第二十四回:万寿山に大仙故友を留め 五荘観に行者人参果を窃む
【人参果樹を見上げて――斉天大聖の独り言】
「ヒッヒッヒ! こいつは驚いた。たまげたねえ!
おいおい、見ろよこの図体を。 俺様も五百年前、天界で西王母の蟠桃園を荒らし回って、九千年の桃を食い散らかした口だが……こんな変テコな『お化け木』は初めてお目にかかるぜ。
幹はまるで、古い龍がとぐろを巻いて固まったみたいにゴツゴツしてやがるし、てっぺんは雲を突き抜けて、根っこは地獄の底まで行ってんじゃねえか? 『天地開闢の霊根』だなんて土地神のジジイは言ってたが、伊達じゃねえな。この木一本で、世界を支えてるって言われても信じちまうぜ。
それにしても、ケチくせえ木だこと! 花が咲くのに三千年、実がなるのに三千年、熟すのにまた三千年……合わせて一万年かかって、たったの三十個だと? 天界の桃だって、もう少し気前よく実をつけてたぞ。一万年も突っ立ってて三十個しか産まねえなんて、よっぽど勿体ぶった性分なんだろうよ。
……っと、いたいた。 葉っぱの陰に隠れてやがる。 へへっ、見ろよあいつを。本当に赤ん坊の形をしてやがる。手足バタつかせて、風に揺れて『オギャー』だと? 師匠の石頭が『人食い妖怪の木だ!』って腰抜かして逃げ出したのも無理はねえな。三日目の赤ん坊を『デザートにどうぞ』って言われて、食える坊主がどこにいるってんだ。
だがな、この斉天大聖様にかかりゃ、赤ん坊だろうが石ころだろうが、長生きできるなら美味い御馳走よ。 土地神の話じゃ、『金』で叩かなきゃ落ちねえ、『土』に落ちりゃ消えちまう、『木』に触れりゃ枯れる……だと? まったく、食われるのが嫌でそんな面倒くせえルール作りやがって。どこまでもひねくれた果物だぜ。
ま、師匠が食わねえって言うんだから、腐らせるのも『罪』ってもんだろ? 俺様たちが代わりに毒味してやるのが、弟子の務めってもんよ。
さあて、金の如意子(棒)ちゃんよ。 一万年のエッセンス、ちょいと一つ、ひっぱたいて頂戴するとしようか! ヒヒッ!」
【しおの】
三蔵法師、孫悟空、沙悟浄の三人は、林を抜けてさらに奥へと進んだ。すると目の前に、あの猪八戒が木にきつく縛り付けられ、大声で泣き叫び、痛みに悶えている姿が飛び込んできた。
悟空はゆっくりと近づき、ニヤリと笑った。
「おやおや、なんと立派な花婿殿ではないか。日もとっぷり暮れたというのに、義父母への挨拶もせず、お師匠様に吉報も寄越さず、こんな場所で軽業の稽古とはな。こら、お前の義母君はどうされた? 可愛い嫁御寮はどこへ消えた? まったく、『縛られ吊るされ、責め苦の婿殿』とは傑作だ」
八戒は悟空に痛いところを突かれ、羞恥のあまり奥歯を噛み締め、じっと痛みをこらえるほか言葉もない。見かねた悟浄が荷物を下ろして駆け寄り、縄を解いて彼を救い出した。八戒はただひたすら地面に頭を擦りつけ、面目なさそうに小さくなっている。
色欲に迷った豚の戒め、そのあさましさを歌に託すなら、このようなものであろう。
色欲は身を刻む鋭利な刃物、貪れば必ず禍を招く。
佳人と見ゆるも、その本性は夜叉よりも恐ろしきもの。
人として持ちうる元手はただ一つ、わずかな快楽の利を求めても袋は満ちぬ。
汝、尊き精気を大切に守り、あだやおろそかに放蕩へ費やすなかれ。
八戒は土を盛って線香代わりとし、空に向かって深々と礼拝した。
悟空が尋ねた。
「あの美しい方々の正体がわかったか?」
「いや、あの時は気を失って目がくらんでいたから、誰が誰やら見分けがつかなかったんだ」
悟空は例の書き置きを取り出し、八戒に突きつけた。八戒はそこに記された詩を読み、耳まで赤くしてうなだれた。悟浄が笑って口を添える。
「兄貴もなかなかの果報者だよ。四人の菩薩様がわざわざお越しになり、夫婦ごっこをして下さったのだからな」
「弟よ、もう二度と言わんでくれ」と八戒は懇願した。「人の道に外れたことをしてしまった。これからは、絶対に勝手な真似はせんよ。骨が折れようが、肩がすり減ろうが、ひたすら荷物を担いでお師匠様について行き、西へ向かうだけだ」
それを聞き、三蔵法師もようやく安堵した。
「その心がけがあれば、よろしい」
悟空がお師匠様を伴い、大通りへと出る。しばらく馬を進めると、眼前に峻険な山が立ちはだかった。三蔵は手綱を引いた。
「弟子たちよ、前方の山は険しそうだ。心して進まねばならんぞ。魔物が潜み、我らに仇をなすかもしれぬ」
