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記憶を失うほどに  作者: 無玄々
本編
1/5

記憶を失うほどに

 脳繍 織理(のうしゅう しきり)、それはこのクラスでも一二を争うほどの強さを持つ男だった。童顔の華奢な男、触れたら折れそうなくらいにか弱そうな奴。

 だと言うのにその能力は凶悪の一言――だからきっと俺もアイツに弄られたんだ。そうでなければ納得いかなかった。


「何か用? アンタが俺のところ来るの、最近多いけど」

 昼下がりの廊下、声をかければすぐに突き放すような言葉が返ってくる。人懐こさの欠片もない。――腹立つなこいつ、そう思う心を笑顔で取り繕う。

「いや、その……一緒に帰らんかなぁって思って」

 自分でも間の抜けた声だと思う。だが言葉を飲み込むよりはマシだ。

「なんで? もしかして先日の実地でアンタを負かしたから弱点でも探ろうと思ってんの?」

 嫌味な男だ。その言葉に嫌な記憶が蘇る。

 先週、対人戦を想定した授業で俺と脳繍は戦った。こいつの能力は【洗脳】、ただそれだけでも強いと言うのに事もあろうかこの男は俺の「その場までの記憶」を消した。言葉通りだ、俺は一瞬のことに何が起こったかわからなかった。

 ただ気がついたらグラウンドにいて、それを把握する前にこいつの鐵棍に殴られた。女の子の前でカッコつけようと思った矢先のことだった。それがどうやら1分足らずで決着がついたと言うのだから立つ瀬はない。

 腹が立った、悔しかった。そんな方法で負けるなんて、もっとちゃんと戦って負けるならまだしも……!

 だがそれを悟られるのは余計にダサい。だから俺はただ善意を装って弱点を探るしかなかった。

「ち、ちがう! ただお前と仲良ぅなりたくて」

 必死に言い繕えば、脳繍は目を細める。

「嘘くさい……」

 そう言い捨てて去ろうとするアイツを、俺は思わず追いかけた。

「なんでついてくんの?」

「あ、えっと……近くにカフェ出来たやん? 一緒に行かへん?」

 足を速める彼にしがみつくように言葉を重ねる。

「なんで?」

「ええやん、学友との交流やって」

 しばしの沈黙。脳繍は溜め息交じりに答えた。

「……俺、お金ないから」

「出してやるって! ほないこいこ」

 俺は何を食い下がっているのだろう。でもこれでコイツのことを知れる。

 能力には必ず代償が伴う。その大きさは人それぞれ、けれど強大な力には強大な代償が伴う。もしそれを知ることが出来れば、コイツがどの程度まで能力を行使できるかもわかる。戦に勝つには情報が必要なのだ。それだけのはずだった。


 ……それだけのはず、だったのに。


 ――――

 

 カフェは、別段特別な場所ではなかった。大通り沿いにできたばかりの店で、木目調の内装と淡い照明が心地よい温かみを漂わせている。ガラス越しに差し込む午後の光は少し傾きはじめ、テーブルに淡い影を落としていた。

 メニューを開いた俺は、さして悩むこともなく珈琲に決めていた。男ならブラック、苦くてもそれを飲みこなせる方が格好いい。そういう見栄も半分はあった。

 一方の脳繍はメニューを眺めたまま動かなかった。華奢な指が紙の端にかかったまま、視線だけが泳いでいる。

「飲みたいもん無い?」

「……お前と同じでいい」

 どこか投げやりな返答。

「俺珈琲頼むで。甘いのの方がええんちゃう?」

「子供扱いしてる?」

 少し不機嫌そうな物言いについニヤけてしまう。なんだ、コイツ反抗的な猫みたいだ。

 否定してやると脳繍はそれを信じたのかポツポツ話し始めた。

「……こう言うところ、来たことなくて。擾繰の、オススメとか……聞きたい」

 ――何やコイツ、超可愛い。照れを隠すために上擦った声、なのに視線は俺を上目遣いで見てくる。それ無意識でやっとんの? 憎い相手の筈なのに、いや、憎い相手だからこそそのギャップに惑わされているんだろう。

