お嬢様のバレンタイン編
レミリア・スカーレットを中心としたバレンタインの日の幻想郷のお話です、ただし男女の恋愛はもちろん百合の要素はまったくありません。
東方幻想曲物語 お嬢様のバレンタイン編
人里にある小さな菓子屋のバイトの店員である青年の阿瑠狽人は入って来たお客に「いらっしゃいませ」と言おうとして、その表情が凍りついたのはそのお客はピンクの服を纏い背中に黒い翼を生やしたレミリア・スカーレットだったからだ。
「あの……」
「……ひっ……ひぃぃぃいいいいいいいいいっっっ!!!?」
レミリアが何かを言おうとした瞬間に狽人は顔面蒼白になりながら慌てて店の奥へ逃げ出して行った、レミリアはその店員の行動に驚き「……あ……ちょ……!?」と右手を伸ばしたが、その時には店の奥へと姿を消していた。
おそらくは裏口から外へと走り去ったのだろう。
「……ちょっと……もう、何なのよ…………」
すでに三軒の店で同じような対応をされていたレミリアには、これ幸いにと商品を盗んでいこうと言う発想はなく、唖然という顔でそう言うしかなかった。
「……そりゃ逃げるわよ、普通」
〈博麗神社〉の巫女の博麗霊夢は自分の神社の縁側で隣に座るレミリアに対して、呆れた声でそう言った。
神社の境内を掃除していた時に彼女が一人でやって来て相談があると言った時には驚いたものだったが、菓子屋の店員に尽く逃げられて買い物も出来ないからどうすればいいのか?という相談内容にもまた驚く。
「どうしてよ?」
「あのねぇ……あんたは自分が吸血鬼だって理解しているの? 咲夜ならまだしも、そのあんたがいきなり人里に現れれば人間は普通は逃げるわよ?」
「ちょっと霊夢、私は買い物をしたいだけよ! 人を襲おうとかじゃないのに!?」
心外そうに言い返してくるレミリア。 彼女は世間知らずの箱入り娘というわけでもないが、やはり良家のお嬢様?だけあって多少は感覚がズレているとこがあるなと霊夢は感じる。
「……それを理解してくれるわけないでしょうに……」
人間からしてみたら抜き身の刀を持って押し入っておいて斬る気がないと言うようなもので、とても話をしようと思わないのは普通の反応だろう。 そもそも買い物などメイドの十六夜咲夜に任せきりの紅魔間の主が自分で買い物というのがどこか妙な話だと霊夢は感じる。
「だいたい、買い物なんて咲夜に任せればいいじゃないの。 何のためのメイドなのよ?」
霊夢の指摘にレミリアは「……うっ!?」と図星を指されたような顔になり、聞き取れないほどの小さな声でもごもごの何かを呟くのに、やはり今日のレミリアはどこかおかしいと顔をしかめる脇巫女。
「……じゃ、意味ないのよ……」
「……え?」
「このチョコは……自分で選んで買わないと意味がないのよ霊夢っ!!」
恥ずかしそうに少し顔を赤らめながら大声で言ったレミリアの言葉に思わず「……はぁ?」と変な声を出してしまった霊夢は、チョコという単語に今日が何の日だったのかを思い出した。
「藍さま~~、ハッピー・バレンタインですよ~~♪」
八雲邸で洗濯物を干していた八雲藍にそう言ってラッピングされた小さな箱を渡してきたのは、彼女の式である少女の橙だった。 藍は作業の手を止めて「……へ?」と驚いた顔で橙を見返すと彼女は屈託のない笑顔で藍を見つめている。
「……橙、バレンタインの意味は分かっているの?」
「はい~、大好きな人に日ごろの感謝を込めてチョコを送る日ですよね~」
その橙の答えは間違ってはいないが、それは大半の日本人の認識とは多少異なっている。 通常は女の子が好きな異性対しであり、に家族であったとしてもやはり女の子が父親や兄弟にというところであろう。
まあ、キャラの大半が女の子な東方シリーズでそれは無理なのかも知れないが。 どうしてもやろうと思えば百合な話になり、そんなものを書き手が書くとは藍には思えない。
そんな事を考えながらも、藍は「ありがとうね」とチョコを受け取りながら、ホワイト・デーには何をお返しにあげようかと考えていた。
レミリアがバレンタインのチョコを欲しているのが分かった霊夢だったが、それがどうしてなのかはまだ不明であった。 何しろ彼女が男にバレンタインのチョコを贈るというのはとうてい想像できない。
