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女子高生 玄倉新・7 ドレイの反乱

 病院に入る前に、気合を入れる。

 イヤ、心の中での話だけれども。さすがに、病院の自動ドアの前で大声を上げたりは出来ないから、心の中だけで。

 で、何で気合が必要かというと。


 昨日の記憶が甦って、私はひとりで赤くなる。


 記憶は、頭の中にではなく、体全体に再生されて。


 後ろから抱きしめられて、私の躰の上を這いまわる桐野くんの指先。その感触。

 ああ。

 もう嫁に行けない……。


 かろうじて最後の一線だけは越えていないものの、それはおそらくここが病院で、桐野くんが片足をギプスで固められた状態だったからで。


 事実上、犯されてしまったようなものではないのか、アレ。


 ガックリする私。まさか、天下の病院で、そこら中に他人のいる状況で、あんな破目に陥るとは。


 アッサリされるがままになってしまった自分が情けない。そして、思い出しただけで身体中が熱くなる自分が情けない。結構エッチだったんだ、私って。


 とにかく、今日からは心を引き締めていく。桐野くんの手が届く範囲には行かない。

 それが一番平和。昨日のことは、犬にかまれたと思って忘れよう。うん。


 あくまでただのクラスメートとして、私は彼に接し。

 彼が退院してしまったら、それでこの日々も終わり。

 ただのちょっと口をきくだけのクラスメートに戻る。


 それが正解。

 それが幸せ。


 お互いに、住む世界が違うから。

 だから。



「玄倉って、下の名前なんだっけ?」

 顔を合わせるなり飛んでくる攻撃。桐野くんは今日も笑顔である。

「下のって……」

 バカみたいに問い返す私。唇を曲げる桐野くん。

「だからさ。玄倉、何ちゃんだったっけ? 漢字一文字の名前だったよね、たしか」

 何でそんなことを覚えてるんでしょう、この人は。


「アラタ」

「何?」

「クロクラ・アラタ」


 私が呟いた名前を、桐野くんは反芻する。

「そんなだっけ。ヘンなの、男みたい」

 うっ。気にしていることをハッキリと。


 そうなのだ。漢字一文字で「新」。この字面は、私も気に入っているし、いい名前だと思う。

 だが。音だけで聞いたら最後。

 アラタ。この音だけで、男と勘違いされたことは数知れず。

 親のセンスに疑問を抱いてもムリはないと思う。


 もっとも、破産と同時に子供を捨てていった私の親たちは、そんなこと気にしないかもしれないけど。 


「じゃあ、今からアラタって呼ぼう。アラター」

 笑顔で、あくまで軽い調子で言う桐野くん。ハイ?


「何でまた、急に」

「急じゃないよ。僕らもう、他人じゃないだろう」

 ヘラヘラ笑う桐野くん。

「他人じゃないって」

 また、随分古い言い回しを。

「だってそうだろ。もう僕はさ、君のこと全部知ってるんだから」

 少し声を落とし、囁くように言う彼。


「君のあんなとこも、あんなとこも……。どんな声を出すか、どんな風に反応するかだって、全部知ってる」


 うわ来た! セクハラ発言。

 ガンバレ私、ここで彼のペースにはまるから、いつもオカシなことになるのであって。


「名前で呼ぶのは別にいいけど」

 私は切り返した。

「友だちだし」

 ともだち、に力をこめて言う。


「うわ、新、友だちなら誰にでもあんなことさせちゃうの。そんなこと教えたら、男ども大喜びしちゃうよ。案外、インランなんだな、新」


 耐えろ私。彼はかわいそうなケガ人なのだ。


「いいのかな。言っちゃうよ? 僕、ヒマなんだ。ラインで、部活の仲間とかクラスの男連中に、新のこと。全部」

 ええい、このエセ王子様め。

 女を脅迫するかい、しかもそんなネタで。この外道っ。


「桐野くん。何が言いたいのかな」

 自然に冷たくなる私の声。


「別に。僕はただ、新に素直になってもらいたいだけだよ」

 と、桐野くん。


「意地張らないで、ちゃんと僕の言うこと聞きなよ。新さ、体はちゃんと反応してたんだから、後は心だろ。素直になんなよ」

 うわ。これがこの男の正体です、全校の女子たちよ。スケベな上に、女子の尊厳無視。


 私は、深く息を吸い込んだ。

 ここから反撃しろ。行け、玄倉新。


「今、ラインやってるの?」

 私は、問い返した。

「今日、男バスの人たちに声かけられたよ。桐野くん、大丈夫か、って。ちゃんと連絡取ってないんでしょ? あの時のことはもういい加減に許してあげたらいいのに」


「な」

 桐野くんは、意外そうな声を上げて黙り込む。

 眉根にしわを寄せて、唇を曲げる。そんな顔をすると、せっかくキレイなのが台無しなのに。


「ホントは来てほしいんじゃないの? 桐野くんが来てもいい、ってひとこと言えば、みんなすぐに来るよ。桐野くん、学校じゃいつもたくさんの人に囲まれてたじゃない。一人でいるの、ホントはすごく淋しいんじゃないの?」


