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私説 西遊記の遊戯  作者: 光闇居士


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第七回:八卦炉を逃れた大猿、五行山の下に心を定める。

挿絵(By みてみん)

「掌中の天、五行の戒め」


【しおの】

人の世の富と栄華、そのすべては、遠い昔に結ばれた縁によって定められているもの。人として生きる以上、偽りの心を抱いてはならない。心が正しく明朗で、忠義の善行を深く積むならば、天の加護は自ずと厚くなる。しかし、ほんのわずかな驕りが身を滅ぼし、天罰を招くこともある。たとえ今は不遇の身であっても、時節が巡れば、また新たな道が開けるであろう。

「なぜ、かくも大いなる災いを賜ったのか」と問うならば、それはひとえに、その心が驕り高ぶり、分不相応な地位を望み、天上の秩序と戒めを乱したからに他ならない。


さて、かの斉天大聖は、幾万の天兵に取り押さえられ、ついに斬妖台の下へと引きずられていった。魔を縛るという降妖柱に固く縛り付けられ、鋭い刀で斬られ、斧で打ち据えられ、槍で突かれ、剣で切り裂かれても、その体にはかすり傷一つ付かない。

南斗星君が火の神々を率いて業火で焼かせども、それもまた効き目なし。雷の神々が雷霆らいていを落としても、びくともしないのであった。

大力鬼王をはじめとする神々は、なすすべなく玉帝に奏上した。

「陛下、この大聖は、いかなる守りの術を身につけたものか。刀でも斧でも、雷でも火でも、まったく歯が立ちませぬ。我ら、一体どうすればよろしいのでしょうか」

玉帝はこれを聞き、深くため息をつかれた。

「この猿めが。これほどの神通力を持つとは。さて、どうしたものか」

そのとき、静かに進み出たのは太上老君であった。

「陛下、あの猿は蟠桃を喰らい、御酒を飲み干し、あげく私の仙丹まで盗み食らいました。私の丹薬は、生のものも練り上げたものも、ことごとく奴の腹の中。それらが彼の体内で三昧の火によって練り合わされ、一つの塊となり、金剛不壊の肉体を作り上げたのでございましょう。それゆえ、いかなる攻撃も通じぬのです。つきましては、この私にお預けください。我が八卦炉に入れ、文武の火をもってじっくりと鍛錬いたしますれば、私の丹は取り戻せ、彼の体は灰燼に帰すことでしょう」

玉帝はこの進言を聞き入れ、すぐさま六丁六甲の神々に命じ、大聖の縄を解き、老君に引き渡させた。老君は勅命を拝し、自らの宮殿である兜率宮へと大聖を連れて帰った。

一方、玉帝は功労者である二郎真君を召し出し、金の花、御酒、仙丹、そして数々の宝物を授け、その労をねぎらった。真君は深く感謝し、部下たちと共に灌江口へと帰還していった。

八卦炉からの脱出

兜率宮に到着した老君は、大聖を縛る縄を解くと、躊躇なく八卦炉の中へと突き入れた。そして炉の番人たちに、絶えず火を熾し、鍛錬を続けるよう厳命した。

八卦炉とは、天地自然の理をかたどったもの。乾・坎・艮・震・巽・離・坤・兌の八つの門から成る。大聖は炉に投げ込まれるや、すぐさまたつみの宮へと身を潜めた。巽は風。風あるところに火はなし。しかし、その風が巻き起こす猛烈な煙に、悟空の両の眼は焼かれ、赤く、ただれていった。これこそが後に、あらゆるものの真偽を見抜く「火眼金睛かげんきんせい」となる、因果な眼の病であった。

光陰矢の如し。瞬く間に七七四十九日が過ぎ、老君の丹も練り上がった。

ある日、老君が丹を取り出すべく、炉を開けようとした。炉の中で涙をこらえ、ひたすら目をこすっていた大聖は、蓋のあたりから物音がするのを耳にした。その瞬間、彼は爛れた眼を大きく見開き、差し込む光を睨みつけた。もはや、彼を押しとどめるものは何もなかった。