 落ち着け、顔に出すな。自分を諌めながら俺は無難な返しを考えた。

「せやったらキャラメルマキアートとかどうや? 甘くて美味しいで」

「じゃあそれにする」

 思ったよりも素直に頷いた脳繍に驚くような、嬉しいような不思議な感情が芽生えた。何か言わなきゃいけない、そう思うのにその感情のせいで頭が混乱する。

 とにかく注文してしまおう、何も織理に返せず店員を呼び注文を伝える。

 暫くして運ばれてきた物を飲み始める。珈琲の香りが気分を落ち着かせてくれる気がした。

「……うまい?」

 ストローを口に着けてちまちまと飲んでいる脳繍。多分美味しかったのだろう、僅かに頬が緩んでいて俺は『そんな顔もできるんか』と奴の顔を見てしまった。

 その顔を見ていると、不意に「弟」という言葉が浮かんだ。甘え方を知らず、素直になれない小生意気な弟。俺が兄なら、許してやれるのかもしれない。


 ――――


 脳繍は弟みたいなものだ。甘え方を知らなくて何処か生意気な可愛い弟。でも俺は兄だからと思えばこれを許せる気がした。

 翌日も、俺は脳繍の後を追った。きっと嫌がられるだろうと分かっていても、足が止まらない。

「脳繍、これ一緒に食べよ」

「ねぇ、そんなに毎日来なくていいから」

「なんや素直やないなぁ。これむっちゃ美味いんやって」

 そう言って口元へと丸いチョコを押し当てる。脳繍は眉を顰めつつそのチョコを受け入れた。小さく開かれた口から赤い舌が覗く。

 ゾクリ、と背にかける感覚があった。

「なぁ、お前の能力の代償って何なん」

 我慢できずに切り込んでしまう。俺にとっては譲れない問いだった。

「……結局それか。見ればわかるんじゃない?」

 脳繍は不機嫌そうに答える。そしてその左目の眼帯に手を当てた。それが代償なのか、だとしたら視力? あの能力の代償にしては小さい。

 だがこれ以上続ける気は無さそうだった。

「俺に構うより自分の技磨く方が早いと思うけど」

 本当こう言うところが可愛くない。


 ――――


 数日が過ぎても、俺は変わらず脳繍のもとへ足を運び続けた。

 カフェに誘い、適当に理由をつけて隣を歩き、時には嫌な顔をされても押し切った。そうしているうちに、クラスの連中も俺の動きを面白がりはじめたらしい。

 昼休みの教室。ざわめきの中で俺が何気なく視線を脳繍に向けると、すぐさまそのことを嗅ぎつける奴がいた。

「攪真、またアイツのこと見てるの? 本当に好きだね」

 机に肘をつき、にやにやと笑うヨルハ。悪戯好きの笑顔が余計に癇に障る。

「好きちゃうわ!!」

 即座に声を荒げれば、教室のあちこちからくすくすと笑い声が漏れた。

 余計な注目を集めてしまったらしい。顔が熱くなる。

 幼馴染のこいつ、ヨルハは隣のクラスの生徒だ。だというのに俺のこの醜態が面白いのか度々教室に現れては俺を揶揄うような事を言う。

「ただ……アイツは弟みたいなもんやからな、心配してるだけやって」

 俺の口から出たのは本音だ。弟。甘え方を知らんくせに生意気で、でも放っておけない。だから気にしているだけやのに――周りからすれば、そう見えないのかもしれない。

「へぇ、まぁそう言うイメプもいいんじゃない? 脳繍は嫌がるだろうけど」

