夏だ、水着だ、夏コミだ!編
今回は特に事件もイベントもない幻想郷のある暑い夏の一日のお話。
〈紅魔館〉はエアコン完備とは言ってもそれは住人達の私室などに限った話であり、無駄に広く長い廊下や倉庫のような部屋までエアコンを設置し無駄に電気代を使うような間抜けをレミリア・スカーレットはしない。 だから、自室を出て別の場所に移動する際に多少は暑い思いをするのは承知の事である。
「……ふぅ、今日は一段と暑いわねぇ……」
人ならざるあやかしの住まう〈紅魔館〉の館内はどこかひんやりとした空気を感じさせるものであるが、冷房の効いた部屋からでればそれでも暑くも感じてしまう。
「パ、パチュリー様! どうかあそこだけはお許しをぉぉぉおおおおおおっ!!!」
「どうかお慈悲をパチュリー様ぁぁぁあああああああああっ!!!!!」
突然に聞こえた小悪魔と紅美鈴らしき叫び声に驚いたレミリアは何事かと思い声のする方へと向かってみる、するとちょうど階段を下りようとしているパチュリー・ノーレッジを発見した。 その親友の魔法使いの背後にはどういうわけか魔法の鎖らしきもので雁字搦めにされている小悪魔と美鈴が、レミリアの姿をに気がつくなり必死の形相で助けを求めている。
「…………どゆこと?」
「……夏コミに行くのよ、言ってあったでしょう?」
簡潔に問うレミリアにパチュリーもまた簡潔に答え、そういえばそんな事を聞いたようなと思い出した。 何でもこの暑い中に何千という人間が集まるというそのイベントに腐女子が行くというのは今更驚く事ではない。
だから、美鈴と小悪魔がそのための買出し要員として連れ出されようとしている事も特に気にしない……と言うか、迂闊な事を言って「なら、レミィが来てくれるのかしら?」などというような事になるのはまっぴらごめんだった。
「……そう、気をつけて行って来るのよ。 熱中症にならないようにね」
だから、それだけ言うとくるりと踵を返して立ち去る事にした。
「そ、そんなお嬢様ぁぁああああああああああっ!!!!」
「ひぃぃいいいいっ!! 私達を見捨てないで下さいぃぃぃいいいいいいいっ!!!?」
強制的に戦場へと徴兵でもされているかのような美鈴と小悪魔の必死の懇願を背に受けながら早足で歩くレミリアには、気のせいかドナドナの歌が聞こえていたように思えた。
〈香霖堂〉に店内に冷房が効いているのは東方幻想曲物語だからであるが、そんな理由は別にどうでもいいと涼みに来ているのは霧雨魔理沙である。 店主である青年の森近霖之助は迷惑だと思いながらも、別に営業妨害をしているわけでもないので強引には追い返せない。
昨今の節電やら地球環境の問題とやらに関心のない霖之助ではあるが、日々の電気代の問題は重要であるためなるべく消費電力の少ない新型のエアコンを設置している。
「……そういやさ、香霖は”夏コミ”って知ってるか?」
「夏コミ?……ああ、外でやってるイベントの事かい? あのパチュリー・ノーレッジも行っている」
いきなりという事もだが、およそこの妹分の少女から飛び出すとは思えない単語に驚く霖之助。 魔理沙は「そう、それだよ」と椅子に座ったまま足をバタバタさせて言う。
前から何気ない話程度には聞いてはいたが自分には関係のない事……と言うか、彼女の留守の間に魔道書を盗む……もとい、借りに行く絶好の機会である程度に思ってしかいな
かった。
「ふむ……同人誌や同人ゲームと呼ばれる素人の作品のかなり大規模な即売会だね。 素人と言っても商売としていない人達であって、レベルが低いという意味ではないよ」
「ふ~~ん……そういう連中がこういうのを描いてるんだな」
そう言って魔理沙が手に持っていた薄い本を見せる、〈香霖堂〉の売り物としておいてあったのだろうその本の表紙には衣服が破かれて半裸に近い状態の”魔理沙”が許しを請うような表情で泣いているイラストが描かれていた。 早い話が十八歳未満はお断りな薄い本というわけである、もちろん霖之助にはそういう本を読むような趣味はない……少なくとも妹分の女の子がいやらしい事をされている姿を見て楽しむような悪趣味な男ではない。
商売と個人的な感情は別物と売りには出してはいたが、こうして知り合いが嫌悪感を感じているのを直に見てしまえば、それもやめようかという気にもなってくる。
「別に十八禁ばかりでもなけどね。 まあ、そういうのが多いのは確かか……」
「そうかもだけどな、それでもいい気はしないぜ……やっぱ……」
魔理沙の気持ちは霖之助も理解出来る、幻想曲物語の魔理沙とは違うと分かってはいても、霧雨魔理沙の姿をしたものが誰とも知れない男に言いように弄ばれるという絵を見て嫌悪感を覚えるのは当然だろう。
