恐怖?のノート騒動編
夜も更けた時刻の〈紅魔館〉の廊下はランプの明かりが照らすだけの不気味な雰囲気を漂わせているが、それも住み慣れた人外の住人にしてみればごく普通のものでしかない。
「……そう言えばさ、どうもお嬢様は最近日記を付け始めたみたいだよ?」
おなじみ妖精メイド三人衆の一人であるフェア・リーメイドが一緒に見回り中の同僚に言った、その同僚のチャウ・ネーンはその噂を知っていたようで「ああ、そうらしいで~」と答えるがラーカ・イラムは今始めて聞いた話らしく「へ~、あのお嬢様がねぇ……」とちょっと信じられないなという風な口調で言った。
「あたしも最初聞いた時はホントかなとか思ったけど、お嬢様も気まぐれな方だしねぇ……」
そんな風に言われると「あー、そうよねー」と納得するラーカだ、五百年は生きてきた吸血鬼に相応しい威厳はあっても、その幼い少女のような外見に違わない子供っぽさやお茶目さも兼ね備えているのが彼女らの主人なのである。
「まあ、案外三日坊主とかもありえるけどなぁ~」
そんなお嬢様なのでチャウが笑いながらこんな事を言ったりもすると、フェアとラーカも同感というように笑い合う。 その三人に妖精少女が急にギョッとなったのは「こら! なんて事を言うんですか!?」という叱り付ける声がしたからである。
「「「め……メイド長!?」」」
驚いた声を上げて振り向いた三人の視線の先には彼女らの上司であるメイド長の十六夜咲夜、この〈紅魔館〉で唯一の人間である咲夜はフェア達と同じようなメイド服に身を包んではいるが妖精と比べずっと長身である。
その身長差のある咲夜に怒った顔で睨みつけられて思わず怯えてしまう妖精メイド三人衆。
「三日なんてそんな……いくらお嬢様でも一週間は続きますわ!」
幼い子供に言い聞かせるように人差し指を立てる仕草で言う咲夜はいたって真顔で、冗談を言って彼女らをからかっているわけではないようだ。 次の瞬間にはフェア達の表情は唖然としたものへと変わっていた。
「……メイド長も結構、酷い言い方しますよね……」
思わずそんな事を呟いたフェアに他の二人も同意という風に頷いた。
その頃、その〈紅魔館〉のお嬢様ことレミリア・スカーレットが自室のベッドに寝そべりながら「ぶうぇ~~~くしょんっ!!」と盛大なクシャミをしたのが単なる偶然か否かは誰にも分からないだろう。
「れ、霊夢さんはいますかっ!!!!
〈博麗神社〉の巫女である博麗霊夢が境内を掃除していた時に慌てた様子で飛んできたその声の主がすぐに誰か分からなかったのは、その少女の声が知らないものだったからではなく、よく見知ったその人物の口から発せられるにしては言葉使いがあまりも彼女に似つかわしくないからである。
「……魔理沙?……霧雨魔理沙……よね……?」
箒に跨り舞い降りてきたトレードマークの黒い尖がり帽子を被ったウェーブの掛かった長い亜麻色の髪のこの少女は間違いようもない、”普通の魔法使い”の霧雨魔理沙である。
「そうに決まってますよ、霊夢さん!」
当人の口からも肯定される……が、それでも釈然としない霊夢は「……あんた、そのしゃべり方はどうしたのよ?」と更に質問をした。
「分からないんです! とにかく、朝起きたらもうこういう状態だったんですっ!!」
「…………はい……?」
一応は友人と呼んでも差し支えのない少女のそんな言動にからかわれているのではという考えもちらりと浮かばないでもないが、魔理沙の表情は真剣そのものであり本当に困っているという様子だった。
「とにかく落ち着きなさい。 それからじっくりと話を聞かせてちょうだい……」
だから、冷静な声でそう言う霊夢だった。
〈人里〉にある貸本屋の〈鈴奈庵〉の店内には店番の少女である本居小鈴と、正体を隠して来訪しているうちにすっかり常連客となった狸の妖怪である"捕らぬ狸のディスガイザー”の二ッ岩マミゾウだ。
