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私説 西遊記の遊戯  作者: 光闇居士


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第二十三回:三蔵、本懐を忘れず 四聖、禅心を試す

挿絵(By みてみん)

秋色深き山中の幻影 —賈夫人の屋敷

雲海と楼閣の神秘


白雲の 八重立つ奥に 現れし 仙の宮居か 秋の幻

(しらくもの やえたつおくに あらわれし せんのみやいか あきのまぼろし)


幾重にも立ち込める白い雲の奥深く、忽然と現れたあの壮麗な建物は、仙人が住むという宮殿なのだろうか。それとも、この深山の秋が見せる幻なのだろうか。


画面を支配する圧倒的な雲海と、その上に浮かぶように建つ巨大な楼閣の神秘性に焦点を当てました。「仙の宮居(仙人の住む宮殿)」という言葉で、俗世離れした雰囲気を表現しています。



【しおの】


遥か天竺を目指しのりを奉じて進む道は果てしなく、秋風は肌を刺すように冷ややかに吹き渡り、霜は花弁のように舞い散るばかり。荒ぶる猿の心はしっかりと繋ぎ止め、奔放な意馬には鞭打たずとも勤勉に手綱を引くのみ。

もともと木気である猪と金気である猿は互いに影響し合い、土気たる沙悟浄と火気たる心は本来一つに溶け合うもの。鉄の弾丸のような堅固な迷いを噛み砕いてこそ、真実の悟りに至り、智慧の船に乗って彼岸の故郷へと辿り着くことができるのです。

この一節が語るのは、経典を求める旅路そのものが、おのが本分を尽くす修行の道に他ならないという真理。

さて、三蔵法師とその弟子たちの四人は、真如の理を悟り、煩悩の塵を払い落として流砂河の苦難を抜け出し、心にかかる何ものもなく、まっすぐに西への大道を進んでいきました。青々とした山々や緑の水辺を遍歴し、名もなき野草や花々を飽きるほど眺めながら旅を続けます。光陰矢の如し、いつしか季節は晩秋となり、このような景色が旅人の目に映りました。

かえでの葉は山一面を燃えるような赤に染め、菊の花は晩秋の寒風に耐えて傲然と咲き誇る。

老いた蝉の声は次第に弱々しく途切れがちとなり、愁いを帯びたコオロギの音色は尽きることのない旅愁を奏でる。

蓮の葉は破れ尽くして青い絹扇の如く、だいだいの実が黄金の弾丸のように茂みの中で甘く香る。

見上げれば、哀れを誘う数行のかりが、点々と遠く空に列をなし、南へと去っていく。

一行が進むうちに、日は西山へと沈んでしまいました。三蔵法師は馬上より声をかけました。

「弟子たちよ、日は暮れてしまったが、今夜はどこで宿をとればよいだろうか」

孫悟空が即座に答えます。

「お師匠様、それは心得違いというものです。我ら出家した者は、風を食らい露を宿とし、月を枕に霜を敷いて眠るのが常。至る所が家ではありませんか。『どこで休む』などと問う必要がありましょうか」

すると猪八戒が口を挟みました。

「兄貴、お前さんは身軽だからいい気なもんだが、他人の苦労も少しは考えてくれよ。流砂河を渡ってからこっち、山を越え谷を渡り、俺はずっと重い荷物を背負ってきて、もうくたくただ。人家を探して少しばかりの斎食ときにありつき、ゆっくり休んで英気を養うのが筋ってもんだろう」

悟空はあきれたように言いました。

「このあほうめ。そんな口を利くとは、不満があるようだな。高老荘こうろうそうで怠けていた頃のような気楽な生活など、もう望むべくもないぞ。沙門しゃもんに入った以上、辛酸を舐めてこそ一人前の弟子というものだ」