東方シリーズを好きな人間にしてみれば一般向け、十八禁問わず同人誌が発行されるという事は一種のステータスとして嬉しい事なのかも知れないが、東方キャラにしてみればそう単純ではないと知る霖之助だった。
〈妖怪の山〉を哨戒任務中の犬走椛が河童達の棲む河で泳ぐ水着姿の人間を見つけたときにはどこの物好きだとも思ったものだが、それが〈守矢神社〉の神二人とその巫女と分かれば納得する。
「いくら参拝客もいないからといっても呑気なものだ……」
呆れた声で呟きながら、まんざら知らない中でもないしあいさつくらいはして行こうと思い彼女らに近寄っていく。
白狼天狗である短い白髪の少女に最初に気がついたのは川岸の大きな岩に腰掛けていた八坂神奈子だった、真っ赤なビキニ姿の彼女が「ふむ、椛か。 暑い中の見回り大変であるな」と声をかけてきたので「これも任務ですから」と返す椛。
普段と違いラフな水着姿であっても威厳をまったく損ねていないように見えるのは、神奈子が常日頃から神として尊大な立ち居振る舞いを意識してしているからである。 それは人々に自分がいかに頼れる神であるかをアピールするものであり、決して人間を矮小な存在などと見下しているつもりはない。
「ほう? 真面目な事だ」
もっとも〈妖怪の山〉に不審者が侵入する事もそうはあるものではないので暇な時は河童達と将棋に興じているのを神奈子は知っているが、そこはあえて言わないでおく。 気を抜きすぎるのも問題だが、常に気を張っていてもいざと言うときに集中力を切らし力を発揮できるものではないからだ。
こうして三人で河へ水遊びに来ているのも似たような理由である、暑い中を気合だ根性だとか言いながら耐えたところでいい事は何一つない。 もちろんそういう無茶をしなければいけない状況というのもありはするのだろうが、少なくとも平穏な時間の流れる今はその時ではない。
「……あら? 椛さん?」
「ん?……ああ、本当だね」
川の浅瀬で水を掛け合って遊んでいた東風谷早苗と守矢諏訪子が彼女に気が付く、白い清楚なワンピースの水着の早苗と紺色の競泳水着のようなものを纏った諏訪子は傍目には仲の良い姉妹であり、そうなると神奈子は引率のお母さんかと思えた。
「今日も暑いですねぇ、どうです? 椛さんも少し涼んでいきませんか?」
水着がなければ泳ぐ事は出来ないが、ただ川辺に腰掛けているだけでも随分違うものである。 この時期には暑そうな天狗装束を着て見回りなどをしないといけない椛を気遣っての言葉である、その気遣いに感謝をしながらも「いえ、まだ任務の途中なので」とはっきり断る椛。
彼女らが〈妖怪の山〉に来たばかりの頃は椛も大天狗や他の天狗ら同様に彼女らに不信感を持っていたものだが、今となっては同じ〈妖怪の山〉に住む一員として受けいれてはいる。
人間であっても妖怪であっても突然やってきた異物に多かれ少なかれ拒否反応を示すのは当然であっても、そこで完全に相手を無視もせずに少しでも接点を持とうとしていればいつの間にかいるのが当然のように受けいれているものなのだと思う。
もちろん社命丸文ら烏天狗のようにあまり仲良くは出来ない連中もいるのだろうが、その彼女らにしても存在そのものを無視したり、ましてや憎み根絶やしにしたいなどとは思わない、個人的な好き嫌いの感情と相手を異物と認識するかは別物だ。
「私はもう行きますが、水の事故には注意して下さいよね?」
それだけ言って去る椛は、念のため河城にとりあたりに声をかけておこうかと考えていた。
「……暑い……」
本居小鈴は机に突っ伏してだるそうな声で呟いた。
彼女の家である貸本屋〈鈴奈庵〉はあまり裕福な店ではないのでエアコンなどという贅沢は望めないのは、〈人里〉の一般家庭と同様である。
今年が特別に暑いというわけではないので気持ちは毎年の事と慣れているつもりではあるが、身体の方はそうもいかないようだ。
「……というか、〈外界〉は〈幻想郷〉以上に暑いんだよねぇ……」
昨日もやって来た奇妙なお客――小鈴は知らない事だが正体はマミゾウ――から、「〈外界〉は今は記録的猛暑で大変であるらしいのぉ」などと聞いていた、記録的猛暑というのがどの程度のものかを小鈴はいまいち想像出来ないが、この暑さ以上に暑いというのは絶対に自分では体験したくないとは思った。
十六夜咲夜が〈紅魔館〉にやって来てしばらくたった日の夜、突然にレミリア・スカーレットの寝室に呼ばれた彼女が赴くと、豪華な天蓋付きのベッドに腰掛けた主人は「うふふふふ」と意味ありげな笑いを浮かべていた。