身を躍らせて丹炉から飛び出すと、轟音とともに八卦炉を蹴り倒し、外へと駆け出した。慌てて止めようとする番人たちを紙切れのように投げ飛ばし、再び天宮を揺るがす。その姿は、まるで檻から放たれた猛虎、嵐に狂う一本角の龍のごとく。追いすがる老君さえも、払いのけられてんどん返しを打つ始末。

大聖は耳から如意棒を取り出すと、ひと振りで巨大な柱と化し、善悪の区別なく、再び天宮で暴れ回った。恐れをなした九曜星君は門を閉ざし、四天王は影も形も見せない。

古詩に詠われている。

渾沌より生まれしその身は、天地の理。

幾万の時を超え、ただ自然に在る。

炉にて練りしは丹にあらず、

不死の命こそ、真の仙人の姿なれば。

尽きることなき変化の妙、

仏の戒めなど、彼には無用。

この大騒ぎの中、猿王は鉄棒を縦横無尽に振り回し、立ち向かう神は一人もいない。ついに彼は通明殿を打ち破り、玉帝の御座所である霊霄殿のすぐ外まで迫った。

王霊官との激闘

その前に立ちはだかったのは、佑聖真君が配下の王霊官であった。

「この悪猿め、どこへ行く!この私がいる限り、これ以上の狼藉は許さぬぞ!」

王霊官は金色の鞭を抜き放ち、猿王の前に立ちはだかる。大聖は問答無用と鉄棒を振り下ろし、霊官は鞭を振るってそれに応じた。金鞭と鉄棒が火花を散らし、霊霄殿のいらかを揺るがすほどの激しい打ち合いとなった。

一人は天帝への忠義に燃える勇士、一人は天を欺く傲慢なる反逆者。鉄棒は荒々しく、金鞭は疾風のよう。互いに一歩も引かず、その神通力をぶつけ合う。

戦いが膠着する中、佑聖真君はすぐさま雷を司る役所に使いを出し、三十六員の雷将を召集させた。雷将たちは鬨の声をあげて駆けつけると、大聖を円陣の中心に囲み、一斉に襲いかかった。しかし、大聖は少しも怯む様子がない。その身を揺らすと、三つの頭と六本の腕を持つ姿に変化し、如意棒も三本に増やして応戦する。まるで糸車のように目まぐるしく回転し、雷将たちを寄せ付けない。

神々はただ遠巻きに叫ぶばかりで、近づくことさえできなかった。

このただならぬ事態に、玉帝はついに決断を下された。遊奕霊官と翊聖真君を召し出し、遥か西方、霊山におわす釈迦如来に助けを請うよう、勅命を下したのである。

如来、天宮へ

二人の聖者は勅命を受け、霊山の雷音宝刹へと急いだ。幾多の菩薩や金剛に礼を尽くし、如来への取次ぎを願う。やがて宝蓮台の下へと通された二人は、深々と三度礼拝した。

如来は静かに問われた。

「玉帝は、どのような用向きでそなたらを遣わされたのか」

二人は事の次第を詳しく奏上した。花果山の猿が神通力を得て天宮に反逆し、弼馬温の位に不満を抱き、斉天大聖の名を得てもなお飽き足らず、蟠桃を盗み、宴を荒らし、仙丹を食らい、ついには八卦炉からも脱出して、今まさに霊霄殿に迫っていることを。

