第十一回:太宗、地府に遊びて魂還り、劉全、瓜果を進ぜんとて配を續ぐ。
詩に詠む。
人の世の百年は、寄せては返す波の如く、
浮き世の営みは、水面に浮かぶ泡にも似たり。
昨日は桃の花と咲い誇った頬の血の気も、
今朝には雪のひとひら、白髪となって鬢に舞う。
蟻の塚が崩れてこそ、現の世の夢と知り、
ほととぎすの悲しき声に、人は初めて省みる。
古より、陰徳を積むは長寿の基と聞き、
善行に見返りを求めずば、天は自ずと応えん。
さて、物語はこう続く。唐の太宗、李世民の魂は、夢とも現ともつかぬまま、ふらりと五鳳楼の前に出ていた。すると、見慣れた御林軍の兵馬が威儀を正し、皇帝の乗り物である大駕を迎え、これから狩りに出立すると言うではないか。太宗はこれを喜び、何とはなしにその列に従い、ゆらりゆらりと進んでいった。
どれほど歩いただろうか。ふと気づくと、あれほど賑やかだった人馬の影はかき消え、太宗はただ一人、荒涼とした野に立ち尽くしていた。途方に暮れ、道を探していると、向こうから野太い声が響いてくる。
「大唐の皇帝よ、こちらへ、こちらへお越しくだされ」
太宗が声のする方へ顔を上げると、そこに立つ人物は、実に不思議な装いをしていた。
黒い紗の冠をいただき、腰には犀の角でできた見事な帯を締めている。冠からは柔らかな紐が風にたなびき、帯の縁は黄金に輝いていた。手には象牙の笏を捧げ持ち、その身にまとう薄絹の長衣からは、えもいわれぬ瑞光が漏れ出ている。足には雲を踏み霧を駆けるという粉底の靴を履き、懐には人の生と死を定めるという一冊の帳簿を抱えていた。鬢の毛は乱れて耳にかかり、髭は風に舞って頬を囲む。その男こそ、かつては唐の国に仕えた大臣であったが、今は閻魔王に仕え、冥府の帳簿を司る役人となっていたのである。
太宗が近づくと、男は道の傍らにひざまずき、深くこうべを垂れた。
「陛下、お迎えが遅れました罪、何卒ご容赦くださいませ」
「そなたは何者か。なぜ、このような場所で朕を出迎えるのだ」
太宗が問うと、男は答えた。
「およそ半月前のこと。閻魔王の宮殿である森羅殿にて、かの涇河の竜王が、陛下に救いを約束されながらも命を落としたと訴え出るのを、この目で見たのでございます。第一殿の秦広大王は、すぐさま冥界の使いを遣わし、陛下をお召しになり、天・地・人の三曹において審理を行うよう求めました。私はその次第を知っておりましたゆえ、この場でお待ち申し上げておりました。本日、お迎えが遅れましたこと、幾重にもお詫び申し上げます」
「して、そなたの名と官職は」
「生前は、先代の君主(李淵)にお仕えし、茲州の長官、後に礼部の次官を拝命いたしました。姓は崔、名は珏と申します。今は冥府において、記録を司る判官の職を授かっております」
これを聞いた太宗は大いに喜び、自らその手を取って助け起こした。
「おお、崔殿か。遠路、ご苦労であった。実は、朕の側近である魏徴より、そなたに宛てた手紙を預かっておる。ちょうど良いところでお会いできた」
崔判官は深く感謝し、手紙はどこかと尋ねた。太宗が袖から取り出して手渡すと、崔珏は恭しく拝受し、封を切って読み始めた。
敬愛する我が弟、魏徴が、大都案の契兄、崔老先生に謹んで筆を執ります。
在りし日の語らいを思えば、お姿もお声も今なお色褪せることがございません。瞬く間に月日は流れ、ご指導を賜る機会もなくなりました。季節の節目には、ささやかながら精進料理をお供えしておりますが、お納めいただけておりましょうか。
また、夢枕にお立ちくださり、兄上が高位に昇られたと知り、喜びに堪えません。しかしながら、生と死はかくも遠く、お会いすることも叶わぬ身の上。
この度、我らが太宗皇帝がにわかに崩御なされました。三曹での審理となれば、必ずや兄上とお会いになることと存じます。どうか、若き日の交誼に免じて、陛下が現世にお戻りになれるよう、万事よろしくお取り計らいくださいますよう、伏してお願い申し上げます。後日、改めてこのご恩に報いる所存です。
敬具
手紙を読み終えた崔判官は、心からの喜びを顔に浮かべた。
