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軸がブレる 前編【攪真依存if・打ち切り供養】

 きっかけは本当に些細な事だった。


「織理は可愛い顔してんねんから、もっと自信持ったらええのに」


 隣に座っていた織理が不審そうに視線を向ける。細い眉がわずかに寄り、警戒の色が浮かんでいた。


  あの戦闘訓練の日から攪真は織理に付き纏っていた。自分を一瞬で無力化した織理の弱点を探る為、そう理由付けしていたはずの付き纏いは、段々と様子が変わってきていた。

 色々なところに連れ出すにつれて、攪真は織理の事を好ましく思う様になっていたのだ。彼はそれを弟に向ける様な感情だと話すが、彼の幼馴染であるヨルハはそれを否定していた。


 ともかく、この日攪真はふと思った事を伝えただけだった。

 クラスで常に一人、壁を作るように過ごしている織理。彼らの所属するB組は良くも悪くもミーハーの集まりだった。派手なことに目を輝かせ、軽口を叩くような生徒ばかり。攪真はその中でも容姿や性格、はたまた声が女子の好みに合致しているらしく良く黄色い声を浴びていた。


 織理はと言えば、そもそも当人に馴染む気がないのだからそのまま。顔が整っていても少し小柄で、どちらかと言えば女性的に見られる彼はそんなに女受けも良くない。それでも約1名、攪真以外にも彼に話しかける者はいるが。


 ともかく、攪真はこの状況を変えてもいいのではないかと思ったのだ。話してみれば意外と可愛いところの多い織理、クラスに馴染もうとすればきっと上手くいくだろうと。それは純粋に"兄貴分と名乗る自分として"の好意だった。


 手始めに攪真は教室内でも織理を構う様になった。ときに自然に、そしてときに巻き込むように。


「な、カトルもそう思わん?」

「そうですね~、私は良くわかりませんけど皆仲良くなれるならいい事だと思いますよ」


 のんびりした声で返ってきたのは揺間カトルだった。B組の中では珍しいほんわか要員。普段は鋭律迅と組む彼は考え込むより流れに乗るタイプで偏見もなく誰とでも話す。話を振ればこうしてあっさり混ざってきてくれる。


「脳繍さんと攪真さんが一緒にいるの、最近良く見てましたけど不思議な組み合わせですね!」


 でも仲良いって素敵です、なんて笑うカトル。


「まぁコイツは弟みたいな感じがしてなぁ」


 攪真がそう言えば、隣の織理はむすっとした顔で目を逸らした。けれど彼にはその不服そうな仕草さえ可愛く思えてしまう。これがきっかけとなり、織理は少しずつクラスに馴染んでいったのだった。




――――

 



「織理、一緒に帰らん?」

「ごめん、今日は先約がある」


 数日もすればこうなる。いつの間にか、毎日のように一緒に帰っていた織理に予定が入り始めたのだ。


「また平和島と帰るんか?」

「うん、だからまた明日」


 そう言って手を小さく振る織理は以前より楽しそうに見える。攪真も笑ってそれを見送った。 

 ――織理がクラスに馴染み始めたことは、とてもいいことのはずだ。そう思おうと攪真も笑って見送った。


 平和島 匠(へいわじま たくみ)、それはB組の誇る凡人だった。多少面白いことが言えるだけの良くいる男子高校生、やや陰キャ寄り。そのノリはどこかズレてつまらないことも多い。オタク。攪真も正直話す機会のない男だった。

 

 いつの間に、あんなやつと仲良くなったんだろう。

 並んで歩く二人の背中を見送ると、胸の奥に寂しさが渦を巻く。仕方のないことだと頭では分かっていた。



 ――――

 


 だが気がつくと本当に織理と二人になる時間は無くなって行った。


「攪真死んだ様な顔してるね~、だから弟だとか言ってないで告白しとけば良かったのよ」


 ヨルハは呆れたように言い、攪真の机に肘をつく。

 攪真は突っ伏したまま動かない。カフェに行って、菓子を交換して、距離を詰めたはずだった。けれどそれはほんの一時のこと。気がつけば、あっという間にまた遠ざかってしまった気がする。