「お師匠様、ご安心を。馬の前には我々三人がついております。どんな魔物が来ようとも、恐るるに足りません」
悟空の言葉に、長老は胸をなでおろして馬を進めた。近づいてよくよく眺めれば、そこは俗界の山とは一線を画す、実に神々しい霊山であった。
その風景、筆舌に尽くしがたい絶景かな。
高山はそびえ立ち、山容は雄大にして気高い。
根は遠く崑崙の地脈に通じ、頂きは遥か天の雲間を突く。
老いた檜や柏には白鶴が舞い降り、藤や蔦には黒猿が遊ぶ。
日差しはのどかに林を照らし、幾重にも重なる紅い霧がたなびく。
風は幽谷を吹き渡り、万筋の彩雲が飛び交う。
名もなき鳥は青竹の中で囀り、錦鶏は野花の間で艶やかさを競う。
千年峰、五福峰、芙蓉峰は、威風堂々と光を放ち、
万歳石、虎牙石、三天石は、瑞気を帯びて鎮座する。
崖の前には霊草が生え、嶺の上には梅の香が漂う。
茨もまた深く茂り、蘭の花は淡き芳香を放つ。
深き林には鳳凰など千の鳥が集い、古き洞窟には麒麟が万の獣を統べる。
谷川の水は人の情を知るが如く、曲がりくねって大地を巡り、
峰々は連なり重なり合って、あたり一面を取り囲む。
緑の槐、斑の竹、蒼き松は、千年の翠を競い合い、
白き李、紅き桃、翠の柳は、春爛漫の艶やかさを争う。
龍が吟じれば虎が嘯き、鶴が舞えば猿が啼く。
麋鹿は花の中から姿を現し、青鸞は太陽に向かって声を上げる。
これぞ仙人の住まう真の福地、かの蓬莱の園もかくやと思わせる。
山頂には花咲き花散る悠久の時があり、嶺の上には雲行き雲来る無限の峰が連なる。
三蔵法師は鞍の上で喜びの声を上げた。
「弟子たちよ、私はこれまで西へ向かい、数多の山河を越えてきたが、険しいばかりでこれほどの好景には出会ったことがない。実になんとも風情のある山だ。もしここが霊山の雷音寺に近いのであれば、身なりを整え、世尊(釈迦如来)にお目通りせねばなるまいが」
悟空はケラケラと笑った。
「まだまだ。到底着きませんよ」
悟浄が尋ねる。
「兄貴、雷音寺まではあとどれくらいあるんだ?」
「十万八千里のうち、まだ十分の一にも達していないさ」
八戒が口を挟む。
「兄貴、あと何年かければ着くんだ?」
「この道程なら、お前たち二人の足で十日もあれば着くだろう。俺なら一日に五十往復してもまだ日が暮れない。だが、お師匠様の足では、思うだけで気が遠くなるな」
唐僧が問う。
「悟空、ならばお前の目から見て、いつ頃着くと言うのだ?」
「お師匠様が子供の頃から歩き始めて老人になり、また子供に若返って、それを千回繰り返しても難しいでしょうな。しかし――」
悟空は言葉を継いだ。
「あなたがご自身の本性を見つめ、誠心誠意、一念ごとに心を正せば、その場所こそがすなわち霊山なのです」
悟浄がうなずいた。
「兄上、ここは雷音寺ではないでしょうが、この気高い景色を見るに、きっと徳の高い方が住んでおられるに違いありません」
「ああ、それは当たっているな。ここには邪気がない。間違いなく聖僧か仙人の住処だ。景色を楽しみながらゆっくり行こう」
この山を万寿山といい、山中に一座の道観がある。その名を五荘観。観の主たる仙人の道号は鎮元子、またの名を「与世同君」といった。
この観には、ひとつの稀代の宝があった。天地開闢の際、混沌が分かれ始めた頃に生まれた霊根である。天下広しといえど、ただ西牛貨洲の五荘観にのみ産するもので、名を「草還丹」、またの名を「人参果」という。
その果実は、三千年に一度花が咲き、三千年に一度実を結び、さらに三千年を経てようやく熟す。口にするまでには一万年を待たねばならない。しかもこの一万年の間に、実るのはたったの三十個である。その実の形は、生まれて三日にも満たない赤ん坊そっくりで、手足もあれば目鼻立ちまで整っている。縁あってその香りを嗅ぐことができた者は三百六十歳まで生きられ、一つ食した者は、四万七千年も寿命が延びるという奇跡の果実であった。
折しもその日、主である鎮元大仙は元始天尊からの招待状を受け取り、天界の上清天・弥羅宮へ「混元道果」の講義を聞きに行くところだった。
大仙は門弟の四十六人を連れて行くことにし、最も年若い二人の弟子に留守を託した。一人は清風、もう一人は明月という。年若いといっても清風は千三百二十歳、明月はようやく千二百歳になったばかりである。
鎮元子は出発に際し、二人の童子にこう言いつけた。
「大天尊の招きを断るわけにはいかぬ。私は弥羅宮へ赴くが、留守はしっかり頼むぞ。近いうちに古い友人がここを通るはずだ。決して無礼のないようにせよ。私の人参果を二つ打ち落として彼に差し上げ、旧交を温めるしるしとするがよい」
