第十六章:名前のない温度、あるいは溶けかかった氷菓子
放課後の図書室。
そこは、数日前まで僕たちの「聖域」だった場所だ。
凛は、いつもの窓際の席に座っていた。
僕が近づいても、彼女は顔を上げない。ページをめくる指先は冷たく、周囲には「話しかけるな」という鋭い拒絶のオーラが漂っている。
僕は何も言わず、彼女の正面に座った。
彼女がビクッと肩を震わせる。けれど、僕は話しかけない。ただカバンから、少しだけ形が崩れたコンビニの限定アイスを取り出した。
それは、彼女が以前「翠ヶ丘の近くには売ってなかった」と、少しだけ悔しそうに話していた新作のアイスだった。
コトッ、と。
机の上に、アイスを置く。
「……何のつもり?」
凛が、掠れた声で言った。視線は教科書に落ちたまま、けれどその瞳は、確実にアイスのパッケージを捉えている。
「計算ミスだ。……溶ける前に食べないと、もっと計算が狂うぞ」
「……バカ。……そういうこと聞いてるんじゃないわよ」
凛がようやく顔を上げた。その瞳は少し赤く、完璧な「鉄面の美女」の仮面は、もうボロボロに剥がれ落ちていた。
「……どうして、追いかけてこなかったの」
彼女の問いは、刃のようだった。
「追いかけて、無理やり『大丈夫だ』なんて言われたら……私はきっと、あなたのことも嫌いになってた。……あなたの前でだけは、惨めな三宅凛になりたくなかったんだ」
「……」
「でも。……追いかけてこないのも、それはそれで……腹が立ったわよ。私、あそこでずっと、待ってたんだから」
凛は、乱暴にアイスの袋を破った。
一口、口に運ぶ。冷たさに眉をひそめながら、彼女は小さく「……甘い」と呟いた。
「如月くん」
「……何?」
「……ううん。……やっぱり、まだダメ。……もう一回、ちゃんと呼び直せるようになるまで、待ってなさいよ」
彼女はアイスで冷えた頬を隠すように、そっぽを向いた。
氷の壁はまだそこにある。けれど、その厚さは、昨日よりもずっと薄くなっていた。
「どちらにしろ」という言葉の裏にある、二人の「譲れないプライド」がぶつかり合ったシーンになりました。
律の「追いかけない」という判断は、凛にとって「寂しさ」と「救い」の両方だったようです。
名門校出身の彼女にとって、最も守りたいのは「自分の尊厳」。
それを律が守り抜いたからこそ、彼女は再びアイスを口にすることができました。