「イメプ言うなや……」

 ヨルハはケラケラと笑い声をあげ、立ち上がるとそのまま教室を出て行った。休み時間の残りはわずか、きっと購買にでも行くのだろう。

 残された俺は、机に頬杖をつきながら深く息を吐いた。周りのざわめきが妙に遠く聞こえる。


 ――――


「またきたんだ。暇人だね」

 脳繍は机から顔を上げるなり、いつもの調子で俺を突き放す。毎回のことだ。

 だからこそ「またか」と心の中で毒づいた。けれどその日の彼は、どこか違った。声音がほんの少し柔らかい。刺々しい棘が抜け落ちているように聞こえた。

「なんや、ええことでもあったん?」

 軽く笑ってみせながら問いかける。脳繍の機嫌が良さそうな理由が気になった。

「少し」

 短い返事。けれど、その声に隠された温度はこれまでとは違っていた。

 誰かと話したのか。何か良いことでもあったのか。胸の奥に妙なざわめきが広がる。普段俺にそういう顔を見せないくせに。誰に対しての笑みなのだろう。

「擾繰にあえて、ちょっと嬉しい……かも」

 ガツンと脳を叩かれた。照れを滲ませながら視線を揺らし、それでも正直に言葉を紡ぐ脳繍。無防備なその表情に、思わず手を伸ばしそうになる。必死で抑えて俺はヘラヘラ笑って誤魔化した。

「脳繍にそう言ってもらえて嬉しいわ。仲良うなれたんやなぁって」

「……ん」

 小さく頷き、すぐに俯いてしまう。その癖、返答に困ったとき目を伏せる仕草。今の俺にはただ可愛く思えるだけだった。


 ――――


 昼休みが終わり、授業をいくつか挟んだ放課後。片付けをしていると、未透が珍しく声をかけてきた。

 ふだんはあまり人と干渉しない奴だから、思わず手を止める。

「脳繍さんには気をつけた方がいい、かも」

 唐突な言葉に眉をひそめる。

「なんでや?」

 未透はすぐには答えなかった。視線を逸らし、机の角に指先を置いてためらうように沈黙する。

 普段から曖昧なことの多い奴だが、この時は特に言い淀んでいた。

「擾繰さんが全ての記憶を失った光景が見えた……だから」

 たしかにこいつの能力は【未来視】だったか。1度だけ当人に起る大きな転機が見える、とかそんなだった気がする。

「記憶を……全部?」

 喉の奥がひりつく。全てを忘れる。そんなこと、本当にあり得るのか。だが未透がわざわざ俺に嘘をつく理由もない。こんな嘘をついても何も得がないのだ。

 腹立たしかった。結局またアイツにしてやられるんかと。前回とは比にならないのだろう、全てを忘れるなんてあっていいわけがない。

 少しは仲良くなれたと思ったのに。いや、俺が勝手に話しかけてるだけか。その程度でしかないのだろう。いつ、どこで、それが分からない時点で俺が出来ることなんて一つしかない。


 ――――


 未透の言葉が胸の奥で重く響いていた。

 ――脳繍に気をつけろ。擾繰が全ての記憶を失う光景を見た。

 未来視の断片、可能性のひとつに過ぎないと分かっていても、ぞっとする感覚は拭えなかった。

 弟みたいに思って世話を焼いているだけの相手に、どうしてこんな脅威を感じなきゃならない。仲良くなれてきたと思った矢先に、また振り回されている。苛立ちと不安と、得体の知れない執着がごちゃ混ぜになって、胸の奥を掻き乱す。

