2章 ビジネス界の龍
2章 ビジネス界の龍
上司からの助言は得られなかった。君が決めてくれと、この分野に私は精通していないと、言われてしまった。俺は一手にこの契約を握らされて大いに悩まされた。
深夜の2時まで起きていたことも何夜かあったし、これらの契約候補について調べに夜中遅くに会社に向かった日も何夜かあった。
極度の緊張によってメンタルは追い込まれた。カウンセリングに行こうかとも思ったし、ストレスと睡眠の因果関係に関して著述された本も買ってみた。
しかし、ある日が来て、時間切れになった。
結局このウェブ制作会社は優良であるとの判断で契約することになった。
同僚と会議のあとエスプレッソを飲むとき、俺はまた、摩天楼から見た眼下の景色に、思い浮かぶことがあった。俺達サラリーマンは、なんとも、皮肉にもこの一流企業という龍の背中に乗ってたてがみに掴まって振り落とされないようにしていて、一度でも乱気流に遭えばいつだって、振り落とされて地面に叩きつけられて、バラバラになる可能性もあるものなのではないだろうか?
その時、電話がかかってきた。美琴からだった。美琴は「今度最初にデートで行ったことのあるフレンチレストランで会えない?」と言った。
「この前の話の続きがあるの。」と。
俺は了解して日取りを決めた。
その日までに、ウェブ制作会社からの返答もあるだろう。これは無論、向こうのオファーだったのだから、可能性は高いものだ。ただ、条件については諸所の説明がいるということだ。
深夜まで眠れない日は減ったは減ったが、これからこの大きな龍と向こうの大きな龍とで一緒に飛ぶと思えば、まだまだ、先は長くプレッシャーはこれからかかるというもの。内心、始まってしまったものだなと思っていた。
俺たちは例のフレンチレストランで午後1時すぎに会った。席についた俺達は同じシャンパンと一通りのフレンチ料理のスタンダードなコースを頼んだ。
「久しぶりだね。」「うん。あなた契約はどうなった?」彼女は不思議と興味を持っているような表情で訊いた。
「先方は決まったよ。2件とも。」「良かったわね。」
「それで、どんな話があるんだい?」
暫く、黙って窓の外を眺めたあと彼女は言い始めた。
「実はね、私、今いる会社を辞めて引っ越そうと思ってるの。どこだと思う?」
「さあ、そんな話訊いたことはないし、想像もできないな。」
「湖水地方よ。イギリスの。」
俺は呆気にとられた。彼女には少々の預金があるとは思うが、そんなこと本当にできるのかと思った。
つづけて「もし、あなたも一緒に来ると言うなら心強いんだけど。私たちこの数年間、都会であくせく働いてきて、お互い疲れてるでしょう?だから、あなたももう辞めにしないかって。」
「1週間後に先方からの連絡があるんだ。それまで、待っていてくれないか?」と俺は応えた。