「魏人曹(魏徴)殿が、かの老竜を夢の中で斬った一件は、とうに聞き及んでおり、その手腕には感嘆しておりました。また、朝に夕に私の子孫たちを見守ってくださっているとのこと。この上は、ご安心ください、陛下。この私が責任をもって、陛下を陽の世へお送りし、再び玉座にお戻しいたしましょう」
太宗は深く感謝の言葉を述べた。
二人が言葉を交わしていると、向こうから青い衣をまとった童子の一団が、旗や吹き流し、きらびやかな傘を手に、「閻魔王さまがお呼びです、お呼びです」と声を張り上げながらやって来た。
太宗は崔判官と童子たちに導かれ、歩みを進めた。やがて一つの巨大な城門が見え、その門には大きな札が掲げられていた。そこには「幽冥地府鬼門関」という七つの大きな金文字が、不気味な光を放っていた。
青い衣の童子は旗を揺らし、太宗を城の中へと誘う。通りをまっすぐ進むと、その脇に、先代の君主である父・李淵、そしてかつて非業の死を遂げた兄・建成と弟・元吉の姿があった。
「世民が来たぞ、世民が来たぞ」
建成と元吉は、怨嗟の声を上げながら太宗に飛びかかり、その命を奪おうと腕を掴んだ。太宗はなすすべもなく捕らえられたが、そのとき、崔判官が青い顔に牙をむいた鬼の使いを呼びつけ、二人を追い払った。太宗は、かろうじてその場を逃れることができたのだった。
さらに数里も行かぬうちに、青い瓦で葺かれた壮麗な楼閣が見えてきた。
幾重にも重なる美しい色の霞がたなびき、淡い紅の霧が立ち込めている。反り返った軒先には怪獣の頭が煌々と輝き、五層に葺かれた瓦は見事に並んでいた。門には赤金の鋲が打たれ、敷居には白玉の石段が横たわる。窓からは夜明けの煙のような光が差し込み、すだれの向こうには稲妻のような赤い光が揺らめいていた。楼閣は天を衝くほどに高くそびえ、廊下はきらびやかな建物へと続いている。獣の形をした香炉からは香の煙が立ち上り、赤い絹の灯りが宮殿の扇を明るく照らしていた。
左手には猛々しい牛頭の鬼が、右手には険しい馬面の鬼がずらりと並ぶ。ここは、まさしく冥府の中枢、森羅殿であった。
太宗がしばしその壮観に見とれていると、奥から玉飾りの鳴る音が響き、仙人のような香りが漂ってきた。一対の提灯持ちを先頭に、十代の閻魔王が階を下りてくる。
その十王とは、秦広王、初江王、宋帝王、仵官王、閻羅王、平等王、泰山王、都市王、卞城王、そして転輪王である。
十王は森羅殿から出てくると、深く身をかがめ、恭しく太宗を迎えた。太宗は恐縮し、前に進むことをためらった。
「陛下は陽の世の王、我らは陰の世の王。立場の違いは明らか。何をそこまでご遠慮なさいますか」
「いや、朕はそなたらに裁かれるべき罪人。陰陽人鬼の別など、どうして論じられようか」
太宗が固辞するため、十王はさらに遜って太宗を殿上へと促した。森羅殿に入り、互いに礼を交わした後、主客の席に分かれて座った。
やがて、秦広王が両手を組み合わせて敬礼し、口を開いた。
「かの涇河の竜王が、陛下は助けるとお約束されたにもかかわらず、かえってその命を奪ったと訴えておりますが、これはいかなる次第でございましょうか」
「朕は確かに、夢の中で助けを乞う老竜に、よしなに取り計らうと約束した。しかし、彼が犯した罪は天の条令に触れ、朕の家臣である魏徴によって斬首される定めとなっていた。朕は魏徴を宮中に留め、碁を打たせていたが、まさか彼が夢の中で竜を斬ろうとは、知る由もなかった。これは、魏徴の神通力によるものであり、また、かの竜王が罪を犯して死ぬ運命にあったからこそ。どうして朕に過ちがあろうか」
十王はこれを聞くと、ひれ伏して言った。
「かの竜が生まれる以前より、南斗星の死を司る帳簿には、人の世の役人の手にかかって命を落とすと記されておりました。我々はとうに存じ上げておりましたが、彼奴がここで騒ぎ立て、どうしても陛下との対決を望んだため、やむなくお越しいただいた次第。すでに彼奴は輪廻の輪に送られ、転生いたしました。この度は、陛下のお手を煩わせました罪、何卒お許しください」