 胸の奥が空っぽだ。どうしようもないやるせなさに項垂れたまま、彼は声を絞り出す。


「織理が足らん……」


 ヨルハは苦笑し、肩を竦める。


「でも話す機会はあるんでしょ? 誘い出したらいいじゃない」


 ヨルハは軽く言った。しかし攪真が首を振る。


「平和島が邪魔すんねん。あいつ俺が話してると横から織理に誘いをかけよる」

「あー、これは三角関係」


 ヨルハは楽しそうに唇を吊り上げる。他人の恋路は笑い話にすぎない。しかし当事者にとっては笑えない。胸に滲む苦さは冗談で薄まるものではないのだ。


「でも脳繍さん、変に律儀だから約束さえ取り付ければ会ってくれるでしょ」

「今更何で約束すんねん」


 呟きは自嘲にも似ていた。下校はいつも平和島と。たまに織理と帰れることはあってもその「たまに」では足りない。

 もっと確実なものが欲しい。もっと確実な理由がなければ、織理は自分を見てくれない――そう思わずにはいられなかった。



 ――――



「なぁ織理、俺と勝負してくれへん?」


 迷いに迷った末、攪真の口から出たのはこの言葉だった。思えば織理に執着し始めたきっかけは授業での対戦だった。あのとき、彼に負けた。だからこそ攪真は今日まで彼に付きまとい続けてきた。弱点を探してリベンジする――その大義名分はいつの間にか風化してしまったが。

 織理は小首をかしげ、じっと攪真を見る。


「なんで?」

「自分の能力の代償が知りたいんよ。織理なら上手に引き出してくれるやろ?」


 これは半分本当。悔しいことに織理の能力は攪真の上位互換とも言える。そして扱い方も上手だ。 

 それに対して自分はといえば限界すら知らず、使うとしたら怪我した時に痛みを誤魔化すか咄嗟に相手にぶつけて隙を作るかくらい。思い切り活用できているかといえばそうでもなかった。


「……どうだろ。でもいいよ、やってあげる」


 織理は悩んだ末に頷いた。

 そうして二人は放課後の約束をした。



――――



 能力を使い始めてすでに約1時間、持てる限りの力を織理にぶつける。それを軽く躱しながら織理はその様子に眉を寄せた。


「ねえ、そろそろやめた方が」

「まだや。なんもわからへんまま」

「でも顔色が悪くなってきてる。万が一……体の一部失うとかだったら大変だし……」


 織理の心配する声が心地よく感じた。今だけは彼を自分のものにしている、その感覚に攪真は止めたくなかった。

 攪真の『混乱』の力が更に強まる。織理が僅かに顔を顰めた、理解していればある程度は対処できるとは言え限度がある。相殺するにしてもこれ以上は自分の方に代償が出そうだと。すでに周囲にも影響が出ている。鳥の声が不規則になり、世界の音は逆に聞こえ始めている。


「攪真……止めよう、? 俺、これ以上は」


 そう告げられた瞬間、攪真の体は平衡感覚を失って倒れ込んだ。


「攪真!」


 駆け寄ってその肩に手を置く。


「し、きり……わからん、なんも」

「いいから。……持ち上げられないから少し頭いじるよ」


 織理は返事を聞くことなく攪真を洗脳した。家まで帰るように無理矢理に体を動かした。攪真と織理の身長差は10センチ程度ある、気絶しかけた人間を持ち上げるには些か力が足りなかったのだ。

 ふらふらと歩き出した攪真の隣を織理が肩を貸しながら歩く。

 約15分、どうにか歩いた先に攪真の家があった。



――――

 


「お邪魔します……、攪真、あと少しだから」


 玄関を開けて中に入る。人気のない家の空気は少し冷たく知らない匂いが鼻を掠めた。だがリビングに入った瞬間、織理は胸をなで下ろす。視界に入ったのは大きなソファ。これなら倒れ込ませるのにちょうどいい。


 攪真を横たえ、自身もその脇へと座り込む。安堵と同時に疲労が押し寄せる。攪真の能力を相殺し続け、更にここまで歩かせたのだ。大きな代償を払う事はなくとも多少は響く。現に左腕の感覚が一時的に麻痺しているのがわかった。それを判別できるのも彼が能力を使い続けてきた賜物と言えるだろう。


