表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/19

凛と呼ぶための距離、あるいは名前という名の聖域

「……凛」


 放課後の帰り道、夕暮れに染まる土手の上で、僕はその名前を口にした。

 昨日、彼女が「呼んでもいい」と言ってくれた名前。翠ヶ丘中等学校という名門の喧騒の中で、いつの間にか重い看板に隠されてしまった、彼女自身の名前だ。


 隣を歩く凛が、ビクッと肩を揺らして足を止めた。

 

「……な、何よ。急に」


 彼女は顔を伏せ、手に持っていたアイスの棒を所在なげに弄んでいる。いつもの完璧な優等生なら、こんなに分かりやすく動揺したりはしない。


「いや。……昨日、凛がそう呼んでいいって言ってくれたから。でも、いざ呼んでみると、なんだかすごく……重みがあるなって思って」


「重み……?」


「ああ。三宅さん、っていうのは、学校での君だろ? 完璧で、冷たくて、誰も寄せ付けない。でも、凛っていうのは……こうしてお菓子を食べて、ゲームで一喜一憂して、僕の隣で笑ってくれる、君自身のことだから」


 僕は彼女の目を真っ直ぐに見つめた。

 神様の力を使えば、彼女の脳内に「僕を好きになれ」という命令を直接書き込むことだってできた。でも、そんな薄っぺらな感情に価値はない。

 僕が欲しいのは、彼女が自分の意志で僕に向けた、その戸惑いを含んだ眼差しだ。


「……バカね。名前なんて、ただの符号じゃない」


 凛はそう強がったが、その耳の先はアイスのパッケージよりも赤くなっている。


「翠ヶ丘にいた頃、みんなが私の名前を呼んでいたわ。でも、それは『完璧な三宅さん』を呼び出すための合図でしかなかった。……でも、あなたが呼ぶ『凛』は、なんだか……全然違う響きがする」


 彼女は一歩、僕に近づいた。

 夕風が彼女の髪を揺らし、甘いバニラの香りが鼻をかすめる。


「……もう一度、呼んでみて。……今度は、ちゃんと私の目を見て」


 心臓の鼓動が、アスファルトを叩く雨音のように激しくなる。

 僕は息を整え、世界でたった一人の、不器用で愛おしい少女の名を呼んだ。


「……凛」


「……ええ。……合格よ」


 凛はふっと、翠ヶ丘時代のひだまりとも、これまでの氷の微笑とも違う、柔らかく、そして少しだけ泣きそうな笑顔を見せた。

 

 神様はもういない。

 奇跡も、魔法も、10億円の報酬もない。

 でも、名前を呼び合う。ただそれだけのことが、僕たちにとってはどんな神話よりも美しく、確かな「希望」だった。


「……じゃあ、私も呼ぶわね。……えっと、その……」


 彼女が僕の名前を呼ぼうとして、顔を真っ赤にして黙り込む。

 完璧主義者の彼女にとって、僕の名前を呼ぶという「計算外の行為」は、まだ少しだけ難易度が高いようだった。

ついに、名前を呼ぶ。

 それは、凛さんが「翠ヶ丘の三宅さん」という過去を脱ぎ捨て、一人の少女として主人公の前に立った瞬間です。

 

 神様のチート(瞬間移動や洗脳)を拒絶したからこそ辿り着けた、このもどかしくも尊い距離感。

 凛さんが主人公の名前を呼べるようになるまで、あとどれくらいの「お菓子とゲームの時間」が必要なのでしょうか

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