 放課後。空が茜色に染まりはじめ、校門の影が長く伸びていた。

 下校する生徒たちのざわめきの中、俺は見慣れた小柄な背中を見つけた。脳繍が鞄を肩に掛けて歩いていく。

 「脳繍、一緒に帰らへん?」

 いつものように脳繍に声をかける。すでに校門付近まで来ていたコイツは呆れたようにため息を吐きよった。

「また? もう全部教えたんだから放っておいて」

 その言葉に、胸の奥でかすかな痛みが走る。俺は思わず食い下がる。

「そんなこと言わんと……」

 毎日好感度がリセットされているのではないか。思わずそう言ってしまいたくなるくらいにいつも嫌そうだ。やっぱ可愛くない。そう思うのに放っておけない。

「他に何が知りたいの。俺の明確な弱点?」

「違う。違うんやって……」

 思わず声を荒げた。どうしてここまで突き放されるのか。どうして俺はこんなに必死になっているのか。女の子達なら今頃俺のこと、好きになってくれてる筈なのに――。

 脳裏をよぎった思考に、心臓が跳ねた。――俺は、いったい何を求めているんだ。

 理性で押さえようとしたのに、言葉は喉をすり抜けて飛び出していた。

「……俺、お前のこと好きになってもうた」

 一瞬、時が止まったようだった。脳繍の足が止まり、目が見開かれる。

「……気持ち悪い。だから何?」

 淡々とした拒絶。けれど、その声音の奥に微かな揺れを感じたのは気のせいだろうか。

 頭の奥がぐらついた。胸を締めつける痛みが怒りとも焦燥ともつかない衝動に変わる。脳繍は何も変わらない。俺ばかりがこんな乱されて、苦しくて。

 もうどうすればいいのか分からない。ただ言葉が溢れ出す。

「なぁ、俺のこと好きになれや」

 言った瞬間、自分の声が自分のものじゃないように響いた。

 感情が制御できず、理性の堤防が崩れていく。次の瞬間頭の奥で熱が弾けた。

 ――どうせ拒否されるなら、別にいいか。

 脳繍の瞳が揺らぎ、焦点が合わなくなっていく。

「どうや? 脳が掻き乱れて気持ちええやろ」

「ぅ、……ゃ、ぁ」

 一瞬の隙だって与えない。少しでも見せれば全部覆される。だからひたすらかき混ぜ続けた。もう何も考えられなくなるくらいに。

 目の焦点の合わない顔でただ喘ぐコイツは可愛い。もしかしたらもう廃人になってしまうかもしれない、その恐怖と興奮が俺の背をかける。

「ぁ――、……ぁ……」

 声にならない吐息。涙で潤んだ瞳が俺を映す。

「かわええなぁ……ずぅっと甘えてくれてええんよ。二度と目覚めなくてええ」

 その言葉は自分でも恐ろしいものだった。

 弟みたいに放っておけないと思っていたのに、今はただ、俺だけに縋りつかせたいという欲望に支配されている。

 織理の唇を塞ぐ。抵抗なんてなかった。ただポロポロと涙を流し始めただけ。

「そない嫌なんか、意識もろくにあらへんくせに」

 どこまでも俺をコケにするコイツに奥歯を噛み締める。結局俺の持つ能力は「洗脳」に勝てない。ただ思考を掻き乱し記憶を混乱させるだけ。思ったように書き換えられたならもっと簡単だったのに。


 6時間も続ければ脳繍は何も声を溢さなくなっていた。俯いたまま時々体を跳ねさせるだけ。その姿はひどく弱々しく、俺自身も消耗しきっていた。視界が僅かに歪む、頭を押さえながら一息吐く。

 ――もうそろそろいいか。

 能力の行使を一度止める。脳繍の体がそのまま力を失って崩れた。投げ出された四肢はぴくりとも動かない。

「……織理?」

「ぅ――」

 揺さぶるように肩に手を置けばビクリと震える身体。よかった、生きてはいる。柔らかな髪を撫でていれば僅かに目がこちらを向いた。

「攪真……」

 黄昏のような目と視線が合う。その瞬間頭が殴られるような衝撃が走った。

 そこからは何も知らない。


 ――――


 気づけば自分の中にはぽっかりと穴が空いていて、過去も未来も形を持たず、ただ目の前の世界が怖かった。

 この部屋から出るのが恐ろしい。理由は分からない。ただ、扉を開けたらすべてが消えてしまう気がした。

 俺は小柄な男の体を抱きしめていた。自分よりもずっと華奢で、骨ばっていて、なのにやけに温かい。誰なのかも分からない。ただ呼吸をしている、その存在感だけが俺を繋ぎ止めていた。

 彼の目は虚ろだった。焦点を結ばず、どこか遠くを漂う。時折、浅い息が震えて胸を上下させる。そのたびに、俺は生きていると確認するように腕に力を込めた。

 ――この人は誰なんだろう。

 問いは胸の奥で幾度も反響した。けれど答えは浮かばない。記憶の糸をたぐろうとするたび、手は空を掴み霧に紛れて消えてしまう。

 ――俺は誰だろう。彼は誰だろう。

 そんなことはもうどうでもいいのかもしれない。ただひとつ確かなのは、この温もりがここにあるということだった。

 だから俺は、彼を抱きしめながら日々を過ごした。名も知らぬ自分として、名も知らぬ彼と共に。

 永遠に続くかのような、無音の時間の中で。


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