この幻想郷での八月のちょっとした話題編
今年は暑い日が続くものだと、洗濯物を干し終わった十六夜咲夜は思いながら、怨めしげな顔でよく晴れた青い空を見上げた。
「まぁ……夏が暑くないとそれはそれで異常気象なのですけど……」
”完璧で瀟洒なメイド”の二つ名を持つ銀髪のメイド少女は、呟きながら空になった洗濯籠を抱えると歩き出した。 この〈紅魔館〉の主人に仕えるメイドとしてこれから昼食の支度もしなければいけないのである。
この暑さだし素麺でも茹でましょうかとか考えながら屋敷内の廊下を歩いていると、前方からピンク色の服を着た少女が歩いて来るのに気が付い咲夜は、洗濯籠を床に置くとパン!と両手を合わせて恭しくオジギをした。
「ドーモ、オジョー=サマ」
「ドーモ、咲夜=サン。 今日も暑いわねぇ……って! のっけから忍殺ネタなんぞせんでいいわぁぁぁああああああああああっっっ!!!!!!」
条件反射でアイサツを返してから大声でツッコミを入れるこの青みがかった銀髪の少女こそ、この〈紅魔館〉の主人である”エターナルに紅くロリなツッコミ”のレミリア・スカーレット=サンなのである。
「おのれもいい加減にせいやぁぁぁああああああああっ!!!! このドクサレがぁぁああああああああっっっ!!!!!!」
今度は天へ向かい目を吊り上げて上級ヤクザ・スラングを交えて怒鳴り声を上げるのも、いつもの事であれば気にする事はしない咲夜である。
そんな二人と共に〈紅魔館〉で暮らしているフランドール・スカーレットは”悪魔の妹”の名も持つレミリアの妹である。
原作ゲームでは【ありとあらゆるものを破壊する程度の能力】を有し、レミリアに危険人物として地下に幽閉される程に狂人なのだが、何をどうしたものなのかこの”紅魔のお嬢様とメイドさん物語”のセカイでは引き篭もりのゲーム・オタクなのである。
そんなフランドールはゲーム関係のウィキのチェックにも余念はなく、今は地下にある自室でデスク・トップのパソコンで艦船を少女に擬人化したソーシャル・ゲームのBBSを覗いていた。
「へ~~、五島列島で潜水艦発見かぁ……って!? 伊402かも知れない!?」
ユーザー同士の会話にそんな内容のものを見つけて驚きの声を上げるフランドール、それが本当なら彼女的には大発見という部類の話である。
世界初の潜水空母として建造されながら一度も実戦に投入される事なく終戦を迎え、敵国により破壊処分とされた伊400型の潜水艦は、過去の戦争の異物として海に沈む鉄の塊はフランドールだけでなく、このゲームのユーザーには特別な意味を持つ存在だ。
しかし、それは凄惨な戦争の時代を生き延び経験した人達の持つ”特別な意味”とは、まったく異なるものであろう。
「伊400型三姉妹の実装フラグ、キタわね!」
のんきにそんな事を言っていられる程に平和なのが、現在の〈幻想郷〉なのであった。
”判読眼のビブロフィリア”の本居小鈴は〈人里〉にある〈鈴奈庵〉という名の貸本屋の娘だ、その小鈴が「戦争かぁ……」と唐突に呟いたのに、店内の本を物色していた女性がその手を止めた。
「唐突にどうしたんじゃ?」
そう問う女性の名は二つ岩マミゾウという、”捕らぬ狸のディスガイザー”の名を持つ狸の妖怪であるが、〈人里〉では人間に化けているので小鈴も彼女が妖怪だとは知らない。
しかし、店の常連客でもあり彼女にとっては憧れの存在でれば、少なからず特別な存在と言えた。
「はぁ、今読んでいる本なんですけど……」
いつもの如くカウンターの椅子に腰掛けて本を読んでいた少女が手にした本は、どうやら太平洋戦争に関係する書籍らしいと、マミゾウはタイトルで分かった。
「ふむ……まぁ、外の愚かな人間達の所業であるな」
そう言った時の表情が、一瞬であったがヒトを嘲笑うかのような怖い笑顔であったのに「愚かですか……?」と怪訝な顔で小鈴は問い返していた。
「愚かだな。 ヒトの世に争いは付き物であるし、争う事が悪とも下らぬとまでは言わぬが、戦争までいくと愚かであろう?」
最近までずっと〈外界〉で生活してきたマミゾウは実際にその目で人間同士の戦争というものを見てきていた、それは妖怪たる彼女には所詮は他人事であっても、決して愉快なものという事はなかった。
「う~~ん……よくは分かりませんね」
「ふむ? まぁ、そうじゃろうな」
どんな文字でも読む事が出来る能力を持っていても小鈴は争い事と基本的に無縁な普通の少女なのである、何百万、何千万というヒトが無意味に死んでいくという愚かしい行為を想像するのは難しいのは当然と思う。
一方の小鈴は、この憧れの人がまるで戦争というものをその目で見た事があるかのように愚かという言葉に重みを感じるのを不思議に思った。
