第二話
俺は祟りや呪いといったオカルトは信じていないが、蛇の神が住む森について信用に足る情報を入手していた。
この森の奥では、十年前まではとある一族が住んでいたらしい。しかしその一族が蛇神を怒らせたことで、祟りが起こってしまい、その一族はこの森から逃げ去ったとのことだ。
祟りというのは大嘘で、何かとんでもない事件が起こったに違いない。しかしたった十年前の出来事なのにもかかわらず、公の記録には何も残されていなかった。おそらく大きな権力が裏で動いたのだろう。
そしてその事件は、この森の今の所有者にとってもきっと知られたくないような闇なのだろう。その闇を暴き、週刊誌に売ると脅せば、あの耄碌ジジイも土地の売買に応じざるを得なくなるはずだ。
それが俺達の本命の仕事だ。企業も最初から土地の所有者とまともに交渉するつもりはなかった。そのための調査員だ。
翌朝、俺達は早速例の森に来た。所有者の屋敷を通る道が一番安全なのだが、もちろんそこを通るわけにはいかない。監視カメラも何台か見かけたし、侵入者を検知する装置もあるとみていいだろう。
他に森の内部への侵入経路はどこも狭く険しい。前日にいくつか目星はつけていたのだが、どれも目的地まで続いているのか怪しかった。
しかし俺達にツキが回ってきた。ある侵入経路の近くに、妙な若者を見つけたのだ。肩までかかるくらい長いボサボサの茶髪をした男だ。動画投稿者なのだろうか、ビデオカメラを持っている。
俺達に気づかないまま、真っ直ぐ歩き、胸の高さまである茂みの前で止まった。そしてその茂みの中に入っていく。
「俺達も行くぞ」
俺は小声で部下に言う。忍足で茂みに近づく。念のため男に見つかった時のことも考えているが、とりあえずは見つからないに越したことはない。
茂みはかなり柔らかい植物でできているようで、簡単にかき分けることができた。しばらく進んだ先に開けた道があった。方角も目的地に向いている。
いつの間にか男はかなり前を進んでいた。男と俺達の目的地は同じようだ。例の一族が住んでいた屋敷と、蛇の神を祀る祠があるとされる洞窟だ。
男はビデオカメラで前方を撮影するのに夢中で俺達に気づく様子はない。ふと俺はあることが気になって部下に訊く。
「橋本。ここって電波は通ってるのか?」
橋本がスマートフォンやビデオカメラを確認する。そして残念そうに首を横に振った。
「圏外です。配信はできません」
一応、俺もスマートフォンを見て圏外であることを確認した。
動画を生放送で配信することはできないならできないでいい。仮にこの森の闇を見つけることができたとして、先に全世界に公開してしまえば脅しの材料に使えなくなるだろう。前を歩く男もただ録画しているだけのようだ。
一時間歩いていると、ようやく一つ目の目的地、例の一族が住んでいた屋敷に辿り着いた。厳密に言えばその屋敷があったとされる場所だ。証拠隠滅のためだろう、屋敷は既に取り壊されていた。
動画投稿者の男が先にその空き地に立つ。俺達は草木の陰でその様子を窺うことにした。しばらくしたら男も飽きて帰るだろう。
男がビデオカメラを下ろしてこちらを振り向いた。
俺達がついて来ていたことに気づいていたのか――。一体、いつから――。
そんなことを考えている間に、男はその場から走り出した。
「おい! 待て!」
俺は反射的に男を呼び止めようとしたが、男は無視してそのまま走り去って行った。
「追いますか?」
佐々木が訊くが、俺は首を横に振る。
「いやいい。むしろ邪魔がいなくなってちょうどいい」
よく考えたら俺達があの男に構う理由は一つもない。別に俺達の姿を撮影されたわけでもない。気味の悪い男だったが、放っておいても問題ないだろう。
