図書室の闖入者、あるいは白瀬乃愛という不確定要素
「――あ、如月先輩。またこんなところで油売ってる」
静まり返った放課後の図書室。僕と凛が、昨日呼び合った名前の余韻に浸りながら、こっそりグミを分け合っていたその時だった。
図書委員の後輩、白瀬 乃愛が、ふわふわとした足取りで僕たちのテーブルに割り込んできた。
「……白瀬さん。今は図書委員の仕事中じゃないのか?」
「もう終わりましたよー。それより先輩、そちらの三宅先輩と何してたんですか? なんだか、すっごく……『入っちゃいけない空気』が出てましたけど」
乃愛は屈託のない笑みを浮かべながら、僕と凛の間にストンと腰を下ろした。
凛がビクッと肩を震わせ、隠していたグミの袋を慌てて鞄に押し込む。いつもの「氷の完璧主義者」の仮面を被ろうとするが、乃愛のあまりの距離の近さに、計算が追いついていないようだった。
「……別に、何でもないわ。ただの、事務的な会話よ」
「えー、事務的な会話でそんなに顔赤くします? 三宅先輩、噂通りお綺麗ですけど、意外と隙だらけなんですね。あ、如月先輩、この前の本、すっごく面白かったです! また『律先輩』のオススメ、教えてくださいね」
乃愛が僕の腕に軽く触れながら、親しげに笑いかける。
「律先輩」という呼び声が、図書室の静寂に響いた。
隣で、凛の呼吸が止まるのがわかった。
昨日、あんなに勇気を出して、顔を真っ赤にしながら呼んでくれた、特別な二文字。それを、この後輩はいとも簡単に、軽やかに使いこなしている。
「……如月、律」
凛が、低く冷たい声で僕の名前を呼んだ。でも、その瞳には怒りよりも、もっと深い「拒絶」の色が混じっていた。
「……私、帰るわ。今日の分の『計算』は、もう終わったから」
「え、三宅さん? まだ……」
「……その子と、仲良くしてればいいじゃない。私みたいな、可愛げのない完璧主義者より、よっぽど楽しいでしょうし」
凛は椅子を引く音を大きく立てて立ち上がると、僕の顔を見ることなく、足早に出口へと向かった。
翠ヶ丘中等学校という名門で、常に「にぎやかさ」の中心にいたはずの彼女が、乃愛という本物の「にぎやかさ」を前にして、逃げるように去っていく。
「あーあ、行っちゃいましたね。私、何か変なこと言いました?」
乃愛は小首を傾げて、僕の顔を覗き込んでくる。
神様がいなくなったこの世界。
誰かの指図ではなく、僕たちが自分の意志で繋いだはずの糸が、乃愛という不確定要素によって、今、ぷつりと解けようとしていた。
乃愛さんの登場で、律と凛の関係に大きな亀裂が入ってしまいました。
凛さんにとって、自分がやっとの思いで手に入れた「律」という名前を、乃愛が当たり前のように使っていることが、何よりもショックだったのかもしれません。
せっかく近づいた二人の距離が、また遠ざかっていく。
名門校出身のプライドが、逆に「自分なんて」という卑下に変わってしまう、凛さんの繊細な一面が描かれました。