そう言うと、生死を司る判官に、急ぎ帳簿を持ってきて陛下の寿命があとどれほど残っているか調べるよう命じた。
崔判官は急ぎ自らの執務室に戻ると、天下万国の王の天命を記した帳簿を一冊ずつ検め始めた。やがて、南贍部洲の大唐太宗皇帝の欄に、「貞観一十三年」と記されているのを見つけた。
崔判官ははっと息をのみ、急いで濃い墨と太い筆を取ると、「一」の字の上に、さっと二本の線を書き加えた。そして、その帳簿を十王のもとへ届けた。
十王が帳簿に目を落とすと、太宗の名の下には「三十三年」と記されている。閻魔王は驚いて尋ねた。
「陛下がご即位されてから、今年で何年になりますかな」
「朕が即位して、今、十三年になる」
「さすれば陛下、ご安心めされよ。まだ二十年の寿命が残っております。これにて審理は明白となりました。どうぞ、現世にお戻りになり、再び玉座におつきください」
太宗はこれを聞き、深く身をかがめて感謝した。十閻魔王は、崔判官と朱太尉の二人に、太宗を魂の還る場所まで送り届けるよう命じた。
森羅殿を出た太宗は、改めて十王に尋ねた。
「朕の宮中にいる者たちの安否はどうであろうか」
「皆、息災でございます。ただ、陛下の妹君の寿命があまり長くないやもしれませぬ」
太宗は再び拝礼して感謝し、こう言った。
「朕が陽の世に戻った暁には、御礼の品として、ささやかながら瓜や果物をお届けしよう」
「それはありがたい。我らの地には冬瓜や西瓜はござるが、南瓜だけがどうにも手に入りませぬでな」
「承知した。戻り次第、すぐにでもお送りしよう」
こうして太宗は別れの挨拶を交わした。
朱太尉は魂を導くための旗を手に前を歩き、崔判官は太宗を後ろから護衛して冥府の道を進んだ。ふと、太宗は来た道とは違うことに気づき、判官に尋ねた。
「道が違うのではないか」
「ご安心を。冥府の道は、行きはあっても帰りは同じ道を通れぬもの。今、陛下を輪廻転生の場所からお出しするのは、一つには陛下にこの地府の有様をご覧いただくため、そしてもう一つは、輪廻再生の理をお示しするためでございます」
太宗は二人に従うしかなかった。数里進むと、陰鬱な雲が地に垂れ、黒い霧が空を覆う高い山が見えてきた。
「崔殿、あれは何という山か」
「あれは、幽冥背陰山と申します」
「そのような恐ろしげな場所を、朕がどうして通れよう」
「ご安心ください。我らがお供いたします」
太宗は恐る恐る、二人に付き添われて岩山を登り始めた。そこから見渡す景色は、凄絶なものであった。
地形は険しく、蜀の山々もかくやと思わせる。これは陽の世の名山ではなく、まさしく冥府の険しい土地であった。茨の茂みには化け物が潜み、岩壁には邪悪な魔物が息を殺している。獣や鳥の声は聞こえず、ただ鬼や妖のうごめく気配だけが満ちていた。陰鬱な風が颯々と吹き、黒い霧が立ち込める。見渡す限り景色はなく、左右には荒れ果てた死者の魂が漂うばかり。山は草を生やさず、峰は天を衝かず、洞は雲を宿さず、谷は水を流さない。そこかしこで牛頭馬面の鬼が叫び、餓鬼や貧しい魂がすすり泣いていた。
太宗はひたすら判官の守りに頼り、その陰山を越えた。
さらに進むと、いくつもの役所を通り過ぎたが、どこからも悲しい声が聞こえ、恐ろしい化け物が心を凍らせた。
「ここは、一体どこなのだ」
「ここは陰山の裏側、十八層に分かれた地獄でございます」
「十八層とは、どのようなものか」
「では、お聞きください。
吊筋、幽枉、火坑の地獄は、静まり返った中に、ただ煩悶と苦悩が満ちています。生前に悪逆の限りを尽くした者が、死後にその報いを受ける場所。
酆都、抜舌、剝皮の地獄は、泣き叫ぶ声と、いたましい嘆きに満ちています。不忠不孝を働き、仏のような顔で蛇のような心を抱いた者が落ちる場所。
磨捱、碓搗、車崩の地獄では、肉は裂け、骨は砕かれます。人を欺き、甘い言葉で陰から傷つけた者たちの末路。
寒冰、脱殼、抽腸の地獄では、誰もが汚れた顔に乱れた髪で、愁いに沈んでいます。不正な秤で人を騙し、自ら災いを招いた者たち。
