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私説 西遊記の遊戯  作者: 光闇居士


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第十五回:蛇盤山に神々の助けは密やかに、鷹愁澗に荒ぶる龍の心は鎮まる。

挿絵(By みてみん)

『鷹愁澗龍猿対峙図』

人の力の及ばぬ大自然の猛威と、それに敢然と挑む不屈の意志。そして、その全てを包み込む、墨の濃淡と余白で表現された天のことわり。静と動、剛と柔、巨と小がせめぎ合い、響き合う、見る者の魂を揺さぶる心象風景である。


【しおの】

さて、孫悟空が三蔵法師の供をして西へと旅を続けて幾日か過ぎた。季節は師走の半ば、骨身に染みる寒風が吹き荒れ、万物が霜に凍てつく頃であった。

一行が進むのは、切り立った崖が連なり、幾重にも峰々が続く険しい山道である。馬上に揺られる三蔵法師の耳に、遥か遠くから「ごおーっ」という凄まじい水の音が届いた。彼は振り返り、声を上げる。

「悟空、あれはどこから響いてくる水の音なのだ?」

悟空は答えた。

「師父、このあたりは蛇盤山の鷹愁澗という場所だったはず。きっと、谷川の瀬音でしょう」

言葉が終わらぬうちに、馬は谷川のほとりへとたどり着いていた。三蔵法師は手綱を引き、じっと目を凝らす。

そこには、息をのむような光景が広がっていた。

一条の冷たい流れは雲を穿ち、深く澄んだ水面は陽光を浴びて真紅にきらめく。その響きは夜雨が幽谷にこだまするがごとく、その彩は朝焼けが天空を染め上げるかのようだ。千丈の飛沫は砕けた玉を噴き上げ、一筋の水音は清らかな風の咆哮のように響き渡る。その流れは遥かなる大海へと注ぎ、水鳥たちも互いを忘れるほどに深く、人の営みなど到底及ばぬ幽玄さであった。

師弟が見入っている、その刹那。突如、水面が轟音とともに裂け、一頭の龍が躍り出た。逆巻く波としぶきを従え、崖山に踊り上がると、たちまち三蔵法師に襲いかかったのである。

悟空は慌てて荷物を投げ捨て、師を馬上から抱き下ろすと、身を翻して逃れた。龍は二人を追うことなく、主を失った白馬を、鞍や手綱もろとも一呑みにしてしまうと、再び水底へと姿をくらました。

悟空は師を崖の上の安全な場所へ座らせ、荷物と馬を回収しようと戻ってみたが、そこには荷駄が一つ残るのみで、白馬の姿は影も形もなかった。

「師父」と、悟空は荷物を運びながら報告した。「あの悪龍は消えましたが、どうやら俺の馬を驚かせて逃がしてしまったようです」

「弟子よ、どうすれば馬を見つけられようか」と、三蔵法師は途方に暮れた。

「ご心配なく。俺様が探してまいります」

悟空はそう言うと、ひゅっと身を躍らせて大空へ舞い上がり、その千里を見通す火眼金睛を使い、四方八方を見渡した。しかし、馬の痕跡はどこにも見当たらない。彼は雲から降りて報告した。

「師父、間違いありません。我々の馬は、あの龍に喰われてしまいました」

「弟子よ、あの龍にどれほどの大きな口があるというのだ。あんな大きな馬を鞍ごと呑み込むなど……。きっと驚いて手綱が緩み、どこかの窪みに逃げ込んだに違いない。もう一度、よく見てきておくれ」

「師父はご存じない。俺様のこの両目は、日中であれば千里四方の吉凶善悪、トンボの羽ばたきまでも見通せるのです。それなのに、あの大きな馬が見えぬはずがありましょうか!」

「本当に喰われてしまったというのなら、私はどうやってこの先へ進めばよいのだ。ああ、この果てしない山河を、どうやって歩いて越えればよいのか……」

そう言うと、三蔵法師の目から涙が雨のようにこぼれ落ちた。

師の泣き顔を見た途端、悟空の短気な性分が頭をもたげた。

「師父、そんな情けない姿を見せるのはおやめなさい!そこに座っていてください。俺様があの化け物を探し出し、馬を返させれば済むことでしょう!」

三蔵法師はかろうじて彼を押しとどめた。

「弟子よ、どこへ探しに行くというのだ。もし龍が身を隠し、不意に飛び出してきたら、今度は私まで害されてしまう。そうなれば人馬ともに失われ、どうしようもないではないか」