その事を不審に思いながらも、メイドらしい笑顔で「お嬢様、どんな御用でしょうか?」と問う咲夜。
「うふふふふふ、咲夜。 あなたは私のメイドのなった……つまりは私のものになったのよねぇ?」
「……はぁ……はい、その通りですが……?」
「つまりは、あなたの初めても私のものって事よねぇ!」
言葉と同時にレミリアの紅い瞳がカッと見開かれて激しい魔力の奔流が起こる、しまったと咲夜が思ったときには彼女の身体の自由は完全に奪われていた。
「ふふふふふ……」
黒い笑いを浮かべるレミリアの真意に気がついた咲夜は、怯えた表情でおやめ下さいと言おうとしたが声が出ない。
「あはははは。 そんなに怖がらなくてもいいわよ咲夜、ちゃんと優しくしてあげるから」
怯える新人メイドの顔に可笑しそうに笑い、それから安心させようと優しい口調に変えて言いながらベッドから腰を上げてゆっくりと歩み寄るレミリア。 「ひっ……」と小さな悲鳴を洩らしながら必死に後さずろうとする。
レミリアは彼女の頬にそっと手を触れさせてから、その耳元に囁くような声で「……大丈夫よ、すぐに気持ちよくなれるからぁ……」と言う……。
「ならんでいいわぁぁぁああああああああああああああああっっっ!!!!!!」
〈大図書館〉に響いたレミリア・スカーレットの怒声とともにパチュリー・ノーレッジの後頭部にドロップキックが炸裂し彼女のか細い身体を吹き飛ばした。
「……いたたた……いきなり何をするのよレミィ……?」
吹っ飛ばされたパチュリーは蹴られた後頭部をさすりなが起き上がると怨めしそうな顔で親友の吸血鬼を睨んだ、単に読書をしていただけで蹴られるなど理不尽にも程がある。
「何をするのよ……じゃないわっ!! あんたはなんてものを読んでいるのよ!!……つか、いきなりエロ突入かと思わせて実はパチェの読んでいた薄い本でしたオチはやめんかこの書き手ぉぉぉおおおおおおおおおおおおっっっ!!!!!!」
一気に叫び「……ゼェゼェ」と息を切らしたレミリアを見て親友がご立腹な理由を知る、もっとも後半部分は意味不明だったが。 やれやれと頭を掻きながら「……別に私が何を読もうと自由でしょう?」と言う。
薄暗い〈大図書館〉の机の上には今日の夏コミで買ってきた大量の薄い本が山と積まれていて、これからじっくりと鑑賞しようというところだ。 今頃はフランドール・スカーレットも頼まれて購入してきてあげた東方の新作やら同人ゲームを堪能しているだろう。
「……どうりで夕飯にも顔を出さないと思ったらそういう事だったのね……」
それを聞いたレミリアは納得すると同時に相も変らぬ妹のゲームオタぶりに呆れかえった。 それから先程見てきたベッドの中で生ける屍と化した美鈴と小悪魔を思い出し、同じ場所に行って来たはずなのに、どう考えてもあの二人より体力がないはずのこの子は元気よねぇ……とも思う。
「……そういう事だから、優雅な読書の邪魔はしないで頂戴ねレミィ?」
話は終わりとばかりに床に落ちた読みかけの薄い本を拾うと再び椅子に腰掛けるパチュリーに、「……どこが優雅な読書なのよ……この腐女子め……」と毒づくレミリアは、その本の表紙に書かれた”A・Q”というのが、A・Qという意味の稗田阿求が薄い本を書く時に使うペン・ネームだとは想像も出来ないのだった。
夜にもなれば冷たい風が肌に当たるのが心地よいと八雲紫は自宅の縁側で感じる、暑い夏であってもこうして夕方から夜にかけて外に出て涼もうという習慣は、エアコンという文明の利器になれた現代人には廃れつつあるのだろうと思えながら夜空を見上げる。
チリンという風情のある風鈴の音がいっそう涼しげに感じさせ、高度な技術などなかった頃にヒトがいかにして涼しい夏を過ごそうかと工夫していたという事に感心する。 だが、その行き着く果てが機械で無理矢理に空気を冷やし自分達の住まう部屋だけを快適にするというエアコンというマシンなのは残念に思う。
「……まあ、その代償は大きいみたいだけどね」
別にそれだけが原因というわけでもないのだろうが、記録的な猛暑が続いたり局地的な豪雨だったりという異常気象は、人間の文明により自然界とのバランスが崩れた結果であるのは間違いないだろう。
そのせいで〈外界〉は大変な事になっているようだが、〈幻想郷〉に暮らす紫にしてみれば他人事であり、それに彼らの自業自得と言ってしまえばそれまでの事であった。 まあ、それも考えても仕方のない事と頭から追い払った紫は、もうしばらくこの涼しい夜風という自然の恩恵の心地よさに身を委ねていうおうと思うのだった。




