17・ボーラと安全靴
グレイスフル子爵の動きは迅速であった。機織り機で生産される大量の布を買い取り、領外にその殆どを売る事がその日のうちに決まり、各方面に指示を飛ばしていた。
後日、小屋の中で、完成した機織り機が作り出した布を見て、グレイスフル子爵はこう言った。
「また想像を超えてきた」
彼は大量生産される布の品質を低く見積もっていた。どうせ普通の布だろう、と。しかし彼の予想に反して、機械のパワフルかつ一定の力で織られた布はどれもこの世界の並みの人間の作る布の品質を遥かに超えていた。足踏み式機織り機すらないこの世界からすると、次々に出来上がる布の品質は最高級品クラスだったのだ。
「グレイスフル子爵、以前約束した通り……」
「分かっている。きちんと買い取る。だが、この品質ならば事前に決めた価格よりもずっと高く買い取れるぞ?」
「それだといつまで経っても市場の布や服の値段が下がらないのでダメです。安く売りますので、グレイスフル子爵も安く売ってください」
俺はこの世界の不便な事をなるべく無くしたいと考えている。布が高く、色々な服を着る事が出来ない事は嫌なので、機織り機で生産した布を高く売るつもりはなかった。
「超高品質な布が、普通の布の市場価格よりも遥かに安く溢れかえるのか……路頭に迷う者が大勢出そうだな……」
「何か仰りましたか?」
「……儂が戦に行っている間に、あと二台の機織り機を作るのだろう?」
「はい。もっと作ってもよろしいでしょうか?」
「それ以上は領内の働き口を確保するまで待ってくれ。今まで機織りで稼いでいた者達が生きていけなくなるからな。お主にも、何か良い案を考えて欲しい。機織りで稼いできた者は女性が多いから、女性でも出来る仕事で頼むぞ」
高値で売って金儲けをするという行為を、俺の意見を受けて諦めてもらったのだ。俺もグレイスフル子爵の頼み事を受け入れなければならない。
「承知しました。戦からお帰りになったら、計画書をお渡ししますね」
「そうだな。今渡されても困る。お主ならば明日にでも書いてきそうだからそれが良いな」
「そんな事出来ませんよ」
「それもそうか。流石に明日までに案を出すのは簡単では……」
「だって、文字をまだきちんと書けないのですから」
「案そのものはあるのか……」
前世の知識を使えば、この世界にない便利な物がまだまだ思いつく。それらのうち、あまり力を使わずに作る事が出来る物を作ってもらえば良いのだ。
「とりあえず、今は予定通りに動きます。紡績機と機織り機を動かす人は……」
「それはもう雇っているから安心しろ。事前の計画通り、全て落ち着いて進んでいる」
「ありがとうございます。という事は、兵器の方も……」
「今朝、工房から練習用の物は全て納品された」
「おお!」
「指導は頼むぞ。儂は部屋に戻る」
小屋から出て、俺達は別々の方向へと歩いて行く。グレイスフル子爵は屋敷の中へ、俺は訓練場へと向かった。
「お、シュウの坊ちゃん!お話は終わったでがすか?」
「終わったよ。グレイスフル子爵から聞いたけど、全部届いたんだよね?」
訓練場に着くと、マガクスが大きな箱の横から俺を見つけて話しかけてきた。きっとあの箱の中に、俺の前世の知識由来の兵器が入っているのだろう。
「ええ!ここに全部あるでがすよ。でも、この紐とか、この靴とか、何なのでがすか?」
「今説明するから、皆を集めて」
「おっけーでがす!しゅうごーう!!」
マガクスの声に反応して、訓練場の兵士が全員集まる。ちなみに、彼らは俺を子供と思って侮っていない。元から兵士としてグレイスフル子爵の「シュウに色々と教えてもらえ」という命令に一応は従うつもりだったらしいが、俺が剣を振っている姿を見て「強そうだからちゃんと従おう」と思ったらしく、今もきちんと心から敬意をもって接してくれているのだ。お陰で俺は剣の指導をする事が楽だったし、好意的に接してくれたお陰で彼らと仲良くなる事も早いうちに出来た。
「とりあえず、全員が使う物を紹介しよう。この紐がボーラ、こっちの靴が安全靴だよ」
ボーラは複数のロープの先に重りをつけた投擲武器である。二つ以上の紐を結んで先端を三つ以上にさせる事で投げた時に遠心力でバランスを取る事が出来る様になり、真っ直ぐ目標へと飛んでいく。そして目標に当たるとボーラは絡まって、対象の動きを封じるのだ。
