お嬢様。それは悪手でございます。
アンナの目の前で羽毛が激しく舞う。
広い部屋の中では、拙い風魔法が荒れ狂っていた。
ちかちかとシャンデリアの電球が点滅している。
姿勢正しく立っているアンナは、「またか」とため息をついた。
「お嬢様。ご自分の部屋がとんでもないことになっていますよ」
木製の天蓋付きベッドのレースカーテンと羽毛布団がびりびりに破れ、最高級の寝心地とうたわれている枕が原型をとどめていない。
豪奢な調度品同士が暴風でぶつかり合い、この世のものではない音を奏でている。
「うるさい!」
(泣きながら怒っている)
甲高い声で叫んだロジェルの顔は、涙と鼻水でとんでもないことになっていた。
絹のような長い髪は彼女の心情を表すかのように、激しくなびいている。
そんなロジェルはアンナを睨みつけていた。
「私の専属メイドなら、察しなさい!……ていうか、何があったか聞きなさいよ!」
ロジェルの言う通り、アンナはロジェルの専属メイドである。
しかしアンナを雇っているのは彼女の両親だ。
アンナの給金をロジェルが払っているわけではない。
ロジェルの話に付き合うのが仕事かと言えば、首を傾げてしまう。
「話を聞くというのは、お嬢様の身の回りの世話の範囲になりますか?」
「当たり前じゃない!」
アンナの疑問は火に油を注いでしまったようだ。
ただでさえ荒れ狂っている風魔法が、ハリケーンレベルの風が吹き荒れた。
家具や調度品がアンナを襲うが、アンナはひょいっと器用に避ける。
「ではお話を聞きましょう。……ですがその前に」
アンナは細く長い人差し指を振る。
荒れ狂っていた風はおさまり、壊れた調度品が修復され、元の配置に戻った。
ロジェルの自室は、お嬢様の部屋らしく上品な状態になった。
「これでよし」
「いつ見ても凄いわね。アンナはメイドじゃなく、王専属の魔法使いになればよかったのに」
元に戻った部屋を感心するように見回すと、ロジェルは感嘆の声をだし、涙も引っ込んだ。
「恐縮です。ですが、私は国王軍に所属できるほどの身分ではありません」
「そうなの? 顔は地味だけど、所作も貴族に劣らないと思うんだけどな」
アンナはどこにでもいるような人間だ。自分でも思っているが特徴がない。
ロジェルのような美しいエメラルドグリーンの瞳や、お人形のような顔つき、白い肌がはえる艶やかな黒い髪も持っていない。
ダークグレーの髪をお団子に漆黒の瞳に平凡な顔つき、白い肌を持っていても、日々の仕事で荒れた手である。
アンナは娼婦の子だ。そんな人間が貴族で構成されている国王軍に入れるわけがない。
「私のことはいいので、お嬢様の身なりを整えましょう。その姿で寝てしまうと、明日が大変なことになります」
繊細で美しい彫刻が施されたドレッサーに、ロジェルを促し、彼女の髪を整える。
絡まった髪をコームですいていく。傷んでいない柔らかな髪はするすると解けてゆく。
「では就寝の準備をしながら、お話を聞きましょう」
アンナの言葉に、頷いたロジェルは語り始めた。
なぜ風魔法が暴走したのかを。
※※※※
今朝の出来事である。
ロジェルにとっては転校初日であった。
転校先の女学園は中流階級の貴族の子がほとんどであるが、平民の子も共に学ぶ。
上流階級のロジェルにとっては新鮮で物珍しかった。
首都に住んでいたロジェルと両親は、諸事情で領地の1つである、このど田舎に移って来た。
流行の話が飛び交い、豪華な社交界の煌びやかな世界から、自然を愛し、貴族も平民も関係なく過ごす素朴な世界。
その素朴な世界では見下しも、足を引っ張りあいもない。
駆け引きのない純粋で綺麗な友情、流行を追わなければならないことも、マウントもない会話。
和気あいあいとした教室の雰囲気。
気疲れしない空気にロジェルは感動し、胸が震えた。
さっそくロジェルは首都ではできなかった友を作ろうと張り切った。