「兄貴、この荷物がどれだけ重いか、まあ見てくれよ」と八戒は抗議します。

悟空は、「弟よ、お前と沙悟浄が加わってからというもの、俺は荷物を持ったことがないから、重さなんぞ知らんよ」と素っ気ない態度。

八戒は訴えます。「兄貴、よく見てみろよ。この中身ときたら……」

四本のとうで編んだ竹ひごに、長短あわせて八本の縄。

雨露あめつゆをしのぐフェルトの包みは三、四層にも重なり、

天秤棒てんびんぼうは滑らぬよう両端に釘を打ち、九つのがついた銅張りの錫杖しゃくじょうに、竹ひごと籐で編んだ大きな笠まである。

「こんな大荷物を毎日俺一人に背負わせて、自分はお師匠様の弟子面して、俺をただの下働きみたいにこき使いやがって」

悟空は笑いました。「呆め、誰に向かって言っている?」

「兄貴、お前さんに言ってるんだよ」

「お門違いだぞ。俺はお師匠様の身の回りの世話をするのが役目だ。お前と沙悟浄は荷物と馬の管理が仕事だろう。少しでも怠けようものなら、そのすねに手痛いお仕置きをくれてやるぞ」

八戒は肩をすくめました。

「兄貴、殴るなんて言うなよ。暴力で人を従わせようなんて野蛮だ。お前さんの気位が高いのは知ってるから、荷物持ちなんてさせようとは思わんさ。でも、お師匠様が乗ってるあの馬、あんなに立派で肥えてるのに、老いた和尚一人乗せてるだけだろ? 少しぐらい荷物を持たせたってバチは当たらないんじゃないか? それが兄弟の情ってもんだろう」

悟空は諭すように言いました。

「あれをただの馬だと思っているのか? あれはただの馬ではない。西海竜王・敖閏ごうじゅんの息子、龍馬三太子だ。御殿の明珠を焼き払ってしまった罪で父竜王に訴えられ、天界の掟により処刑されそうになったところを、観音菩薩様に救われたのだ。鷹愁澗ようしゅうかんでお師匠様を待ち続け、菩薩様の導きで鱗と角を取り去り、うなじの下の宝珠を外して馬の姿となり、お師匠様を背負って西天へ行き、仏果を得ることを願ったのだ。これはそれぞれの修行の功徳というものだ。あいつに頼ろうなどと思うな」

それを聞いて沙悟浄が尋ねました。「兄貴、本当に龍なんですか?」

「ああ、龍だとも」

八戒が言いました。「兄貴、昔の人は『龍は雲を吐き霧を吸い、土を巻き上げ砂を飛ばす。山を越えみねを越える技を持ち、かわを覆し海をかき回す神通力がある』と言うが、それにしては今日はずいぶんと、とろとろ歩いているじゃないか」

「早く走らせたいのか? よし、俺が一つ走らせて見せてやろう」

悟空はおもむろに金箍棒きんこぼうを取り出して握りしめると、万条の彩雲が湧き起こりました。馬は棒を持った悟空を見て、打たれるのを恐れて慌てふためき、四本のひづめを稲妻のように動かして、いななきと共に風のように駆け出しました。

三蔵法師は手綱を引く力もなく、馬の奔放な性質に任せて崖を駆け上がり、ようやく平らな道に出て歩みが緩まりました。息を整えて顔を上げると、遠くに松林の陰、その中に立派な家屋が数軒建ち並んでいるのが見えました。

門には青々としたかしわが垂れ下がり、家は秀麗な青山を背負う。

数本の松が風に揺れ、竹林が清々しいまだら模様を描き出す。

垣根のそばには野菊が霜を帯びて鮮やかに咲き、橋のたもとには幽玄な蘭が水面に映えて赤く色づく。

粉壁ぬりかべは白く輝き、レンガで囲まれた丸い庭は整然としている。

広間は壮麗にして静寂。牛や羊の姿はなく、鶏や犬の声もしない。秋の収穫を終えて、里は静かな眠りについたかのよう。

三蔵法師が手綱を緩めてあたりを眺めていると、悟空たちが追いついてきました。悟浄が声をかけます。「お師匠様、落馬なさいませんでしたか?」

三蔵は声を荒げました。「悟空、この暴れ猿め! 馬を驚かせおって。危うく振り落とされるところだったぞ」

悟空は愛想笑いを浮かべました。「お師匠様、叱らないでくださいよ。八戒が『馬が遅い』と文句を言うもんだから、急がせてやったんですよ」

八戒は馬を追いかけて息を切らし、ブツブツと文句を言いながらやってきました。「まったく、参った参った。自分の腹の皮が見えるほど痩せちまって、腰のベルトもガバガバだ。荷物は重くて持ち上がらないし、その上走り回って馬を追いかけさせられるなんて」