その言葉に、悟空の怒りは頂点に達した。彼は雷鳴のごとき大声で怒鳴る。

「あんたはあまりに意気地がない!馬に乗りたいと言いながら、俺を行かせようともしない!このまま荷物の番でもして、年老いるまで座っていればいい!」

「ぐん、ぐん」と唸り、込み上げる怒りを鎮めようともがいていると、その時、天より厳かな声が響き渡った。

「孫大聖よ、怒りを鎮めなさい。唐の御弟よ、嘆きを止めなさい。我らは観音菩薩様より遣わされし神々。お経を求めるあなた方を、陰ながら守護するために参った者である」

その声を聞き、三蔵法師は慌てて地にひれ伏した。

悟空は空を仰ぎ、言い放つ。

「お前たちは何者だ。名を名乗れ。俺様が一人ずつ名乗りを確かめてやる」

すると神々は答えた。

「我らは六丁六甲、五方掲諦、四直功曹、そして一十八位の護教伽藍。日替わりで当番を務め、あなた様方をお守りしております」

「今日の当番は誰だ?」

「丁甲、功曹、伽藍は交代で務めております。我ら五方掲諦のうち、金頭掲諦のみが昼夜を問わず、大聖のおそばを離れずにおります」

「そうか。では当番でない者は下がれ。六丁神将と日直功曹、そして掲諦衆は残り、師父の護衛をせよ。俺様が谷川へ赴き、あの悪龍に馬を返させてくる」

神々は命に従った。三蔵法師もようやく心を落ち着け、岩棚に腰を下ろすと、悟空にくれぐれも気をつけるようにと言い聞かせた。

「ご安心を」と悟空は応じる。

さて、我らが猿王は、法衣の裾をからげ、虎皮の腰巻きを締め直すと、金箍棒を握りしめ、気合もろとも谷のほとりへと向かった。半ば雲に乗り、半ば霧に紛れ、水面の上から大声で叫ぶ。

「この泥鰌め、馬を返せ!さっさと馬を返すんだ!」

その頃、例の龍は三蔵法師の白馬を腹に収め、谷の底で静かに息を潜めていた。だが、何者かが馬を返せと罵る声を聞き、心の内の怒りを抑えきれなくなった。彼は猛然と身を躍らせ、水面を割って現れる。

「何者だ、この俺の縄張りで大口を叩く奴は!」

悟空はその姿を認め、一喝した。

「逃がすか!馬を返せ!」

そう叫ぶや、金箍棒を振りかざし、真っ向から打ちかかった。龍もまた、牙を剥き、爪を立てて迎え撃つ。谷のほとりで繰り広げられる一騎打ちは、凄まじいものであった。

鋭き爪を閃かせる龍、千変万化の金箍棒を振りかざす猿。一方は白い髭を玉の糸のように垂らし、一方は紅蓮の灯火のごとく両眼を光らせる。一方は顎下の宝珠から彩雲を吐き、一方は手中の鉄棒で荒れ狂う風を巻き起こす。片や親に見放された天涯孤独の悪童、片や天の将軍さえも欺いた妖仙の精。数奇な運命を辿った両者が、今、己が成すべきことのため、持てる力のすべてをぶつけ合う。

二人の戦いはしばらく続いたが、やがて龍の力は衰え、悟空の猛攻に耐えきれなくなった。彼はくるりと身を翻すと、再び水中へ飛び込み、谷の奥深くへと潜んでしまった。二度と頭を出そうとはしない。悟空がどれだけ罵詈雑言を浴びせても、ただ聞こえぬふりをしているだけだった。