しかしそれは——失敗する。
「私と友達になれることは光栄なのですよ」
転校初日に行う自己紹介。その最後で傲慢が炸裂した。
ロジェル自身はそんなことを言おうと思っていなかった。だが、口から出た言葉は最低だった。
十六歳という、思春期まっただなかの女子の集まりでは悪手である。
ロジェルの傲慢ともとれる態度は、立場関係なく遠巻きにされる結果となった。
※※※※
呆れた。本当に呆れるできごとである。
アンナは天井に向けて、遠い目をした。
「お嬢様。それは悪手でございます」
「私もそんな言葉がでると思わなかったわよ。仲良くしてくれると、嬉しいと言いたかったの」
鏡の中のロジェルはまた泣きそうになっている。
傲慢な言葉とは反対に、気落ちした彼女は繊細な性格だとアンナは思った。
アンナはこのど田舎の領地へ移る際に、雇われたメイドである。
だからロジェルが移住した事情は知っていても、性格は熟知していない。
「そう思っていても、見ず知らずの人間にそんなことを言われたら、誰だって関わりたくないですよ」
「わかってる。アンナって雇い主に向かって、ざっくりと言うわね」
鏡越しにじとっと見てくるロジェルに、アンナは事実を突きつけた。
「私を雇っているのは、お嬢様のご両親でございます。雇い主はお嬢様ではありません」
「確かにそうだわ」
上流階級のお嬢様の典型的な考え方だ。金の出どころを知らず、自分が雇っていると思っている。
ただアンナの言葉にロジェルは納得している。素直な性格なのだろう。
「そんな傲慢な態度であっては、領民の反感を買ってしまいます。 その反感はロジェルの両親に向かうのですよ」
未成年の行いの責任は、親が取らなければならない。
この先、ど田舎の領地で過ごすロジェルが気をつけなければならないことだ。
「それでね。続きなんだけど……」
アンナの話を聞いていないのか、ロジェルは語り始めた。
※※※※
昼食のときである。
まだ校内をよく知らないロジェルの為に、3人の女生徒がロジェルの世話を任された。
ロジェルはなんとも気まずかった。
自己紹介の失態から立ち直ろうと落ちこむ気持ちを入れ替え、親しみやすい態度を心がけた。
だが、女生徒たちは印象の悪いロジェルに、どう対応したらいいか探るのような態度であった。
そのため会話もなく、ロジェルはせめて気持ちだけでも折れないよう顔を上げ、彼女たちの後ろを歩くことしかできなかった。
案内された食堂では、豪華な昼食が準備されていた。
領民が育てた食材をふんだんに使い、領主の娘であるロジェルの為だけに作られた料理。
鳥の丸焼きにサンドイッチ、とれたての新鮮な野菜のサラダ、揚げたポテトなどが、テーブルに所狭しと並べられていた。
「こんな豪華な食事を1人で味わうのはもったいないわ。ご一緒していただけませんか?」
と、ロジェルは女生徒たちを誘い、食事を始めた。
ロジェルの丁寧な誘いと儚い表情に負け、彼女たちはおずおずと椅子に座った。
気まずい雰囲気は食事を始めた最初だけだった。
ロジェルは傲慢でなく、親しみやすい人物であった。
じっくりと相手の話を聞き、共感し、知らないことは迷わず質問し、学ぼうとする。
所作もさすがは上流階級だと尊敬され、自己紹介の傲慢な態度が嘘であったような姿だった。
女生徒たちも今までの態度を謝罪し、おだやかな昼食が進んだ。
だが、それもつかの間だった。
今度はロジェルのおせっかいが炸裂する。
中流貴族の娘に対し、マナーがなってないと指摘してしまったのだ。
学園のほとんどが食事をとる場での指摘。
多くの目がある場で、中流階級の貴族である娘は恥をかくこととなった。
時と場所を選ばないロジェルの態度に、共に食事をしていた生徒たちは怒り、席をたった。
残されたロジェルは唖然としてしまい、弁解もできず、その場から動けなかった。
