今年も春が来ましたよ編
すっかり暖かい春の陽気となった〈幻想郷〉では、人間であっても妖怪であってもどこか穏やかな気分になるものだろうと、”完璧で瀟洒なメイド”である十六夜咲夜は思う。
「……八分咲きくらいですわね、もう数日というところでしょう」
〈博麗神社〉の境内にある桜の木を眺めながら言う咲夜の隣では、ピンク色の服を纏い白い日傘を差した実際高貴なご令嬢に見える少女――ツッコミリア・スカーレット=サンが「そうね……」と頷きかけて……。
「……だぁぁあああっ誰がツッコミリアじゃぁあああああっ!!!! つか、そんなヘンテコな名前の令嬢がいるくぁぁああああああっっっ!!!!!!」
……と、両手を振り上げて唐突に絶叫をしたのには、「……は?」と怪訝な顔をしながらも、いつもの事なので気にはしない咲夜である。
そんな主人と従者を、少し離れた桜の幹に寄りかかり険悪そうな目つきで睨んでいる黒髪に赤いリボンの少女、”楽園の素敵なシャーマン”という二つ名でも呼ばれる博麗霊夢という名のこの少女は、その通りに実際この神社の巫女である。
この〈幻想郷〉のバランスを保つために妖怪退治を生業とする霊夢だが、”この〈博麗神社〉では妖怪は人を襲ってはならない”という掟のために、この掟を破らない限りは例え吸血鬼少女とその従者であっても自分からは攻撃を出来ないのだ。
しかし不機嫌な理由はそこではなく、レミリア達の来訪の目的がお花見の宴会の下見であるのが容易に分かるからである。
しかし、少し前の〈紅魔館〉で「別にお嬢様が付いて来られる必要はありませんが?」という咲夜に対し「いえ、そうしないと今回は私の出番がない気がするわ」というオジョー=サマが言った事までは霊夢が知るよしもない。
「……花見は結構だけど……〈博麗神社〉でやるのはやめてほしいものよ……信仰に響くんだからさ……」
そんな事を愚痴っている巫女の少女をちらりと見やって、「……まぁ、例外もいますか」と呟いた咲夜は、その直後に「……はっ!?」という表情になり頭上を見上げた、そしてそれは後の二人も同様だった。
その三人の少女の視界に映る青い空の一点がキラリと光ったと思ったら何かが急降下して来る。 それはミサイルでも隕石でもなく少女だ、ピンクがかった白い衣装を身に纏い”春 告”という文字の入ったメンポを付けた小柄な妖精の少女である。
その妖精の少女は神社に着地する事なく、桜の木々の天辺あたりを通り過ぎた時に不意にパン!と手を合わせた。
「ドーモ、リリーホワイトです! 春が来ましたよ~~~!」
「ドーモ、リリーホワイト=サン。 霊夢です!」
「ドーモ、咲夜です。 お勤めご苦労さまです!」
春を告げる妖精のアイサツに対し霊夢と咲夜はすかさずアイサツを返したが、レミリアだけは唖然とした表情のまま固まっていた。 その彼女が動いたのは、リリーホワイトがいずこかへと飛び去った後につぼみだった桜達が一気にピンク色の花を咲かせた後である。
「何時の間にかリリーホワイトも忍殺に染まってるっ!!? ナンデェェエエエエエエエエエエエエエッッッ!!!!?」
一瞬にして桜色に染まった神社の境内に、オジョー=サマのツッコミが響き渡った……。
〈稗田の屋敷〉は〈人里〉にある一般的な民家より敷地も広く立派で、本居小鈴曰く仰々しい屋敷と言う程である。
この屋敷の主で稗田家の当主である”九代目のサヴァン”の稗田阿求は、庭にあるもう少しでつぼみが開くであろう桜の木を見上げつつ、「……また春がきた……か」と少し寂しそうな口調で呟く。
季節が巡るという事はまたひとつ死に近づいたという事なのは、人であれば誰でも同じ事なのであるが、まだ誰がどう見ても十代である阿求が思うには不釣合いな事に思えるだろう。
しかし、転生者である彼女はその代償ゆえなのか人間の平均的な寿命の半分も生きる事が出来ないのだ。
それは転生者にとってはたいしたデメリットではないと阿求自身もそう思ってはいるが、今の”稗田阿求”としての生を少しでも長く過ごしたいというのもまた本音である。