 深呼吸し、体を奮い立たせて動く。知らない家の中とはいえ大体の場所はわかる。とにかく冷えたタオルでも乗せて看病するしかないと織理は思った。

 他人の家を漁るなんて、と思う気持ちもあったがこればかりは仕方ない。

 そこにあったタオルを濡らし、攪真の元に戻る。


「攪真……」


 心配を滲ませながら声をかける。すると攪真の目が僅かに開いた。


「しき、り……? ここは……」

「お前の家。勝手に上がったけど許して。水は飲める?」

「飲め、る」


 織理は少しだけコップに注ぎ、攪真の手に持たせる。手を添えながら口元へ運んだ。


「何かあったら言って。親御さん、帰ってくるまでは居るから」


 そう言ってコップを戻そうと立ち上がった瞬間、攪真の手が弱々しく織理の袖を掴んだ。


「いかんといて……ここに、いて欲しいんや」


 それは譫言のようなトーン。意識が朦朧としているのだろう、と織理は判断する。軽くため息を吐き織理はまた座り込む。

 手持ち無沙汰でそっとその黒い長髪を掬った。少し硬い髪質は指が通らない。


「ありがとうな……そばにおってくれて」

「いいから休んでよ。俺もここで少し寝るから」


 軽く洗脳して攪真の意識を落とす。やがて安らかな寝息が聞こえ始める。その隣で織理もソファに身を預け、目を閉じた。



 ――――



 それから数時間後、完全に夜になって攪真は目を覚ました。

 幾分か楽になった体を伸ばし、ソファから降りる。いつのまに家に帰ってきたのか、結局どうなったんだったか、それらは全て曖昧なまま。真っ暗なリビングを見渡し、壁のスイッチに手を伸ばす。

 カチリ、音とともに光が見知った部屋を照らす。その光に、ソファの脇で眠っていた織理も目を覚ます。座ったまま眠っていた為か、体の節々が傷む。


「ん、……あれ、……」

「攪真、具合は」

「おかげさまで……? 織理が連れてきてくれたんか」

「……まぁそんなところ。起きたなら帰る」


 立ち上がり玄関へ向かおうとする織理を攪真は止めた。


「こんな時間やし泊まっていったらどうや」

「別にいい。ゆっくり休んで……」


 織理は断る。泊まるほどの仲じゃない、と言外に示した。


「なぁ、頼む。今夜だけ……」


 攪真の表情は不安を滲ませていた。いつもの強気で陽気な彼からは想像できないほどに。織理は一瞬躊躇いつつも、仕方なくその場に留まることにした。だって、あまりにも哀れに見えたから、そう思われたことを知れば攪真も嫌がるだろうが、その弱さを見捨てる気にはなれなかった。


「そっか、お前一人暮らしなのか」


 自然と口に出た言葉。ひとりでこの部屋にいるから、不安になったのだろう。そう考えれば納得がいった。


「なら……お風呂、借りていい?」


 泊まるなら、お風呂には入りたい。こんなつもりだったなら着替えだって持ってきたのに、と考えつつ。

 織理の言葉に攪真はにへらと笑う。


「泊まってくれるんか、ありがとなぁ織理」


 その顔が何となく不気味に感じたのは織理が捻くれて居るからだろうか。




――――

 



 風呂から上がった織理はタオルで髪を拭きながら思案する。どこで眠ればいいのか。狭い間取りに余分な布団はなく、ベッドは1つだけ。最悪、ソファでいいか――そう考えながらリビングへ戻る。


「……お風呂ありがとう。俺はどこで眠ればいい?」

「俺も風呂入ってくるわ。織理は俺のベッド使って」


 隣の部屋を指差しながら攪真も風呂場へと消えていく。


「なにそれ。病人はベッドで寝てよ……」


 残された織理はどうすべきか悩んだ。そもそもここに留まったのは攪真の調子が悪いからだ。なのに余計に悪化させる選択を取るなんて意味がわからない。言われたことは無視して、先ほどまで攪真が寝そべっていたソファに横になる。

 ――攪真の匂いがする。

 なんだかんだで嫌いでもない少し爽やかな香り。それに落ち着いてしまう自分が何となく嫌いだ、織理は僅かに苦い顔をする。


 攪真のことを何処かで好ましく思って居る自分がいる事を織理は否定出来ずにいた。そもそも最初に並々ならぬ執着を見せてくれた事、クラスに馴染ませようとしてくれた事、こうしてどんな形であれ必要としてくれた事――織理の低い自尊心を埋めるには十分すぎる事を攪真はしていた。