そして周りの生徒から相手の気持ちがわからない人と、レッテルを張られてしまったのだ。
※※※※
「午後の授業はしんどかったわ。よく耐えられたと自分を褒めたい」
はぁーっと息を吐いたロジェルは疲れたと言いたいようだ。
ロジェルが起こした小さな騒動は噂となり、尾ひれがついて学園中に広まり、肩身の狭い思いをしたそうだ。
年頃の少女の集まりでは、良くあることだとアンナは思う。
そんな噂は違う噂で消えることもあるが、年頃のロジェルにはつらいことであっただろう。
これが風魔法を暴走させた原因であったのだろうか。
溜まりに溜まった精神の疲れが、感情を揺さぶった。
ロジェルのすべてを壊したいという感情に魔力が呼応したのだろう。
アンナは寝間着を渡しながら言った。
「お嬢様。それは悪手でございます」
「わかっているわよ! わかってる」
渡した寝間着を床に叩きつけ、ロジェルは叫んだ。
「お嬢様、落ち着いてください。また魔法が暴走します」
「落ち着いていられないわよ。忌々しい呪いのせいで……こんなことに」
そう、ロジェルは呪われているのだ。
雇い主である領主、ロジェルの父の話では、首都にいた頃の彼女は失礼な性格ではなかった。
権力争いに夢中な貴族では珍しいほど、お人好しで純粋であったようだ。
ロジェルの両親もそうだ。誠実であり、領民のことをよく理解しており、貴族としては珍しく好感を得ている。
穏やかで人を疑わない領主は、領民と王からの信頼も厚く、頼りにされていたようだ。
結果、嫉妬と失脚を狙った貴族から禁忌の魔法である呪いを娘が受けてしまったのだ。
そして対処もせず、呪いをかけた人物を野放しにし、首都から遠く離れた領地に逃げるだけ。
貴族の闇を覗いたことがあるアンナからしたら、お人好し過ぎると思ってしまう。
禁忌の魔法とされているのだから、呪いをかけるのは重罪である。
(とっと犯人を探し出し、捕まえればよいものを)
そう思いながら、アンナは意識を切り替える。
ロジェルを落ち着かせないと、また部屋が破壊されそうなのだ。
泣き始めたアンナの周りに渦を巻いたそよ風が巻き起こり、レースのスカートを軽やかに浮かせている。
「そのうち犯人もわかりますよ。そうしたら、学園でも過ごしやすくなります」
「それないつなの? こんなつらいことがいつまで続けばいいの?」
「それは……」
アンナはしまったと思った。
人より共感力が低いアンナは、慰め方が良くわからない。
それに他人に深く踏み込まないことを徹底している。
他人の感情に振り回されるなと、養父に教わったのだ。
「それにね……」
まだ何かあったのかと呆れながら、アンナはロジェルの話を聞くことにした。
※※※※
学園からの帰り道のことである。
学園から自宅まで距離がある者以外は、送り迎えを禁止されいる。
自宅が近いロジェルは徒歩で通学しなければならなかった。
学園の生徒たちから遠巻きにされたアンナは、とぼとぼと歩いて1人で帰宅していた。
前を歩くのは楽しそうに話す女生徒が2人。
仲睦まじい姿は、ロジェルが憧れている親友というもののように見えた。
(羨ましい……)
はぁぁと重いため息を吐いてしまった。
(呪いさえなければ……私も)
ああやって友ができただろうにと思ってしまう。
しかし、起こしてしまったできごとを消すことはできない。
(これからどうすればいいのか)
足を止め、ロジェルは周りを見ると綺麗な夕焼けが見えた。
夕日に照らされ輝く小麦の穂が、風に揺れている。
絵画のような田園は美しかった。
首都のように機械や冷たい石に囲まれ、空気は澱んでいない。
暖かな風がロジェルを慰めているようで、この風景が好きになった。
じっとその風景を見つめていると、声をかけられた。
声からして男だ。
「綺麗だろ」