「う~~~ん……犯罪者を殺すのって悪い事なんでしょうか?」
「いつもの事じゃが、唐突であるな……」
いつものようにカウンターで何やら本を読みながら唸っていた小鈴の発言だったが、少女の詠んでいた本のタイトルが見えると成程のと納得するマミゾウ。 名前を書いた人間を殺す事が出来る死神のノートを手に入れた主人公が、それを使い犯罪者を次々と裁いていくというその物語は〈外界〉でもちょっとは有名な作品である。
「その人のやった事しだいなんでしょうけど……別に殺されても当然という人もいますよね?」
「そういうのは危険な考えであるな、小鈴よ。 ヒトがヒトを裁くというのは簡単な事でもないのであるぞ?」
ルールを破ったものにはペナルティをというの自体は間違いではない、それが社会というものであり一人一人が己の行動に責任を持たなければ成立しないのだから。 だが、そのペナルティを個人の価値基準のみで与えるのは危険なのである。
それは力さえあれば何をしても良いという考えと何ら変わりはない、その裁きを与える人物が絶対に正しい人物という保障などない……いや、例え神であっても絶対に正しい存在などいるはずもないとマミゾウは言う。
「そういうものですか……」
「そうじゃのぉ……その本の主人公で言えば、そやつは自分に逆らったというだけで人間の正義を遵守する者達も殺しておるじゃろう? そんな子供じみた身勝手な正義は暴走でしかないのだ」
諭すような口調で言うマミゾウに「確かにそうですけど……」と頷ける部分はありながらもどこか腑に落ちないという顔の小鈴、いかに人より多く本を読み得た知識はあっても妖怪のそれと比べて遥かに短い人生の人間にあってなお若者の部類に入る彼女の人生経験ではそうなるだろうとはマミゾウも思う。
こういう事はいくら言葉で言っても仕方ない事ではあるのでマミゾウもそれ以上は言う気もないが、この少女がそういう愚か者にはなってほしくはないとも思う。
「犯罪者とはいってもな、失われた時間や命は決して戻る事はないのだ。 そしてそれらの価値は犯罪者であろうがなかろうが変わらぬ、罰であってもそれを奪う事の意味を少しは考えてみても良かろうて」
神妙な顔でそう言ってから、「ふむ?……わしとした事がらしくない事を言ったな」と笑ってみせた。
化け狸と本好き少女がそんな少しシリアスな会話をしているのとは別の場所を歩き回りながら「……う~ん、見つからないなぁ~」と呟いているのは死神の小野塚小町である、普段通りの着物姿ではあるが死神のトレードマークとも言うべき鎌は流石に持ち歩いてはいない、小町自身はヒトを迎えに行く死神ではないが人間から観れば死神はただそれだけで不吉な存在だろう
そんな小町を見かけて「どうしましたか?」と声をかけたのは〈守矢神社〉の巫女である東風谷早苗だった、ちょくちょく仕事をサボっている小町ではあるが今日は少し様子が違うように見える。
「……ん? ああ、あんたは〈守矢神社〉の早苗かい。 ちょっと探し物をね……」
そう言ってから少し考え込む小町、ここで出会ったのも何かの縁だし探し物を手伝って貰うのも良いかも知れない、上司である閻魔の四季映姫からはくれぐれも内密に調査をせよと言われてはいるが、早苗は霊夢同様に〈幻想郷〉での異変解決のスペシャリストであるので信用の置ける相手ではある。
「探し物ですか?」
緑色の髪に可愛らしい蛙と城蛇の髪飾りを付けた早苗が怪訝な顔で問うのに、小町はいったん周囲を見渡した後に彼女の耳元へ顔を寄せて通行人に聞かれないような小声で言った
「ああ、《ですノート》っていう物なんだけどさ……」
昼間でも薄暗い〈迷いの竹林〉で今日もまた殺し合いという名の大喧嘩を繰り広げるのは藤原妹紅と蓬莱山輝夜だ。