手の打ちようがなくなり、悟空は三蔵法師のもとへ戻った。

「師父、あの化け物を罵り倒してやりました。しばらく俺と打ち合いましたが、恐れをなして水中に逃げ込み、出てこようとしません」

「では、本当に彼が私の馬を食べたのかどうか、はっきりせぬではないか」

「何を言われますか!もし奴が喰っていなければ、わざわざ出てきて俺様と戦うはずがありません」

「お前は以前、虎を退治した時、龍を降し虎を伏せる力があると言っていたではないか。今日はなぜ、あの龍を降すことができぬのだ」

実のところ、悟空は人から非難されるのが何より苦手であった。三蔵法師のその一言に、彼の闘争心は再び燃え上がった。

「言うな、言うな!もう一度奴と戦い、雌雄を決してくれようぞ!」

猿王は再び谷のほとりへ駆け戻ると、今度は川を揺るがし海をかき乱す神通力を使い、鷹愁澗の澄み切った水を、まるで黄河の濁流のごとくかき回した。

谷の底にいた悪龍は、安らうこともできず、心の中で嘆いた。

「これぞまさに、福は重ならず、禍は独りでは来ぬ、ということか。天の罰を逃れて、まだ一年も経たぬうちに、こんな乱暴な化け物に目をつけられるとは!」

考えれば考えるほど腹が立ち、屈辱に耐えかねた彼は、歯を食いしばって水面へ飛び出した。

「どこの馬の骨だか知らぬが、よくもこれほど俺を辱めてくれたな!」

「お前がどこの誰だろうと構わぬ。馬を返せば、命だけは助けてやろう」

「お前の馬は、俺の腹の中だ。どうやって吐き出せというのだ。返さなかったら、どうするというのだ?」

「返さぬのなら、この棍棒の錆にしてくれるまで!貴様を打ち殺し、俺の馬の弔いとしてくれよう!」

二人は再び崖の下で激しくぶつかり合った。しかし、数合も打ち合わぬうちに、小龍はもはや耐えきれなくなり、ひらりと身をかわして一匹の水蛇に姿を変えると、草むらの中へと逃げ込んでしまった。

悟空は棍棒を手に追いかけ、草をかき分けて蛇を探したが、その姿はどこにも見当たらない。

焦りと怒りのあまり、体中の穴から煙が吹き出しそうになった彼は、「オン」と真言を唱え、この地の土地神と山神を呼び出した。

二柱の神は、たちまち彼の前にひざまずいた。

「山神、土地神、ただいま参上いたしました」

「さあ、その脚を突き出せ。まずは挨拶代わりに、五発ずつ打ち据えてくれようぞ」

二神は頭を垂れて哀願した。

「大聖様、どうかお許しください。我らには申し上げる儀がございます」

「何だ、申してみよ」

「大聖様がこれほど長く苦難の中にいらっしゃったとは、我ら小神はつゆ知らず、お迎えが遅れましたこと、平にご容赦ください」

「そうか。ならば今回は打つのを免じてやろう。尋ねるが、鷹愁澗にいるのはどこの怪龍だ?なぜ俺の師父の白馬を喰らうような真似をした?」

「大聖様は、これまで師を持たれたことなどなく、天にも地にも従わぬ気高き仙人であられたはず。師父の馬など、どうしてお持ちなのでございましょうか?」

「お前たちは知らぬのだ。俺様は天を欺いた罪で、五百年もの間、苦しみを味わってきた。今、観音菩薩様のお導きで唐の僧侶に救われ、その弟子となって西天へ経を求めに行くことになったのだ。その道中、ここで師父の白馬を失ったというわけだ」

「なるほど、そのような事情がおありでしたか。この谷には、もとより邪悪なものはおりません。ただ、あまりに深く険しく、水が清すぎるため、鳥たちが水面に映る己の姿を仲間と見間違え、身を投げてしまうことが多く、『鷹愁澗』と呼ばれるようになったのです。しかし数年前、観音菩薩様が経を求める者を探しておられた折、一頭の玉龍を救われ、この場所でその者を待つよう命じられました。空腹の際は岸辺の鳥獣を食らう程度で、悪事を働くことはなかったはずですが……」

「最初は俺と戦ったが、二度目はいくら罵っても出てこなかった。だから川をかき混ぜてやったら、再び飛び出してきたが、俺様の棍棒が重すぎたのだろう、防ぎきれずに水蛇となって草むらに消えた。今はどこを探しても見つからん」

「大聖様、ご存じないでしょう。この谷は無数の水路で地下と繋がっております。おそらく龍はその穴に潜り込んだのでしょう。この龍を捕らえるには、観音菩薩様をお呼びになるのが一番かと存じます」

悟空はその言葉を聞き入れ、山神と土地神を連れて三蔵法師のもとへ戻り、事の次第をすべて話した。

「菩薩様をお呼びすると言っても、いつお戻りになられるのか。私は空腹と寒さで、もう耐えられそうにない」

三蔵法師がそう嘆くと、天より金頭掲諦が声をかけた。

「大聖様、あなた様がお出向きになるには及びません。小神が菩薩様をお招きしてまいります!」

悟空は大いに喜び、「世話をかけるが、急いでくれ!」と頼んだ。

掲諦は雲に乗り、一直線に南海へと向かった。悟空は山神と土地神に師の守護を、日直功曹には食料の調達を命じ、自身は再び谷の見張りに戻った。

さて、金頭掲諦は瞬く間に南海へ到着し、落伽山の紫竹林にて、菩薩への取り次ぎを願った。

「何の用で参ったか」と菩薩は問う。

「唐の僧侶が蛇盤山の鷹愁澗にて馬を失い、孫大聖が進むことも退くこともできずにおります。土地神に尋ねたところ、かの地にいる龍は、菩薩様が遣わされた者とのこと。大聖は、小神を遣わし、かの悪龍を降伏させ、馬を返していただきたいと願っております」