隣に男子生徒が立っていた。端整な顔立ちに、短い金の髪が夕日に淡く染まっている。
ロジェルが通う学園は男子も通っている。学園の敷地内では男女で校舎がわかれていた。
男子に良い印象がないロジェルは、教室の窓から遠巻きに見ているだけだった。
「えっ……ええ」
「僕はこの風景が好きなんだ。たまに絵も描いている。首都から来たあなたには、つまらないかもしれないけど」
にっこりと微笑んだ彼に、ロジェルの心臓は跳ねた。
首都で通っていた学園でも男子はいたが、乱暴で高圧的だった。
こんな穏やかな話し方をされたのは、初めてかもしれない。
「そんなことは……私も好きです。自然を感じられて、息苦しくないこの場所は……私にとって貴重です」
呪いに悩まされ、外に出るのも億劫だった。
しかし、自然と風はそんなロジェルを慰めるように寄り添ってくれる。
都会の冷たい風ではないものに、どれだけ心を癒されたか。
ロジェルは田園を見つめる。
「あなたの話は男子の校舎にも回ってきたよ。とんでもない転校生が来たってね。でもそんな感じもしないし。所詮、噂は噂だな」
男子生徒は穏やかな笑みでこちらを見ている。
ロジェルは顔が真っ赤に染まってないか気になってしまう。
(これが一目ぼれというものなんでしょうか?)
ロジェルの心臓がバクバクとして、体が熱い。
「今度、僕の家でパーティーをするんだけど、あなたも来てくれないか。噂は噂でしかなかったと、みんなも気づいてくれると思うんだ」
「ぜっ……ぜひ——」
ロジェルの言葉が途切れた。
行きたいという言葉が出てこず、変わりにでてきた言葉に呪いの恐ろしさを再確認してしまった。
今度は素直になれないである。
「絶対に行きません。中流階級のパーティーなど地味で楽しくありませんわ」
ロジェルは絶望した。
せっかく親切に誘ってくれた彼に酷いことを言ってしまった。
顔を青くしたロジェルは謝ることもせず、彼の前から走り去ってしまった。
※※※※
その話を聞いたアンナは、開いた口がふさがらない。
呪いでロジェルの恋が砕けちったのだ。
地味だが恐ろしい呪いに、アンナは身震いした。
他人に深く踏み込まないよう気を付けているアンナですら同情してしまう。
「お嬢様。ひとつ提案が」
「なに?」
「一時的に呪いを押さえる方法が1つあります」
「ほんとに? 教えて!」
「ですが。それはお嬢様にとって難しいことかもしれません」
アンナの真剣な表情に、ロジェルの喉がなる。
ロジェルは口を開けては、閉じるを何回かした。
呪いに勝てるのならと、意を決したように深く頷いた。
「アンナ、教えて」
「呪いといわれてますが、所詮は魔法です。魔法の発動に必要なのは感情です。風魔法を扱うお嬢様ならおわかりですね」
「えぇ。感情のコントロールが重要と教わったわ」
「呪いが発動するタイミングはおわかりで?」
「えぇ。なんとなくだけど」
「それでは発動するとわかったら、感情を押さえてください。動揺せず、深呼吸をするのです」
アンナの言葉に、ロジェルは目をぱちくりさせた。
「そんなことでいいの?」
「そんなことって……感情のコントロールはそんな簡単なことではありません。お嬢様、よく聞いてください。お嬢様!」
ロジェルは聞いてない。ロジェルは解決方法が見つかったと小躍りしている。
「これで友ができる。新たな恋もできるのね」
「お嬢様。お願いですから、聞いてください」
舞い上がったロジェルは、必死なアンナなど見えていないようだ。
「お詫びに学園の生徒たちには宝石でもばら撒けばいいのかしら」
笑顔を輝かせながら、呪いが発動したロジェルははっとした。
成金のばら撒きである。
「だから難しいと申しましたのに」
表情が滅多に動かないアンナでも、残念な表情をした。
これからが不安になってくると頭を抱える。
そしてアンナは一言。
「お嬢様、それは悪手でございます」




