翠ヶ丘の残り香、あるいは名門校の誇りと今の私
「……私、中学は県立翠ヶ丘中等学校だったの」
放課後の教室、西日に照らされた凛が、ポツリと独白を始めた。
翠ヶ丘。そこは県内でも屈指の名門校で、文武両道を地で行くエリートたちが集まる、活気にあふれたにぎやかな学び舎だ。
「あそこはね、毎日が文化祭みたいに騒がしくて、みんなが何かの主役になろうと競い合っているような場所だった。……当時の私は、今とは正反対。誰よりもにぎやかな輪の中心にいて、ポニーテールを振り回しながら、お菓子とゲームの話をして笑っていたわ」
今の冷徹な彼女からは想像もつかない姿だ。でも、その瞳には名門校の生徒だった頃の誇りと、それ以上に深い「影」が落ちていた。
「にぎやかであればあるほど、期待は膨らんでいくの。三宅さんは明るくて、成績も良くて、完璧。……でも、ある日気づいたわ。みんなが見ているのは『私』じゃなくて、翠ヶ丘という名門の看板を背負った『完璧な記号』なんだって」
一度でも弱音を吐けば、「期待外れ」という視線が突き刺さる。
一度でも輪から外れれば、「三宅さんは悩みなんてないでしょ」という無邪気な悪意に晒される。
にぎやかな歓声が、いつの間にか彼女を縛り付ける呪文に変わっていった。
「だから、高校に入るときに決めたの。もう、あんな風に笑って誰かを期待させるのはやめようって。……誰にも心を開かず、完璧に冷たい『三宅さん』を演じていれば、もう誰も私の内側に土足で踏み込んでこない。そう思っていたのに」
凛は、机の上に置いていたコンビニのグミの袋を、少しだけ強く握った。
「あなたは、私のその分厚い壁を、なんの遠慮もなく壊したわね。……私が翠ヶ丘で捨ててきたはずの『お菓子好きでゲーム好きな、ただの私』を、平気な顔で見つけ出した」
凛の視線が、僕を真っ直ぐに射抜く。
「三宅さん。……いや、凛」
僕は、彼女が名門校時代に置いてきたその名前を、初めて正面から呼んだ。
「翠ヶ丘での君がどんなに眩しくても、今の、僕の前でだけ不器用に笑う君の方が、僕は……ずっと素敵だと思うよ。完璧じゃなくていい。名門の看板なんてなくても、君は君だ」
凛の頬が、夕焼けよりも赤く染まった。
神様の奇跡も、運命の書き換えもここにはない。
ただ、名門校の亡霊から解き放たれようとしている一人の少女の、震えるような呼吸があるだけだった。
「……本当に、計算が狂うわ。……でも、少しだけ、楽になった気がする」
彼女はそう言って、袋からグミを一粒取り出すと、僕の口に無理やり押し込んできた。
それは、名門校の気高さなんて微塵もない、ひどく甘くて、どこか懐かしい味がした。
名門」で「にぎやか」な翠ヶ丘中等学校。
「名門・翠ヶ丘」という輝かしい過去が、逆に凛さんを追い詰めていた。
にぎやかな場所で孤独を感じていた彼女にとって、主人公の「完璧じゃなくていい」という言葉は、どんな賞賛よりも欲しかった救いだったはずです。
神様がいなくなったからこそ、彼女の過去の重みと、それを分かち合った二人の絆がより鮮明になりましたね。