 だから。私に、あんな風に。

 手の届くところにいるのは、私だけだから。


「うるさい。僕のことに構うな。そんなことは、お前に関係ないだろ」

 乱暴な口調で言う桐野くん。

「何だよ。図に乗った? あのくらいで、もう彼女気取りかよ。お前、何様?」


 それはこちらが問いたい。女の子にあんな振舞いをしておいて、あなたは何者のつもりなのか。

 というと、正面からのケンカになるので。

 冷静に、冷静に。


「そうは思ってないから安心して。桐野くんは彼女は作らない、って話も聞いてるし」

 私は言った。

「他の人にも、ちゃんと言ってあるから。私と桐野くんは関係ない、って」

 それを聞くと、桐野くんはますます不満そうな顔になった。


「何だよそれ。ホントにお前、何様だよ。じゃあ何。お前は、僕が好きだからじゃなくて、僕がケガしてカワイソウだから毎日ここに来てくれてるとでも言いたいわけ」

 うわ。すごくとげとげしい口調。


「見下してるのかよ? ふざけんな!」


 言葉と同時に、テーブルの上にあったコップが私に投げ付けられる。

 とっさにそれを避ける私。

 プラスティックのカップだったから、割れたりはしなかった、けど。

 壁に間抜けな音を立てて跳ね返ったそれは、中に入っていたお茶をまき散らしつつ転がっていく。


 ああ、仕事が一つ増えた。


「見下してるとかじゃなくて」

 私は冷静に話そうと努めながら言った。

「桐野くんは覚えていないって言うけど、私はあの時助けてもらったって思ってるし」


「知らないね。ふうん、恩返しなんだ。そのためなら体も許すんだ。献身的だね、玄倉」


 あ、呼び名が新、から玄倉、に戻った。


「けどさ」

 目を怒らせて私をにらむ桐野くん。

「だったら、ドレイはドレイらしく、最後まで従順にしてろっての。中途半端に自己主張してるんじゃないよ。不愉快なんだよ」


 にらみつける彼。傷付いた表情。

 傷付けたいわけじゃ、ないのに。

 私はただ、二人の間にあるべき適正な距離を、保ちたいだけで。


「傷付けたんならごめん。あやまる」

 私は頭を下げた。

「だけど。私……」


「ウルサイ。ウルサイウルサイ。弁解なんか、聞きたくない」

 大声でわめく彼。何があったのかと、看護師さんが部屋をのぞく。

 桐野くんの声は、ヒステリックに少しかすれて、聞き取りづらい。

「もういいよ。よく分かったよ。もう来るな。その顔、二度と見たくない」


 後ろを向いてしまう。ああ、もう困ったな。


「来るよ。私は、嫌われても怒られても」

 私は言った。

「知ってるでしょ。桐野くんがいくら怒ったって、私は、また来るの」


 その言葉に、桐野くんはちょっとだけ振り向いて、言った。

「だから。何なんだよそれ、イラつくんだけど。お前いったい、何なわけ」


「だって、誰か世話してくれる人がいないと、長期の入院って大変だから」

 私は、静かに言った。


「私、中学の時に一ヶ月入院してるの。その時、両親はもう離婚して、面倒看てくれる人がいなくって、いろいろ大変だったから。福祉施設の人がたまに来てくれたけど。足りないものを持ってきてもらいたくても頼みにくかったし」


 施設の自分の部屋にあるものならともかく。買わなければいけないものなど。

 私には何の財産もなくて。その入院にかかった費用だって、大人になってから働いて返さなくてはいけないもので。


 それがメモ帳とかシャープペンシルとか、そんなものだって、買ってきてくれと言うのはためらわれた。単純に考えれば、それは借金の上積みになるわけだし。

 好意で買ってくれる、という人がいたとしても、それはそれで恵んでもらうみたいで嫌だった。


「洗濯だって、すぐたまるよね。退院間近でなければ、下のコインランドリーまで自分ひとりで行ったりできないし。いつも着替えどうしよう、って心配してなきゃいけなくなる」


 洗濯回数を節約するために、同じ下着を我慢してはき続けたり。

 いつも女性職員が来てくれるわけじゃなかったから。

 男性職員に、汚れた下着の洗濯を頼んだり。生理用品の買い物を頼まなくちゃいけないこともあって。

 屈辱だった。

 それでも私は、ひとりで生きなくちゃいけなかったから。ガマンしたけれど。


 あの夜、私を助けてくれた桐野くんには、そんな思いをしてほしくなくて。

 ただ、それだけなんだけど。


「余計なお世話だね」

 桐野くんはせせらわらった。

「そんなの、自分でどうにかする」


「どうやって。桐野くん、介助者なしじゃこのフロアから出るの禁止されてるじゃない」

 私は問い返した。

「看護師さんは忙しいし、そういうこと頼めないよ」


「だからウルサイって! 放っておけよ、そんなこと自分でどうにかする、って言ってるだろ。誰か、他の女にやらせたっていいんだからな」


「誰かほかの人を頼むなら、その人が来たことを確認してから私は来るのをやめる」

 私は言った。

「ちゃんと世話してくれる人がいるなら、私の出番はないから。その時は、ウン、もう桐野くんに関わらない、って約束してもいいよ。桐野くんが、そう望むなら」


 枕が飛んできた。今度は手でキャッチした。

「バカにするな……!」

 桐野くんは、多分本気で怒っていた。

「お前に、そんな憐れみを受けるいわれはないんだよ! 出て行け。今すぐ僕の前から消えろ」


 こんなに、怒らせるつもりはなかったのに。

 私はただ、秩序を取り戻したかっただけなのに。


 私の言葉はただ、彼を傷付けることしか出来なかったようで。


 私はうなずいたが、でもそのまま出て行くことは出来なかった。

 ティッシュで床にこぼれたお茶をふいて、コップを拾って。廊下の洗面所で、洗ってから持って帰る。


 私が病室に再び足を踏み入れた時、桐野くんは背中を向けて横たわっていて、何も言わなかった。

 私はそのまま、面会時間が終わるまで部屋の隅で座っていたけれど。


 彼が私の方を見ることも、何かを言うこともなかった。


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