「今日という今日こそあなたと決着を付けますよ、輝夜さん!!」
「あなたなんかに負けては差し上げませんよ、妹紅さん!」
比較的開けた場所を選んで戦っている二人は互いに躊躇する事無く【霊気弾】を撃ち合うその様は、まさに弾幕勝負と呼ぶに相応しい光景である。 その最中にあって妹紅は光弾の雨を掻い潜り間合いを詰めて勢い良く蹴りを放つ事をやってみせる。
「てあっ!!!!」
「……!!!?」
だが、輝夜もそれをきっちりと回避してみせれるのは、妹紅の攻撃パターンを熟知しているからではある。
「相変わらず弾幕勝負に格闘技とは姑息な戦い方ですわ!!」
反撃の【霊気弾】を放ちながら間合いをとろうとする輝夜、動きにくそうな着物姿に反して軽快な動きで戦闘を行える事には毎度感心する妹紅は「殺し合いに姑息も具足もないです!!!」と言い返す。
薄紫色の長い髪の上に兎耳を生やした鈴仙・イナバ・優曇華院はその戦闘に偶然遭遇ししばらく観戦していたのだが、毎度の事と見慣れた光景を奇妙なものと感じて首を傾げた。
「……どうして二人して丁寧語……????」
《ですノート》とは名前を書かれた者が丁寧語しか話せなくなるというノートである、別に危険物というものでもないのだが名前を書かれたヒトにしてみれば迷惑には違いないので閻魔である四季映姫が外部に流出しないように保管していたものが、どういうわけか紛失してしまった。
そこで白羽の矢が立ったのが今日も今日とて仕事をサボっていた小町だったのは、罰もかねて入るだろう。 そんなわけで〈人里〉にやって来た死神少女と守矢の巫女はその捜索に奔走する事になるのだが、今回は時間の都合で省略する…………。
「て~ぬき~なの~だ~~~♪」
呆れた声でそんな事を言いながら〈幻想郷〉の澄んだ青空の飛行する黒い塊こと、闇に包まれた闇の妖怪少女のルーミアであったとさ。
「……と言うわけで! 犯人は……”キラ”はあなたですね、”永遠に幼く紅いツッコミ”のレミリア・スカーレットさんっ!!!!」
〈紅魔館〉の中庭テラスでティータイム中だったレミリアに早苗はビシッと人差し指を突きつけて、まるで名探偵か何かの様な自信たっぷりという顔で宣言したその隣では、「ん? 紅色のノクターナルツッコミ”じゃなかったっけか?」と小町。
「……展開早っっっ!!? いきなり何っ!!!?……つか”キラ”って誰!!? ガン〇ムパイロット!? てか、私は”紅いツッコミ”でも”ノクターナルツッコミでもないわぁぁぁああああああああああああああっっっ!!!!!!!!」
いきなり押しかけて来た巫女少女に一瞬困惑顔になったものの、すかさずツッコミの切り替えしをしてみせるのは流石はレミリアであろう。 そして例の如く彼女の傍らに控える咲夜は、やっぱりお嬢様はツッコミをしている時が一番輝いていますねぇ……と思った。
「どやかましぃぃいいいいいいっ!!!!! ……って、咲夜! 今あんた不穏当な事を考えてない!?」
天に向かって怒鳴ったり咲夜を睨みつけたりと忙しいレミリアに「それはお嬢様の気のせいですよ?」と微笑む咲夜。 そんな親友とそのメイドを眺めながら「……今日も今日でいいコンビね、あの子らは……」と呟きながら紅茶を啜るのはパチュリー・ノーレッジ。
「……まあ、どっちでもいいや。 あたしらはあんたの持ってる日記帳……《ですノート》を返してもらいたいだけなんだ」
噂に聞く〈紅魔館〉の主従漫才は結構面白いなと思いつつも面倒だからさっさと用件を済ましたい小町が言う。 ここに来るまでに早苗と二人でめまぐるしく〈幻想郷〉を回って調査活動をがんばったし、とっとと帰ってのんびり昼寝でもしたいのだ。
「……ぜーぜー……に、日記帳……?」
酸素供給よりもツッコミ優先なレミリアの呼吸がやっと落ち着いてくる、もっともあんだけ怒鳴れば普通に息が切れもするものだが。
