第十九章:並べられた靴、あるいは逃げ場のない境界線
その日の夜、リビングのドアを開けた瞬間、僕は自分の心臓が凍りつく音を聞いた。
「律、おかえり。紹介したい人がいるんだ」
父さんが照れくさそうに隣を指差す。そこには、上品なスーツに身を包んだ見知らぬ女性と……。
そして、その隣で、幽霊でも見たかのように青ざめている三宅凛がいた。
「……え」
「……如月、くん?」
凛の声は、震えていた。
学校での「鉄面の美女」の面影なんてどこにもない。ただの、混乱した一人の少女の顔。
「実はな、父さん。この三宅さんと、真剣にお付き合いしてるんだ。近いうちに、籍を入れようと思ってる」
父さんの言葉が、爆弾のように静かなリビングに落ちる。
再婚。
それは本来、喜ばしいはずのニュースだ。片親同士、支え合えるパートナーが見つかったことは、息子として祝うべきこと。
けれど、僕たちにとっては、これ以上ない絶望の宣告だった。
もし二人が結婚すれば、僕と凛は「家族」になる。
同じ家に住み、同じ名字を名乗り、兄と妹として生きなければならない。
それはつまり、僕が「自分の力で実らせたい」と願った初恋が、法的に、道徳的に、永遠に**「禁じられたもの」**に変わることを意味していた。
凛の細い肩が、目に見えて震えている。
彼女の瞳が、助けを求めるように僕を見た。
昼間、図書室で「酸っぱい」と言ってラムネを分け合った、あの小さな聖域。
それさえも、この「家庭」という巨大な現実の中に、無慈悲に飲み込まれていく。
「……よろしくね、律くん。凛も、あなたのことは学校でよく知ってるって言ってたわよ」
凛の母親が、優しく微笑む。
その笑顔が、今の僕にはどんな刃よりも鋭く胸に刺さった。
「……あ、ああ。……よろしく、三宅さん」
僕は、絞り出すような声でそれだけ言った。
隣で凛が、自分のスカートの裾を、ちぎれんばかりに握りしめているのが分かった。
絶望のどん底に、「再婚」という逃げ場のない現実が降ってきました。
凛さんにとっては、ようやく見つけた「特別」が「家族」という形に上書きされてしまう恐怖。
律にとっては、神様の誘惑を断ってまで守りたかった「恋」が、一番残酷な形で足止めを食らった瞬間です。
一つ屋根の下で暮らすことになれば、名前を呼ぶことさえ、今までとは違う意味を持ってしまいます。