三蔵はなだめました。「弟子たちよ、あそこを見てみろ。立派な屋敷があるぞ。あそこで宿を借りよう」

悟空が急いで顔を上げると、その屋敷の上空には慶雲けいうんが漂い、瑞祥ずいしょうの霧が立ち込めているのが見えました。悟空はそれが仏や仙人の化身した場所であると瞬時に悟りましたが、天機を漏らすわけにはいかないので、ただこう言いました。「いいですね、そうしましょう。宿を借りに行きましょう」

三蔵法師は馬を下りました。見れば、垂木に蓮の花や象の鼻の彫刻が施された立派な門楼があり、梁には極彩色の絵が描かれています。悟浄は荷物を下ろし、八戒は馬の手綱を引いて、「こりゃあ、ずいぶんと裕福な家だな」と呟きました。

悟空がそのまま入っていこうとすると、三蔵法師は引き留めました。

「ならん。我々は出家した身だ。疑われないよう慎み深くせねばならん。勝手に入ってはならぬ。誰かが出てくるのを待って、礼を尽くして宿を頼むのが筋だ」

八戒は馬を繋ぎ、塀の根元に寄りかかりました。三蔵は石の腰掛けに、悟空と悟浄は土台の縁に座ります。

しばらく待っても誰も出てこないので、短気な悟空は立ち上がって門の中を覗き込みました。南向きの三間の大広間があり、高いすだれがかけられています。衝立のような門には「寿山福海じゅざんふくかい」の掛け軸。両側の金漆塗りの柱には真っ赤な紙に書かれた春聯しゅんれんが貼られていました。

『柳の糸が風に漂い、平らな橋に夕暮れが迫る』

『雪が香る梅を点じ、小院に春が訪れる』

正面には光沢のある黒漆塗りの香几こうきが置かれ、その上には古い銅製の獣型香炉。上座には六つの交差した椅子があり、壁には四季を描いた掛け軸がかかっています。

悟空がこっそり覗いていると、奥の扉から足音がして、ひとりの中年の婦人が現れました。彼女はなまめかしい声で尋ねました。

「どなたですか、未亡人の家に勝手に入り込むとは?」

悟空は慌てて何度も頭を下げ、進み出ました。

拙僧せっそうは東の唐の国から参りました者です。勅命を受けて西へ仏を拝み経典を求めに行く途中です。一行四人、この地を通りかかりましたが、日も暮れましたので、老菩薩様のお屋敷に一晩の宿をお願いしたく存じます」

婦人は笑顔で迎えました。「長老様、他の三名様はどちらに? どうぞお入りください」

悟空は大声で呼びました。「お師匠様、お入りください!」

三蔵法師はようやく八戒、悟浄と共に馬を引き、荷物を担いで中に入りました。婦人は広間に出て出迎えました。八戒は横目でチラチラと彼女を見ましたが、その装いは実に目を引くものでした。

錦織の緑の絹の上着に、淡い紅色の袖なし羽織。

腰には鮮やかな刺繍が施された鵞鳥がちょうの雛のごとき黄色のスカートをまとい、足元には厚底の花模様の靴。

髪は流行のまげを結い、黒い紗で覆えば、二色の龍の飾りが金糸に映える。

宮廷風の象牙の櫛と翡翠が揺れ、金のかんざしが二本、艶やかに挿されている。

半ば白髪交じりの雲のような髪は鳳凰の翼のように広がり、耳には真珠の飾りが揺れる。

化粧などせずともその美しさは際立ち、その風情はさながら若き日の才人のよう。

婦人は三人の姿を見てさらに喜び、礼儀正しく広間へと招き入れました。一通り挨拶を済ませると、それぞれ席に着いてお茶を勧めます。屏風の後ろから、お下げ髪を結った少女が現れ、黄金の盆に白玉はくぎょくの茶碗を載せて運んできました。茶は温かな湯気を立て、珍しい果物が芳しい香りを放っています。少女は鮮やかな袖をまくり、たけのこのように白く長い指で茶碗を捧げ持ち、一人一人に丁寧に茶を振る舞い、礼拝しました。

