人気投票と梅雨のある日編
人ならざる者の住まう深紅の洋館の〈紅魔館〉の、良く手入れされた庭園では住人達の穏やかな午後のお茶会の時間であった……が、その平穏な時間は「納得いかんわぁぁぁあああああああああっっっ!!!!」という少女の叫び声により終わりを迎えた。
「…………」
白い丸テーブルでメイド長の淹れた紅茶を味わっていら”日陰の少女”ことパチュリー・ノーレッジは、叫び声の犯人であり親友でもある紅い瞳の吸血鬼の少女を迷惑そうな表情で見つめた。
しかし、その原因は自分が持ってきたノート・パソコンにあるのだとは分かっていた。
「……どうしました、お嬢様?」
「どうしたもこうしたもないわ! これを見てみなさい!」
吸血鬼の少女こと”永遠に紅く幼いツッコミ”ことレミリア・スカーレット=サンの背後に控えていた”完璧で瀟洒なメイド”の十六夜咲夜は、毎度のことである主人の大声には驚く事もなく、レミリアの指差したノート・パソコンの液晶モニターを覗いてみる。
もっとも、画面に映っているのは東方の人気投票の結果だというのは、パチュリーとレミリアの会話を聞いていたので知ってはいた咲夜は、「だからいい加減にせいちゅうねん! この書き手がぁぁぁああああああっ!!!!」という毎度のツッコミは気にもしない。
「あらあら……一位は古明寺こいし=サンですか? 意外……でもないですか、心輝楼の効果ですわね、おそらくは……」
「そこじゃないわいっ!!!! その下のよッ!!!!」
「……あら? 私が四位ですか。 そして妹様がいて、お嬢様は七位とは……十分にいい順位では?」
何が気に入らないのかという風に首を傾げる従者の少女のリアクションに「……天然なのかワザとなのか……」とパチュリーが小さく呟いたのは、レミリアの怒声にかき消される。
「嫌味くぁぁぁああああああああっっっ!!!!!」
「はい……?」
目を吊り上げながら「うがぁぁぁああああっ!!」と椅子を蹴って立ち上がったレミリアと、不思議そうな表情で頭に大きなクエスチョン・マークを浮かべる咲夜を薄い紫の瞳で見つめながら、「……天然の方か」とパチュリーはボソッと呟いたのであった。
その同時刻の地下室では、部屋の主たる”悪魔の妹”のフランドール・スカーレットが机の上にあるデスク・トップのパソコンに向って「うふふふふ♪」と勝ち誇った笑みを浮かべていた。
「……人気投票ネタとか、今更なものよねぇ……」
自宅の縁側でのんびりと読書をしていた八雲紫は、不意に顔を上げてそんな事を呟いてみた。
公式の企画ではなくとも、ファンの間では大きなイベントであろう人気投票をおざなりにしてきたあたりに、この小説の書き手の間抜けさが窺えた。 もっとも、紫自身も、順位が低いよりは高いほうが良いとは思っても、それ程に関心がるでもなかったが。
だから、空を見上げてみて黒い雲が空を覆い始めたのに「……また夜から雨になりそうね」とだけ言ってから、続きは自室で読むかなと立ち上がり奥に引っ込もうとして、不意に振り返った。
「誰かと思えば、あなただったのね……じきに大雨になるでしょうから、あなたも早く家に帰った方がいいわよ?」
それだけ言ってから再び歩き出そうとして、ふと思いつく紫。
「ああ、人気投票の一位、おめでとう」
いつの間に来ていたのだろう灰色の髪の少女に紫が言うと、少女は嬉しそうに「どうも、ありがとう」と、ニコッと笑ってみせた。
〈人里〉にある〈鈴奈庵〉という名の貸本屋の入り口にある暖簾が揺れチリン♪と鈴の音を響かせて飛び込んできたのは、本居小鈴という名前のこの店の娘だ。 そしてその直後に外からザーっという大きな雨音が聞こえてきて、「……はぁはぁ……危なかったわ」と安堵の声を漏らした。
母親からの頼まれ事で外出していた小鈴は、空が一気に暗くなったのに、梅雨時なのに傘を持って来なかったのに気が付き慌てて駆け出した。 そして店の看板が見えた時に顔に水滴が当たり、これはやばいとラスト・スパートをかけて店の入り口へと飛び込んだのだ。
「……ふぅ~」
全力疾走をして乱れた呼吸が整うの待ってから、店内を見渡してお客さんがいないのを確認してから、いつも店番をしているカウンターの椅子に腰掛けた。
「……あら小鈴、おかえりなさい」
「あ、お母さん。 ただいま」
その時、店の奥から出てきた母親が料理用のエプロンをしてたのに夕食の準備をしていたと分かりながらも、ちゃんと店番してほしいものだと思いながらも、それで店内に置いてある《妖魔本》に気が付かれたら困るなとも思う。
「もうじき夕飯だから、それまで店番しててね」
娘の飴色の髪の毛や着物に僅かに水滴は付いていたものの、この程度なら拭くものはいらないと判断した母親はそう言って奥へ戻っていった。
そんな母親に、「まったく、娘をお手軽にこき使うんだから……」と呆れたものだが、別に自分の部屋の戻ってのんびりしようという気もなかったと思っていた事に気が付けば「やれやれね……」と苦笑した。
「まぁ……ご飯までのんびりしましょうか」
さっきよりもいくぶん強くなっているように思える雨音に、もう夕方だしこれじゃお客さんは来ないだろうと判断しながら、何気なくカウンターの上にあった本に手を伸ばした。
それは出かける前に読んでいた〈外界〉の雑誌で、適当に開いたページは《ドローン》とかいう小さな機械が問題になっているという記事だった。
「《ドローン》って――これって、玩具よねぇ? 確か”らじこん”って言ったかしら……?」
〈外界〉の住人はどうしてそんな物で騒ぐのかというのは、小鈴には理解出来なかった。
書物による断片的な知識はあっても、知識は所詮は知識でしかなく、それらの意味をしっかりと理解しているかとは別の問題なのである。
しかし、それは小鈴に理解力がないからでもなく、〈幻想郷〉で普通に生きる少女にとっては理解する必要性もない事だからである。 例えば裕福な国に暮らす普通の若者が貧困に喘ぐ国の存在を知っていて、今日の食事にも困っていると知識では知っていても、それらの事を真剣に考えて本当に理解している者はどのくらいいるだろうか。
大半のニンゲンにとっては、自分とは無関係な世界の知識などその程度のものなのであろう。
「……ほんと、外の世界は大変そうねぇ……」
だから、小鈴の感想もこの程度のものであった。
それよりも、だんだんと空腹を感じてきた彼女には夕飯のおかずが何かという事の方が重要な問題だったのであった。
すっかり暗くなった〈人里〉から〈命蓮寺〉へと続く道を番傘を差した少女が歩いていたが、彼女の持つ番傘には目の様なものが描かれて大きく真っ赤な舌を垂らした口があったのは、少女の名が”愉快な化け傘”の多々良小傘だからである。
月明かりもない夜道をゆっくりとであっても進めるのは、小傘が妖怪であるからだろう。
「……明日は、晴れるかな?」
ふと足を止めた小傘は、水色と赤のオッド・アイの瞳で暗闇の空を見上げてみて、そんな事を言ったのであった。




