ある梅雨の日の幻想郷編
毎年の事ながらも、この梅雨の時期は本当に毎日毎日雨の降る日が続くものですねと廊下の窓から外を見ながら思うのは〈紅魔館〉のメイド長である十六夜咲夜である。 雨の日が続けば唯でさえこの空のようにどんよりとした憂鬱な気分になるものだが、屋敷内の家事を担当するメイドの責任者という立場にあっては湿気でジメジメして掃除は大変だわ洗濯物は乾かないわで普段以上に苦労の絶えない日々が続く。
「……まあ、考えても余計に気が重くなるだけですけど……」
小さく溜息を吐くと再び歩き出した。
屋敷内の仕事も苦労が増える梅雨の時期であるが、屋敷の外で仕事をする門番の紅美鈴にとっても嫌な時期であった。
「今日もよく降りますね……」
濃い緑色のレインコートで全身を包んだ赤髪の少女は黒く染まった空を見上げながら怨めしそうな顔で呟く、冬のように凍えるような寒さではないにせよこんな日はまだまだ肌寒い。 まがりなりにも妖怪である自分がこの程度で風邪をひくとは思わないが、キツイものはキツイのである。
「……ま。 これもお仕事ですからね、がんばりますか」
それでも愚痴っていても仕方がないと自分に言い聞かせるようにそんな事を言ってみた。
咲夜と美鈴も大変なものだが、大概の者にとっては雨が降る日は外出が面倒だったり子供などは外で遊べないのを退屈がったりするものだが、元より外へ出る気もないフランドール・スカーレットのような引き篭もりの少女にはあまり関係なく、エアコンも完備の部屋にずっといれば湿気によるジメジメ感も感じるものでもなかった。
「……ふぉ~ふ、ふょふふぉふぁふぇふぁふぉふぇ~~~(※訳 ふ~ん、今日も雨なのね~~~)」
朝方までゲームをしていて中途半端な時間に起床したフランドールが朝食代わりの菓子パンを齧りながらテレビを付けると、ちょうど今日の天気をやっていた。 地下にある彼女の部屋には窓もないのですぐにちょっと外を見てみようという事も出来ず、さりとて上まで行くのもかったるいのでベッドの上に寝転がって携帯ゲームの電源を入れる妹様であった。
ただで不気味な雰囲気を漂わせるのが墓地という場所だが、雨の降りしきる暗い空の下にあっては
ホラー映画のワンシーンめいた恐怖感を煽るものがある。 そんな〈命蓮寺〉に墓地に傘を差して一人佇んでいるのは多々良小傘、”愉快な化け傘”と呼ばれる唐傘お化けの少女である彼女が手に持つ番傘には不気味な一つ目があり真っ赤な舌がダランと垂れている。
「……今日も誰も来ませんねぇ……お腹空いたぁ……」
墓地をぶらぶらと歩きながら力ない声で言う、人間を驚かしその時の恐怖心を栄養とする彼女にとってはここ数日墓地にほとんど誰もやって来ないというのは死活問題である。 別に小傘の存在がこの場所に縛られていてここから動く事が出来ないというわけでもないが、どっちかと言うと可愛くて愉快な妖怪扱いされているこの少女からすれば雨の降りしきる不気味な墓地というのは絶好のシチュエーションなのである。
そんなわけなので「……まったく、誰か一人くらい来てもいいでしょうに……」と頬を膨らませてみせる小傘には、お盆というわけでもないのに大雨の中に墓場まで足を運ぶ人間がいるはずもないだろうという発想はない、こういうどこか抜けているというかズレているところが”愉快な化け傘”と呼ばれる理由のひとつである。
そんな小傘に「あなたもがんばりますねぇ……」と声をかけたのは、この〈命蓮寺〉のトップに立つ僧侶の聖白蓮だった。 紫のグラデーションの入った長い金髪が特徴的な彼女はごく普通の番傘で雨を防ぎながら小傘を見つめている。
「がんばるのもいいですけど、こんな日に人はやって来ませんよ小傘」
聖の言葉には、多少は呆れているという風ではあるがそれよりも小傘を心配しているという意味合いが強いように聞こえる。 いくら傘の妖怪とはいえ、こうもずっと雨の中にいるのは身体に良いはずもないと思っているのだろう。
「え~~? そうかなぁ~?」
「そうなんです」
本当に分かっていないのか、あるいは不都合な事実を考えないようにしているだけなのか不思議そうに首を傾げる水色の髪の化け傘少女に聖はやれやれという風に溜息を吐く。 努力しているのは認めるし死活問題とあってはこの少女の応援もしてあげたいのだが、当人が見当違いの事をしていてはどうしようもないのである。
「……まあ、とにかく一緒に行きましょう。 暖かいお茶とお菓子をご馳走しますよ」
吸血鬼からしてみれば別に太陽が黒い雨雲に隠れている事自体は歓迎する事であっても、この湿気によるジメジメと蒸し暑さはどうにかならないものかと本気で思うレミリア・スカーレットである。
「……よりにもよって私の部屋だけエアコンが故障なんて……」