お茶が終わると、婦人は食事の用意を命じ、三蔵法師は手を合わせて尋ねました。

「老菩薩様、ご尊名は何とおっしゃいますか? またこの地は何という場所でしょうか」

婦人は答えます。

「ここは西牛貨洲さいごけしゅうの地です。わたくしの実家はといい、嫁ぎ先はばくと申します。幼い頃に不幸にもしゅうとしゅうとめを亡くし、夫と共に先祖代々の家業を継ぎました。家財は万を数え、良田は千頃せんけいにも及びます。ただ夫婦の間に男の子は恵まれず、三人の娘が生まれました。一昨年、不幸にも夫を亡くし、わたくしは未亡人となり、今年で喪が明けました。田畑や家財は残りましたが、親戚縁者は一人もおらず、母と娘たちだけで守っております。他家へ嫁ごうにも、この家業を捨てるわけにはまいりません。そこへちょうど長老様方がお見えになり、拝見すれば師弟四人。わたくしども母娘四人、この家で入り婿を迎えたいと考えておりましたが、皆様も四人、あつらえたように数も合います。いかがでしょうか、ここにとどまるおつもりは?」

三蔵法師はその言葉を聞くや、耳が聞こえないふり、口がきけないふりをして、目を閉じ心を鎮め、一言も発しません。

婦人は構わず続けました。

「我が家には水田が三百頃けい余り、畑が三百頃余り、山林や果樹園が三百頃余りございます。水牛は千頭余り、騾馬や馬は群れをなし、豚や羊は数え切れませぬ。各地に点在する荘園や牧草地は六、七十箇所。蔵には十年かけても食べきれない穀物、一生着ても着きれない綾羅錦繍、使いきれない金銀がございます。春の夜の帳の中で愛を語らう喜びは、金の簪を並べるよりも勝るもの。師弟の皆様が心を入れ替えて入り婿となってくだされば、何不自由なく栄華を楽しめますのに、西へ行って苦労するよりずっと良いのではありませんか?」

三蔵法師は相変わらず、まるで土人形のように黙り込んでいます。

婦人はさらに畳みかけます。

「わたくしは丁亥の年の三月三日酉の刻生まれで、亡き夫より三つ年下、今年は四十五になります。長女は真真しんしんといい今年二十歳、次女は愛愛あいあい十八歳、三女は憐憐れんれん十六歳です。誰もまだ許嫁はおりません。わたくしは盛りを過ぎた女ですが、娘たちは多少器量よしで、針仕事も一通りできます。夫に息子がいなかったため、息子同然に育て、幼い頃には儒学の書も読ませ、詩文も少しはたしなみます。田舎暮らしとはいえ、それほど粗野な者たちではありません。きっと長老様方のお相手としてふさわしいでしょう。もし皆様がその気になって、髪を伸ばして還俗し、我が家の主人となってくだされば、それはもう、粗末な衣をまとい草鞋を履いて笠をかぶる生活よりもずっと素晴らしいことですよ」

三蔵法師は上座に座ったまま、雷に打たれた子供か、雨に濡れた蛙のように、ただ呆然として白目をむき、気を失わんばかりでした。

一方、八戒はそのような富と美色の話を聞いて、心がうずいてたまりません。椅子の上で、まるで尻に針を刺されたかのように身をよじり、我慢できなくなりました。彼はついに進み出て、三蔵法師の袖を引いて言いました。