油鍋、黑暗、刀山の地獄は、ただおののきと悲しみに満ちています。力に任せて善良な人々を苦しめた者たち。
血池、阿鼻、秤杆の地獄では、皮は剥がれ、骨はむき出しです。財を奪い、命を殺め、家畜を屠った者たちが、永遠に沈む場所。
一人一人がきつく縛られ、赤髪の鬼や黒面の鬼が槍や剣を手にし、牛頭鬼や馬面鬼が鉄の槌を振るう。血を滴らせ、天に叫び地に叫んでも、誰一人として助けは来ませぬ。
人の世で、心に偽りを抱くことなかれ。
神や鬼の裁きは明らかで、決して見逃しはしない。
善悪には必ず報いがあるもの。
ただ、それが早く来るか、遅く来るかの違いだけ」
太宗はこれを聞き、心の底から震え上がった。
さらに少し進むと、鬼の兵士の一団が旗を手に道の脇にひざまずき、「橋守の使いが、お迎えに上がりました」と告げた。
判官は彼らを下がらせ、太宗を案内して金色の橋を渡らせた。向こうには銀の橋も見え、そこでは忠義に厚く孝行な人々が、同じように旗に迎えられて渡っている。
ふと壁の向こうに目をやると、また別の橋があった。そこは冷たい風が吹き荒れ、血の波が逆巻き、泣き叫ぶ声が絶え間なく聞こえてくる。
「あの橋は、何という名か」
「陛下、あれは奈河橋と申します。陽の世にお戻りになりましたら、このことをくれぐれもお伝えください。あの橋の下は、
激しく流れる水、険しく狭い道。まるで長江に反物をかけたように細く、陰気が骨の髄まで凍らせ、生臭い風が鼻をつきます。渡し船はなく、裸足で髪を振り乱した罪の魂だけが行き交うのです。橋の上には手すりもなく、下には人を襲う怪物が潜んでおります。枷をはめられた罪人たちが、あの険しい道へと追いやられていくのです。橋のたもとの神将は恐ろしく、河の中の罪の魂はまことに苦しんでいます。崖には、舅や姑を罵った女たちがうずくまり、銅の蛇や鉄の犬にその身を食い散らかされているのです。一度ここに落ちれば、永遠に抜け出すことは叶いませぬ」
時に鬼は泣き、神は叫び、血の混じった波は天に届かんばかり。
数多の牛頭馬面が、恐ろしい形相で、その奈河橋を守っている。
話しているうちに、橋の使いはもう去って行った。太宗は心の中で再び驚き、恐れ、静かにため息をついた。
判官と太尉に付き添われ、奈河の恐ろしい水辺を過ぎ、さらに進むと、枉死城、すなわち不本意な死を遂げた者たちの城に着いた。
城の中から、わあわあと騒ぐ声が聞こえてくる。
「李世民が来たぞ、李世民が来たぞ」
それを聞いた太宗は、心臓が口から飛び出るほど驚いた。
腰が折れ、腕がちぎれ、足があっても首のない鬼の一団が、ぞろぞろと現れて道を塞いだ。
「我らの命を返せ!命を返せ!」
太宗は慌てて隠れようとしながら叫んだ。
「崔殿、助けてくれ!崔殿!」
「陛下、この者たちは、かつて陛下が平定なされた六十四の反乱、七十二の賊の首領たちの魂。皆、無念の死を遂げ、供養もされず、転生することもできぬまま、旅の路銀もない餓鬼となっているのです。陛下がいくらかの金銭をお与えになれば、道は開けましょう」
「しかし、朕は身一つでここに来た。どこに金銭があるというのだ」
「陛下、陽の世に一人、この冥府に金銀を預けている者がおります。陛下のお名前で借用書をお書きになり、この私が保証人となりましょう。とりあえず一つの蔵を借り、この餓鬼たちに分け与えれば、道は通れましょう」
「その者とは、誰か」
「河南は開封府の者で、姓は相、名は良と申します。彼はここに十三もの蔵の金銀を持っております。陛下がこれをお借りになり、陽の世にお戻りになってから返済なさればよろしいのです」
太宗は大いに喜び、すぐさま借用書を書いて判官に渡し、金銀一蔵を借り受けた。そして、太尉に命じて、それを餓鬼たちに分け与えさせた。
判官は改めて命じた。
「この金銀を、皆で等しく分け合うがよい。そして、お前たちの大唐の主君を通してやれ。この方の天命はまだ尽きておらぬ。私は十王の命により、この方を送り届けるところだ。この方が陽の世に戻られたら、お前たちを供養するための大法要を開いてくださるはず。これ以上、騒ぎを起こすでないぞ」