自室のソファーで咲夜の淹れた紅茶を飲みながらも不機嫌な顔なのは、今彼女が言った通りの理由そのままである。 いくら咲夜といえどエアコンの修理は出来ず、仕方なく〈妖怪の山〉に住む河童の河城にとりに修理を依頼し来てもらったのだが、どうやら交換部品が必要らしいがその部品の在庫がないらしい。
一応は「ちょっと探してみるから、待っててね」とは言われているが、いつになるかは分からないのが現状というのに余計に苛立つレミリア。
「……あんたはよく平気よね?」
いつもの如く背後に控える咲夜が涼しそうな顔をしているのにそんな事を言ってみると「まあ、もう慣れましたから」と笑顔で答える銀髪のメイド長の顔をしばらく無言で見つめてみたが、やせ我慢をしているとかという風には見えずに本当に平気そうとしか思えなかった。
「……はぁ」
そんな彼女に呆れたような感心したような溜息を付きながら、空になったティーカップをコースターの上に戻すレミリアだった。
梅雨の時期であっても洗濯物は出るのは〈守矢神社〉に限った事でもないだろう、もちろんその洗濯物を外に干す事はせずに室内干しする東風谷早苗だ。 長い緑の髪に可愛らしい蛙と白蛇の髪飾りを付けたこの神社の巫女である少女は、今は自らの仕える二人の神と午後のお茶の時間を過ごしている。
「……それにしても、そろそろ晴れ間がほしいですね神奈子様。 こうもジメジメした日が続くとお洗濯物が乾かなくて大変ですよ……」
お茶請けの煎餅を齧ってからそんな愚痴をこぼす早苗に、話を振られた八坂神奈子は「ふむ、確かにな。 私もいい加減に太陽の光を浴びたいわ」と答えた。
「そう? 僕は別にどうって事ないけどなぁ」
そう言う洩矢諏訪子は外見こそ幼いがれっきとした神であり早苗の先祖にあたる存在である、二つの目玉の様な飾りの付いた変わったデザインの帽子を被った諏訪子はどことなく蛙を思わせるような姿をしていて、それなのかどうか知らないが梅雨の時期にあっても割と元気で機嫌も良いと神奈子も早苗も思っていた。
「諏訪子様が良くてもお洗濯物が乾かないのは大問題なんです、着る服がなくなって裸で過ごしてもいいんですか諏訪子様?」
そう早苗がたしなめると「……そ、それは困るけど」と諏訪子、神と巫女と言うより呑気な妹としっかり者の姉という風な光景に少し微笑ましいものを神奈子は感じる。 無論、このような光景は彼女ら三人の時くらいなものであるのは、神奈子らの威厳を損なわないように人前では神と巫女という立場を意識した振る舞いを早苗がしているからである。
だから、〈人里〉の人々は巫女と神がこのようなアットホームな雰囲気で生活をしているとは知る事はないだろう。
「まあ、雨がまったく降らないのも困ったものであろうが、いつまでも止まぬのも問題という事であるかな」
「神奈子様?」
「ん? 雨が降らぬは降らぬで水不足で困る、そういうものであろう早苗よ」
ああ、成程と頷く早苗。 実際にテレビのニュースなどでそういう話は聞いた事が何度かあり、そういう地域では雨乞いの儀式をしないのだろうかと思ったものである。 今となっては信仰心の失われた形だけの儀式を行っても無意味だろうとは思うが。
「さりとて、降り過ぎれば土砂崩れや河の氾濫のような災いを引き起こす事もある……まあ、洗濯物が乾かなかったり外で遊べなくなるのもヒトによっては災いではあろうがな」
多少深刻そうな顔で前半部分を言い後半は苦笑交じりに言ってみせる神奈子。
「雨は、自然はニンゲンに恵みももたらせば災いを引き起こしもする……確かにそういうものだろうね神奈子」
湯飲みの中に残ったお茶を飲み干してから相棒と呼べる神に応える諏訪子の表情も真剣なものだ、神は信仰する人間に恵みを与えるがひとたび怒らせば大きな災いを与える……そんな考え方が人々に浸透していったのはそういう理由だったのかも知れないと彼女はふと思いつく。
「要はあれですよね? 大切なのはバランス、恵みと厄災のバランス……と」
「何かのCMか早苗……まあ、間違いではないが……」
冗談めいた言い方ではあるが一方的に恵みだけを享受せずに災いは災いで受けいれなくてはならないと考えるあたりに、この若い巫女も少しは成長したものよと思う神奈子は、ふと外から聞こえてきる雨音が小さくなっていくのに気が付き「……ふむ、もう少ししたら止むかの」と呟いた。
未だに空の多くを黒い雲が覆っているが所どこから夕陽の赤い光が漏れているのを、レインコートを脱いだ紅美鈴は見上げていた。
「ふうー、ようやく雨が上がったと思えばもう夕方ですか……」
実際の気温は変わってはいないはずだが太陽の光を受けていると何となく暖かくなっている気がする美鈴である、そして雨上がりの後に創り出される自然の芸術に気が付くと思わず「おおー!」と声を出していた。
天空に掛かる美しい七色の橋を見上げながら、明日は良い天気になりそうですねと確信する美鈴であった。




