女子高生 玄倉新・1 ひとりの朝
朝、学校の前の長い坂道を、ひとりでのぼる。
入学から一カ月。私には、この道を一緒に上る友だちはいない。
部活の朝練と夕練が忙しいせいもある。同じ部に一年生が少なくて、クラスも離れているせいもある。
でも、それだけではなくて。
部活の特待で入学した私には、周りに対する引け目みたいなものがあって。
何を話していても、周囲との間に壁を感じてしまうというか。
クラスメートたちと、自分は違う存在だと思ってしまうというか。
いてはいけない場所に、自分はいるのではないかという気がするというか。
とにかく、不安で、落ち着かなくて。
ただ作った声で笑って、しゃべってみるけれど。
そんな声は、誰にも届かなくて。
結局、ひとりのまま時が過ぎていく。
だけど、私は精一杯で。毎日をこなすだけで精一杯で。
私が中学に上がってすぐに、父の会社が破産した。
両親は離婚。私は、施設に預けられた。父とも母とも別れて、自分一人で自分の人生をいきていかなければならなくなった。中学を卒業して。本当は就職も考えたのだけれど、部活の推薦の話が来て。
このままこの学校に在籍して、部活で良い成績を上げれば高校を卒業できる。もしかしたらだけれど、大学にだって行けるかも。
そんな望みのために、私は毎日この坂を上がり続け。部活して、授業を受けて、また部活をして。寮に帰って、眠る。そんな毎日。
みんなが当たり前に持っているものを持ち続けるために、ただ必死な私は。
みんなとは、違うから。
そんな風に。自分一人でこの坂を上って、三年間を過ごす。
そういうものだ、と半ばあきらめて、校門をくぐろうとした時。
一陣の風が、私を追い越した。
「玄倉だよね。足、速いな」
私を追い越した男子は足を止め、くるりと振り返って笑った。
「坂の下からずっと見えてたけど、追いつくのにここまでかかっちまった。お前、足速すぎ」
私はびっくりして、彼を見つめる。
「あれ。もしかして、分かってない? 傷付くなあ」
彼は、本当に傷付いたみたいに眉をひそめる。
「同じクラスで、もう一ヶ月も一緒に勉強してるだろ。まだ覚えてないの? 玄倉、トロいね」
「あ」
その言葉で、私は彼の誤解に気が付いた。慌てて首を横に振る。
「違う違う。分かってる、大丈夫。桐野くんでしょう。分かってるよ」
あわてて、早口に言った。
彼、桐野星太はクラスでも目立つ方だ。明るくて、ハキハキとものを言い、いつも大勢の友だちに囲まれている。
所属しているバスケ部でも期待のルーキーだという話。頭もいいのは、授業中の教師との受け答えを聞いていても分かる。甘めのベビーフェイスは女子からの絶大な人気を誇っている。
要するに、どこから見ても非の打ちどころのない、我がクラスの誇る王子様。
私とは対極にある存在。
そんなことは、こんな、非難するような言われ方をされなくたってよく分かっているのだ。
分からないのは、こんな朝早くから桐野くんが私なんかに声をかけているところ。
いや、バスケ部にも朝練があるから、この時間に学校にいてもおかしくはないのだけれど。
「なに。分かってるの。だったら、あいさつくらいすれば。クラスメートだろ」
「あ……。ごめん。おはよう」
私は、たどたどしくあいさつする。さぞかし、バカみたいに見えるだろうなあと思いながら。
「うん、おはよう」
王子様は、私の不作法を鷹揚に受け容れてくれた。
と思うと次の瞬間、ドキッとするくらい顔を近付けて来る。
「玄倉さあ。どうして、そんなにいつもツンケンしてるわけ。何か、面白くないことでもあるの」
「そんな。私は、別に」
他人を遠ざけようとしているわけではなく。
ただ、みんなとどうやって距離を取ったら良いかがわからないだけで。
「ツンキャラは可愛くないよ。そのメガネもさ、あんまりじゃない」
そういうと彼は、私のかけていたメガネをスルリと外した。
「あ。やだ、返して」