童子たちが尋ねた。
「お師匠様の古いご友人とはどなたでしょうか? ご存分におもてなしいたします」
「東土の大唐皇帝の勅命を受け、西天へ経典を求めに行く聖僧で、名を三蔵という」
童子たちは顔を見合わせ、笑って言った。
「孔子様も『道同じからざれば、相為に謀らず』と仰いました。私共は太乙玄門の道士、あちらは仏門の和尚。どうして知り合いなのでございますか?」
「お前たちにはわかるまい。あの和尚は、かつて金蝉子と呼ばれ、如来の二番弟子だったのだ。五百年前、私は彼と『蘭盆会』で顔を合わせた。その時、彼は自ら茶を汲んで私に勧めてくれたのだ。仏弟子でありながら、私を敬ってくれた礼儀正しき御仁よ。ゆえに故友と呼ぶのだ」
二人の仙童は謹んで命を受けた。大仙はさらに念を押した。
「あの果実は数が限られている。彼に二つだけ差し上げよ。それ以上はならんぞ」
清風が答える。
「開園の折、皆で二ついただきましたので、木にはあと二十八個残っております。決して無駄にはいたしません」
「それからな、唐三蔵はわが友だが、彼の手下の者たちは気性が荒いかもしれん。くれぐれも彼らには果実の事を知られぬよう用心せよ」
言いつけが終わると、大仙は多くの弟子たちを従えて空へ昇り、色鮮やかな雲に乗って天界へと向かった。
一方、唐僧一行は景色を愛でながら進んでいたが、ふと見上げると、松や竹の緑陰の間に楼閣の影が見えた。
「悟空、あれは寺か? 民家か?」
「道観のようにも見えますが……まあ近づいてみればわかりますよ」
やがて門前にたどり着く。そこは静寂に包まれた別世界であった。
詩人はその幽玄なる様をこう詠んでいる。
松の生い茂る坂道は静寂を保ち、竹の小径は清々しき風を通す。
白鶴は遥かなる浮雲を見送り、木々の猿は時に熟れた果実を捧げ持つ。
門前の池は広く樹影を水面に映し、苔むした石は古き時を物語る。
宮殿は紫極の空高く森羅と並び立ち、楼台は夕映えの雲間に霞む。
まさに選ばれたる福地霊区、蓬莱の雲洞そのもの。
俗世の塵は遠く、清虚にして静寂の中に道心はおのずと生まれる。
青鳥は西王母の便りを伝え、紫鸞は太上老君の経典を運ぶ。
見尽くせぬほど巍巍たる道徳の気風、これぞ広大なる神仙の住処なり。
三蔵法師は馬を下りた。山門の左手に石碑があり、そこに十文字が大きく刻まれている。
「万寿山福地、五荘観洞天」。
「弟子たちよ、どうやらここは道観のようだ」
悟浄が進言する。
「お師匠様、この気配から察するに、住んでいるのはただ者ではありません。ご挨拶に伺いましょう。東へ帰る時の良い土産話にもなりましょう」
「そうだな、それがいい」
皆で門をくぐり、二つ目の門まで来ると、左右の柱に一対の聯が掲げてあった。
『長生不老の神仙府』
『与天同寿の道人家』
これを見た悟空は、鼻で笑い飛ばした。
「けっ、大きく出やがったな。人を脅かそうって魂胆か? 俺様が五百年前、天宮で大暴れした時、あの太上老君の門前でさえ、こんな大それた文句は見かけなかったぞ」
八戒がたしなめる。
「まあ気にするなよ。入ろう、入ろう。もしかしたらここの道士、少しは腕が立つのかもしれん」
さらに奥へ進むと、中から二人の童子が急ぎ足で出てきた。その身なりの涼やかで美しいことといったら。
骨格は清らかで精神は爽やか、顔立ちは紅顔の美少年。
頭には二つの髷を結い、短い髪はふわりと風に舞う。
道服は自然と霧をまとい、羽衣は軽やかにひるがえる。
腰の組み紐はしっかりと龍頭の結び目を作り、足元は絹の紐で結んだ草鞋。
その風采は俗人の及ぶところにあらず、まさに清風・明月の二仙童。
童子たちは丁重に背を曲げて一礼した。
「老師父、お出迎えが遅れました。さあ、どうぞお入りください」
長老は喜び、童子たちに案内されて正殿へと上がった。南向きの広々とした五間の大殿である。仙童が透かし彫りの格子戸を開け、唐僧を招き入れると、壁の中央にはただ五色に彩られた「天地」の二文字だけが掛けられていた。
朱塗りの机の上には黄金の香炉と花瓶が置かれ、すぐさま焚けるよう香の準備も整っている。唐僧は進み出て、恭しく香を摘んで炉にくべ、三度礼拝した。拝み終えて、ふと疑問を口にした。
「仙童よ、この五荘観はまさに西方の仙界そのもの。なぜ三清や四帝といった諸神を祀らず、ただ『天地』の二文字だけに香を手向けるのだ?」