「お師匠様、奥様がお話しされているのに、なんで知らんぷりを決め込んでるんですか? 何か返事をするのが礼儀ってもんでしょう」

三蔵法師はハッと顔を上げ、「とつ!」と一喝しました。

「この畜生め! 我々は出家した身だ。富貴に心を動かされ、美色に心を奪われるなど、あってはならないことだ!」

婦人はころころと笑って言いました。「おやおや、哀れなこと。出家などして何の良いことがありましょう?」

三蔵法師は問い返します。「女菩薩様、では俗世にいて何の良いことがありましょうか?」

婦人は言いました。「長老様、まあお聞きなさい。俗世の喜びとはこのようなものです」

春には四角い布を裁ちて新しい絹衣きぬごろもをまとい、夏には軽やかな紗に着替えて涼やかに蓮を愛でる。

秋には新酒の芳醇な香りを楽しむ宴があり、冬には暖かい部屋で火を囲み、酒に頬を染める。

四季折々の楽しみは尽きることなく、節句ごとの御馳走もまた数え切れない。

錦の布団を敷き、華燭の典を挙げる夜の歓びは、行脚して弥陀を念じる空しき旅路に勝るもの。

三蔵法師は静かに答えました。

「女菩薩様、あなたが俗世で栄華を極め、家族団欒で過ごすのは、確かに素晴らしいことでしょう。しかし、我々出家した者にも、ひとつの良さがございます」

出家の志はもとより並々ならぬもの、かつての恩愛の情を断ち切る潔さあり。

外界の物に心を煩わせず、口に虚言なく、身の中には自ずと調和のとれた陰陽が宿る。

修行完成すれば天界の宮殿にちょうし、本性を見極め心を明らかにして魂の故郷へと帰らん。

俗世で生き血をすするような貪欲な暮らしをするよりは、老いて臭い皮袋と共に堕ちることを免れるが勝る。

これを聞いた婦人は激怒しました。

「この無礼な坊主め! 東の国から来た客でなければ、叩き出しているところですよ。わたくしは真心から、家財を譲り入り婿に迎えようと言っているのに、あなたは言葉で人を傷つけるとは。あなたが戒律を守るのは勝手ですが、あなたの部下の誰か一人でも我が家がもらい受けると言っているのに、どうしてそんなに頑固なのですか?」

三蔵法師は彼女の剣幕を見て、平身低頭して言いました。「悟空、お前がここに残るがよい」

悟空は知らぬ顔です。「俺は小さい頃からそんなことには疎いんだ。八戒に残ってもらえよ」

八戒は慌てました。「兄貴、俺を罠にはめるなよ。みんなでじっくり相談しようぜ」

三蔵は言いました。「お前たち二人が嫌なら、悟浄に残ってもらうか」

悟浄は毅然と答えます。「お師匠様、何をおっしゃいますか。私は菩薩様の教えを受けて戒律を守り、お師匠様をお待ちしていたのです。拾われてまだ二ヶ月、何の功徳も積んでおりません。どうしてこのような富貴を望めましょう? 死んでも西天へ参ります」

婦人は彼らが誰も応じないのを見て、さっと屏風の裏に隠れ、バタンと扉を閉めてしまいました。師弟たちは広間に取り残され、お茶も食事もなく、もはや誰も出てきません。八戒は焦り出し、三蔵法師を恨んで言いました。

「お師匠様は本当に世渡りが下手だなあ。話を全部ぶち壊しちまって。少しは融通を利かせて適当に合わせておけば、飯ぐらい食わせてもらえたのに。今夜一晩楽しく過ごせたかもしれないし、明日どうするかはまた考えればよかったんだ。こうやって門を閉ざされちまって、火の気もない冷たい部屋で、一晩どう過ごすんだよ?」

悟浄が冷やかします。「兄貴、あんたが婿になればいいじゃないか」

八戒は、「弟よ、人を陥れるな。じっくり相談しよう」と、まんざらでもない様子。

悟空が言いました。「相談もなにもあるか。お前がその気なら、お師匠様とあの婦人を親戚ということにして、お前は入り婿になればいい。結納金だって向こう持ち、披露宴だって豪勢だ。俺たちも少しはおこぼれに預かれる。お前は還俗できて一石二鳥じゃないか」

「話としてはそうだけど」と八戒はもじもじします。「俺は出家してまた還俗して、妻を捨ててまた妻を娶ることになるんだぞ」

「兄貴には奥さんがいたんですか?」と悟浄。

「お前はこいつを知らんのか。元々は高老荘の入り婿だったが、観音菩薩の戒めで仕方なく坊主になり、前の妻を捨ててついてきたんだ。多分、あの頃を思い出してムラムラ来たんだろう。呆め、この家の婿になれよ。ただ、俺に何度か頭を下げれば見逃してやるからさ」

「デタラメ言うな! みんな心の中は同じだろうに、俺だけ悪者にするなよ。昔から『和尚は色を好む餓鬼だ』って言うだろう? 誰だってそうさ。みんな勿体ぶって、いい話を台無しにして、飯にもありつけず、明かりもないなんて。今夜は我慢するとしても、明日はまたあの馬を引いて歩かなきゃならん。……お前らは座って待ってろ、俺が馬を放牧してくるから」

八戒は手綱を解き、馬を引いてそそくさと出て行きました。

「悟浄、お前はお師匠様とここにいろ。俺があいつについて行って、どこで馬を放牧するのか見てくる」と悟空。

「からかいすぎるなよ」と三蔵が言えば、「承知しました」と悟空は広間を出て身を揺すり、一匹の赤いトンボに変身して追いかけました。

八戒は馬を草場に連れて行くでもなく、ブツブツ言いながら裏門の方へ回りました。そこではあの婦人が三人の娘を連れて菊の花を愛でていました。八戒を見るや、娘たちはさっと身を隠します。婦人は門の前に立って言いました。