鬼たちは金銀を受け取ると、皆おとなしく道を開けた。
判官は太尉に旗を振るよう命じ、太宗を枉死城から連れ出し、平坦な大道へと向かった。
やがて、六道輪廻、すなわち六つの世界へ生まれ変わる道へとたどり着いた。そこでは、善行を積んだ者が仙人の道へ、忠誠を尽くした者が貴人の道へ、孝行を尽くした者が幸福な道へ、公平な者が再び人の道へ、徳を積んだ者が富める道へ、そして悪逆な者が鬼の道へと、それぞれの定めにしたがって進んでいた。
唐王は尋ねた。
「これは、どういうことか」
「陛下。心を澄ませてよくご覧になり、陽の世の人々にお伝えください。これこそが六道輪廻でございます。善行をなす者は仙道に、忠義を尽くす者は貴道に、孝行を尽くす者は福道に、公平な者は人道に、徳を積む者は富道に、そして、邪な者は鬼道に沈むのでございます」
唐王はこれを聞き、深くうなずいてため息をついた。
「善きかな、まことに善きかな。善をなせば災いなし。
善なる心は常に持ち、悪しき念は起こすべからず。
報いなしなどと思うなかれ。神や鬼はすべてお見通しぞ」
判官は唐王を、貴い道へと生まれ変わる門まで送り届け、深く拝礼した。
「陛下、ここが出口でございます。私はこれにてお暇いたします。あとは朱太尉がもうしばらくお送りいたしましょう」
「崔殿、遠路、まことにご苦労であった」
「陛下が陽の世に戻られましたら、必ずや大法要を執り行い、あの供養されぬ魂たちを救ってくださいますよう。決してお忘れなきよう。冥府に恨みの声がなくなってこそ、陽の世は真の太平を享受できるのでございます。また、世の人々に広く善行をお勧めください。さすれば、陛下の御代は長く続き、国の礎は永遠に固きものとなりましょう」
唐王は一つ一つを固く約束し、崔判官に別れを告げ、朱太尉と共に門の中へ入った。
門の中には、鞍と轡を整えた見事な海騮馬が一頭いた。太尉は唐王に馬に乗るよう勧め、自らはその脇を支えた。馬は矢のように駆け、あっという間に渭水のほとりに着いた。
水面を見ると、一対の金色の鯉が、楽しげに跳ねて戯れている。太宗はそれに見とれ、手綱を引いて立ち止まってしまった。
「陛下、お急ぎくだされ。早く城にお入りにならねば」
しかし、太宗はただ見物に夢中で、先へ進もうとしない。そのとき、朱太尉は太宗の足元をぐいと掴み、大声で叫んだ。
「まだ行かぬか、何をためらっておられる!」
その声とともに、太尉は太宗を渭水の中へと突き落とした。
これによって、太宗の魂は冥府を抜け出し、まっすぐに陽の世へと還っていったのである。
さて、その頃、唐の朝廷では、徐茂公、秦叔宝、胡敬徳をはじめとする文武百官が、東宮太子や皇后、妃たちと共に、白虎殿で皇帝の死を嘆き悲しんでいた。一方で、哀悼の詔を天下に発し、太子を即位させようという議論も始まっていた。
その時、魏徴が進み出て言った。
「皆様、今しばらくお待ちくだされ。我が君は、必ずや蘇られます」
すると、許敬宗が反論した。
「魏丞相、それはあまりに道理に合わぬお言葉。古より、こぼれた水は盆に返らずと申します。人が死んで蘇るなど、ありえませぬ。なぜそのような偽りで人々を惑わすのですか」
「許先生、隠していましたが、私には未来を見通す術がございます。陛下は決して死なぬと、私が保証いたします」
ちょうどその時、棺の中から、続けて大きな声が聞こえてきた。
「溺れる!誰か、助けてくれ!」
その声に、文武百官はうろたえ、皇后や妃たちは肝を冷やした。宮中の人々は皆、恐ろしさのあまり逃げ去り、誰一人として棺に近づこうとする者はいなかった。
しかし、剛直な徐茂公、道理をわきまえた魏徴、そして胆力のある秦瓊と胡敬徳だけは、前に進み出て棺を支え、叫んだ。
「陛下、何か心残りがおありでしたら、我らにお話しください。鬼の真似事で、ご家族を驚かせるのはおやめください」
「いや、これは鬼の真似事ではない。陛下が蘇られたのだ。急ぎ、道具を持ってまいれ!」
魏徴が叫び、棺の蓋が開けられると、果たして太宗がその中に座り、まだ叫んでいる。
「溺れ死ぬところであった!誰が助けてくれたのだ」