「……まぁ、何だかんだで今は楽しいしねぇ……」
桜の木の横に置かれている石へと視線を向ける。 ともすれば誰かの墓標にも見えるその丸い石は、長寿のご利益があるとされる岩長姫の分霊だ。
「ダメならダメで仕方ないけど……」
実際無駄な足掻きかも知れないが次の生を受けた時に後悔だけはしたくないと思うのだ。 そう、転生者である彼女は死んだら終わりではなく前の生を後悔出来てしまうのである。
そしていくら後悔しても”稗田阿求としての時間”は戻ってこない、魂と記憶は不変であっても”稗田阿求”は死して蘇る事はないのだ。
転生とはネット小説などにあるようなお手軽なものでは決してない、生まれ変わるからと今の自分の命と人生を簡単に考えてはいけない事を、これまでの転生の中で学んできたのだから。
同じ頃、〈人里〉にある貸本屋〈鈴奈庵〉の娘である本居小鈴は、新たに入手した《外来本》を開き難しい顔をしていた。
「……いったいどうしたんじゃい?」
その本を売り付けた張本人である”獲らぬ狸のディスガイザー”の二ッ岩マミゾウが気になって尋ねる。 この小説では小鈴に正体を知られてはいたが〈人里〉では人間に化けるのは忘れない。
「いえ……この本に書いてある事って阿求の役に立たないかなって……」
「阿求? 稗田阿求かい?」
カウンターの椅子に腰掛けている”判読眼のビブロフィリア”は「はい」と頷いて肯定する。 その後に自分が売り付けた本が長寿のコツのようなものが書かれたものである事と、阿求がこの少女の親しい友人だという事を思い出して合点がいく。
「そうじゃなぁ……おそらくだが、役には立たぬじゃろう。 あやつの問題はそう簡単な問題ではないからのぉ……」
マミゾウも彼女の短命の根本的な原因は知らなくても、食事の管理や生活習慣の改善というような事をしてどうにかなるものではないのは分かる。 そして小鈴が「……そうですよねぇ……」と残念そうに溜息を吐く理由もだ。
いくら阿求が転生者だと知っていても、彼女が再びこの世に生を受ける時にはもう小鈴はこの世にはいないのだから、この少女にとっては”稗田阿求”の死は他の者のそれと何も変わる事のない永遠の別れなのである。
人間の友好的な部類の妖怪に入るマミゾウは、そういう人間の感覚も理解は一応は出来たから、「どうせ人間いつかは死ぬ、それが少し早いだけだ」というような無神経な言葉を言う事はしない。
しかし、小鈴を慰める言葉も持ち合わせていなかったから、その後の気まずい雰囲気に堪えかねて、「用も済んだし、今日は帰るぞい……」と店を出て行く事くらいしか出来なかった。
〈紅魔館〉の門番である”中華華人”の紅美鈴が「ふぁああ……」と思わず欠伸をしてしまったのは、この春の陽気と退屈さのせいだ。
「そんなとこをメイド長に見られたら、また怒られますよ?」
門の前の掃除を終えた妖精メイドのフェア・リーメイドにそんな言われて、美鈴は少しドキッとして、そのメイド長が今は留守であるのを思い出して安堵する。
「分かってはいるんですけどねぇ……」
「まぁ、この陽気じゃ眠くなるのも分かりますけど……」
実際フェアもこの午後の穏やかな時間で昼寝でもしたいと、そんな風にも思わないでもなかった。 しかし、仕事がある以上はそうも出来ないのがメイドの辛いところである。
「ともかく、欠伸程度ならいいですけどメイド長とお嬢様が帰って来た時に居眠りなんてのはしないでくださいよ?」
そんな事をしてたら少しばかりシャレにならない事態になりかねないのを本気で心配するフェアである。
そんな妖精メイドの気遣いに感謝し、「大丈夫ですって……」と苦笑しながら言いかけた直後に再び欠伸をしてしまう赤髪の門番少女。
「……大丈夫……かなぁ……」
そんな様子にやれやれとでも言いたげな呆れ顔になるが、地獄のようなお説教を食らっても流石に殺されるような事ないだろうからいいかなと思った。
そんなこんなで、春の穏やかな午後は過ぎていくのであった……。