童子はふふっと笑って答えた。
「老師に隠し立ては無用でしょう。実はこの二文字、上の『天』の字には礼を尽くすべきですが、下の『地』の字は、我々の香火を受けるには値しません。これは師匠がご機嫌取りのために祀ったにすぎないのです」
「ご機嫌取りとは?」
「三清(元始天尊・霊宝天尊・道徳天尊)は師匠の友人、四帝(玉皇大帝など)は師匠の故友、九曜星君は師匠の後輩、元辰など師匠の下客に過ぎませぬゆえ」
それを聞いていた悟空、腹を抱えて笑い出した。
「兄貴、何がおかしいんだ?」と八戒。
「俺様も大概な法螺吹きだが、この道士の小僧っ子も、俺に輪をかけて大風呂敷を広げやがる」
三蔵は咳払いをして尋ねた。
「尊師はどちらにおいでかな?」
「師匠は元始天尊の招待を受け、天界の弥羅宮へ『混元道果』の講義を聞きに行っており、あいにく留守にしております」
悟空はこれを聞いて我慢できなくなり、怒鳴りつけた。
「この臭い小僧め! 人を小馬鹿にしおって。誰の前で出鱈目を並べているんだ? 弥羅宮に太乙天仙なんて者がいるものか。お前ごとき牛の蹄にも劣る青二才を呼んで、何の講義だと言うんだ!」
悟空がいきり立つのを見て、三蔵は童子が言い返し喧嘩になるのを恐れた。
「悟空、争うのはおよし。他人の屋敷に入り早々揉め事とは非礼であろう。『鷺は鷺の肉を食わず(同類相食まず)』と言うではないか。ご主人が不在なら、大人しくしていればよい。お前は山門の前で馬に草を食ませ、沙僧は荷物の番をしなさい。八戒、お前は包みを解いて米を出し、そこの台所で飯を炊くのだ。発つ時に薪代を置いていけばすむこと。それぞれ仕事をしなさい。私はここで少し休み、腹を満たしたら出発することにする」
三人は言いつけ通りに殿を出て行った。
残った明月と清風は、ひそかに感心してささやき合った。
「立派なお坊様だ。さすが西方の聖僧、器量が違う。師匠が唐僧をもてなして人参果を差し上げよと言われたが、手下の者たちには気をつけろとも言われていた。なるほど、あの三人の人相の悪さと粗暴さは相当なものだ。運良く彼らを追い払ってくれたからよかったものの、もし彼らが近くにいたら、人参果を見せるわけにはいかなかったな」
「弟よ、だが本当にこのお坊様が師匠の友人か確認しないと。間違っていたら一大事だ」
二人の童子は再び長老に向き直り、尋ねた。
「お伺いしますが、老師は大唐から西天へ経典を求めに行かれる、唐三蔵様でいらっしゃいますか?」
長老は礼を返した。
「如何にも、貧僧がそうです。仙童はなぜ私の名をご存じで?」
「師匠が出発の際、お出迎えするよう申しつけて行かれたのです。思いがけず早く到着されたため、遅くなり失礼いたしました。老師、どうぞお座りください。茶をお持ちします」
「それは恐縮です」
明月は急ぎ部屋に戻り、香り高い仙茶を淹れて長老に捧げた。茶を飲み終えると、清風が目で合図した。
「弟よ、師匠の言いつけに背いてはいけない。例の果物を取りに行こう」
二人の童子は三蔵に断って部屋に戻ると、一人は「金の撃子」と呼ばれる棒を、もう一人は「丹盤」という受け皿を持ち、皿の底に緑の絹布を敷いて、人参園へと向かった。
清風がするすると木に登り、金の撃子で実を叩く。明月は木の下で丹盤を構えて待つ。やがて、ポトリ、ポトリと二つの実が落ちてきて、それを盤で柔らかく受け止めた。
二人は前殿へ戻り、うやうやしく捧げ持った。
「唐師匠、我ら五荘観は人里離れた山中にあり、お出しできるご馳走もございませんが、土地の果物を二つばかり、旅の渇きを癒やす足しになさってください」
長老は目の前に出された実を見るなり、仰天してぶるぶると震え、三尺ばかりも後ずさりした。
「なっ、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏! 今年は豊作だというのに、どうしてこの観では飢饉でもないのに人を食うのだ? これはまだ生まれて三日もしない赤子ではないか。これを食べろと言うのか?」
清風は胸中でつぶやいた。
(この和尚、俗世の塵にまみれて目が曇っているな。仙家の秘宝を知らないとは)
明月が一歩進み出る。
「老師、これは人参果という果実です。ただの赤子ではございません。召し上がっても祟りはございませんよ」
「馬鹿を言うな! 父母がどれほどの苦労をして産み落とした子か。あどけない嬰児を果物扱いするとは何事か」
「いえ、本当に木になった実なのです」と清風。