如来はこれを聞き、居並ぶ菩薩たちに告げた。

「皆はここに留まり、禅の心を乱さぬように。私が赴き、かの魔を調伏し、玉帝をお救いしてこよう」

掌中の勝負

如来は阿難と迦葉の二尊者を伴い、霊山を発った。霊霄門の外に到着すると、雷将たちと大聖が激しく争う声が耳をつんざくように響いていた。

仏祖は法旨を伝えられた。

「雷将たちよ、武器を収め、囲みを解きなさい。あの大聖をここへ。私が彼に問いただしたいことがある」

将兵たちが命に従い退くと、大聖も三頭六臂の姿を解き、元の姿に戻って進み出た。そして、怒りを込めて叫んだ。

「どこのどいつだ、俺様の戦いを止め、問いただすなどと!」

如来は静かに微笑み、答えた。

「我は西方極楽世界の主、釈迦牟尼尊者。そなたが天宮にたびたび反逆していると聞き、参上した。そなたはいずこの生まれか。なぜ、これほどまでに乱暴を働くのか」

大聖は鼻で笑い、言い放った。

「俺は天地自然より生まれし仙人、花果山の猿よ。長生の術を極め、無限の変化を身につけた。天上の宮殿とて、永遠に誰か一人のものではあるまい。昔から言うだろう、『強い者が尊い』と。力ある俺が玉座に座るべきなのだ!」

仏祖は冷笑を浮かべられた。

「そなたは獣が修行を積んだだけの身。それで玉帝の尊い位を奪おうとは、あまりにも不遜。玉帝は、一劫を一十二万九千六百年とする、その千七百五十劫もの長きにわたり修行を積まれた方。そなたのような若輩者が、軽々しく口にしてよいことではない。その悪業、いずれはそなたの命を縮めることになるぞ。惜しいことだ」

「たとえ長い修行を積んでいようと、永遠に玉座に居座る道理はない。『皇帝の位は持ち回り、来年こそは我が家にも』と言うではないか。彼に天宮を明け渡させれば、それで万事解決だ。さもなくば、永遠に安寧は訪れぬぞ!」

「そなたには、天宮を治めるに足る、他にどのような力があるというのか」

「俺の力は数え切れぬほどだ。七十二般の変化の術を操り、不老長生。觔斗雲に乗れば、ひと飛びで十万八千里を行く。天帝の位に座れぬはずがない!」

「ならば、一つ賭けをしようではないか。もし、そなたが我が右の手のひらから飛び出すことができたなら、そなたの勝ちとしよう。玉帝には西へお移りいただき、この天宮をそなたに譲ろう。だが、もし飛び出せなければ、そなたは下界に帰り、さらに修行を積んでから、再び事を起こすがよい」

悟空はこれを聞き、内心せせら笑った。(この仏様も、とんだうつけ者よ。わしが一飛びすれば十万八千里。その掌など、一尺にも満たぬではないか。飛び出せぬ道理があろうか)

彼は大声で言った。「その約束、違えぬな?」

「違えぬとも」

如来はそう言うと、蓮の葉ほどの大きさの右手を差し出された。

大聖は如意棒をしまい、勇み足でその掌に飛び乗ると、「では、行ってくるぞ!」と叫び、一陣の光となって飛び去った。

仏祖は慧眼えげんでその行方を見守る。猿王は風車のごとく、ただひたすらに飛び続けていた。

やがて、大聖の前方に、天を支えるかのような五本の巨大な肉色の柱が見えた。

(ここまで来れば、道の果てであろう。戻って如来に証拠を見せれば、霊霄宮は間違いなく俺のものだ)

彼はそう思うと、念のため印を残しておくことにした。一本の毛を抜き、息を吹きかけると、それはたちまち墨を含んだ筆に変わった。そして、真ん中の柱に、こう大書した。

「斉天大聖、ここに遊びに来たり」

書き終えると、彼はさらに不遜にも、一番目の柱の根元に小便をひっかけた。そして意気揚々と觔斗雲を返し、元の場所へと戻ってきた。

「戻ったぞ。さあ、玉帝に天宮を明け渡すよう伝えよ」

如来は叱咤された。

「この小便臭い猿め!そなたは、この私の掌から一歩も出てはおらぬではないか!」

「何を言うか!俺は天の果てまで行き、五本の柱に印を残してきた。信じられぬなら、共に見に行くか?」

「その必要はない。そなたの足元を見るがよい」

大聖が火眼金睛で見下ろすと、驚愕した。なんと、如来の右手中指に「斉天大聖、ここに遊びに来たり」という文字が書かれているではないか。そして親指の付け根からは、紛れもなく先ほどの小便の匂いが漂っていた。

