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魔術師 チュウリィ・15 届かない距離

 招き入れられたそこは、やはり小さな天幕だった。天井も、壁も布で出来ているだけ。頑丈な木組みで支えられ、厚い布を何枚も重ねているようだが、嵐など来たら飛ばされてしまうのではないだろうか。

 入ってすぐが、広間のようになっており、その真ん中で鍋が火にかけられていた。鍋の真上では、天幕に少し穴が開けられていて、湯気や煙を外に出すようになっている。だが僕には、壁の内側にいながら空が見えるのは落ち着かないことこの上なかった。


「何してる、こっちだ」

 アイマグが僕を呼んだ。

「客人に供するのはこちらの部屋だ」


 垂れ下がった分厚い布をいくつもかき分けると、そこに通路があった。くぐり抜けて行くと、小さいながらも部屋のようになっている場所があり、粗末な寝台のようなものがしつらえられている。


 うわあ、これどうよ。ウェンバクの、日の差さない穴倉みたいな部屋と、この布だけで出来た頼りない粗末な「部屋」と、どっちを取るって言われたらすごくビミョウ。ていうか、正直どっちもご免こうむりたい。


「ゆるりとするがいい」

 アイマグは言った。

 こんな、地べたで寝るより少しマシな程度のところでくつろぐなんて芸当が出来たらな。


「私は魔術の研究がある。しばらく自室に籠るが、気にせず過ごされるように」

 ああ、ああ。アンタの顔なんてこっちも眺めていたくないから、それはいいんだけどさ。この部屋。


「それから」

 アイマグは、何かを思い出したように振り返った。

 僕に近寄る。眉根をググッと寄せる。

「お前とシュラハがどんな過程で友人になったかは聞かないが。客として迎えられた天幕の内で、その家の女に馴れ馴れしい振舞いに及ぶ者は、たとえ客人であっても厳しい処罰を受けなければならない。分かるな」


「な」

 僕はむっとした。

「シュラハに近付くな、ってことかよ」


「友人としての範囲で接するなら問題はない。礼節をもって臨んでくれと言っているのだ」

 つまり。コイツの目に付くところでいちゃつくな、ってことか。


「頼んだぞ。私だって、客として迎え入れたお前と揉め事なんて起こしたくないんだ」

 アイマグは、僕から身を離した。

「どうも、お前はものわかりの悪そうな顔をしてるから、一応言っておく。忘れるなよ」


 次の瞬間。ヤツは、重なり合った幕の隙間に入り込んで、僕の目の前から姿を消した。


 なんだよ、どういう意味だよ。

 僕は、粗末な寝台に寝転がる。固い。

 何だか、面白くない。ここは、ウェンバクの館に負けず劣らず居心地が悪い。


 僕は、シュラハの恋人で。シュラハは、僕を必死でウェンバクのところから救い出してくれた。

 愛し合う二人が、ようやく会えたんだ。

 ここは、互いの無事を手に手を取って喜び合うところじゃないか。

 なのに、僕たちときたら。チーリンたちから逃げるのに必死で、まだそんなことを全然していない。


「チュウリィ」

 カーテンが揺れた。シュラハが入ってくる。

「水。足、洗う」

 水のたくさん入った手桶を持っている。僕の足は、しっかりと靴をはいているから別に汚れていないけど。


「早く。靴、取る」

 シュラハは急かした。ようやく僕は、これが何かの儀式なのだと思い当たった。

「シュラハ。それ、やらなくちゃいけないのか」

 僕は尋ねる。シュラハは力強くうなずいた。

「客の足、洗う。女の務め」


 シュラハが大真面目だから、僕は仕方なく靴と靴下を脱いだ。寝台に腰掛け、裸足の足をブラブラさせる。それにシュラハが水をかけ、それから丁寧に洗ってくれる。ひどく、くすぐったい。


「なあ、シュラハ」

 声をかけると、シュラハは顔を上げ無邪気に笑った。

「チュウリィ、ここなら安全。私と師匠、守る」

 その笑顔があんまりまっすぐだから、何と言うか。僕は、照れた。


「シュラハ。ちょっとこっちに来いよ」

 声をかけてみる。

「一緒に座ろう」


 シュラハはマジメな顔で僕の足から水気を拭きとっていた。

「なあ、シュラハ」

「チュウリィ、客。私、家の女。二人は並んで座らない」

 意味がよく分からないが、なんかバッサリ断られた気が。


「いいだろ。今なら、誰も見てないよ。それとも、アイツがここの様子を窺ってでもいるのか」

 と早口に尋ねると、シュラハは困ったような顔をした。あ。また、半分も聞き取れてないな。


「チュウリィ、客。客、天幕の主人の持ち物に手を出さない」

 彼女が言ったのは、それだけだった。

 僕はカッとなった。


「持ち物って。シュラハ。お前は物じゃないだろ。お前は、僕の」

 一瞬、ためらった。言い切る自信がなかった。


「恋人、だろ」

 声がかすれた。本当にそうなのか、自信がない。彼女が僕をどう思っているのか、僕ははかりかねている。

「チュウリィ」

 シュラハは困ったように言った。それから、僕を諭すような口調で二言、三言、蛮族の言葉で何か言った。

「掟」に相当する単語だけが、ハッキリ聞き取れた。


「掟が、何」

 僕は、たどたどしい蛮族の言葉で言い返した。

「掟が君に何を命じている?」


 途端、シュラハがものすごい勢いでしゃべった。蛮族の言葉の奔流。僕はその中から、いくらも単語を拾うことが出来ない。

 シュラハはかなり長くしゃべってから、ようやく僕がちっともそれを理解できていないことに気付いた。


 僕とシュラハは、しばらくの間。途方に暮れたようにお互いの顔を見て。


 やがて、シュラハがそっと胸元に手を当てた。

 同時に、僕の胸元の玉石がふうわりと熱を持つ。

 僕が魔術をかけた、お互いの「会いたい」想いを伝える双子石。


「いつも、想っている」

 シュラハは、少し頬を赤らめてそれだけ言った。

「私は掟の子。掟は大きく、私は小さい。それでも、いつも想っている」

 それだけ言うと、彼女は手桶を持って立ち上がった。そのまま、僕を顧みることなく、彼女はするりと垂れ下がった幕の向こう側に消えた。


 ただ、胸の玉石だけがいつまでも温かくて。

 彼女の体温を感じるように、僕もいつまでもそれを握りしめていた。

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