「出鱈目を申すな。木から人間が生まれる道理があるか? 早く下げなさい! 人の道に外れるわ!」
三蔵があまりに頑なに拒絶するので、二人の童子は仕方なく皿を下げて自分たちの部屋へ戻った。
この果物は霊妙なもので、長く置いておくことができない。時間が経つと硬くなって風味が落ちてしまうのだ。二人は顔を見合わせ、自分たちで食べることにした。寝台の縁に座り、それぞれ一つずつペロリと平らげてしまった。
なんと運の悪いことか! 壁に耳あり障子に目ありとはこのことだ。彼らの部屋と厨房は壁一枚隔てた隣同士だったのである。二人の話し声は、厨房まで筒抜けだった。
厨房では、猪八戒が鍋の様子を見ていた。先ほど「金の撃子」だの「丹盤」だのという不思議な言葉を聞き、気になって聞き耳を立てていたのだ。そして今、「唐僧が人参果を知らずに断ったので、持ち帰って自分たちで食べた」という会話を聞きつけ、たちまち口の中がよだれで洪水になってしまった。
「うひゃあ、そんなうまいモンなら、どうにかして一つ味見できないもんか……」
しかし自分は図体が大きく動きも鈍い。そうだ、あの猿に頼もう。
彼はかまどの火もそこそこに、外をうろうろして悟空を待った。しばらくすると、悟空が馬を引いて戻り、庭の木に繋いで裏へ回ってくるのが見えた。八戒は懸命に手を振った。
「こっちだ、兄貴、こっちだ!」
悟空は振り返って厨房の入り口へやって来た。
「おい、何を慌ててるんだ? 飯が足りないのか? まあ待て、お師匠様に腹いっぱい食わせてから、托鉢にでも行ってやるよ」
「違うんだよ、飯の話じゃない。この観にはすげえ宝物があるって知ってるか?」
「宝物だと?」
「話しても見たことねえだろうし、見せても分からねえだろうなあ」と八戒は勿体ぶる。
「おい呆、俺様を馬鹿にするな。俺様は五百年前、仙道を求めて海千山千を巡り歩いたんだ。天下の珍奇で見てないものなんてあるもんか」
「へへ、兄貴、『人参果』を見たことがあるかい?」
悟空は目を見開いた。
「そいつは本当に見たことがねえ! 人参果は別名・草還丹とも呼ばれ、食べれば不老不死になれると聞いたことはあるが、実物は見たことがない。今時どこにあるんだ?」
「ここにあるんだよ。さっき童子たちが二つお師匠様に勧めたんだが、あの堅物の爺さん、『赤ん坊だ』なんて気味悪がって食べなかったんだ。ところが童子たちも性根が悪い。お師匠様が食べないなら俺たちにくれりゃいいのに、隠れて自分たちだけでムシャムシャ食っちまった。俺はもう我慢ならねえ。どうにかして一つ味見してえんだ。お前さんの腕前なら、ちょいと盗んでくるくらいわけないだろう?」
「ふん、お安い御用だ。俺様にかかれば朝飯前よ」
悟空が飛び出そうとすると、八戒が慌てて引き留めた。
「兄貴待て、あいつら部屋で『金の撃子』を使って落とすって話してたぞ。鉄や木じゃ駄目かもしれん。うまくやってくれよ、絶対にバレるなよ」
「わかってる、任せておけ!」
斉天大聖孫悟空は身を揺すって術を使い、風のように道士の部屋に忍び込んだ。二人の童子は果物を食べた後、三蔵法師の話し相手をしに殿上へ行っており、部屋には誰もいない。
あたりを見回すと、窓枠に長さ二尺ほど、指ほどの太さの純金の棒が掛けてある。下端はニンニクのような瘤状、上端には穴が開き、緑の紐が通してある。
「これが金の撃子ってやつだな」
彼はそれを手に取り、部屋を出て裏へ回った。二枚の扉を押し開けると、そこには目を奪うような花園が広がっていた。
朱塗りの欄干、宝玉の敷居、曲がりくねった趣深い石段。
奇妙な形の花々は太陽と美を競い、青竹は空の青さと緑を争う。
柳は煙るようにたなびき、松の群れは濃い藍色をたたえて茂る。
紅々と燃える石榴は錦の巣の如く、苔の緑は柔らかな絨毯の如し。
谷間には蘭が香り、清らかな渓流がさらさらと音を立てる。
紅白入り交じる桃の花、香り高き黄菊、そして咲き乱れる牡丹や芍薬。
さらに鶴の群れ、鹿の群れ。四角い沼に丸い池。
冬になれば梅が綻び、春には海棠が紅を点じる。
まさに人間界第一の仙景、西方随一の花園であった。
悟空はその美景に見とれながら奥へ進み、もう一つの門を開けた。そこは広大な菜園であった。
季節の野菜が所狭しと植えられている。
葱、韮、蒜の香味。
蕪、大根、芋、瓜、瓢箪、茄子の実り。
さらに香菜や菠薐草の緑が鮮やかだ。
「へえ、ここの道士たちも自給自足ってわけか」
菜園を抜け、さらにもう一つの門を開けると、おお! そこには天地を衝くような一本の大木がそびえ立っていた。