「長老様、どこへ?」

八戒は手綱を放り出してへつらいます。「奥様、馬に草を食わせに来ました」

「お師匠様はずいぶんと堅苦しい方ですね。我が家の婿になれば、流れの僧侶よりずっと良いでしょうに」

「あいつらは唐王の勅命があるから、背けないんですよ。さっき広間で俺を陥れやがって。俺も立場上、強く出られなくて。……ただ、奥様が俺のこの長い鼻と大きな耳を嫌がるんじゃないかと心配で」

婦人は言いました。「私は構いませんよ。男手が欲しいだけですから。でも、娘たちがあなたの器量を嫌がるのではないかと」

「奥様、お嬢様方によろしくお伝えください。男を選り好みするなってね。うちの唐僧は見た目はいいけど役立たずですよ。俺は醜いけど取り柄があります」

「どんな取り柄が?」

八戒は胸を張って謡うように言いました。

見た目は醜いが、骨身を惜しまぬ働き者。

千頃の畑があろうとも、牛など使わず耕してみせる。

俺のくわを一振りすれば、蒔いた種はたちまち芽吹く。

雨が欲しければ雨を呼び、風がなければ風を呼ぶ。

家の増築もお手の物、掃除に溝さらい、力仕事は何でもござれだ。

「家事ができるなら、もう一度お師匠様と相談してらっしゃい。話がつけば婿にしましょう」

「相談なんていりません。あいつは親じゃないし、やるかやらないかは俺次第ですから」

「わかりました。娘たちと話しておきましょう」

彼女は中に入り、パタンと裏門を閉めました。

八戒は馬を放牧することもなく、うきうきと引いて戻ってきました。しかし孫悟空は全てお見通し。先回りして三蔵法師に事の次第を報告しました。三蔵は半信半疑です。

やがて八戒が戻ってきました。「いい草がなくて、放牧できませんでした」

悟空は笑って、「放牧する場所はなかったが、馬を繋ぐ場所(結婚相手)は見つかったんじゃないか?」と突っ込みます。八戒は秘密が漏れたと悟り、首をすくめて黙り込んでしまいました。

その時、ギギッと扉が開き、赤い提灯と香炉を持った従者を従え、婦人が三人の娘を連れてしずしずと出てきました。

「真真、愛愛、憐憐、お坊様たちにご挨拶なさい」

娘たちが並び立つと、その美しさはまさに絶世のものでした。

蛾の触角のごとき眉、春の花の如き顔立ち。国を傾ける妖艶さと、心を動かすたおやかさ。

花のかんざしが愛らしさを添え、刺繍の帯は俗世を離れた風情を醸し出す。

ほころぶ唇は桜桃さくらんぼのごとく、歩めば蘭や麝香じゃこうの香りが漂う。

まさに天から降りた仙女、月の宮殿から出た嫦娥じょうがの再来か。

三蔵法師は合掌して目を伏せ、孫悟空は知らん顔、沙悟浄は背を向けます。しかし猪八戒だけは目を皿のようにして見つめ、邪な心が暴走し、「仙女様だ、こっちへ」と囁きます。

婦人は言いました。「四人の長老様、どなたか婿になってくださいますか?」

悟浄が、「私たちはもう相談して、猪という者が婿入りすることになりました」と言えば、八戒は「人を陥れるな」とまだ強がります。

悟空が叫びました。「お前は裏で話をつけてきたじゃないか! 何が相談だ。『奥様』なんて呼んでおいて。今日は大吉日、さっさと入って婿になれ!」

悟空は強引に八戒と婦人の手を合わせ、「親家母しんかぼ殿、婿を連れて行ってくれ!」と言い放ちます。

八戒はよろよろと奥へ連れて行かれ、残された三人は客間で休むことになりました。

さて、八戒は胸を高鳴らせて奥へと進みます。いくつもの部屋、曲がり角。「お義母さん、道がわからない、手を引いてください」「ここはまだ台所ですよ」。やがて奥の部屋に着くと、部屋中は銀の蝋燭が輝いていました。