「まあ、良いわ。 〈幻想郷〉では異変は起こっても戦争が起こる事はありえまい、お主がどうこうと考える事でもないであろう」
つまらない話はこれで終わりじゃという風に優しく微笑んでみせるマミゾウだった。
”動かない古道具屋”の森近霖之助が妹分のような少女である霧雨魔理沙に〈妖怪の森〉の奥へ連れてこられたのは、彼女が珍しいものを発見したからだと、半ば強引に連れ出されたのである。
「どうだ、香霖? これってスゲーものなんじゃないか?」
「……まぁ、凄いものと言えば凄いものではあるね」
白と黒の服を着た亜麻色の髪の妹分の指さす先には全長十メートル程の緑色の物体があった、その十字型のシルエットを見れば能力で鑑定するまでもなく彼には飛行機の類とは分かる。
そして、おそらくは旧日本軍のゼロ戦だと判断出来るのは書物による知識だ。
「しかし、こんな大きなものは流石に売り物にが出来ないがね」
そう言うと魔理沙がギョッとした表情になった。
「こ、香霖? まだ何も言ってないぞ!?」
「君の考えている事くらい、だいたい分かるよ?」
まず間違いなく魔理沙はこのゼロ戦を自分に売りつけようとしていたのだろう、その程度の事は簡単にわかるくらいには付き合いの長いのである。
「ちぇ! いい金になるかもと思ったんだけどなぁ……」
〈外界〉から流れてきたのであろうその戦闘機は、かなりの激戦を潜り抜けた機体だと彼には見えた。 キャノピーが開かれたコクピットには当然パイロットがいるはずもないが、パイロットだったであろう遺体も見当たらないのに僅かにホッとなる。
「ふむ……何をどうしてかは知らないが、過去から現代の〈幻想郷〉へ流れ着いたか、あるいは僕達のこの〈セカイ〉とはまったく別の〈セカイ〉からやって来たか……」
「……?」
売り物にならないと言った割には飛行機を興味深げに眺める兄貴分の青年の、そんな独り言に魔理沙は怪訝な顔をするしかなかった。
「……まあ、時期も時期だしこういうものね」
”境界の妖怪”の八雲紫がそんな事をぼやいた理由は、ここのところ太平洋戦争を取り上げた外のテレビ番組が増えてきているからだった。 現に今も彼女の眺める〈八雲邸〉のテレビのブラウン管に映っているのはそんな番組である。
「ああ、八月は昔の日本の戦争が終わった月でしたか」
相槌を打ったのは八雲藍、紫の式神である狐の妖怪である。 中央にちゃぶ台の置かれた居間に紫と並んで座りテレビを見ていたのは、夕食後のまったりとした時間を主人と楽しんでいたからである。
「それもあるけど、今の外はいろいろ物騒なのよ?」
「はぁ……?……ああ、そういう事ですか」」
そういえば、大規模なテロ組織が大暴れしてたりとか、何とかという法案が憲法違反だ日本を戦争の出来る国にするつもりかとか騒いでいるというような話を、藍もニュースか何かで聞いた記憶があった。
しかし、それも彼女にしてみれば他人事でありたいして気にも留めていなかった。 戦争なんてしたくないといくら喚いても、向こうから仕掛けて来るなら受けて立つしかないだろうにと、そんな感想を持ったのを思い出した。
その事を言ってみると、「そうね、殺されたくなれば殺すしかない。 そういう理不尽があるのが現実だわ」と紫は言う。
「戦争なんてしないに越した事はない、でもニンゲンが愚かである限りはなくなりはしないでしょうね」
少なくとも戦争反対などと綺麗事を声を上げて叫んでいるだけではなくならないだろう。
確かにそこから始めるものなのも事実であっても、ただ闇雲に大声を上げるだけなら子供でも出来るのである。 大人であれば、まずは現実をきちんと認識した上で最善の策を考えて行動すべきだと、テレビに映る抗議のデモをしている日本人の大人達を見て紫は思う。
彼らの叫ぶ言葉は間違いとまで言う気もないが、現実を見ていない者の薄っぺらな綺麗事のようの聞こえるのが、この〈幻想郷〉きっての大妖怪だった。
しかし、それらも〈幻想郷〉に生きる紫にはテレビの向こうの別世界の話でしかない、能力で二つの世界を行き来き出来る彼女でも、感覚的にはそういうものなのである。
だから、「さて、私はもう部屋に戻るわね藍」と立ち上がった。
すっかり暗くなり昼間はうるさかったセミの鳴き声もすっかり止んだ〈紅魔館〉の門の前で、”中華小娘”の紅美鈴は「……今日も平和で静かな一日でしたねぇ……」と空に浮かぶ半月を見上げて呟いた。
その美鈴が次の瞬間に苦笑したのは、数日後にはパチュリー・ノーレッジや小悪魔のツカサと共にコミケという名の戦場に赴かねばならぬのを思い出したからである。 命のやり取りはなくともあの場所は立派に戦場であると本気で思う。
だから、今はこの静かな時間を味わっていようと、そんな風に考えたのだった。