枝は青々と茂り、芭蕉のような葉が重なり合って濃い陰を作る。高さは千尺にも及ぼうか、根元の周囲も七、八丈はある巨木だ。
悟空が木の下から見上げると、南側の枝にぶら下がる人参果が目に入った。噂通り、まごうことなき赤ん坊の姿である。枝からぶら下がり、手足をバタバタさせ、頭を振り、風が吹くたびに声を上げて笑っているかのようだ。
悟空は小躍りして喜んだ。
「こいつはすげえ! 実に珍しい代物だ」
彼はヒュッと音もなく木に登った。猿が木に登り果物を取るなど、得意中の得意である。
金の撃子でコツンと実を叩く。実はポトリと落ちた。彼もすぐさま飛び降りて実を探した。しかし、不思議なことにどこにも見当たらない。草むらをかき分け、あちこち探したが、影も形もなかった。
「おかしいぞ……足があって逃げたとしても、壁を飛び越えるわけはない。さては、この花園の土地神の仕業だな。俺様に手柄を奪われまいと隠したんだろ」
悟空は印を結び、「唵」と呪文を唱えて、花園を守る土地神を呼び出した。
地面から一人の老人が現れ、慌てて礼をした。
「大聖様、小神をお呼びでしょうか?」
「おう、お前、俺様が天下に名の知れた盗賊の親玉だと知らないのか? 蟠桃や天界の酒、霊丹を盗んだ時でさえ、誰も上前をはねようなんて言わなかったぞ。たかが果物を一つ盗んだくらいで、隠すとはどういう料簡だ? 木の実なんてものは、空を飛ぶ鳥だってついばむ権利がある。どうして落とした途端にかすめ取った?」
「滅相もございません! この宝物は偉大なる地仙のもの、小神は下っ端の鬼仙、どうして盗むなど大それたことができましょう。匂いを嗅ぐ資格すらございません」
「盗んでないなら、どうして消えた?」
「大聖様はこの実が長寿の妙薬であることはご存知でも、その特質まではご存知ないようです」
「どんな特質だ?」
「この実は、五行の理によって取り扱わねばなりません。『金に遇えば落ち、木に遇えば枯れ、水に遇えば溶け、火に遇えば焦げ、土に遇えば潜る』のです」
土地神は説明を続けた。
「落とす時は、必ず金属性の器、すなわち金の撃子を使わねば落ちません。落ちた実は、木器に触れると枯れて効力を失うため、絹を敷いた皿で受けねばなりません。食べる時は磁器を使い、清水で溶かして食します。そして『土に遇えば潜る』――大聖様が今、地面に直接落とされたため、実は土の中へ潜り込んでしまったのです。ここの土壌は四万七千年の霊気で鋼鉄よりも硬くなっており、実は一体化しています。だからこそ、これを食べた人は長生きできるのです」
悟空は訝しんだ。
「本当か? 試しにやってみるぞ」
彼は金箍棒を取り出し、地面を思い切り突いた。しかしカーンという高い音がして棒が跳ね返り、土には傷一つ付かない。
「なるほど、本当だな。俺様の棒でさえ傷一つ付かないとは。疑って悪かった、下がってよいぞ」
土地神は安堵して姿を消した。
特質がわかればこっちのものだ。
大聖は再び木にするすると登った。片手に撃子を持ち、もう片手で道着のゆったりとした裾を持ち上げて袋状にする。枝を渡り葉をかき分け、狙いを定めて三つの実を叩き落とした。実はポトリ、ポトリと裾の中へ落ち、今度は消えることはなかった。
目的を果たすと木から飛び降り、風のように厨房へ戻った。
八戒が目を輝かせて待っていた。
「兄貴、あったか?」
「見ろよ、この通り」と悟空は実を見せる。「悟浄にも隠すわけにはいかん、呼んでこい」
「おうとも!」
八戒が小声で手招きする。
「悟浄、悟浄、来いよ」
悟浄は荷物の番をしていたが、呼ばれて厨房へ入ってきた。
「兄貴、何の用だ?」
悟空は服の裾を開いて見せた。
「弟よ、これが何だか分かるか?」
「おっ、人参果じゃないか!」
「さすがだな。知ってるのか、食ったことがあるのか?」
「食べたことはないが、昔、天界で『捲簾大将』だった頃、王母娘娘の蟠桃の宴で見たことがあるんだ。海外の仙人たちが長寿の祝いに献上するのをな。兄貴、後生だ、少し味見させてくれんか?」
「水くさいことを言うな。俺たちは三人兄弟、仲良く一つずつ分け前だ」
三人は、この世ならぬ珍味を一つずつ手に取った。
猪八戒は食い意地が張っている上に口も大きい。童子が食べているのを聞いた時から想像ばかりが膨らみ、我慢の限界だった。実を手にするなり、味わう暇もなく、ポイと口へ放り込み、ゴクリと丸呑みしてしまった。
きょろきょろと悟空と悟浄を見比べる。
