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15・麻の茎

 ティロパテナムのおやつタイムから約三時間後。アバカスとリラとプリムラとの遊びの予定を終わらせてから、俺はグレイスフル子爵の部屋を訪れた。


「思ったよりも早かったな」

「授業で疲れていたのか、プリムラの体力が早めに尽きたのですよ」

「すると、娘はお昼寝中か。寝顔を見に行きたいな。よし、さっさと話を終わらせよう。まずはこれを解いてくれ」


 グレイスフル子爵が一枚の紙を俺に手渡した。そこには、太い文字で三十問の問題が書かれていた。


「お主の持って来たサインペンのお陰で、あっという間にこの問題が書けた。感謝するぞ」

「それは良かったです。ええと、とりあえずこれを解けばよろしいのですね?」

「そうだ。なるべく早く頼む」


 グレイスフル子爵の指示に従い、なるべく早く問題を解いていく。足し算、引き算、掛け算、割り算。分数や文字式も出てくる。だが、どれも前世の中学数学レベルである。全く苦戦はしなかった。


「終わりました」

「見せてみろ……うむ……全て合っている……しかも想像より早い……。そうか……」

「何か問題でも?」

「何も問題がないから困惑しているのだ。お主、他に儂の役に立てる事はどれだけある?」

「役に立てる事と仰られましても、具体的には何を?」

「何でも良い。沢山税を納めるとか、特産品を作るとか、文官達の仕事を効率化させるとか、街を整える良い方法を考えるとか、何でも良い」


 本当に何でも良さそうだ。この世界が前世の古代ローマ初期とそっくりである事を考えると、色々と出来る事はありそうである。


「では、何を一番優先するべきですか?」

「少なくともあと三ヶ月間は軍事関係だな」

「……なぜ、三ヶ月なのです?」

「この事は口外するなよ?実は三か月後、我が国は北のナウス帝国に戦を仕掛けるのだ。逆に言えば、それ以降は軍事関係の力を抜いても構わん。とりあえず、何でも良いからまずは軍を強くしてくれ」

「承知しました」

「勿論、他の分野でも役立ってくれ。とりあえず……」


 どさっ、と音を立てて俺の前に紙の束が置かれた。


「これの計算をやっておいてくれ」

「……グレイスフル子爵は?」

「娘の寝顔を見てくる」


 そう言い残して、グレイスフル子爵は部屋から出て行った。山盛りの紙を見ながら、俺は呟いた。


「報酬の話をしていない……」


 流石にただ働きにはならないだろうが、先に決めておきたかった。とはいえ今はぼやいても仕方が無い。


 目の前の紙を一枚づつ減らしていく。とりあえず計算をするだけなので、ひたすら俺は手を動かした。


 およそ三十分ほどで、グレイスフル子爵が戻って来た。


「丁度、終わったようだな」

「ええ。ところで、これって何の紙だったのですか?」

「我が家の家計簿……いや、軍等の公の方だから、決算書の方が正しいかもな。何か気になるのか?」

「この落書き?が書かれている紙は何かなと」

「ああ、それが紛れ込んでいたのか。それは、お主の正体の予想のメモだ」


 そう言いながら、グレイスフル子爵は決算書の束をぱらぱらとめくる。満足そうに「うむ」と言いながら頷くと、俺の持っている紙に視線を向けた。


「お主は未来を見ているのか、神の類か、はたまた普通に天才なのか、考えていてな」

「普通に教えますよ?」


 俺は……と言ったところで、グレイスフル子爵が手で制してきた。


「前に尋ねた時、娘の乱入で、答えてもらう事を取り消しただろう?」

「そうでしたね」

「貴族が一度取り消したことを更に取り消すのは恥なのだ。だから、言わないでくれ。儂の恥になってしまう」

「別にもう一度尋ねたわけでもないのに?」

「気を使うのは良い事だが、貴族がいらないと言ったら、下の者はいらないの言葉通り受け取ったままの方が色々とお互いに面倒がないぞ」

「お互いに、ですか」


 まあ確かに、貴族が拒否している事を下の者が押し付けるのは良くない気がする。


「お主は危険ではなさそうだし、正直、正体は何でも良くなったのだ」

「では、秘密のままにしておきます」

「そうしてくれ。ところで、シュウよ。この決算書を見て、何か思った事はあったか?」

「……これ、単価は合っているんですよね?」

「どれの事だ?ああ、麻の茎か。合っているぞ」


 俺が指差した場所には、驚く程安い金額で朝の茎を仕入れた事が記されていた。重量当たりで言えば、俺の想像の四分の一以下の値段であった。


「儂も驚いたよ。詳しくは知らないが、余所の領地では最近は麻を育てている地域が多いらしい」

「何故?」

「分からん。とりあえず安いし、燃料にでも使おうと思って買ったのだが、これが気になるのか?」

「ええ。布にしたいです」

「そうか。流石に無料では譲れないが、仕入れ値で売ってやる事は出来るぞ」

「ありがとうございます。では、ついでに報酬を決めておきたいのですが……」

「良いぞ。そうだな、布を一枚納めたら、残りの布は好きにしても良い事にしよう。期間は三ヶ月。どうだ?頑張るほど自由に使える布が沢山増えるぞ?」


 一枚の布は、この世界ではかなりの値段になる。それくらい、作るのが大変なのだ。具体的には、この世界では熟練の主婦が一ヶ月働かないと作れないくらいだ。


 グレイスフル子爵領では、生産した布の三分の一は税として納めるというルールがある。


 つまり俺の報酬は、熟練の主婦よりも大量に生産できれば、その分には課税しないというものだ。


「まあ流石に厳しいよな。他の形で……」

「承知しました。それでお願いします」

「え?ほ、本気か?熟練の主婦が三か月かけて作る以上に生産しないと報酬にならないのだぞ?お主、他にもやる事があるだろう?」

「大丈夫です。この報酬でお願いします」

「……まあ……いいか。お主がこれで納得したのならば何も言わん。儂には悪い条件ではないからな」


 グレイスフル子爵が近くにあった紙に今の条件をさらさらと書き、サインを書いた。


「ほれ、これを持って帰れ。一応、麻の茎を仕入れ値で売ってやる事も書いておいたぞ」

「ありがとうございます。では、今度麻の茎を買いに参りますので、ご用意をお願いします」

「任せておけ。三ヶ月では使いきれないぐらい用意してやろう」


 実は、二ヶ月後にはグレイスフル子爵家の倉庫から麻の茎が消え、街の市場からも麻の茎が無くなる日がやって来るのである。それくらいの速さで俺が布を作る事を、この時のグレイスフル子爵は想像していなかった。

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