茂公らが駆け寄り、太宗を抱き起こした。
「陛下、お目覚めになられましたか。ご安心ください、臣らは皆ここにおります」
唐王は初めて目を開き、言った。
「朕は今、ひどい目に遭った。冥府の難を逃れたと思ったら、今度は水の中で命を落とすところであった」
「陛下、どのような水難に」
「朕は馬に乗って渭水のほとりまで行き、双頭の魚が戯れるのを見ていた。すると、あの朱太尉が朕を馬から突き落とし、川に落ちて、もう少しで溺れ死ぬところだったのだ」
「陛下、それはまだ冥府の気が晴れておらぬのでございましょう」
魏徴がそう言うと、急いで精神を安定させる薬湯と粥が用意された。それを一、二度服すと、太宗はようやく正気を取り戻した。こうして、亡くなってから三日三晩を経て、再び陽の世の君主となったのである。
詩に詠む。
悠久の山河は、幾度となく姿を変え、
古今の王朝は、興亡を繰り返してきた。
周、秦、漢、晋の世にも奇妙な話は多けれど、
唐の王のように、死して再び生を得た者がいたであろうか。
その日はすでに日が暮れていたので、群臣は王に寝室へ戻るよう願い出て、それぞれ解散した。
翌朝、喪服を脱ぎ、華やかな朝服に着替えた百官が朝廷の門の外で待っていると、太宗が金鑾宝殿に姿を現した。その威儀を整えた装いは、まさしく起死回生を遂げた大唐の王であった。
群臣が万歳を唱え終えると、太宗は冥府での一部始終を語り始めた。涇河の竜王との審理、崔判官による寿命の改竄、地獄の恐るべき光景、枉死城での出来事、そして、必ずや大法要を開き、供養されぬ魂を救済するよう諭されたことなどを、詳しく語り聞かせた。
群臣はこれを聞き、祝賀の声を上げない者はいなかった。
さて、太宗は詔を発し、天下の罪人を赦免した。また、宮中にいた三千人の宮女を解放し、軍人と結婚させるよう命じた。これ以降、国中は善行に満ち溢れるようになった。
太宗はさらに、冥府への約束を果たすため、河南の相良に借りた金銀を返済させ、冥界へ瓜や果物を届ける者を募るという告示を出したのである。
告示が出されて数日後、一人の男が名乗りを上げた。
彼は均州の出身で、姓は劉、名は全といい、莫大な財産を持つ男であった。しかし、ある日、妻の李翠蓮が門前で僧侶に金の簪を施したことを、劉全が「婦人の道に背く」と厳しく叱責した。その言葉に耐えかねた妻は、首を吊って自害してしまった。遺された一対の幼い子供たちは、昼も夜も泣き悲しむばかり。
劉全は子供たちの姿に心を痛め、自らの命を投げ出し、家財も子も捨てて、死をもって皇帝の命に応え、冥府へ瓜を進上することを願い出たのであった。
王の命により、劉全は南瓜を一対頭に載せ、冥土で使う銭を袖に忍ばせ、毒薬を口に含んだ。
劉全は毒を飲んで絶命し、その魂は、瓜を頭に載せたまま、あっという間に鬼門関にたどり着いた。
「何者だ、このような場所へ来たのは」
門番の鬼が叫ぶと、劉全は答えた。
「私は大唐の太宗皇帝の命を受け、十代の閻魔王様に、特別に瓜をお届けに参った者です」
鬼は喜んで彼を案内した。劉全は森羅殿へ赴き、閻魔王に瓜を献上した。
「唐王の命を奉じ、はるばる参りました。これは、十王様の寛大なるお許しに対する、ささやかな御礼でございます」
閻魔王は大いに喜び、「なんと信義に厚い皇帝であろうか」と感嘆し、瓜を受け取った。そして、劉全の身の上を尋ねた。
劉全は、妻が自害し、遺された子らのために、自ら命を捨てて国に報いようと志願した次第を語った。
十王はこれを聞き、すぐに劉全の妻・李氏を探し出すよう命じた。鬼の使いは素早く彼女を連れてきて、森羅殿の下で劉全と再会させた。二人はこれまでのことを語り合い、十王の慈悲に涙して感謝した。
閻魔王が生死の帳簿を調べてみると、この夫婦には仙人となるべき天命が残っていることがわかった。そこで、急ぎ二人を陽の世に送り返すよう命じた。
「李翠蓮は冥府に来て日が経ち、肉体はすでにございません。魂はどこに宿らせればよろしいでしょうか」
鬼の使いが尋ねると、閻魔王は言った。
