四月十四日の災い編
数日前までは美しいピンク色の染まっていた桜の木が、今では九割くらいが生命感のある緑色に変わったのを、”境界の妖怪”である八雲紫は縁側に腰掛けて見上げている。
「……今年の春も終わりねぇ……」
暖かい季節から暑い季節へと移り変わっていくという事を、紫は飽きたという感覚もなくなる程に繰り返してきたが、それでもこのくらいの過ごし易い気候が続けばと時には思うのはヒトの性分なのかも知れないと思う。
「……ん? ああ、その前に梅雨があったわ」
雨が続き湿気でジメジメとしたその時期は紫も好きではないが、彼女の式である八雲藍にとってはそれだけでなく洗濯物がなかなか乾かなくなるというような問題も生じるのだ。
そのため「梅雨なんてなくなればいいのに……」と毎年ぼやいている困った顔を思い出して可笑しそうにクスリと笑う。
そろそろ〈外界〉の乾燥機とかを買ってあげようかしら?……と、そんな事を考えながら何気なく青い空を見上げて、流れる白い雲をその金色の瞳に映した。
こんな穏やかな時間をこれからもずっと過ごしていくのだろうと紫は思えたが、ヒトの世界とは次の瞬間には一瞬に激変する事もあるのだという事を思い出し、私とした事が何を馬鹿な事を……と苦笑した。
「……ちょ……冗談でしょう……!?」
フランドール・スカーレットは、デイリー任務で損傷した艦隊を入渠させている間に何気なくテレビを付けて、そこに映った光景に愕然となった。
「熊本県で震度7って……シャレになってないってば……」
その言葉もそれを呟く表情も、実際”悪魔の妹”という二つ名のは相応しくないものであり、東方のファンは違和感を覚えるかも知れない。 しかし、そのどちらもこの小説の彼女にはまったく嘘偽りのないものなのだ。
「こうしちゃいられないわ!」
フランドールはすぐに今やっていたゲームのプラウザを落としてから、自分が普段利用するゲーム仲間の交流用のチャット場へとアクセスした。
そこにはすでに数人のフレンドがログインしているのを見て、僅かに安堵した。
今の時代にあってはインター・ネットを通じての知り合いなどもいて当たり前の事である、顔も年齢も住んでいる土地すらあえて明かしていなくても趣味を共有する友人と呼んで差し支えのないくらいには交流している者もいるだろう。
それはこの金髪の吸血鬼少女も例外でなく、そんなフレンドや直接の交流はなくとも同じゲームを趣味とするプレイヤーを思えば対岸の火事と呑気には出来ない。
同じ頃、フランドールの姉である”永遠に紅く幼い月”のレミリア・スカーレットもまた自室のテレビで地震の事を知っていた。
「……流石に今回はふざけはなしみたいね」
「……は?」
主人が腰掛けるウッド・チェアの後ろに立つ”吸血鬼のメイド”の十六夜咲夜が怪訝な顔になったのは、いつもとお嬢様の様子が微妙に違うと感じたからである。 そんな従者の少女に「気にしなくてもいいわよ、咲夜」とテレビの画面から目を離さずに言う。
「それより……本当に外じゃ最近大きな地震が多いわよねぇ……」
どこか神秘的にも見える青みがかった銀髪を持つ幼い容姿の少女の表情からは、それも他人事に思っていると容易に分る。 被害にあっている人達をまったく気の毒に思わないという事もなくても、〈幻想郷〉に生きる人ならざる吸血鬼の価値観としてはそれも当然と言えた。
「北から南までですからね、来る来ると言われている真ん中には来てないですが……」
「東海大地震だっけ? そういえばそうね」
それもどこか奇妙なものだと思うが、自然災害が来る順番など人間に予測出来るものでもないのも当然だとも思えた。
「その東海地震の圏内にいる書き手には明日は我が身かも……というところでしょうか?」
人間である咲夜であるが、この一件の感想はおそらく主人と同じものだと思っている。 命を粗末に考える悪人とは思わないが、自分を心や優しい善人であるとも決して思っていない。
「それは違うわね?」
「は?」
「書き手だけじゃない、自然災害は外のニンゲンには決して他人事じゃないのよ?」
地震に限らず、いつどこで遭遇し命を落としてもおかしくはない。 文明という力に守られているから絶対に安全という保障などありえない。 そしていつかの原発のようにその文明の力がヒトに牙を向くこともあるのだ。
「そうですわね……しかし、ヒトはこんな光景を見ても心のどこかで他人事だと思うのでしょう……自分には関係ない事と……」
テレビの画面に映る現場の様子を見つめていた目を伏せて言う咲夜が次にその青い瞳を見せた時には、実際氷めいたゾッとする笑みを浮かべた。
「それがニンゲンというイキモノ……所詮はその程度の存在なのですよ、お嬢様……」
”祭られる風の人間”こと東風谷早苗と彼女が仕える二人の神が震災の事を知ったのも居間でテレビを見ていての事だった。
「……むぅ?」
震度7という数字に深刻そうに唸る”山と湖の権化”の八坂神奈子を、早苗と守矢諏訪子が心配そうな表情で見つめている。
「熊本の直下か……ならば津波はないであろうが……」
今はトレード・マークともいえる背中の注連縄は外してはいるからか、ちゃぶ台の前で腕を組んでいる姿は神というよりは実際一家の主らしい威厳を醸しだしていた。
「なら心配ないのかな?」
幼くどこか蛙めいた印象を与える容姿の”土着神の頂点”である諏訪子が相棒の言葉にホッとした表情を浮かべたが、神奈子は「馬鹿を言うでない!」と彼女を叱り付けた。
「この規模だ、津波はなくとも建物は壊れるし火事にもなろう。 確実にヒトは怪我をし死者もでよう……それに近くには原発もあるはずだ、五年前を忘れたか!」
「……うっ!?」
自分の認識の甘さに絶句し諏訪子はうなだれた。
「神奈子様……」
その直後に、どこかで家の下敷きになった人がいるという言葉がテレビから聞こえててギョッとなった巫女の少女が、すがるような目で神奈子を見つめた。
「早苗、動揺するのも分るが……我らに出来る事はない、残念だが……」
神であっても〈幻想郷〉に生きる自分達には誰一人助ける事など出来ない、仕方ないと理解は出来てもそんな無力が口惜しい神奈子だ。 だが、同時に確信している事もなった。
「……我ら神はあっちへ行けぬ。 だが、向こうのセカイでは人を救うのは人なのだ、心配するな」
警察や自衛隊、それに多くの人々の小さな善意はすでに動き始めているはずだ、過去にそうであったように彼らの想いと力は多くの人を救うはずである。 信仰が失われ去った地であっても、神奈子も諏訪子も、そして早苗も決して見捨てたわけではないのだ。
「そう……ですよね!」
沈んでいた早苗の顔に力が戻ってくる、確かに向こうには神はなくても、人から進行は失われても人を想う善意はまだ失われてはいないはずだと、早苗はそう信じているのだ。
――だから、被災地のみなさん。 大変でしょうが、がんばって下さい!――




