完璧主義者の報酬、あるいは砂糖抜きのレモンティー
宅さんの絆創膏に気づいたあの日から、教室の空気は少しだけ変わりました。
彼女を「機械」と呼ぶ声は消え、代わりに「近寄りがたいけれど、実はすごい人」という、敬意の混じった距離感が生まれました。
でも、僕と彼女の関係だけは、相変わらず平行線のまま。
……だと思っていたんです。
神様は言いました。
「そんな地味なやり取りに何時間かけるつもりだい? 僕なら一秒で彼女を君の虜にできるのに」
僕は答えました。
「その一秒のために、彼女が積み上げてきた時間を奪う権利は誰にもないんだ」
そんな強がりを言った僕に、三宅さんが用意した「お礼」は、彼女らしくて、そして最高に「難解」なものでした。
事件から数日後の放課後。
僕が一人で図書室の片付けをしていると、背後に気配を感じた。振り返ると、そこには三宅さんが立っていた。相変わらずの無表情。でも、その手には小さな紙袋が握られている。
「……これ」
差し出されたのは、手作りのレモンティーだった。ボトルには、彼女らしい几帳面な字で『疲労回復に効果のある成分配合』と書かれた付箋が貼ってある。
「あの日、あなたが余計なことを言ったせいで、練習が再開できてしまったから。……その、お礼」
「余計なこと」と言いながらも、彼女の視線は泳いでいる。僕はそれを受け取り、一口飲んだ。
——酸っぱい。
驚くほど砂糖っ気がなくて、目が覚めるような酸味だ。
「……三宅さん、これ、めちゃくちゃ酸っぱいね」
「完璧に計算したわ。今のあなたの集中力低下には、これくらいのクエン酸が必要よ」
彼女はそっぽを向いたが、耳の先がほんのり赤い。神様なら、このレモンティーを「世界で一番甘い飲み物」に変えてくれただろう。でも、この突き刺さるような酸っぱさこそが、三宅さんが僕のために「計算」してくれた時間そのものだ。
その時、窓の外の街灯の上に、あの少年——神様が現れた。
「やれやれ、そんな酸っぱい飲み物で喜ぶなんて、君も相当な変わり者だね。ねえ、三宅さん。君も本当は、もっと素直に甘いお菓子でも渡したかったんじゃないかな?」
神様が指を鳴らそうとした。世界を書き換え、彼女を「理想のヒロイン」に変えようとする傲慢な指先。
「やめろ」
僕は神様を睨みつけた。
「三宅さんは、三宅さんのままでいいんだ。この酸っぱさが、今の僕たちには『正解』なんだよ」
神様はつまらなそうに肩をすくめ、姿を消した。
三宅さんは不思議そうに僕を見ている。神様の声は、彼女には聞こえていない。
「……何? 急に怒ったりして」
「いや、なんでもない。……三宅さん、このレモンティー、今まで飲んだ中で一番効きそうだよ」
三宅さんは、ほんの一瞬だけ、本当に一瞬だけ、氷が溶けるような微笑を浮かべた。
「……そう。なら、明日も作ってあげなくもないわ」
明日も。
その言葉は、どんな魔法の呪文よりも、僕の未来を明るく照らした。
三宅さんのお礼は、甘いお菓子ではなく「酸っぱいレモンティー」でした。
彼女の完璧主義が、不器用な形となって現れた結果です。
効率を求めるなら、市販の甘いジュースを買えば済む話です。でも、相手のことを考えて、あえて「計算」して作ったものには、数値化できない価値があります。
あなたは、誰かのために「効率の悪いこと」をしたことがありますか?
それが、自分だけの物語を作る第一歩かもしれません。