「唐の皇帝の妹、李玉英が、今まさに若くして死ぬ運命にある。彼女の体を借り、その魂を戻させよ」
鬼の使いは命を受け、劉全夫妻の魂を導き、共に冥府を出て行った。
さて、この夫婦がどのようにして魂を戻し、現世に蘇ったのか。それは、また次のお話である。
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第十一回 要約
ある日、唐の偉大な皇帝・太宗(李世民)は、急に意識を失い、魂だけが体を離れてしまいます。気づくと、そこは死後の世界「冥府」でした。
実はこれ、以前太宗が処刑されるのを見殺しにした「竜王」の亡霊が、「約束を破られた!」と閻魔大王に訴え出たのが原因でした。太宗は、竜王の訴えが事実かどうかを確かめるため、冥府の裁判所に召喚されたのです。
途方に暮れる太宗の前に、一人の役人が現れます。彼の名は崔珏。生前は唐の役人で、今は冥府で裁判官のような仕事をしていました。偶然にも、崔珏は太宗の最も信頼する部下・魏徴の旧友でした。太宗は、魏徴から預かっていた「よしなに頼む」という手紙を渡します。
手紙を読んだ崔珏は、旧友の頼みとあって全面協力。閻魔大王たちの前に連れていかれた太宗は、竜王の一件について事情を説明し、誤解は解けます。
次に閻魔大王が「ついでに寿命を調べてみよう」と、寿命が記録された帳簿を調べさせます。すると、太宗の寿命は「13年」で尽きるはずでした。しかし、ここで崔珏がこっそり筆を取り、「一」の字に二画書き足して「三」に改ざん。おかげで太宗の寿命は「33年」に延び、あと20年は生きられることになりました。
無事に無罪放免となった太宗は、崔珏の案内で冥府を見学しながら現世に戻ることになります。そこには、嘘つきが舌を抜かれる地獄や、悪人が苦しむ恐ろしい光景が広がっていました。また、かつて太宗が戦で滅ぼした敵の亡霊たちに「命を返せ!」と取り囲まれるピンチもありましたが、これも崔珏が「現世にいる商人が冥府に預けているお金」を借りてばらまき、なんとか切り抜けます。
崔珏は太宗に「現世に戻ったら、供養されずに苦しんでいる魂たちのために、盛大な法要を開いてあげてください」と強く頼みます。
こうして無事に現世への出口までたどり着いた太宗は、川に突き落とされる形で「バシャーン!」と自分の体に戻り、三日ぶりに生き返りました。
宮殿では大騒ぎになりましたが、生き返った太宗は冥府での約束を果たすため、すぐに大規模な供養イベント「水陸大会」の開催を宣言。また、冥府の閻魔大王へのお土産として約束した「南瓜」を届けてくれる者も募集するのでした。
この第十一回における冥界の描写は、単なる物語の舞台装置ではなく、作者が人間社会、特に当時の明朝社会の構造と価値観に対して向けた、極めて巧妙かつ多層的な風刺と批評の結晶と言えます。
現代の日本の読者は恐らく理解しがたいこの権力至上の中華思想を拭いきれない形で描きつつも、それを揶揄している意図はどこにあるのか。それを幹に深掘りして考察します。
1. 人間界の完璧な鏡としての「官僚地獄」
まず作者が意図したのは、冥界を「人間社会の完璧な鏡」として描き出すことでした。当時の明朝は、科挙制度に代表されるように、高度に発達した官僚機構によって統治されていました。しかし、その裏では縁故主義、文書の改竄、形式主義といった歪みも蔓延していました。
作者は、死後の世界という絶対的な審判が下されるはずの場所を、あえて人間界と寸分違わぬ官僚組織として描きました。
役職の継続性: 崔珏が生前に官僚であったように、死後もその知識と経験を活かして「判官」という役職に就いています。これは、死とは断絶ではなく、現世のキャリアや身分が地続きで継続するという、ある種シニカルな世界観を示しています。魂の救済すら、行政手続きの一つに過ぎないのです。
手続きの重視: 竜王の訴えを審理するために、わざわざ皇帝本人を召喚し「三曹での審理」を行うという形式を踏みます。生死という根源的な問題が、まるで地方の役所で行われる裁判のように、手続き論で進んでいく様は滑稽ですらあります。