それを聞いた菩薩は言った。

「あの悪童は、西海竜王敖閏の子。宮殿の宝珠を焼いた罪で、天帝より死罪を言い渡されていました。私が玉帝にお願いし、唐の僧侶の乗り物とするために、あの地へ送ったのです。まさか、その僧侶の馬を食べてしまうとは……。わかりました、私が行きましょう」

菩薩は蓮台を降り、掲諦とともに祥雲に乗り、南海を渡ってこられた。

詩にこうある。

仏の道は遥かに遠く、菩薩の慈悲は万里に満つ。

摩訶の妙言は天地に通じ、般若の真言は鬼神を救う。

金蝉は脱皮して玄奘となり、再び修行の道を行く。

ただ鷹愁澗に道を阻まれ、龍の子は真の姿を現し、馬と化す。

ほどなくして菩薩は蛇盤山に到着し、雲上から下界を見下ろした。孫悟空が、まさしく谷のほとりで怒鳴り散らしているのが見える。菩薩は掲諦に、彼を呼んでくるよう命じた。

掲諦は雲を降り、谷のほとりへ赴き、「菩薩様がおいでになりました」と告げた。

悟空はそれを聞くと、急いで雲に乗り、空中へ飛び上がり、菩薩に向かって叫んだ。

「あなたは七仏の師、慈悲深き教主でありながら、なぜこのような手を使って俺様を苦しめるのですか!」

「この大胆不敵な猿め。私は心を尽くし、経を求める者を見つけ、お前にその命を救うよう懇ろに諭したというのに、恩に感謝するどころか、私に文句を言うとは!」

「あんたのせいで、ひどい目に遭っている!俺を解放したのなら、自由にさせてくれればよかったものを。どうしてあの僧侶に花の刺繍の帽子などを与え、俺に被せて苦しめるのですか?この輪は頭に食い込んで取れないし、あの老僧は『緊箍児の呪文』とやらを何度も唱え、そのたびに俺の頭は締め付けられる。これがあんたのやり方か!」

菩薩は微笑んで言った。

「お前という猿は、教えに従おうとせず、正しい道を受け入れない。このように戒めておかなければ、また天をも欺く大罪を犯し、善悪の区別もつかなくなるでしょう?この箍があってこそ、お前は仏の道へと入ることができるのです」

「それは俺の問題だとしても、なぜ罪を犯したあの悪龍を、ここに放って俺の師父の馬を食わせたのですか?悪人を野放しにするとは、あまりに不慈悲ではありませんか!」

「あの龍は、私が玉帝にお願いし、経を求める者の足として遣わしたのです。考えてもごらんなさい。東の国から来た普通の馬が、どうしてこの万水千山を越えられましょうか。この龍馬でなければ、霊山の仏の地へはたどり着けないのです」

「奴は俺を恐れて、隠れて出てこようとしません。どうすればよいのですか?」

菩薩は掲諦に言った。

「お前が谷のほとりへ行き、『敖閏龍王の玉龍三太子よ、出でなさい。南海の菩薩様がここにおられる』と一声叫びなさい。そうすれば彼は出てくるでしょう」

掲諦がその通りに二度叫ぶと、小龍は波を割って現れ、人の姿に変わると、雲を踏んで菩薩の前に拝礼した。

「菩薩様に命を救われて以来、ここで取経者を待ちわびておりましたが、何の音沙汰もございませんでした」

菩薩は悟空を指さして言った。

「これが、その取経者の一番弟子ではないか」

小龍は悟空を見て言った。

「菩薩様、こやつは私の敵です。昨日、空腹のあまり彼の馬を食べたのは事実ですが、彼は己が力を鼻にかけ、私に戦いを挑み、私が力尽きて退いた後も、罵り続けました。彼は一度たりとも『取経』という言葉を口にはしませんでした」