 友達の家にお泊まり、なんてイベントも織理が経験するとも思っていなかった事だった。尤も経験したいと思ったことは彼にはなかったが。


 うつらうつらと意識が落ちかけていた頃、脱衣所の扉の開く音がした。


「織理……何でここで寝とるん」


 仄かに湿った髪が目の前に垂れる。髪を下ろした攪真は少し普段と雰囲気が変わってみえた。いや、浮かべる表情がそもそも普段と違う。


「かくま、どうしたの……なんか、怖い」

「ん? いやちょっと眠いだけや。多分」


 にへらと笑う顔はやはりどこか怖さを感じる。織理の頭に『帰ったほうがいいかも』と思わせる何かがあった。


「なぁ……織理はさ。俺のことどう思っとるん」

「何、急に」


 織理は寝転んだままに攪真を見上げる。すると攪真は覆い被さるように織理に乗り上げた。


「俺な、織理の事好き。ずぅっと、頭の中で回っとるんや」

「何を急に……俺そんな指示出してない」


 少なくともあの日以来、攪真に向けて洗脳の力は使ってないはずだ。織理は理解できないものを見るように攪真へ応える。その頬を攪真はゆっくり撫でた。


「世界がおかしく見える中で織理だけが正常なんよ……」


 あ、それもしかして能力の後遺症か。織理は混乱しかけた頭を元に戻した。




――――

 



「ねぇ、攪真……どいて」

「怯えとるんか、かわええなぁ織理は……」


 手で胸板を押すのに全く動かない。攪真は特別大柄でも筋肉質でもないのに、まるで鉛の塊のようにびくともしない。織理はいっそ洗脳してやろうかと目を合わせようとした。


「あかんよ、織理」


 その目を片手で覆われる。優しく、軽く被せるだけのようなのに押し返そうにも動かない。


「痛いことしたないねん。せやから、……おとなしゅうしといてくれへん?」


 その声は甘く蕩けるように。本能でわかる、ここで抵抗しても碌なことにはならないと。織理はとりあえず手を下ろす。その頭の中はなんとなく覚めていった。


「……好きにすれば」


 それは許可ではない。ただ、これまで織理が歩んできた人生の中の他人、それらと攪真が同格になっただけだった。少しの期待と大きな失望、この後殴られようが何されようがどうでもいいと思った。


 だが攪真はその言葉を文字通りに受け取り、覆いかぶさったまま頬へ唇を寄せ、舌でぺろりと舐めた。


「織理……好き。ずっと一緒にいてな」


 ――あぁ、馬鹿らしい。

 期待した自分も、勝手に熱を上げるこいつも。頭の中で違う事を考えていればきっとそのうち終わる。それを知って居るから織理は何も言わずに時間が過ぎるのを待った。




――――


 


 それから何時間経ったのだろう。織理はぼんやりとする頭で考える。

 目元に巻かれた布のせいで景色は見えない。けれどベッドの上に移動させられたことはわかっていた。


 最初は頬、唇。軽い口づけに時折舌が混ざる。偶に舐められながらもまだ耐えられた。その次は胸部、そしてどんどんと下へと降りていった。ここまでくると織理は考えるのを放棄した。流石にこの経験はなかったが、そんなに気分のいいモノでもない。ただ聞こえる水音と、偶に溢れる自分の変な声。そして攪真の熱い吐息。


 ただそれも何時間もとなればごまかしが効かなくなる。あぁ、こうやって人は「愛」を錯覚するのだと実感した。


 攪真の声はどこか縋るように、悲痛な叫びのようにも聞こえた。「織理」と呼ぶ声はまるで迷子の子供が親を探すようだった。何が攪真をそうさせて居るのかば織理にも察せなかったが、とにかく彼が正常でもないことはわかる。そして何より、そうやって求められる度にもどかしい感覚が生まれるのだ。



 さらに時間が過ぎる。体感では一日中続いたように思えた。意識を何度も手放した気がする。それでも終わらなかった。まるで出口のない地獄のように。

 ようやく全てが途切れた時、織理も攪真も息も絶え絶えに横たわっていた。


「し、きり……ごめん、な」


 それは正気に戻ったのか、それともただ倒れ伏す織理に対しての言葉だったのかはわからない。心地いい疲労感など欠片もない、織理にはどうでもいいことだった。


「謝るなら……最初からしないで……」


 それが織理の精一杯の返答だった。



 ――――



 ずっと夢の中にいる気分だった。

 大好きな織理と一緒に眠る。織理が俺の手で、舌で、俺の体で喘いでくれる。周囲の音が聞こえないのに、織理の声だけが明瞭に響く。時間の感覚なんていらない、逆さまのままの視界もいらない。