「なあ、お前ら二人が食ったのは何だったんだ?」
「何って、人参果だよ」と悟浄は呆れ顔。
「どんな味がした?」
「なんだお前、一番先に食っておいて、誰に聞いてるんだ?」と悟空が笑う。
「いやあ兄貴、慌てて飲み込んじまったもんで、味もへったくれもあったもんじゃねえ。種があったかどうかも分からねえや。兄貴、せっかくここまでしたんだ。俺の腹の虫を暴れさせちまった責任をとって、もう一つ取ってきてくれよ。今度はじっくり味わうからさ」
悟空はぴしゃりと言った。
「弟よ、『足るを知る』って言葉を知らんのか。これは米や麺みたいに腹いっぱい詰め込むもんじゃないんだ。一万年にたった三十個しかできない霊薬だぞ。俺たちが一つずつありつけただけでも、途方もない縁なんだ。贅沢言うな、もうおしまいだ」
そう言うと悟空は立ち上がり、証拠隠滅のために金の撃子を窓の隙間から道士の部屋へ投げ返し、知らん顔を決め込んだ。
だが、八戒はまだ未練たらしくブツブツと文句を垂れている。
運悪く、ちょうどその時、二人の童子が三蔵の部屋から茶器を下げに厨房のそばを通った。壁越しに、「人参果を食べたけど味がわからねえ、もう一つ食いてえなあ」という八戒の濁声が漏れ聞こえてしまった。
清風が足を止めた。
「明月、聞いたか? あの口の長い和尚が『人参果をもう一つ食いたい』とか抜かしてるぞ。師匠の手下が盗んだんじゃないか?」
「兄さん、大変だ! 見ろ、部屋の床に金の撃子が転がっているぞ」
部屋を覗くと、確かに撃子が落ちている。
「園へ行って確かめよう!」
二人が急いで行ってみると、花園の扉が開いているではないか。
「おかしい、この扉は私が確かに閉めたはずだ」
顔色を変えて駆け抜けると、菜園の扉も同様に開いている。
慌てて人参園へ飛び込み、木の下へ駆け寄った。上を見上げ、指差して一つ一つ数え始める。何度数え直しても、二十二個しかない。
「明月、計算できるか?」と清風。
「ああ、できるとも」
「言ってみろ」
「実は元々三十個。師匠が開園の時に二つ食べて残り二十八個。さっき唐僧に二つ打って残り二十六個だ。それが今二十二個しかないってことは……四つ足りないじゃないか!」
二人は顔を見合わせた。
「あの悪党どもめ、やりやがったな! 盗んだのはあいつらに決まってる!」
怒り心頭に発した二人は、園を飛び出して本殿へ駆け上がった。唐僧を見るなり指を突きつけ、禿げだの盗っ人だのと、口を極めて罵り始めた。
三蔵法師はわけがわからず目を丸くした。
「仙童たちよ、何をそんなに興奮しておるのだ? 落ち着きなさい。文句があるなら静かに話せばよいではないか」
「静かにだと! とぼけるのもいい加減にしろ! 人参果を盗み食いしておいて、どの面下げて説教なんぞする気だ?」
唐僧は真顔で尋ねた。
「人参果とは、どんな形のものかね?」
「白々しい! さっきお前に勧めた、赤ん坊の形をしたやつだよ!」
「南無阿弥陀仏……! あのようなもの、見ただけで肝を冷やしたというのに、盗んで食べる勇気などあろうはずがない。たとえ飢え死にしそうでも、そんな蛮行はせぬよ。濡れ衣だ」
「ふん、お前は食べてなくても、手下の者たちが盗み食いしたに決まってる」
三蔵はうなずいた。
「なるほど、それなら筋が通るかもしれん。わかった、弟子たちに聞いてみよう。もし盗んでいたなら、必ず相応の償いをさせる」
「償いだと? お前なんぞを骨まで売ったって、買えるような代物じゃないんだぞ!」
「買えずとも、古人も『仁義は千金の如し』と言う。誠意を持って謝罪させれば済むことだろう」
明月は鼻息荒く言った。
「あいつらに決まってる! さっき厨房で『分け前が少ない』だのなんだの騒いでいたのをこの耳で聞いたんだ」
三蔵は大声を上げた。
「弟子たちよ! 全員ここへ来なさい」
外にいた悟浄が小声で言った。
「まずいぞ、バレた。お師匠様が呼んでるし、小童どもがカンカンだ。さっきの話を聞かれたに違いない」
悟空はふてぶてしく笑った。
「けっ、面倒なことになったな。だがな、たかが食い物のことだ。はいそうですと白状したら、食い意地の張ったこそ泥だと一生笑い者だぞ。いいか、絶対に認めるなよ」
「その通りだ、しらばっくれりゃあいい」と八戒も同調する。
三人は口裏を合わせ、知らぬ顔を決め込んで殿上へと上がった。
さて、彼らはこの窮地をいかなる詭弁で切り抜けるつもりなのか。
【放送事故】伝説の「赤ちゃん型フルーツ」を弟子が盗み食いして大炎上!