この「官僚地獄」は、読者である当時の人々にとって非常に身近で理解しやすい世界でした。だからこそ、その中で行われる「非合理な出来事」が、より一層、人間社会の滑稽さを際立たせる効果を持つのです。
2. 「コネ」と「情」が天命をも捻じ曲げる風刺
この章の核心は、絶対であるはずの天命(寿命)が、極めて人間的な「コネ」と「情」によっていとも簡単に覆される点にあります。
魏徴が旧友である崔珏に宛てた手紙は、その象徴です。手紙の内容は、神仏に祈るような荘厳なものではなく、「若き日の交誼に免じて、何卒ご便宜を」という、極めて個人的で世俗的なお願いです。そして、崔珏もまた「魏人曹が私の子孫を見守ってくれている」という個人的な恩義を感じ、躊躇なく生死簿を改竄します。
生死簿の改竄という行為: 「一」の上に二本線を加えて「三」にするという行為は、あまりにもあっけなく、子供のいたずらのようです。これは、国家の根幹を揺るがしかねない文書偽造が、役人の個人的な判断でまかり通ってしまう現実社会への痛烈な皮肉です。宇宙の法則であるはずの寿命が、筆先三寸で20年も延長される。この「究極の不正」を、作者は英雄的な行為ではなく、友人の頼みを聞くという日常的な人情劇として描くことで、その異常さを際立たせています。
3. 皇帝の権力—肯定と危うさのアンビバレンス
「権力至上の中華思想はぬぐい切れない」という点は、この物語の最も巧みな部分です。作者は、皇帝の権威を完全に否定してはいません。むしろ、表面的にはそれを最大限に肯定して見せます。
権威の肯定: 十代の閻魔王たちが、自らを「陰の世の鬼王」とへりくだり、太宗を「陽の世の人間界の王」として丁重にもてなす場面は、天子(皇帝)の権威が死後の世界にまで及ぶという中華思想の極致を描いています。これは物語の読者である民衆や、為政者たちに対する「お約束」であり、物語を円滑に進めるための安全装置でもあります。
しかし、その裏で作者は、その絶対的権力の危うさと虚構性を巧みに暴いています。
権威の虚構性: 結局のところ、太宗が助かったのは彼自身の神聖な権威によるものではありませんでした。それは、家臣(魏徴)の個人的なコネと、その友人(崔珏)の官僚としての職権濫用(不正)という、二つの人間的な要素の偶然の産物です。もし魏徴と崔珏に旧交がなければ、太宗は貞観一十三年で死んでいたのです。
作者の意図: ここに作者の真の狙いがあります。彼は「皇帝は偉大である」という建前を壊すことなく、「しかし、その偉大な皇帝の命運すら、一介の官僚のさじ加減と人間関係に左右されるほど、この世(そしてあの世)のシステムは不確かで、属人的なのだ」という本音を忍ばせたのです。これは、絶対権力者への直接的な批判を避けつつ、権力構造そのものが持つ脆弱性と滑稽さを読者に悟らせる、非常に高度な表現技法です。
結論:作者の意図
作者・呉承恩が生きた明代中期は、政治が腐敗し、官僚の不正が横行した時代でした。彼は、この第十一回を通じて、以下のような多層的なメッセージを込めたと考えられます。
社会風刺: この世の官僚制度のバカバカしさ、縁故主義の蔓延、文書の軽視といった現実を、冥界という舞台に投影して笑い飛ばす。
道徳的教訓: 地獄の克明な描写を通じて、読者に因果応報を説き、善行を勧める。
権力への批評: 皇帝という絶対的な権力でさえ、その実態は人間的なしがらみや官僚の不正によって支えられているに過ぎないという、権力の虚構性を暴き出す。
彼は、読者が安心して楽しめるファンタジーの枠組みの中で、人間社会の真実を巧みに織り込みました。太宗が権力者として特別扱いされるという「お約束」を見せながら、その裏で「本当のところ、世の中なんてこんなものですよ」と肩をすくめてみせる。この建前と本音の使い分け、肯定に見せかけた巧妙な批評こそが、作者がこの章で意図した表現の核心であり、『西遊記』が単なる冒険活劇に終わらない、深い社会性と文学性を獲得している所以なのです。