 織理は逃げなかった。抵抗もほとんどしなかった。かろうじて口にした拒絶の言葉は、むしろ続きを促すようで俺を煽るだけだった。細く白い体が折れそうなほど弓形にしなる。その目隠しの下に隠された潤んだ瞳を想像するだけで、俺は熱に浮かされていった。現実なんて隅に追いやられ、ひたすらに夢へ沈む。



――――

 


 次に目が覚めたとき、外は暗かった。妙に冴える頭と、その頭の中にある夢の後。それを現実たらしめる、織理の投げ出された裸体。

 四肢がだらりと投げ出され、瞼は閉じられている。僅かに動く胸元が無ければ死体なのではないかと疑うほどに静かで、恐ろしかった。


「織理……?」


 軽く腕を叩く。けれど反応はなかった。今はいつだろう、俺は何をしていたのだろう。最後に現実で会ったのは、能力の限界を確かめたいと頼み込んだときだったはず。


「俺は、なんかやらかした……? 俺、織理に何をしたん……」


 全部夢だと思ったのに、もしかしてそれは現実だったと言う事か。泣いても止めなかった、反応の鈍る織理に自分の欲を叩きつけた。それらが全て現実ならば――俺はこいつにどんな顔を向けたらいいんだろう


「織理、は、許してくれる……か?」


 いや、いっそ混乱させて、記憶を消してしまうか。それが最悪の選択肢だとわかっていても、頭の中で過る。そうでもしなければ取り返せないほどのことをしてしまった。

 でも正直に謝るしかない。けれどそれで縁が切れたら? 織理に嫌いと言われたら? そうしたら今度こそ、この程度では済まなくなると自分でもわかる。


 ――能力の後遺症、そう理由付けは出来た。実際あの日から世界は逆さまに見えていたし、音は逆再生のように聞こえていた。ただ織理だけがそのままで。でもそれからの全ては攪真の意思の方が大きい。こうしたかったのは事実で、織理に縋りたかったのも俺で。


 いま拒絶されたなら俺はきっとこいつを壊す。今よりも酷い方法で、全てを奪ってでも繋ぎ止める。自分の中の欲望は制御できないほどに大きくなっていた。だってそうすれば、織理は2度と俺から離れていかない。


 ――このままでは自分は狂う。早く、織理が起きてくれないと、起きて俺を許してくれないと。


「織理……! 起きてくれ……、頼む」


 身勝手な祈りに応えるように、織理の体がわずかに動いた。緩んだ目隠しがずれ落ち、焦点の合わない瞳がこちらを向く。


「かく、ま……どうし、たの」

「織理……! ほんまにごめん、謝って済むとは思っとらんけど、」

「また、謝ってる……。いいよ……別に、気にしてないから」


 気にしてない。その言葉は今の俺には救いじゃ無かった。


「なんで、そんなこと言うんや」

「何が……?」

「だって、こんなことされて! 怒れよ、なんでっ……!」

「別に……どうでもいいし」


 俺はどんな答えが欲しかったのだろう。ただ、織理の口を塞いだ。だってまるで織理は俺を他人のように見ていたから、あの実習の頃より前の冷めた目つきだったから。


「しきり、頼むから……俺のそばにおって。おまえなしで、おれは生きられん」

「……そう。好きにすれば」


 それはどこまでも冷めた声だった。



 ――――


 

 不思議なことに織理は本当に逃げなかった。

 俺が縋れば頭を撫で、俺が口を塞げば抵抗なく受け入れる。不気味なほどに俺の求める従順な恋人で、――けれど俺の求めていない織理で。

「なんで……そんなに優しくできるんや」


 ふと、口に出していた。聞きたくないけれど、聞かずにいられなかった。

 織理は何でもないことのように淡々と答える。


「どんな答えが欲しいの」

「織理の、本音が聞きたい……」


 けれど、返事はなかった。沈黙だけが広がる。

 それでも織理は俺の隣に居続けた。部屋から出るなと頼めば、ずっと部屋にいてくれた。言葉を交わさずとも、そこにいる。それは確かに俺の望んだ「一緒にいる」形のはずだった。