「こ、こんなことが…!天の柱に書いたはずの文字が、なぜ仏の指にあるのだ?まさか…信じられぬ!もう一度だ!」

五行山に封じられる

悟空が再び身を躍らせようとした、その刹那。

如来は巨大な掌を翻し、天を覆い隠すかのように猿王を打ち据えた。大聖はなすすべもなく西天門の外へと弾き出される。そして、如来の五本の指は、たちまち金・木・水・火・土の五つの元素が連なる山へと姿を変え、「五行山」と名付けられ、悟空をその下に深く、深く封じ込めたのであった。

天上の神々は、皆、手を合わせその偉業を讃えた。「善哉、善哉!」

卵より生まれ、道を求め、

幾万の時を経て、ついに真理を得た。

だが、一時の驕りがその心を乱し、

天を欺き、人を蔑ろにした。

悪行の果てに、今、罰を受ける。

この身が再び自由を得るのは、いつの日か。

如来は妖猿を退治し、西方の極楽世界へ帰ろうとされた。その時、天蓬元帥らが慌てて駆けつけ、玉帝が来られるのでお待ちいただきたいと伝えた。

やがて、玉帝が鳳凰の車に乗って現れ、如来に深々と感謝を述べられた。

「大いなる仏の慈悲と神通力により、天宮に平穏が戻りましたこと、心より感謝申し上げる。つきましては、ささやかな宴を催したく、どうか一日、ご逗留願いたい」

如来は謙虚にこれを受け、天上の神々がことごとく招かれた盛大な宴が開かれることとなった。宴は「安天大会」と名付けられ、天上の宮殿には、久しく途絶えていた祝賀の調べが満ち溢れた。龍の肝、鳳凰の髄といった珍味が並び、仙人たちは杯を酌み交わし、その平和を喜んだ。

宴の最中、西王母が仙女たちを伴って現れ、自ら摘んだという見事な蟠桃を如来に献上した。やがて南極寿星や赤脚大仙も祝いに駆けつけ、それぞれが秘蔵の宝や珍しい果実を献上し、如来の功績を讃えた。

皆が宴に酔いしれていると、一人の霊官が慌てて報告にやってきた。

「申し上げます!かの大聖が、五行山から頭を突き出しております!」

仏祖は穏やかに言われた。「案ずることはない」

そして静かに袖から一枚の御札を取り出した。そこには黄金色に輝く六つの文字、『唵・嘛・呢・叭・嘸・吽』と記されている。阿難に命じて、これを五行山の頂に貼り付けさせた。

阿難が御札を岩に貼り付けると、山は大地に根を生やしたかのように固く閉じ、猿は身じろぎ一つできぬ身となった。

阿難が戻り、報告を終えると、如来は玉帝と神々に別れを告げ、天門を後にされた。去り際に、如来は慈悲の心から、五行山の土地神と五方掲諦を呼び出し、猿を見張るよう命じた。

「猿が飢えたならば、鉄の丸薬を与えよ。喉が渇いたならば、溶かした銅の汁を飲ませよ。そして、彼の災いが満ちる日を待て。その時、自ずと彼を救う者が現れるであろう」

猛き勢いで天宮を揺るがし、

龍を降し虎を伏せるほどの才を持ちながら、

悪行が満ちて、今、苦難の身となる。

だが、その善根は未だ尽きてはいない。

いつの日か、如来の手から解き放たれ、

聖なる僧を奉じて西へと向かう時を、ただ待つのみ。

この苦難の日々が、いつ、どのようにして終わりを迎えるのか。

それはまた、次のお話である。


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第七回 要約:最強の猿、お釈迦様の手のひらで眠る

どんな武器も炎も効かない孫悟空を始末するため、天の神様たちは最終手段として、彼を神様の作った最強の炉「八卦炉」に入れて燃やしてしまいます。しかし、四十九日後、悟空は死ぬどころか、煙で目を痛めた副作用で、あらゆるものを見通す「火眼金睛かげんきんせい」という新たなパワーを手に入れて脱出!