「お婿さん、拝礼しなさい」と言われ、八戒は上座の義母に向かってお辞儀を済ませます。

「でお義母さん、どのお姉さんをくれるんですか?」

「それが悩みでね。長女をあげようとすると次女が、次女だと三女が、三女だと長女が怒るのです」

「じゃあ喧嘩しないように全員くださいよ」と八戒は厚かましく言います。

「馬鹿なことを。仕方ない、ここに手巾ハンカチがあります。これを被って『天婚』を試しましょう。娘たちをあなたの前で歩かせますから、捕まえた娘をあげることにします」

愚かな者は事の因果を知らず、色欲の刃は我が身を傷つける。

今宵の新郎は晴れがましく頭巾を被り、笑い者になるとも知らずに。

八戒は手巾を被り、見えない目で両手を広げ、娘たちを捕まえようとします。衣擦れの音、よい香り、仙女たちが笑いながら通り過ぎる気配。

東へ西へ、柱に抱きつき壁に激突し、転んでは起き、起きては転び。ついに八戒は傷だらけになり、床に座り込んで息を切らしました。

「お義母さん、娘さんたちはすばしっこすぎる。誰も捕まえられない」

婦人は頭巾を取りました。「お婿さん、娘たちが嫌がっているようですね」

「嫌がるなら、お義母さんが俺をもらってくれ」

「なんとまあ、ふらちな婿だこと。……ではこうしましょう。娘たちが真珠を縫い込んだ肌着を編みました。これを着られた娘を相手にさせましょう」

婦人が持ってきた肌着を、八戒は喜んで着込みました。しかし、帯を締めようとした瞬間、突然足元が崩れ落ちました。肌着は荒縄となり、彼の体をぎりぎりと締め上げたのです。痛みで叫び声を上げた時には、すでに人々の姿はかき消えていました。

翌朝、三蔵法師たちが目を覚ますと、東の空が白んでいました。見上げれば、あの豪邸も広間もなく、彼らは松林の中で野宿していたのです。

「大変だ、化け物に遭った!」と叫ぶ悟浄に、悟空は微笑んで言いました。「あの呆がどこで痛い目に遭っているやら」

その時、後ろのかしわの木に一枚の書き付けが揺れているのを見つけました。

黎山老母りざんろうぼは俗世を思わず、南海の観音菩薩を山から招いた。

普賢、文殊の両菩薩も客となり、林の中で美女に化身して徳を試した。

聖僧は俗念なけれど、八戒は禅心がなく凡俗のまま。

これより心を静め改心せよ。怠るならば旅路は困難となろう。

「お師匠様ー! 助けてくれー! 死ぬー!」

林の奥から、八戒の悲痛な叫び声が響きます。三蔵法師は驚き、悟空たちは林の奥へ分け入りました。見れば、八戒が木に吊るされ、もがいています。

「自業自得だ、放っておこう」と言う悟空を三蔵は諭します。

「愚かで頑固だが、力持ちで正直なところもある。菩薩の恩情に免じて助けてやろう。きっとこれに懲りるはずだ」

沙悟浄が荷物をまとめ、悟空が馬を引き、吊るされた八戒を下ろします。

一行は再び身を引き締め、西へと歩み出すのでした。

まさにこれこそ、

正しい道を行くならば慎み深くあれ、愛欲を払い除けて真実へと帰れ。

果たして八戒の運命やいかに、

『美女と大豪邸のハニートラップ! 八戒、煩悩に負けて地獄を見る』

状況: 秋も深まり、旅に疲れた三蔵一行。山奥で突然、超豪華な「女子寮のような豪邸」を発見する。

誘惑: 出てきたのは美魔女の未亡人と、アイドルのような3人の娘。「資産5000億円あげるから、婿入りして一生楽に暮らさない?」という破格の逆玉の輿オファー。


反応:

三蔵リーダー:即・無視。「ふざけるな」

悟空・悟浄(同僚):興味なし。「修行中なんで」

八戒(欲望担当): 「経典なんてどうでもいい!俺が婿になる!」と暴走。

結末:「誰が婿になるか目隠し鬼ごっこで決めよう」と言われ、デレデレして追いかけ回すが誰も捕まらない。最後は「特製シャツ」を着せられた瞬間、それが荒縄に変わり、亀甲縛りのように木に吊るされる。