 だが――その目には、恋人への情などひとかけらも浮かんでいなかった。愛情の気配すらなかった。だからこそ、不思議で仕方がなかった。


 

 ――――



 人から求められる、それ自体が初めてのことだった。

 愛とは何か、攪真の求めるものが愛であることはわかるけれどそれを俺は実行できなかった。

 ただ、前に攪真がしてくれたように、そばに居て話を聞く。それが俺に返せる事で、それが俺の償える事だと思った。

 結局のところ、人となんて関わらなければ良かったんだ。関わらなければ、壊すこともなかった。攪真はとても優しい人だったのに、俺がその優しさに甘えたから、こんな風に歪んでしまった。

 謝るくらいなら最初からしないで欲しい――そう思ったのは、攪真に対してだけじゃない。その言葉は自分へ向けたものでもあった。

 俺さえ最初から近づかなければ、攪真は変わらずにいられたのに。

 


――――

 


 織理との生活が始まって何日経っただろう。

 毎日同じように起きて、外にも出ずに織理の肌に顔を埋める。幸せではあった。織理の言葉数は確実に減っていたけれど、逃げることもなかった。


「織理……」


 甘えた声を出せば織理は俺を抱きしめてくれる。抱きしめ返せば織理は顔を寄せてくれる。まるで本当に恋人のようで――俺は錯覚しそうになる。けれど、織理は決して「好き」とは言わなかった。

 人形に対して愛を囁いているかのような空虚さ、それでも幸せだと錯覚できるのに、俺はもっと欲しくなった。もっと織理に、俺だけに、愛されたい。


「なぁ、織理……俺を」


 好きって言って。

 その言葉を寸前で飲み込んだ。言ってくれるだろう、けれどそこに甘さは1つもないのは簡単に想像できる。


「織理、……どうしたら俺を見てくれる? もう、俺のこと嫌いになったん?」

「……嫌いじゃない。でも、わからない」


 その答えが胸に突き刺さる。嫌いではない、けれど「わからない」。好きの反対は無関心――その言葉が頭の中でぐるぐると回り続ける。

 どうしたら織理は俺を見てくれる? 俺は何をすればいい?


「……攪真、また能力使ってる」


 また、もう自分の能力すらも上手くコントロールできなくなっている。全部織理に向けて、織理の意識を混濁させることが出来たなら、俺の理想の織理はそこに出来るのに。


「俺は、織理に何を求めて……」


 無意識に零れた言葉が、本当の心だった。織理は困ったように目を伏せる。

 織理に何をしたいのだろう。これまでの女たちはただ一夜を過ごすだけだった、相手は何処どこに行きたいって言って、俺はそれを快諾して、遊んでお別れ。織理は? 織理には何を求めてる? 俺が本当に欲しかった織理ってなんだった?


「……そんなに俺を書き換えたいなら好きにすれば。別にいいよ、もう……」


 そんな赦しはいらなかったのに。




 織理の苦しげな声が部屋を埋める。譫言のように溢れる音は織理の精神を削って奏でる音楽だった。目を隠し、手を縛り上げた。きっともう能力を制御できていない、ずっと織理の頭をかき混ぜているのだろうことはわかる。だって世界が歪んで見えている、織理の姿しか見えない。

 でも終着点が見えていない、書き換えた先が見えていないのにただ壊しているだけ。直せる保証もないのに、組み替えて遊んでいるだけ。


「しきり……、織理、ごめん……」

「か、くま……ぁ……、すき、……」


 それが書き換えた果ての言葉なのだから俺の心が満ち足りることはなかった。




 ――――



 ――馬鹿だと思った。こんな事で満足なんてできるはずないのに。攪真はどうしたら楽になれるのだろう、俺はどうしたら攪真を治せるのだろう。

 俺が攪真と出会わなければ良かった。そもそも俺が存在しなければこんなことにならなかった。なら、答えなんて1つしかなくて。

 攪真が眠るとき、その支配が弱まる。

 あぁ、早くこうしていれば良かった。


「攪真……俺を見て」

「ん、……織理……?」


 攪真の紅玉の目と視線が交わる。


「おやすみ、良い夢を」


 これで全てが元通りになるから。



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