前世では東南アジアやアメリカ大陸で使われてきたこの武器は、この世界には無かった。製作コストが安く、材料によっては食べる事が出来るボーラは、戦いで強力な助けとなるはずだ。
安全靴は第二次世界大戦の終わりにドイツが発明した、着用者の足を危険から守るための靴である。革の耐熱性と軽さに鉄の防御力を組み合わせたこの靴は、サンダルで戦いに参加する者も多いこの世界では必ず役に立つはずだ。
「グレイスフル子爵から聞いたけど、戦場は遠い北の寒冷地なんだよね?サンダルや鉄のブーツでは冷えると思うから、これを履いていくようにしてね」
「そうするでがす。ボーラも面白そうでがすね。騎馬の突撃を止めるには、弓よりも役立ちそうでがす」
「それじゃあ、次は歩兵と騎兵、それぞれの装備だね。まずは歩兵。シャベルとコンパウンドボウ」
シャベルの歴史は古い。前世でも人類が農耕を始めた時から存在していたとされており、この世界でも既に存在はしていた。だが戦争には使われておらず、塹壕戦はこの世界ではまだ起きた事がない。前世でも最初にシャベルが使われて塹壕戦となったのは六百二十七年のハンダクの戦いであり、古代ローマ初期にそっくりなこの世界で塹壕戦がまだ行われていないのは納得である。
コンパウンドボウは滑車とケーブル、てこの原理等の力学と機械的な要素で組み上げられた弓である。シャベルとは逆に歴史は浅く、その誕生は千九百六十六年であり、当然この世界には存在していなかった。この弓は引き切った時の保持力が通常の弓と比べて軽く、狙いがつけやすいという特徴がある。かなりしなやかな弦を必要とするが、バイオプラスチックが条件をクリアしたため、作る事に成功した。おそらくだが、バイオプラスチック以外の現在この世界にある物質では、とても作れないと思う。動物の腱や鉄や普通の糸ではしなやかさが足りず、滑車の部分で切れてしまうだろう。
「騎兵。諸葛連弩と蹄鉄と馬鎧。あと、鐙」
コンパウンドボウが命中率重視の弓ならば、諸葛連弩は連射力重視の弩である。諸葛の名がついている事からも分かる通り、あの諸葛亮孔明が考えた弩である。一説によるとそれ以前にも存在したらしいが、ここでは諸葛亮孔明が考えた説を取り上げておく。上部に弾倉があり、レバーを前後に動かすだけで次々に矢が発射されるこの武器は、高い制圧力を発揮するはずだ。ちなみに、今回は馬上で使用するため、元の諸葛連弩よりも大きさが小さい。元の諸葛連弩は八十センチ以上あり、馬上で使うには大きすぎたのだ。
蹄鉄は馬の蹄を保護するために装着される保護具である。蹄が削れすぎると馬は痛みを感じて、動きを乱してしまう。それを防ぐために蹄鉄を準備した。また、滑り止めとしても効果があるので、これをつける事で馬を走りやすくさせる狙いもある。前世では四世紀に西洋の文献に初めて書かれたが、それ以前にも蹄鉄は存在していた。二百九十四年の金属製の蹄鉄がドイツで発見された話もある。この世界では存在こそしていたが、まだ一般的ではなかった。
馬鎧は文字通り馬の鎧である。ちなみにこれもバイオプラスチック製だ。シャフロン、ペイトラル、クリネット等、馬鎧は守る箇所によって名前が異なるが、今回作ったのは顔からお尻まで守る、馬鎧と聞いて最初にイメージするような物だ。馬鎧が発達したのは前世では中世のヨーロッパで騎士の防御力が高くなり、馬が狙われるようになってからなので、この世界ではまだ存在していなかった。シャフロンと呼ばれる、馬の兜すらなかったのには俺は驚いた。
シャフロン、つまり馬の兜は馬鎧の中でも最も重要だ。馬で突撃する場合、単純に正面の防御が重要である事も理由の一つだが、何よりも馬のメンタルに関わるからだ。別に「俺は格好いい!」となって馬の機嫌が良くなるとかそういう話ではない。視界を狭く、音を聞こえにくくする事で、臆病な性格の生物である馬が、何かに驚いたり怯えたりして動きを乱す事を減らす事が出来るのだ。
余談だが、馬鎧の一種であるシャフロンとは別に、メンコやブリンカーやチークピーシーズ等の馬の顔を覆うマスクが存在しているが、ここでは説明を割愛する。競馬場の馬が被っているマスクの種類なので、インターネットで調べればきっと詳細は出てくるだろう。
また、鐙についても以前解説したので説明を割愛する。
「それじゃあ、あと一ヶ月、頑張って訓練しよう!」
出兵日まであと一ヶ月。短い期間だが、人にも馬にもどうにか慣れてもらう。そう決意して、俺は兵士達に兵器を渡していった。