「そうです、レミリアさん」
小町に代わり早苗が《ですノート》の事を説明し、それに対するレミリアの第一声は「……はぁ?何よそれ……?」だった、その反応は至極当然だとは早苗も小町も思う。
「信じられないかも知れませんが本当の事なんですよ。 そのノートの中身を《です消しゴム》で消せば効果は消えるらしいので……返して貰えませんか?」
こんな事で力ずくという手段を使いたくないので真剣な顔で頼み込む早苗には、「……消しゴム、詠み切り版の時のネタね……」というパチュリーの独り言は聞こえていない。
「いやさ……そうは言われてもねぇ……」
困惑顔のレミリア、彼女も別にこのノート自体に愛着があるわけでもないが、自分のプライベートな事が書かれた日記帳を他者に渡すのは嫌であった。 あの四季映姫が個人のプライベートをヒトに漏らすことはしないとも思うが、やはり書いたものを消すためとはいえ誰かに見られるというには激しい抵抗を感じる。
もちろんこれが〈幻想郷〉の崩壊の危機とでもいうなら、自分や〈紅魔館〉の住人達に危害も及ぶし諦めもするが、単に丁寧語しか話せなくなるという程度で名前を書かれた当人らにすら命の危険があるわけでもないのだ。 さりとて、この程度の事であるからこ〈守矢神社〉や四季映姫と揉めるのも避けたいとも思うのできっぱり拒否も出来ないでいた。
「……いっその事、燃やせばいいんじゃないの?」
その親友の胸中を察したパチュリーが提案するが小町は「それも無理らしんだよねー」と首を横に振った。
「四季様もさ、最初はそう考えたみたいなんだけどね。 このノートはやたらと耐火性能が高いみたいで炎殺な黒龍波の使い手に頼んでも無理だったんだってさ」
「邪眼の力を舐めるなよ!?」
レミリアが驚きの声を上げる横で「……ああ、あの連中も流石に幻想入りしてたのねぇ」とはパチュリーである。 何にしても面倒な話だ、彼女にしても親友のプライベートを他人に見せるというのは避けたい事である。 だが、事態を解決しない限りはこの死神と巫女も引くに引けにだろうが、やはりこんな事で争う事はパチュリーもしたくない。
ともすれば堂々巡りになりそうな彼女らの思考を中断させたとのは、いつの間にかやって来ていた小悪魔だった。 パチュリーに用事があって来たはいいが、室内の雰囲気に声をかけていいものか迷っていた彼女がおずおずとした様子で「あの~~」と声をかけると、全員の視線が自分に集中したのにビクッとなった。
それでも勇気を出して口を開く。
「え~っと、お嬢様がその何とか消しゴムで消してから返すのは駄目……何でしょうか……?」
「「「「「「……あ!!!!」」」」」」
〈幻想郷〉の某所の〈黒博麗神社〉の居間では神社に脇巫女であるダーク・レイムが湯飲みの中の緑茶をズズズズと飲み干すと「はぁ~」と年寄りくさい声を出してちゃぶ台の上に置いた。 その彼女に眉間が苛立ち気にピクピクとしている理由は不明である。
「…………まあ、いいわ」
誰にともなく呟くと「よっこらしょ……」座っていた座布団から立ち上がるその掛け声も仕草もどことなく年寄りくさいダーク・レイムだ。
「こ、この書き手め……」
拳を握り締めてワナワナと振るわせるがここで叫んでは負けだとぐっと堪える、大きく深呼吸し気持ちを落ち着かせた。 そして何事もなかったかのように「ま、今回はこんなものでしょう」と言った。
何はともあれ、こうして〈幻想郷〉の住人のほとんどが知る事もなく始まっていた”ですノート騒動”は、やはりほとんどの者が知る事もなく終わっていたのだった……。
その〈幻想郷〉の月夜の下をふわふわと飛んでいるのは黄色い髪に赤いリボンを付けたルーミアであった、その闇を操る妖怪少女は他に誰がいるわけでもないのに大きな声で言い放った。
「やっぱ~て~ぬき~なのか~~~?」




