ある日の鈴奈庵の風景編
今回は東方鈴奈庵の主人公の小鈴のごくごく普通な店番風景です。
人里、古めかしい木作りで瓦屋根の家々が立ち並ぶそんな場所が〈幻想郷〉で普通の人々が生活を営む所である、舗装もされていない土の道の上を鉄の車が走る事もなく笑顔で生き生きとした人々が行き来している。
「……今日はお客さんこないなぁ~~」
昼間でも薄暗い店内のカウンターで薄茶の髪を後ろで二つに纏めた少女が退屈そうにぼやく、古ぼけた本がぎっしりと並べられた本棚が所狭しと置かれたこの店の名は〈鈴奈庵〉という貸本屋で少女はこの家の娘で本居小鈴という。
暇であれば店の本を読んでいても別に怒られたりはしないのに小鈴がそれをしないのは、すでにほとんどの書物は読みつくしたからである。
「そろそろ新しい《外来本》でも入ってこないかなぁ……」
《外来本》とは〈幻想郷〉の外、つまりは外界から流れてきた本で読んで字のごとくあるが、やはりと言うべきか時として東方プロジェクトとはまったく無関係の世界からも流れてくるのが幻想曲物語である。
「……お邪魔しますわよ」
その時入り口の暖簾を潜ってお客さんが入って来たので「いらっしゃい」と言いながら小鈴がそちらに視線を向けるとメイド服を纏った銀髪の女性が軽く店内を見回していた、小鈴は初めて会うが人里でこのような格好をしている人物は一人しか思い当たらない。
「……えっと……十六夜咲夜さんですか? 〈紅魔館〉の?」
「ええ、そうですよ」
人里の北の方に位置する湖の畔に建つ真っ赤な洋館である〈紅魔館〉に住む吸血鬼の少女の事は小鈴も知っていた、彼女が”紅霧異変”を起こした時には、霧の濃い日には客足がばったりと途絶えて迷惑したものであった。
そんな事をしでかしたレミリアのメイドがごく普通に人里へ買い物へと来ているというのが〈幻想郷〉であり、東方プロジェクトの世界ゆえであろう。 もっともその霧によって人死にがでるような事もなかったからというのもあるだろうが。
「それでどんな本をお探しなんです?」
だから、小鈴も他のお客さん相手と何ら変わる事もなく用件を伺う。
「外界の料理の本などがあれば貸してもらないかしら?」
カウンターの方へと歩きながら咲夜は言う、そろそろ料理のレパートリーを増やしたいと思いこの〈鈴奈庵〉にそんな本がないかと考え買い物ついでに寄ってみたのだ。 本を扱っているからだろう、窓も閉め切り暗い店内は決して広いわけでもないのに〈紅魔館〉の〈大図書館〉にも負けないくらい広いと錯覚してしまいそうになるのはその本の多さからだろうかと咲夜は思う。
そうであるにも関わらず「……料理関係の《外来本》ですか……そうですねぇ~?」と言いながら迷うことなくある一画を目指して行く小鈴を見て、この子は店にある本のすべてを把握しているという咲夜の予想は大当たりである。
「……え~~と……割と最近の料理関係の本はと…………」
いくつかの本を物色していた小鈴は、やがて数冊の本を抱えてカウンターへと戻ってくる。 いかにも《外来本》であると思わせる写真で作られた表紙の本が料理雑誌という類のものであるのは咲夜も知っていた。
「この辺のなんかどうでしょうか?」
小鈴がカウンターの上に並べた本を「……どれどれ?」と言いながらページを捲って中身を確認していく、ぱっと見はそう目新しいレシピは無さそうだが健康に良さそうな食材を使ったり安く手軽の作れたりといった料理が多く目に付く感じだった。
少し考えて、これらを借りていっていろいろと研究し試してみるのも悪くないと思った咲夜はその事を人懐っこそうな笑顔の小鈴に伝えると「はい、ありがとうございます~」と更に嬉しそうな笑顔で言うのだった。
聖白蓮の〈命蓮寺〉は妖怪も人間も受けいれる事で知られる寺院だ、その本堂の前で二ッ岩マミゾウは他愛のない世間話に興じていた。 マミゾウは〈命蓮寺〉の仏門に入っているわけではないが、とある理由で居候している。
「……はあ、狩猟エイリアンですか……それは妹紅さんもお気の毒でしたね」
紫のグラデーションの入ったロングウェーブの金髪の聖は、狸の妖怪であるマミゾウから少し前に起こった騒動の話を聞いて驚きの表情を浮かべた、死なないとはいっても死に到る程のダメージの苦痛はしっかりと感じるのであり、その事を思うと彼女がとても気の毒に思えてならない聖は、しかしならば死んで楽になっていれば良かったとも思わない。
「まあ、下手したら生皮はがされた挙句に逆さづりとかされてたかもしれないし、槍で一突きだけならまだマシな方じゃろうて」
「……な、何なんですかそれ……?」
テレビの洋画劇場で見たその狩猟エイリアンを思い出してマミゾウが言うと聖の顔が多少引きつるのは、その光景を想像してしまったからである。 人間ではなく牛などの家畜ならば精肉工場などへ行けば普通にある光景であっても、自分に近しい存在であればそれが酷く凄惨な光景に映ってしまうのは生の感情を持っていればいた仕方のない事であると言えよう。
彼女の表情からそんな感情を見てとったマミゾウは、何なら聖もその映画を見てみるかと薦めるのをやめて話を切り上げて、これからまた〈鈴奈庵〉にでも顔を出してみようかなと考えた。
借りた料理雑誌を風呂敷で包み持ち帰ろうとした咲夜はそこで意外な人物……と言うか、妖怪と出くわした。 桃色の和服に身を包み変装をしてはいるが咲夜が見間違えるはずはない、パチュリー・ノーレッジであった。
