優しさが。強さが。尊くて、愛しくて。
私は、桐野星太という人を、心から尊敬した。
こんなに強い星太くんを、私は初めて見た。
彼がこのまま強くあることが出来るように。
私がそばで支えたい、と。そう思った。
「脚のことは、いいんだ。何とか、受け止めていけると思う」
星太くんは、ギプスで固められた脚を眺めて言う。
「けど、日曜にはアイツが来るだろう。正直、キツイ。今、アイツの相手するの」
星太くんの視線が動く。その先には。お母さんが置いていった、パンフレット。
今度来るまでに、芸能界に入る決心をつけておけと。そう言っていたお母さん。
「アイツなりに、心配してるってことは分かるよ。だけど、僕が行きたいのはそういう道じゃないんだ。子供の頃から、そういう世界には興味がなくてさ。母親のことをチヤホヤしてる連中が、僕のこともアイツのオマケみたいにチヤホヤするのがすごくイヤで。そのせいでなんて言うか、条件反射的にああいう世界に嫌悪感があって」
そうなんだ。
「僕に近付いてくるヤツ、大概がアイツ目当てか、芸能人の息子ってことに興味を持ったヤツばかりだし。そういうのが鬱陶しかったのもあるな」
そうか。
学校で王子様しているところを見ると、適性はあるんじゃないか、とか勝手に思っていたんだけど。
星太くんには星太くんの苦労があるんだね。
「だけど、アイツにはそういう話は通じないだろ」
ああ、うん。いかにも星太くんのお母さん、って感じの人だったもんなあ。
「だからさ。新。その日、朝から来てよ。アイツ、お前のこと苦手みたいだし。新がいてくれれば、僕も話がしやすいんだ」
「え。いいの」
親子水入らずの話し合いなのでは。
「いいんだよ。あんなヤツより、毎日来てくれる新の方がずっと好きだ」
私の手を握りしめて、そう言う。
ああもう、この王子様はホント時々悪魔だな!
「分かった。星太くんが来いって言うなら、行くよ」
了承してしまった。私もいい加減、彼に甘いと思う。
星太くんの代わりにお母さんと戦え、って魂胆が見え見えなんだけど。しかも、もし形勢が悪くなれば、きっと簡単にお母さんに鞍替えするぞ、この男。
「そうか。ありがと、新。頼りにしてるよ」
微笑む悪魔王子様。
これは今から、お母さん対策を練っておかなきゃダメだな。
「分かった。じゃあ、星太くんの考えを聞かせて。これからどうしたいとか、どうするつもりなのかとか。それが分かってないと、私も星太くんをうまく応援してあげられないよ」
「ええ?」
眉根を寄せる星太くん。
「デリカシーないね、新。僕は今、心も体も傷付いてるんだよ。そんな先のことなんか考えられるわけないだろう」
だから。そのデリカシーないことしてるあなたのお母さんに対抗する策を練りたいと、私はそう申しているんですが。
落ち着け私。お母さんと戦うのは、あくまで星太くん。私は、その援護射撃をするだけ。
だから、肝心のその星太くんの意志がはっきりしていなきゃ、あのお母さんに対抗するなんて出来ない。
「考えろ、って言ってるのはお母さんなんだから。マジメに考えないと、このままなし崩しに芸能界デビューさせられちゃうよ」
「だから。そこを、新に何とかしてって言ってるんじゃん」
唇を歪めて不機嫌をアピールする星太くん。
この男はあ。
どうやらまずは、星太くんに自分がしっかりしなきゃダメなんだ、ということを叩きこむところから始めなくてはいけないらしい。
ガンバレ私。桐野星太と、その母中村マリア。二人を相手取った後なら、どんな強敵が現れても鏡のような心境で試合に臨める気がするぞ。
これも精神修養、と思いつつ。私は星太くんに向き直った。
道は険しいが。きっと、成功すると信じつつ。まずは、第一ラウンド。玄倉新、頑張ります。