以前にも増して手がつけられなくなった悟空は、再び天の宮殿で大暴れし、ついに天の帝王である玉帝の玉座にまで迫ります。天の神々が束になっても全く歯が立たず、もはやこれまでかと思われたその時、玉帝は最後の切り札として、遥か西方の世界にいるお釈迦様(釈迦如来)に助けを求めました。

駆けつけたお釈迦様は、荒れ狂う悟空にこう持ちかけます。

「もしお前が、私のこの右手の手のひらから飛び出すことができたら、天の玉座を譲ってやろう」

「楽勝だ!」と高をくくった悟空は、自慢のきんと雲でひとっ飛び!世界の果てと思われる巨大な5本の柱を見つけ、そこに「斉天大聖、ここに参上!」と落書きまでして意気揚々と戻ってきます。

しかし、お釈迦様は静かに言います。「自分の足元を見なさい」。

悟空が見ると、なんと先ほどの落書きは、お釈迦様の中指に書かれていました。悟空が世界の果てだと思ったのは、巨大なお釈迦様の手のひらの上だったのです。

自分が完全に負けたことを悟った悟空が逃げようとした瞬間、お釈迦様は巨大な手を裏返し、悟空を地上に叩きつけます。その手はそのまま巨大な五つの連なる山「五行山」となり、悟空をその下に五百年間、完全に封じ込めてしまったのでした。

こうして、天を揺るがした大騒動はついに幕を閉じ、天の宮殿には平和が戻りました。やんちゃで自由奔放だった猿の英雄の物語はここで一旦終わり、五百年の時を経て、彼を救い出す新たな物語が始まるのを待つことになります。

第七回は、孫悟空の物語における一つの大きな時代の終わりを告げる、極めて重要な転換点です。彼を五行山の下に封印するという描写に込められた、作者の深い意図、中国古来の伝承との関わり、そして明代の宗教的背景について、総合的に解説します。


考察:五行山下の鎮圧—秩序への帰還と仏教的救済の序章

『西遊記』において、孫悟空が天宮を大いに騒がす「大鬧天宮」の章は、彼の自由奔放なエネルギー、個の力の極致を描いた一大叙事詩です。しかし、その終わりは、彼の完全なる敗北と束縛によってもたらされます。釈迦如来によって五行山の下に封印されるこの結末は、単なる懲罰ではなく、中国の文化、思想、宗教観が凝縮された、多層的な意味を持つ象徴的描写と言えます。


1. 鎮魔の常套手段としての「山」—自然の秩序による封印

中華の神話伝承において、人知を超えた強大な力を持つ妖魔や神を封印する手段として、「山の下に圧する」という手法は古くからの常套手段(鎮魔伝の典型)です。例えば、治水神話における禹が洪水の元凶である妖魔を山の下に封じたという伝説や、二郎神が自身の母を桃山の下に閉じ込めたという物語など、例は枚挙にいとまがありません。


作者の意図と描写の巧みさ:

作者がこの伝統的な手法を選んだのには、明確な意図があります。

絶対的な力の象徴: 「山」は、人間の作為を超えた、巨大で不動の自然物です。それは天地自然の秩序そのものの象徴です。個人の神通力がいかに強大であろうとも、天地の理、宇宙の秩序には逆らえない、という絶対的な力関係を視覚的に読者に示しています。悟空の個人的な「力」が、如来の掌という「宇宙(=法)」から逃れられなかったことの物理的な表現が、この五行山なのです。

「逃れられない」という絶望感: 刀で斬られても、火で焼かれても死なない悟空にとって、死よりも辛い罰は「自由の剥奪」です。山の下に圧しつけられ、身じろぎ一つできない状態は、彼のアイデンティティそのものを否定する、最も効果的で残酷な罰と言えます。読者はこの描写を通じて、彼の無力感と絶望を共有します。