オチ: 翌朝起きると豪邸は消滅。美女たちの正体は「4人の偉い仏様(観音様たち)」だった。「色欲と怠慢」をテストされ、八戒だけが落第したのだった。


なぜ、妖怪と戦うのではなく、あえて「好条件の結婚話」が修行の試練となったのか。ここには作者(呉承恩)が生きた明代末期の社会批判と宗教観が込められています。


時代は拝金主義と「婿入り」の意味

明代の資本主義萌芽: 当時の中国は商業が発展し、「金さえあれば何でもできる」という風潮が強まっていました。未亡人が語る「田畑、牛馬、使い切れない金銀」のリストアップは、当時の人々が憧れた「成金の極致」です。


「入り婿」の恥: 儒教社会では、男が「家」を継ぐのが基本。妻の家に入る(婿養子)は、経済的に自立できない男がする「少し恥ずかしいこと」と見なされていました。

民衆のリアル: 生活が苦しい民衆にとって、プライドを捨ててでも富豪の入り婿になることは、魂を売ってでも手に入れたい「安楽」でした。八戒はまさにその「弱き庶民の欲望」を体現しています。


宗教的メッセージ:くうしき

「色」は女性にあらず: 仏教で言う「しき」は単にエロスのことではなく、「目に見える物質的な豊かさ・現象世界」すべてを指します。

テストの本質: 妖怪は「命」を奪いに来ますが、この試練は「初心(志)」を奪いに来ました。「辛い旅をやめて、ここで一生楽に暮らさないか?」という問いは、命を取られるよりも甘美で、抗い難い罠です。

「シャツ」の隠喩: 最後に八戒が着せられた「真珠のシャツ」が、彼を縛り上げる「縄」に変わった点が見事です。「贅沢品や快適さこそが、自由を奪う束縛(執着)になる」という強烈な教訓です。


物語の裏側に隠された設定や、構造的な面白さについて。

なぜトップクラスの菩薩が4人も?(豪華すぎるドッキリ)

この回で化身していたのは、以下の超VIP級の4人です。

黎山老母りざんろうぼ: 道教由来の伝説的な仙女。未亡人母役。

観音菩薩かんのん: 慈悲担当。娘役。

普賢菩薩ふげん: 実践・理知担当。娘役。

文殊菩薩もんじゅ: 智慧担当。娘役。


視点の転換: 普段なら一柱現れるだけで五体投地のレベルなのに、4人も集まって「コスプレして八戒をからかった」のです。

道教と仏教の融合: 仏教の菩薩たちが、道教の神である「黎山老母」を母役(リーダー格)として立てています。これは明代中国における「三教合一(儒教・仏教・道教は根っこは同じ)」という思想的融和を反映しており、仏教至上主義ではない、柔軟な世界観が見て取れます。


八戒の「愛すべき人間性」

三蔵(聖人)、悟空(超人)、悟浄(従順)の中で、八戒だけが圧倒的に「人間臭い」です。

偽善を暴くトリックスター: 建前ばかり言う三蔵に対して、八戒は「飯は? 寝るとこは? セックスは?」と人間の根源的欲求を叫び続けます。彼は読者(民衆)のアバター(分身)です。

必要悪: 彼の失敗があるからこそ、「欲望を捨て去る難しさ」が際立ちます。八戒がいなければ、この旅はあまりにストイックすぎて、誰も共感できなかったでしょう。


「何もしなかった」悟空の役割

悟空はこのカラクリ(聖なる幻影であること)を最初から見抜いていましたが、あえて八戒を止めませんでした。

傍観者としての「しん」: 悟空は「心猿しんえん」と呼ばれ、心を象徴します。悟った心は、肉体的欲望(八戒)が暴走するのを、冷ややかに「どうなるか見てみよう(経験させて懲りさせよう)」と観察するメタ認知的なポジションにいます。

教育的放置: 言葉で「ダメだ」と言うより、痛い目を見るのが一番の薬。悟空のスパルタ教育論が見え隠れする場面でもあります。


血なまぐさいバトルの間の「中休み」に見えて、実は「自分自身との戦い」を描いた最も奥深いエピソードの一つです。

「安楽な生活への逃避願望」という、現代人も抱える悩みを400年前に見事に風刺し、「その心地よい服は、お前を縛る縄かもしれないぞ」と警鐘を鳴らしているのです。

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