プライベートな問題だし霊夢にはどうでもいい事とも言えるのだが、相談された身としては聞いておかないとすっきりしないので、聞くだけ聞いてみる事にする。
「…………」
しかし、レミリアは赤らめた顔のままで口をモゴモゴと動かすだけであった。 霊夢は仕方ないと言う風に溜息を吐くとこれで話は終わりとばかりに立ち上がる、レミリアが話してくれなくてはどうしようもない事だ。
「……あ! ちょ、ちょっと待ちなさいよ霊夢っ!!」
「そんな事言ってもさ、あんたが話してくれないとこっちも何も言いようもないじゃない」
「……ううぅ……分かったわよ」
少し情けない顔と声でそう言うので霊夢は再び縁側に腰を下ろした、それでもレミリアが覚悟を決めたように口を開くには数十秒の時間を必要としたが霊夢もそれは承知している事である。
「フランやパチェ……それと咲夜や美鈴にチョコを贈りたいのよ……」
「……はぁ!?」
霊夢のその驚いた顔で声を上げるのは予想していたのであろうレミリアはそら見なさいとでも言いたげに彼女を睨む。
「い、言っておくけど! 義理よ義理! そういう趣味は私にはないんだからねっ!!」
まるでツンデレのデレのようなレミリアの言い方にそれはそうだろうとは思う、それにフランドールとパチュリーはまだ分かるが咲夜と美鈴の名前がでたのは意外すぎである。
天下のレミリア・スカーレットが言うには予想外すぎではったが、そういう事ならと納得は一応する霊夢は、どうしたものかと考える。 霊夢にはバレンタインなんて興味の欠片もないし、誰が誰にチョコを贈ろうが関係のない話ではある、ましてや彼女は妖怪でどちらかと言うと敵対する立場である。
しかし、このまま放り出してもレミリアはまたチョコを買いに人里へ行くだろうし、そうなれば一騒ぎ起こるだろうというのは明らかである。 それを放置しておけば博麗の巫女の評判に響くが、買い物をしたいだけのレミリアを力ずくで排除するというのもどうかと思う……と言うか、そんな事でレミリア・クラスの妖怪と戦闘するのも面倒くさいだけである。
そうなると選択肢はひとつしかなく、どっちにしても面倒ねと大きく溜息を吐きながら立ち上がる霊夢。
「霊夢……?」
「面倒だけど一緒に行ってあげるわ、博麗の巫女が一緒なら少なくともいきなり逃げ出される事もないでしょう?」
偶には東方シリーズ本編みたくスカッと妖怪退治でもしないとストレスが堪るのだけどねと、どこぞのアホ文士に悪態を吐きつつ出かける支度を始める霊夢だった。
森近霖之助が経営する道具屋〈香霖堂〉にやって来た霧雨魔理沙は彼の座る店の奥のテーブルの上にいくつかのチョコレートらしき包みがあるのを見て「へ~~? 香霖も結構モテるんだな~」とからかってみたが、「……お得意様からの日ごろの感謝の義理チョコですよ」と興味なさげに返してきたのでつまらないなと思った。
幼馴染みの青年だけに予想はしていたが、たまには予想を裏切ってほしいものである。
「……それで君は今日も冷やかしかい魔理沙?」
「冷やかしって……失礼だなぁ……」
心外と言いたげに魔理沙は口を尖らすが、霊夢共々特に何を買うわけでもないのに長時間居座るというのは冷やかし以外の何物でもない。 もっともそれを今更どうこう言う気がないのは単に言っても無駄という諦めだ。
ついでにバレンタイン自体にもさして興味はないので、この儲けにならない幼馴染みのお得意様からチョコを貰おうとかは考えもしない。 だからすぐに読んでいた本に視線を戻して魔理沙が飽きて帰るのを待つことにする。
彼女の方もそんな霖之助の性格は熟知しているので多少怨めしそうな視線を向けながらも適当に店内の品を物色してみる事にした、いったい何に使うものなのか不明な物が乱雑に置かれた店内を見れば店と言うより倉庫か何かと表現するのが近い〈香霖堂〉の店内をぶらつき始める。
「……?」
何気なく視界に入り手に取ってみたのは一枚のカードだった、青い目をした白い竜の絵が描かれておりその下には攻撃力3000という文字が書いてある、気になったので店主にこれは何かと聞いてみた。
