第十八章:朝の葬列、あるいは絶望という名の約束
朝。教室の空気は、昨日よりもさらに重く、冷たく澱んでいた。
僕は自分の席に座り、カバンの中にある「約束」に触れる。
凛が昨日、「検討してあげる」と言ったのは、彼女なりの精一杯の虚勢だったのかもしれない。あるいは、自分をこれ以上壊さないための、最後の防衛本線だったのか。
ガラッ、と教室のドアが開く。
入ってきた凛の姿に、僕は息を呑んだ。
彼女は、笑っていなかった。
昨日よりも、さらに完璧。昨日よりも、さらに冷徹。
歩く姿は、まるで自らの葬列を率いる女王のようで、クラスメイトたちはその気圧されるような「絶望の美しさ」に、声をかけることさえ忘れている。
彼女は僕の席の横を通り過ぎる時、一瞬だけ視線を落とした。
そこには、かつての「お菓子仲間」としての光など、一欠片も残っていない。
(……ああ。そうだ。そんなに簡単に、壁は溶けないんだ)
僕は、カバンから小さな袋を取り出した。
中に入っているのは、何の変哲もない、どこにでも売っている安価な**「ラムネ」**だ。
名門・翠ヶ丘の生徒なら、見向きもしないような駄菓子。
けれど、昨日の「絶望」を共有した僕たちにとっては、これくらい「価値のないもの」の方が、今は相応しい気がした。
休み時間。僕は彼女の机の端に、そのラムネを一つだけ置いた。
凛は参考書から目を離さず、けれどその細い指先が、ラムネの粒をなぞる。
「……何のつもり、如月くん」
「絶望の味を変えるには、糖分が足りないと思って」
「……バカね。……こんな一粒で、何が変わるっていうのよ」
彼女はそう言いながら、誰にも見えないような素早さで、ラムネを口に放り込んだ。
一瞬、彼女の眉間に皺が寄る。
そして。
ごくん、と飲み込んだ瞬間。
彼女の目から、一筋の涙が机の上に落ちた。
「……酸っぱい。……酸っぱすぎて、死にそう」
「それはラムネのせいじゃない。……君が、一人で耐えすぎてるせいだ」
教室の喧騒の中、僕たちだけが、その「絶望の味」を共有していた。
神様が用意した幸福な脚本を捨てて、僕たちが手に入れたのは、この苦しくて酸っぱい、本当の人生だった。
凛さんの「絶望」を、ラムネの酸っぱさで表現しました。
完璧を演じ続ける絶望。
誰にも本音を言えない絶望。
それを律は、言葉ではなく「一番安いお菓子」で分かち合おうとしました。
「酸っぱい」と言って泣いた凛さんは、ようやく「完璧な人形」から「泣ける人間」に戻れたのかもしれません。