「お前は俺の名も尋ねなかったではないか!」と悟空は言い返す。

「私は『どこから来た乱暴な魔物か』と尋ねました。あなたはただ『馬を返せ』と叫ぶだけで、唐の字の半ばも口にしなかったではありませんか」

菩薩は言った。

「この猿は、己が強さに驕るばかりで、礼儀を知りません。これからは、もし服従せぬ者に出会ったら、まず『取経』の二文字を口にしなさい。そうすれば、無用な争いを避けられるでしょう」

悟空は、心得たとばかりに教えを受け入れた。

菩薩は小龍のそばへ進み、彼の首から宝珠を外すと、柳の枝で甘露をすくい、その身に振りかけた。そして、唇から一筋の仙気を吹きかけ、「変ぜよ」と静かに唱えた。

すると龍は、たちまち元の白馬と寸分違わぬ姿へと変わったのである。

「心を尽くして罪を償いなさい。功を成した暁には、お前を普通の龍を超えた存在、金色の悟りの身へと導いてあげましょう」

小龍は、言葉なくとも心から承諾の意を示した。

菩薩は悟空に、この馬を三蔵法師のもとへ連れて行くよう告げ、海へ帰ろうとした。しかし、悟空は菩薩を引き留めて離さない。

「俺はもう行かぬ、行かぬぞ!西への道はこれほど険しい。いつになったらたどり着けるというのだ。こんな苦労ばかりでは、我が身も危うい。もう行かぬ!」

「お前は人となる前、あれほど心を尽くして道を求めたではありませんか。天の災いから解放された今、なぜ怠け心を起こすのですか。我が仏門では、無心の境地に至ってこそ真理を得る。強い信念が不可欠です。もし、どうしようもない苦難に遭ったなら、天を呼べば天が応え、地を呼べば地が応えることを約束しましょう。それでも脱せぬ時は、私も自ら救いに参ります。さあ、こちらへ来なさい。もう一つ、お前に力を授けましょう」

菩薩は柳の葉を三枚摘み、悟空の後頭部に置くと、「変ぜよ」と唱えた。葉は、たちまち三本の救いの御髪へと変わった。

「万策尽きた時に、これを用いなさい。臨機応変に、お前の苦難を救うでしょう」

その慈悲深い言葉に、悟空はようやく菩薩に感謝の意を示した。菩薩は香しい風に乗り、彩雲をまとって普陀山へと帰って行かれた。

悟空は雲から降り、龍馬の手綱を引いて三蔵法師のもとへ戻った。

「師父、馬が見つかりました」

三蔵法師は一目見て、大いに喜んだ。

「弟子よ、この馬は以前よりたくましくなっていないか?どこで見つけたのだ?」

「師父、まだ夢を見ておられるのですか。先ほど金頭掲諦が菩薩様をお招きになり、あの谷の龍を、我々の白馬の姿に変えてくださったのです。鞍と手綱だけがありませんが」

三蔵法師は驚き、「菩薩様はどこに?お礼を申し上げねば」と問うた。

「もう南海へお帰りになりました。お疲れでしょう」

三蔵法師はすぐに土をつまんで香とし、南に向かって深く礼拝した。それが終わると、荷物をまとめ、再び歩みを進めようとした。悟空は神々を帰し、師に馬に乗るよう促した。

「鞍も手綱もない馬に、どうして乗れようか。まずは船を探し、谷を渡ってから考えよう」

「師父は世間知らずだ!こんな荒野に船などあるものか。この馬はここの主だったのだから、水の流れも知っているはず。船代わりに乗りなされ」

三蔵法師は仕方なく、鞍のない馬にまたがった。悟空は荷を担ぐ。谷のほとりに着くと、川上から一人の漁師が筏を操り、流れに乗って下ってくるのが見えた。

「おい、漁師の爺さん、こっちへ来てくれ。俺たちは東の国から来た者だが、師が渡れずに困っている。一度、渡してはくれまいか」

漁師はすぐさま筏を岸へ寄せた。三蔵法師は馬から降り、悟空に支えられて筏に乗る。馬も荷物も引き上げられた。老漁師が竿をひと突きすると、筏は風のように走り、瞬く間に西岸へと到着した。

三蔵法師は悟空に荷物を開けさせ、いくばくかの銭を漁師に渡そうとした。しかし漁師は「銭などいらぬ、いらぬ」と言うと、竿で岸を突き放し、流れの中へと去って行った。

三蔵法師が心苦しく思い、ひたすら合掌していると、悟空は言った。

「師父、気になさるな。あれはこの谷の水神ですよ。俺様を迎えに来なかったから、ぶん殴ってやろうと思っていたくらいだ。打たれずに済んだだけでも儲けもの。銭など受け取るはずがない」