2. 「五百年」という時間の持つ意味—懲罰から浄化へ

悟空は不老長寿の仙人であり、永遠の命を持っています。そんな彼にとって、数年や数十年の懲役は意味をなしません。ここで作者が設定した「五百年」という時間は、極めて象徴的です。

人間の歴史との対比: 五百年とは、人間界では王朝がいくつも興り滅びるほどの長大な時間です。悟空が山の下で孤独に耐えている間にも、地上では人々の営みが続き、歴史が移り変わっていく。この対比は、彼の存在が時間と歴史の流れから完全に切り離されたことを示し、その孤独の深さを際立たせます。

「機が熟す」ための時間: この五百年は、単なる罰の期間ではありません。彼の荒れ狂う「心猿しんえん」(野放図な心)が鎮まり、傲慢さが削ぎ落とされ、やがて来るべき「救済者」(三蔵法師)を待つための「浄化」と「熟成」の期間なのです。仏教的な観点から見れば、これは彼の悪業に対する報い(カルマ)を清算し、より大きな使命を担うための準備期間と解釈できます。永遠の命を持つ彼にとって、これは死に代わる「精神的な再生」のプロセスなのです。


3. 作者の真意と当時の宗教的背景—仏教の至上性

この物語が書かれた明代は、儒教、道教、仏教の三教が互いに影響を与え合いながら共存する「三教合一」の思想が広く浸透していました。しかし、『西遊記』の物語構造においては、明確な序列が存在します。


道教的秩序の限界: 天宮は、玉帝を頂点とする道教的な神々の官僚機構です。彼らは地位や規則を重んじますが、悟空という規格外の「個」の力の前には全く無力でした。太上老君の八卦炉ですら、悟空を滅ぼすどころか「火眼金睛」という新たな力を与えてしまう皮肉な結果に終わります。これは、世俗的な権威や秩序(道教)では、根源的な魂の問題(悟空の傲慢さ)は解決できない、という作者の風刺的な視点を示唆しています。


仏教による最終的解決: 道教の神々が匙を投げたとき、最終的な解決者として登場するのが西方の釈迦如来です。如来は武力ではなく、「法力」と「智慧」で悟空を制圧します。悟空がどれだけ飛んでも如来の掌の中から出られなかったという逸話は、「個人の力は、仏法の広大無辺な真理の中では些細なものに過ぎない」という仏教的な世界観を端的に表しています。

民衆信仰への影響: 当時の民衆にとって、仏教は単なる哲学ではなく、現世利益や苦難からの救済をもたらす強力な信仰対象でした。道教の神々が手に負えない絶大な妖魔(悟空)を、遥か遠くからやってきた仏祖がいとも容易く鎮めてしまうという物語は、民衆の間にあった「仏様の力は天帝よりも偉大で、絶対的である」という信仰を反映し、またそれを補強する役割を果たしました。悟空を封印した山に貼られた「唵嘛呢叭嘸吽」の六字真言の御札は、仏法の力が物理的な力を超越することの決定的な証拠として描かれています。


結論:

孫悟空の五行山下への封印は、中国の伝統的な鎮魔伝承の形式を借りながらも、そこに仏教的な思想を深く組み込むことで、物語に新たな次元を与えています。それは、制御不能な「個」の力が、より大きな「宇宙的秩序(仏法)」の前に鎮められ、罰せられる過程であると同時に、その力が破壊のためではなく、やがて始まる「救済の旅」という大いなる目的のために再方向付けされるための、必要不可欠な転換点なのです。


作者は、傲慢な英雄の挫折というドラマの中に、「いかなる力も、真理と慈悲の前には屈する」という仏教的メッセージを織り込みました。そして、五百年の孤独という深い哀愁を読者に感じさせることで、単なる勧善懲悪の物語に終わらせず、過ちを犯した者が再生し、より大きな役割を得るという、仏教的な救済への希望を提示したのです。この回は、一人の妖仙の物語が、壮大な仏教的巡礼の物語へと昇華する、まさにその瞬間を見事に描ききったと言えるでしょう。

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