私は慌てて手を伸ばす。周りの景色がぼんやりと輪郭を失う。けれど桐野星太だけは、あんまり近くにいるものだから、ハッキリとした姿のまま私の前で笑っている。
「ほら。ベタなコントじゃないんだからさ、今どきこんなメガネかけてるヤツいないだろ。コンタクトにすれば。美人なんだからさ」
私のメガネを取り上げて、分厚いレンズの厚さを指ではかりながら、悪童じみた笑顔で笑っている。そのメガネがみっともないことは自分でも承知している。それでも必要なものなのだから、頼むから返してもらいたい。
「お願い、返して」
私は懇願した。
「ないと困るの。よく見えないし」
「だって玄倉、部活の時はメガネをかけてないじゃない」
う。それを知られていたとは。
「だって、メガネかけていたら危ないし」
「スポーツ用のメガネってのがあるだろ」
私みたいな者には、メガネを二本持つなんて贅沢は出来ないのだ。
「いいのよ。大体分かれば、練習は出来るし」
私はメガネを取り返そうと必死で手を伸ばす。
「ね、本当にお願いだから。返してちょうだい」
「さあて。どうしよう、かなあ?」
クラスの王子様は意地悪く笑った。
明るくて人好きのする王子様タイプと思っていたのに。この人、第一印象と性格違う。
三回は警告した。だったら、四回目は実力行使で良いと思う。
私は軽く息を吸い込み。次の瞬間、彼の腕を取ってひねりあげた。
「痛ぇっ」
叫ぶと同時に桐野くんの顔が苦痛に歪み、メガネが手からこぼれ落ちる。
それを私は、もう片方の手でキャッチした。
「ゴメンね、桐野くん」
私は小声で言って、手を離した。後は、この場を離れるだけだ。
「返してくれないからいけないのよ。手加減はしたから、すぐに痛みは引くと思うから。本当に、ゴメンね」
そのまま逃げだそうとした時に、
「待てよ」
と、腕をつかまれた。
桐野くんが、無事な方の腕で私の袖をつかんでいる。
顔つきが険しい。
「何してくれるんだよ。ちょっとした遊びだろう。いきなり何するんだ、お前。僕はバスケット部の次期エースだぞ」
あ、怒ってる。
私は目をそらした。怒っている人と対応するのは苦手だ。
「ゴメンね。手加減はしたんだけど、痛かった?」
「痛いに決まってるだろう。よくそんなことが言えるな、暴力女」
それは。確かに、暴力を振るったのは悪かったけど、元々は桐野くんが。
と思いつつも反論できない私。
どっちが悪いか、と言われれば、私が悪いかも。
「お前のせいで、バスケ出来なくなったらどうしてくれるだよ。なんとかしてくれるのか」
それは。どうにもできません。そんなに強くしたはずはないんだけど。
「とりあえず、これ教室まで持って行け」
カバンを投げつけられる。何が入ってるんだか知らないけれど、やけに重いカバン。
「腕が治るまで、お前は僕のドレイだからな。ちゃんと言うことを聞けよ」
ドレイって。何言いだすんだろ。
「何でも言うことを聞くんだぞ。何してもらおうかなあ」
言いながら、桐野くんの目線が私の首から下をチラリと見やる。って、何かおかしなことを考えてるわけではないよね?
まあ、同じ体育館を使って部活をする者どうしだし。私が部活中メガネをかけていないことまで知っていた桐野くんだから、よもや忘れてはいないと思うけど。
桐野くんがバスケ部の次期エース候補なら。
私だって、エース候補として、全国までチームを連れて行くためにこの学校に在籍している存在なのだ。ちゃんと分かってるよね、私が柔道部のエース候補だって。
知らないよ。さっきので分かって欲しいんだけど、私、理不尽なコトされたら黙っていないタイプだよ?
けれどまあ、ドレイはともかくとして、カバンを持つくらいはやぶさかではないのでとりあえず私は彼の言うことをきく。やはり武道をたしなむものが、素人を痛い目に遭わせてはいけないのだろう。
桐野くんは、女子らしくない私の振る舞いについて延々と文句を言っていた。
そんな風に、私は。入学して、初めて、クラスメートと肩を並べて教室へ向かって。
そんな一コマが、私と彼との思いがけない関わりの始まりだとは、知りもせずに。