師は半信半疑のまま、再び鞍のない馬にまたがり、西へ向かって進んだ。それはまさしく、広大な真理の彼岸を目指し、誠の心をもって霊山へと至る道のりであった。

やがて陽は西に傾き、夜の帳が下り始める。

薄雲は乱れ、山にかかる月はおぼろげに光る。一面の霜は寒気を生み、四方より吹く風は身に染みる。鳥はねぐらへ急ぎ、夕焼けに遠くの山影は低く沈む。まばらな林は風に鳴き、寂しい峰に猿の声が響く。人の気配はなく、まるで万里の帰路、夜の海へ舟を出す心持ちであった。

その時、三蔵法師の目に、路傍に佇む一つの荘園が映った。楼閣の影、重々しい建物の姿が見える。

「悟空、前の家で宿を借り、明日の朝早く出発しよう」

悟空は顔を上げて言った。

「師父、あれは人の家ではありません。きっと、寺か廟の類でしょう」

話しているうちに、一行は門前に着いた。そこには「里社祠」という三文字が掲げられている。門をくぐると、一人の老人が数珠を手に合掌して出迎えた。

「師父よ、どうぞお座りください」

三蔵法師は慌てて礼を返し、本殿の聖像に参拝した。老人はすぐに童子を呼び、茶を献じさせる。茶を飲み終えた後、三蔵法師は尋ねた。

「このお社は、なぜ『里社』と申すのですか?」

「ここは西方の異民族の国、ハビツの国境でございます。この社の奥には村があり、皆が熱心に寄進してこの社を建てました。『里』とは郷里を、『社』とは土地の神を意味します。春の耕作、夏の草取り、秋の収穫、冬の蔵入れの折には、供物を用意し、四季の安泰と五穀豊穣を祈るのです」

三蔵法師は頷きながら感心した。

「まさに『家を三里離るれば、風俗もまた異なる』と申しますが、私の故郷ではこれほど立派な習わしはありません」

老人は、三蔵法師が東土大唐の者で、仏を拝み経を求める旅の途中だと聞くと、大いに喜び、食事を用意させた。

食事を終えた後、悟空は軒下に衣を干す縄を見つけると、それを引きちぎり、馬の足を縛り付けた。

「その馬はどこから盗んできたのかね」と老人が笑う。

「この爺さん、何を言うか!我らは仏に仕える身、盗みなど働くものか!」と悟空は怒る。

「盗んでいないのなら、なぜ鞍も手綱もない?なぜ私の縄を引きちぎるのかね?」

三蔵法師は詫びながら、事情を説明した。鷹愁澗で龍に馬を食われ、観音菩薩の力で、その龍が今の馬の姿に変わったのだと。

「谷を渡ってまだ日も浅く、鞍などを新調する暇もございませんでした」

その話を聞くと、老人は言った。

「これは失礼した。冗談のつもりだったのですが。私も若い頃は馬に乗ったものです。今は落ちぶれて、この社の番人をしておりますが、大切にしていた鞍と手綱が一揃いございます。菩薩様でさえ、神龍を馬に変えてあなた様を助けられる。この老いぼれが、少しばかりのお手伝いもできぬわけがございません。明日、喜んでそれを献上いたしましょう」

三蔵法師は限りない感謝を述べた。やがて夜も更け、それぞれ床に就いた。

翌朝早く、悟空が「師父、あの爺さんに鞍と手綱をもらわねば」と言い終わらぬうちに、老人が本当に一揃いの鞍と手綱、その他馬具一式を手に現れた。

悟空がそれらを手に取ると、いずれも見事な品であった。

彫り鞍の彩は銀の星のごとく、宝鐙の光は金の糸のごとし。敷物は幾重にも重ねられ、手綱は紫の絹で編まれている。轡には花の紋様が刻まれ、飾り金具には獣の意匠が施されている。

悟空は喜び、馬の背に載せてみると、まるで誂えたかのようにぴったりと合った。

三蔵法師が礼を述べると、老人は「お礼など滅相もない」と言い、一行を見送った。門を出て、三蔵法師が馬にまたがると、老人は袖から一本の鞭を取り出し、差し出した。

「聖僧、これも道中のお供に」

三蔵法師が馬上からそれを受け取り、礼を言おうとした瞬間、老人の姿はかき消えていた。振り返れば、里社祠さえもそこにはなく、ただ広々とした空き地が広がるばかりであった。