「……あら? あなたも来てたのね咲夜」
一方のパチュリーも〈鈴奈庵〉に咲夜がいたのに驚いた様だったが特に気にするという風でもなかった、その彼女が変装をしてまで人里の貸本屋に来る理由というのを薄い本がらみであろうと咲夜が思いつくのにそう時間はいらなかった。
その想像通りに小鈴に向かって「……例の本は届いてる?」と尋ねている、基本的には貸本屋である〈鈴奈庵〉だが販売や製本なども請け負っていて、稗田阿求の《幻想郷縁起》や夏と冬のイベントに出展する薄い本の製本もこの店でされている。
「はい、全部は無理でしたけど……」
「……かなり前の本だからそれは仕方ないわね」
少し申し訳無さそうに言いながらカウンターの下に置いてあったダンボールを取り出す小鈴だが、パチュリーもそれは承知で彼女に取り寄せを依頼したのであり蓋を開いた小包程度の大きさのダンボールから覗く薄い本の数を見れば上出来と言っても良かった。
それに別に薄い本だけが目的のすべてではない、この店には《妖魔本》と呼ばれる種類の本も置かれていてそれらから掘り出し物がないかと探すのも引き篭もりの彼女が自ら
人里まで来る理由だ。
様々な目的で妖怪が書き記した物であるそれらは妖怪の間でさえ希少な品で、ましてや人里になど普通に考えればあるような物ではないのだが、この小鈴という少女は自分の好奇心からそれらの本を収集しているのであるが、その事を知るのは〈鈴奈庵〉の常連客でもほんの一部で彼女の両親でさえも知らないのである。
ちなみにどちらの目的も小悪魔に容易に任せられる事ではないのは別に彼女を無能と思っているからではない、どちらの本も素人に容易に価値の分かるような代物ではないからだ。
「……それにしても妖怪の方もこういう本を読むのって意外ですよ」
「……そうかしらね? あなたは薄い本は読まないのかしら?」
「はあ……私はこういうのはちょっと……」
他愛のない会話と聞き流しそうになった咲夜だったが、パチュリーが妖怪だと小鈴が気がついているという事実にぎょっとなった。 確かに〈魔法の森〉のアリス・マーガトロイドや〈命蓮寺〉の寅丸星と言った人間に友好的な妖怪もいるので妖怪だからと一方的に忌み嫌われるものではないが、それでも簡単に気を許せる相手ではない。
だからこそパチュリーも不用意に人間を刺激して騒ぎを起こさぬように人間に見えるよう変装してきているのである。 だが、小鈴の態度は妖怪と分かっていてなお人間の常連客にでも話してるかの様な気軽さなのだ。
「……どういう事なんでしょう……?」
だから、咲夜は無意識にそんな事を呟いていた。
パチュリーに会いに〈紅魔館〉の地下にある〈大図書館〉にやって来たレミリアが小悪魔からその親友の不在を聞かされた時には少し驚いたものだ、多少ベクトルは違えど妹のフランドール・スカーレットに負けず劣らずの引き篭もりが自分の足で人里へ出向くのだから。
フランドールもそうだが、どんな引き篭もりも趣味の事となればアクティブになるという事なのだろうかと、そんな風に思う〈紅魔館〉の主だった。
本居小鈴とて人間にとって妖怪が危険な存在だとは理解している、だからと言ってあまり彼らを恐れていては《妖魔本》収集などやってはいられない、《妖魔本》の中には危険な妖怪が封印されている物もあるのだ。
そういう怖いもの知らずな小鈴だから、妖怪のパチュリー相手に臆することなく商売が出来るのであろう。
「……ふぅ~、別に人の趣味をどうこうは言いませんが……」
咲夜とパチュリーが帰って行った後でそんな事を言いながら母親の淹れてくれた緑茶を飲み干す、あの紫の魔法使いに依頼された本は当然、小鈴もチェックはしていて、その中にはどう考えても子供が見てはいけないシーンが満載だったのである。
そんなものを子供に取り寄せさせるのはパチュリーの感覚がズレているのか、あるいは長い時間を生きる妖怪には年齢という概念が薄いのかは、〈鈴奈庵〉にあるすべての本を調べても答えは載ってはいないだろう、〈幻想郷〉という人間と妖怪の距離が比較的近い場所であっても互いを理解し合えているという間柄ではない。
「……さてっと……」
空になった湯飲みをカウンターの上に置くと椅子に腰掛ける、次のお客さんが来るまでは少々退屈な時間を過ごさなければならないだろうが、こうして本に囲まれて店番をしている時間は嫌いではない。 これが例えば食べ物であったならさぞ地獄だっただろう、大好きな食べ物に囲まれていても決して手を付ける事は出来ないのだから。
しかし、本はいくら手を付けても無くなる事はなく自由に読んで過ごせるのだから読書家の小鈴にとっては最高の環境なのだ。
「……あ、そういえば明日はどんな本を読んであげようかな?」
入り口の暖簾の隙間から漏れる光が朱に染まっていくのを見ていた小鈴は明日は人里の子供達のほんの読み聞かせをする日なのを思い出して、どの本にしようかと考えを巡らせ始めたのだった。
人里にある小さな貸本屋〈鈴奈庵〉の一人娘である本居小鈴……東方鈴奈庵とはやはりどこか違うかも知れない読書好きの少女は、明日も明後日も本に囲まれて店番をしながら時にはちょっとした騒動をお越し博麗霊夢や霧雨魔理沙を巻き込んだりもするのだが、それは〈幻想郷〉にとっては些細な日常の一コマなのかも知れない。