「……それは外の世界でゲームに使うものらしいね。 まあ、君が持っていても役に立つ物ではないよ魔理沙」
「ふ~~~ん……?」
こんな物を使ってどんなゲームをするのだろう、フランドール・スカーレットがのめり込んでいるコンピュータ・ゲームとはまた違うのだろうとは分かるがと考えながらカードを元の位置に戻す魔理沙。
世間ではバレンタイン・デーなどと言っていても結局いつもと同じそんなやり取りに魔理沙は、まあ……あたしならこんなものかと心の中で苦笑するのだった。
十六夜咲夜がレミリアの私室に呼ばれたのは14日も後1、2時間で終わろうかという時だった、夜中に呼ばれること自体が珍しい事でもなく「さて、何の御用でしょうかね?」などと呟きながら主の部屋へと向かうと、その途中でパチュリー・ノーレッジとすれ違う。
右手にプレゼント用にラッピングされた小さな包みを持っていたパチュリーは咲夜の姿を見つけて一瞬驚いた顔をしたが、すぐに「……ああ、そう言うことね」と意味ありげに笑って見せた。
「……パチュリー様……?」
「……ふふふふ、何でもないわよ。 そう、あなたも一ヶ月後が大変そうねぇ?」
怪訝な顔の咲夜にそう言って立ち去っていく、その後姿を見送りながら小さく首を傾げた咲夜は仕方なく主の部屋に向かうと扉をノックした。
「……来たわね、入りなさい咲夜」
「はい、お嬢様……」
扉を開けた咲夜は不敵な顔で椅子に座って自分を見ているレミリアに恭しく一礼すると「どのようなご用でしょうか?」と尋ねた。
「……あ……それ何だけどね……ええ~と……」
「……?」
不敵だった顔が一瞬にして照れくさそうに赤くなる、そしてその意味が理解出来ず不思議そうな顔をしている咲夜の視線の先でもごもごと何事か呟きながら時に視線を泳がせつつ迷っていたようだが、やがて決心したかのように頷くとサイドテーブルの上にあった小さな包みを差し出した。
「……これは……?」
「あなたに上げるわ! その……今日はバレンタインでしょう?」
「……え……!?」
咲夜の目が驚きに見開かれるとレミリアははっとなって慌てて言う。
「ち、違うわよ咲夜! そういうのじゃなくて……そ、そう! 特別報酬よっ!!……ほら、あなたもいつもがんばってるし、そのちょっとしたご褒美みたいなものよ!!」
大声でまくしたてるレミリアに呆気にとられていた咲夜だったが、その意味に気がつき思わず「クスッ……」と口元を歪めてしまう。 それを見たレミリアが「何がおかしいのよ!?」と怒鳴り声を上げたので、咲夜は彼女がへそを曲げて気が変わらないうちに深々と頭を下げて「失礼致しました」と謝る事にした。
「……むぅ~?」
そのメイドの態度に、どこかからかわれているように感じなくもないレミリアだったが、ここで癇癪を爆発させては恥を忍んで霊夢と買い物をしてきた意味がないとぐっと堪える。
「いい咲夜? この私自ら選んで買ってきてあげたんだから感謝して食べるのよ?」
「はい、もちろんですよお嬢様。 ありがとうございます」
右手でぶっきらぼうに差し出したチョコの包みを恭しく両手で受け取った咲夜は、感謝の印とばかりににっこりとした微笑みを自分の主人に向けて見せた。 それを見たレミリアはわざわざ自分で買いに言った甲斐はあったわねと安堵している自分に気がつき、らしくないわね、まったく……と心の中で苦笑する。
「よ、用件はそれだけよ。 さっさと仕事に戻りなさい!」
「畏まりました、お嬢様」
一礼してから退室するために扉のノブに手をかけた咲夜はそこであっという顔をして手を止めると一度だけ振りかえると言った。
「お嬢様、ホワイトデーのお返しはぜひご期待して下さいね?」
「……ちょっ!?」
不意打ちのような言葉に驚くレミリアが何か言う前に咲夜はさっさと退室してしまっていた、残されたレミリアはしばらく固まっていたが、やがてやれやれと小さく溜息を吐く。
別にそんなものは期待していなかったわよと思う反面で、咲夜ならそう言うだろ気がしていた自分が本当にらしくないと思える。 それが例え自分が本物ではないレミリア・スカーレットだからだろうと分かっていてもだ。
「……まあ、せいぜい期待させて貰うわよ? 十六夜咲夜?」