すると、空の半ばから声が響いた。

「聖僧、失礼いたしました。私は落伽山の山神と土地神。菩薩様の命を受け、鞍と手綱をお届けに参ったのです。どうぞ、西へお進みください。決して志を忘れぬように」

三蔵法師は慌てて馬から転げ落ちるように降り、空に向かってひれ伏した。

「弟子は肉眼の凡夫ゆえ、神のお姿を拝し奉ることができず、お許しください。菩薩様にも、このご恩、くれぐれもお伝えください」

彼はただひたすら天に向かって頭を下げ続けた。その傍らで、孫悟空は腹を抱えて笑っている。

「師父、もうお起きなさい!あの方々はとっくに行ってしまわれた。あなたの祈りも、お辞儀も見えていませんよ」

「弟子よ、私がこれほど頭を下げているのに、お前は一度も拝もうとせず、ただ笑っているとは何事か!」

「あなたはご存じない。あのようにこそこそと現れる者など、本来なら一発殴ってやるべきところを、菩薩様のお顔を立てて見逃してやったのです。俺様の拝礼など、受けられるはずもない。俺は物心ついた時から、誰にも頭を下げたことはないのです。玉帝や太上老君に会ったとて、挨拶代わりの拱手をするだけですよ」

「道理に反することを言うでない!さあ、出発が遅れる」

師は立ち上がり、荷をまとめると、再び西へと向かった。

それから二月ほどは平穏な道が続き、光陰は矢のごとく過ぎて、季節はまた早春を迎えていた。山々は錦のように色づき、草木は芽吹き、柳の枝は芽を膨らませている。

師弟は春の景色を楽しみながら進んでいたが、やがて陽が西に傾いた。三蔵法師が遠くを眺めると、山の窪みに楼閣の影が見える。

「悟空、あれは何であろうか?」

悟空は顔を上げて答えた。

「あれは寺院に違いありません。急ぎましょう。あそこで宿をお借りすることにいたしましょう」

三蔵法師は喜び、龍馬を走らせ、まっすぐその影へと向かった。

さて、この先に待ち受けるは、いかなる場所か。それは、また次のお話である。


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第十五回 要約

孫悟空がお供になってからしばらく、三蔵法師一行は「鷹愁澗ようしゅうかん」という険しい谷川にさしかかります。すると突然、川の中から巨大な龍が飛び出し、三蔵法師が乗っていた白馬を一口でペロリと食べてしまいました。

移動手段を失った三蔵法師は「もう旅は続けられない」と泣き出してしまいます。怒った悟空は龍と大立ち回りを演じますが、龍は手強く、水の中に隠れて出てこなくなってしまいました。

困り果てた悟空が天に向かって助けを求めると、観音菩薩が現れます。菩薩様が言うには、この龍は実は西の海の竜王の息子「玉龍ぎょくりゅう」。罪を犯して死刑になるところを菩薩様に助けられ、「三蔵法師の乗り物になる」という使命を与えられて、ここでずっと待っていたのでした。

お互いに相手が誰か分からなかったための、とんだ勘違いだったのです。

真相が分かると、観音菩薩は神通力で玉龍を、食べられてしまった白馬そっくりの「龍馬」に変身させました。この龍馬は普通の馬と違い、険しい道のりを越えていく力を持っています。

さらに、旅の困難さに不満を漏らす悟空をなだめるため、菩薩様は「いざという時に使える3本の救いの御髪おぐし」を授けてくれました。

こうして一行は、見た目は白馬、その正体は龍というパワフルな新しい仲間(乗り物)を得て、再び西天への旅を続けるのでした。

第十五回における「龍馬」の登場が、物語全体においてどれほど深く、巧妙な意味を持っているか。その背景にある作者の想いや中華思想における龍の重要性について、日本の読者の皆様にも分かりやすく、心を込めて解説していきたいと思います。


なぜ龍は馬にならねばならなかったのか?―第十五回に隠された作者の想いと龍族の役割

 西遊記の第十五回は、孫悟空に続く二人目の仲間が登場する重要な転換点です。しかし、猪八戒や沙悟浄のように人語を解し、共に戦う「弟子」とは異なり、彼は言葉を失い、ただ黙々と三蔵法師を乗せる「馬」となります。なぜ、単なる妖怪ではなく、天界にも連なる高貴な「龍の太子」が、このような役割を担うことになったのでしょうか。この巧妙な設定には、仏教思想と中国古来の民俗観が織りなす、深い意味が込められています。