「そんなことより調査を始めるぞ。何か証拠が残ってるはずだ」
金属探知機など、そのための機材は用意している。たとえ空き地にしても全ての痕跡を消せたわけではないだろう。こんな人里離れた森の中だ、拳銃の一丁や二丁隠されていても驚かない。
俺は機材を運んでいる部下に呼びかける。
「吉田。まずは金属探知機を出してくれ」
しかし応答はなかった。不審に思い吉田を見てみると、吉田は滝のような汗を流してへたり込んでいた。
「……ったく、だらしねぇな」
最近の若い奴は体力がなくていけない。少し喝を入れてやろうと思った。
わざとらしく荒い息を吐いている吉田の顔を見る。
頬が膨らみ、一気に萎む。その繰り返しの最中、一滴に汗が頬に流れてくる。
頬が膨らむ刹那、うねるように頬を伝う一雫――。
地肌に波打つ黒い蛇。
「うわぁああ」
俺は声を出して尻餅をついてしまった。再び吉田の顔を見るが、蛇はいない。吉田は辛そうにしつつも、怪訝そうに俺を見る。
「どうしたんですか? 僕の顔に何かついてますか?」
その声で俺は我に返り、すぐに立ち上がる。そして自分に言い聞かせるように、吉田の問いに答える。
「何でもない。お前はそこで休んでろ」
「はい……すみません……」
情けないところを見せてしまった手前、吉田に厳しいことを言うこともできなかった。
「主任!」
急に佐々木が声を上げた。何をそんなに慌てているんだと訊こうとしたが、振り向いた時点でその必要はなくなった。
空き地の奥の方に、白装束を着た少女がいる。高校生くらいの年齢だろう。長い黒髪なのはともかく、背が低く、体の線は歳の割には女らしい。顔つきもどことなく幼い感じだ。昨日の孫娘ではなさそうだ。
明らかに異常な状況だ。普通の女子高生と思わない方がいいだろう。
「何者だ?」
俺は少女を睨みつけながら、少し強い口調で問いかける。少女は全く動じた様子もなく、棒立ちのまま口だけを動かした。
「この森にはミズチの呪いがある。呪われたくなければ早く立ち去れ」
音声ソフトのような棒読みでそれだけ言うと、少女は踵を返して森の奥へと消えていく。茂みの陰に隠れたのか、少女は見えなくなってしまった。
「お、追うぞ」
別に乱暴をするつもりはない。ただあまりにも奇怪な言動から、もしかしたら例の一族のことを知っているのかと思い、話だけでも聞くべきだと思った。
俺が走り出すと、佐々木と橋本がついてきた。吉田は未だに動けないらしい。
空き地を抜け、森の茂みに入る。俺達が走り出してからあまり時間は経っていないはずだ。それなのに少女の姿は見えない。それでも土に下駄の跡が残っていたのでそれを辿る。
一分もかからないうちに、ほぼ垂直の崖に辿り着いた。足跡はその崖に向かっている。下の地面までは五メートル程度あり、真下には小さな池がある。仮に少女が池に落ちたとしたら、水に飛び込む音が聞こえたはずだ。しかしこの森はずっと静かなものだった。
そこで橋本が怯えたようにこんなことを言う。
「今の女の子……ここいた一族の子で、蛇の神の巫女だったんじゃ……。それで十年前死んで幽霊になってまだここに残ってるんだ」
「馬鹿なことを言うな。明らかに生きた人間だっただろ」
俺は即座に言い返したが、少し自信がなかった。少女がどこに消えたのかの説明ができない。それでも幽霊なんてオカルトを認めるわけにはいかない。
「きっと地下への隠し通路とかがあるんだ。この辺りを徹底的に調べる。機材を取りに行くぞ」
俺の言葉に対して、佐々木と橋本も縋るように首を縦に振る。そして俺達は空き地に戻った。
そこで思い知ることになる。俺達は呪われたのかもしれない。
機材が入ったバッグを残して、吉田が姿を消した。