舞台: 超高級な仙人の豪邸「五荘観」。
家主: 鎮元大仙。「天と同じ寿命」を持つレベルの超大物。今は出張中。
レアアイテム: 「人参果」。見た目は「生まれたての赤ちゃん」。1万年に30個しか採れず、匂いを嗅ぐだけで360歳、食べれば4万7千歳まで生きられる最強のアンチエイジング・フード。
事件発生:
家主が「旧友の三蔵法師には2個あげて」と指示。
出された三蔵は「これは人間の赤ん坊だ!」とドン引きして拒否(※リアクション芸ではなくガチの恐怖)。
対応した童子(留守番)が、もったいないから自分で食べちゃう。
それを盗み聞きした食いしん坊の八戒と、悟空・悟浄がこっそり庭に侵入し、道具を使って盗み食い。
童子にバレて泥棒扱いされ、プライドの高い悟空たちは「やってねーよ!」と逆ギレして隠蔽工作を図る。
結局高潔な僧侶の旅のはずが、欲望に負けた弟子たちによる「高級フルーツ窃盗事件」へと発展し、泥沼の喧嘩が始まる回。
作者・呉承恩が生きた明の時代(16世紀頃)の社会通念や宗教観をフィルターにすると、このドタバタ劇は全く違う顔を見せます。
「官僚接待社会」と「コネ社会」の風刺
五荘観の主・鎮元大仙は、孫悟空も驚くほどのビッグネームです。彼がなぜ三蔵法師に高級フルーツを振る舞おうとしたか? それは「元・如来の弟子だから(金蝉子の生まれ変わりだから)」です。
ここには、明代の「徹底したコネ社会・互酬社会」が描かれています。
大仙の論理: 「あいつは今はただの坊主だが、バックに如来がいるエリートだ。今のうちに恩を売っておこう(接待)」
庶民(弟子)の排除: 高級品は上級国民同士で回されるもので、下っ端(悟空たち)には渡らない。
悟空たちが盗んだのは、単なる食欲ではなく、「俺たちだって元天界のエリートなのに、なぜ除外されるんだ」という階級社会への反逆心が根底にあります。
道教 vs 仏教のブラックユーモア
この回は「道教(不老長寿の仙人)」のテリトリーでの話です。
人参果のグロテスクさ: 「赤ん坊を食べて長生きする」という設定は、当時流行していた怪しげな「不老長寿法(房中術や胎盤食など)」への強烈な皮肉とも取れます。
三蔵の反応: 仏教徒の三蔵が「残酷だ!」と拒絶するのは、慈悲の心を表すと同時に、「長生きのために"生命の形"を食らう道教的執着」に対する仏教側からの批判として機能しています。
「形式」を重んじる文化
留守番の童子たちが、客人の弟子(悟空たち)を見下して罵倒するシーンは、「虎の威を借る狐(主人の権威を笠に着る使用人)」の典型です。当時の貴族の屋敷では、門番や使用人が威張り散らしてトラブルになることが日常茶飯事でした。この物語は、そうした「組織の末端の腐敗」も活写しています。
「五行思想」のパズルゲームとしての完成度
人参果を盗むプロセスには、中国古代のシステム「五行(木・火・土・金・水)」のルールが厳密に適用されています。
金で落とす: 金の棒(撃子)を使わないと落ちない。
土に入れば潜る: 土に落ちると一体化して消える。
木に触れれば枯れる: 絹を受け皿にしないとダメ。
これは単なる魔法ではなく、「世界を構成するエレメントの相性バトル」です。土地神が理屈っぽく解説するシーンは、今のRPGにおける「属性相性システム」の説明書そのもの。西遊記が当時の「理系的・魔術的知識」の集大成であることを示しています。
「カニバリズム(食人)」の境界線
「人参果」は果物ですが、三蔵法師には完全に「人間の赤ん坊」に見えています。
ここにはホラーな深読みが可能です。
メタファー: 仙人になるということは、ある種「人間性を捨てて、幼児のような純粋な"気"の塊(道教でいう『嬰児』)」を取り込むことである、という象徴。
境界線: 三蔵(常識的な人間)にとっては「カニバリズム(食人)」の恐怖。しかし、悟空や八戒(妖怪上がりの手練れ)にとっては「ただの栄養価の高いレアアイテム」。
「悟りを開く」ことと「人外になる(魔道に落ちる)」ことの境界線が極めて曖昧に描かれている、実は怖いエピソードなのです。
孫悟空の「プライド管理」の物語
なぜ悟空は盗んだのか? 彼は過去に天界の桃(蟠桃)を盗み食いした前科がありますが、今回は自分から率先したわけではなく、八戒に唆され、かつ「俺たちは仲間外れか?」という疎外感から動いています。
かつて「斉天大聖(天と等しい聖者)」と名乗った彼が、田舎の道観の童子に見下され、盗っ人呼ばわりされる屈辱。
この後の回で彼が激怒してとんでもない行動(ネタバレになるため伏せますが、木を根こそぎ倒す)に出るのは、食い物の恨みではなく「ナメられたことへの復讐」です。
この回は、悟空がまだまだ「仏」には程遠い、承認欲求の塊であるヤンキー精神を残していることを露呈させる重要な通過儀礼なのです。
今回のまとめ、「どれほど高尚な舞台(仙界)に行こうとも、人間の欲望(差別意識、食欲、プライド、隠蔽体質)はなくならない」という現実です。
輝かしい「神仙の福地」で繰り広げられる「泥臭い人間ドラマ」。このギャップこそが、西遊記が一級の娯楽小説であるゆえんです。