 一、荒ぶる心の象徴「龍」と、それを導く「馬」

まず、この物語の根底にある仏教的なテーマ、「心猿意馬しんえんいば」という言葉を理解することが鍵となります。これは、人の心が、騒がしく落ち着きのない「猿(心猿)」のようであり、また、欲望のままに奔放に駆け巡る「馬(意馬)」のようである、という教えです。

孫悟空=「心猿」: 彼の天をも恐れぬ乱暴で自由奔放な性質は、まさに制御不能な「心」の象徴です。彼が頭の輪(緊箍児)によって三蔵法師に従うようになるのは、仏法の戒律によって「心猿」が調伏されていく過程を描いています。

龍馬=「意馬」: そして今回登場するのが、奔放な意識や欲望の象徴である「意馬」です。作者は、この「意馬」の役に、ありふれた馬や妖怪ではなく、中国文化において最も強大で神聖なエネルギーの象徴である「龍」を配しました。龍は、天に昇り、水を司り、時には天災をもたらす、人の手には到底負えない力の化身です。その龍が、しかも罪を犯して天から罰せられようとしていた「太子」という設定は、「最も高貴でありながら、最も荒々しく制御不能な心」を見事に象徴しています。

この強大な「龍」が、観音菩薩の慈悲と仏法の力によって、人を乗せて西天へ向かう「白馬」へと姿を変える。これは、人間の最も根源的でパワフルなエネルギーや欲望(龍)も、仏の教えに従うことで、悟りへ向かうための推進力(馬力)へと昇華させることができる、という深遠な比喩なのです。三蔵法師が乗っていたただの凡馬では、魔の棲む霊山へは到底たどり着けません。悟りへの道は、自らの内なる強大なエネルギー(龍)を手なずけ、乗りこなす(馬)ことで初めて進むことができる、と作者は語りかけているのです。

 二、「取経」の大義のもとに、過去の遺恨は水に流れる

物語の中で、悟空はかつて東海龍王の宮殿で大暴れし、宝である金箍棒を奪い、龍王一族を恐怖に陥れた過去があります。龍族にとって、孫悟空は不倶戴天の敵とも言える存在です。

しかし、今回、玉龍と悟空の間に起こったいざこざは、「取経の旅」という言葉が出た途端、あっさりと解決します。それどころか、西海龍王は、かつての敵が護衛する旅に、大切な我が子を差し出すことを受け入れます。

これは、観音菩薩が計画し、天帝さえも認可したこの「取経」というプロジェクトが、個人的な恨みや種族間の対立といった小さな次元をはるかに超越した、天地全体の平和と秩序に関わる「大義」であることを示しています。この大義の前では、過去の因縁は意味をなさなくなるのです。龍族もまた、この神聖な事業に協力することで功徳を積み、天界における自らの立場をより確固たるものにしようとしている、と読み解くことができます。

 三、中華世界の神聖なる象徴「龍族」のプライド

中国において、龍は単なる架空の怪物ではありません。皇帝の権威の象徴であり、自然界の頂点に君臨する神聖な存在です。麒麟や鳳凰と並び、国の安寧を司る瑞獣として、古くから人々の信仰を集めてきました。

西遊記は仏教の物語でありながら、道教の神々やこうした中国土着の信仰が深く溶け込んでいます。その最も重要な存在である龍族が、仏教の一大プロジェクトである「取経」に、ただ協力するだけでなく、未来を担うべき「太子」をメンバーとして送り込む、という展開は非常に象徴的です。

これは、インドから伝わった仏教という思想が、中国古来の価値観や信仰(龍信仰)と対立するのではなく、それらを包み込み、調和しながら、より大きな秩序を形成していく様を描いていると言えるでしょう。中華思想の根幹をなす龍族がこの旅に加わることで、「取経の旅」は、単なる僧侶の巡礼から、天界の神々や古来の神聖な一族さえも巻き込んだ、宇宙的な一大事業へとそのスケールを拡大させるのです。

玉龍は言葉を話さず、黙々と馬としての役目に徹します。それは、龍としてのプライドや個人の意志を捨て、大義のために尽くす仏道への帰依の姿です。しかし、彼の本質はあくまで高貴な龍の太子。この静かなる龍馬の存在が、三蔵法師一行の旅に、見えざる神聖さと威厳を与えているのです。


このように、第十五回で仲間になった「龍馬」は、物語に不可欠な乗り物であると同時に、読者の心に深く問いかける、幾重にも重なった象徴的な存在なのです。

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