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第一話

 蛇の神が住む森


 そんな風に呼ばれている森がリゾート開発の候補地に選ばれた。高低差の少ない地形が広大に広がり、大きな川や湖はないものの自然資源は申し分ない。おまけにどういうわけか、市街地から森の近くまで二台の大型バスが余裕をもってすれ違える程の道路が続いている。


 こんなに好条件な土地は滅多にない。この森に目をつけた企業が俺達調査員を派遣した。早速、俺達は土地の所有者と土地の売買の交渉をしに来たのだが――。


「蛇神様がおられる神聖な地をリゾートにするだと! 貴様ら、そんなことをしたらどんな祟りが起こるか分かって言っておるのかぁぁああ!」


 七十歳くらいのクソジジイに怒鳴られる始末である。そのまま屋敷から追い出されてしまった。


 森の中にこんな立派な屋敷を構えているが、蛇神の祟りなんて迷信をいつまでも信じているような耄碌もうろくジジイとその孫娘しか住んでいないという情報は得ている。


 今回の交渉は失敗に終わったが、次の手は考えてある。多少荒っぽい手段であるが、上からの命令なので仕方ない。今日のところは引き上げることにする。


 そんなことよりも俺には参っていることがある。三人の部下もきっとそうだろう。


 この森の異様な暑さだ。


 確かに今は七月下旬で、気温が高いのは仕方ない。けど梅雨つゆは明けているはずだ。それなのに水が肌に張りついているのかと思うくらいジメジメとしている。汗と湿気が混じり合って気持ち悪い。


 早くホテルに戻ってシャワーを浴びたいと思ったところだ。


「お待ちください」


 女の声で呼び止められた。俺達が振り返るとそこには黒いワンピースを着た高校生くらいの少女がいる。例の孫娘だろう。


 黒髪のおかっぱで胸が薄いところは子供らしいが、声は妙に低くて色っぽい。目つきは鋭く、どちらかというと美人といえるタイプだ。それと身長が結構高い。百七十センチ近くありそうだ。


 そんな女の子が笑顔を振りまきながら近づいてきた。


「祖父があんな態度を取って申し訳ありませんでした。ただ、祖父も皆さんのことを思って、あえて心を鬼にして、叱責したのです」


 そんなことあるかと思いつつも、俺達は少女の話を黙って聞いていた。


「リゾート開発はとても素晴らしいことだと、私は思います。こんなだだっ広いだけの森をこのまま放置するのはもったいないですからね。でも、私達にも手を出せないのですよ」


 その瞬間、少女の笑顔が変質した。愛想の良い柔らかいものから、人を怖がらせるのをたのしむような笑みに変わる。


「ミズチの呪い――」


『ミズ』の部分を強調するように少女は言う。しかし少女の頑張りもむなしく、俺には恐怖が伝わらなかった。


「ミズチって何だ? 蛇神じゃないのか?」


 俺がそう訊くと少女はくすりと笑う。


「違いありませんよ。蛇神様です。蛇は水の神として信仰されることもありますから、そう呼ばれることもあるんです」


 そこで俺は不可解な点に気づき、すぐに指摘する。


「でもここにはたいした川も湖もないだろ。そんなところに水の神がいるのか?」


 すると少女は何がおかしいのか口を押さえながらくすくす笑い出した。


「別に川や湖がなくったって、水ならそこらじゅうにあるじゃないですか」


 何を馬鹿なことをと言う気にはなれなかった。冬なら言っていただろう。しかしこの湿気(まみ)れの森の中にいる所為で妙に納得してしまう。


「蛇神様はこの森のどこにでもいます。くれぐれもこの森に入らないでくださいね」


 今から俺達がやろうとしていることなんてお見通しだとでも言うように、少女は唇で弧を描くように笑う。


「特にあなた」


 その声が聞こえた次の瞬間には、少女は俺の目の前に来ていた。


「蛇に好かれそうな人ですね。あなたのような人は入らない方が身のためです」


 見た目は美人だが、なんだか気味の悪い女だ。一体いつの間に動いたのか――。足音も気配も感じられなかった。


「そうかい…………」


 何か言い足そうと思ったが、俺は思いつかなかった。とにかくこの少女から離れたかった。そんなことに構わず、少女はさらに話しかけてくる。


「これを差し上げます」


 そう言って少女はバックからペットボトルを取り出した。市販されているただのミネラルウォーターのようだ。それを俺に差し出す。俺が不可解そうに眺めていると、少女は可笑しそうにくすりと笑った。


「蛇じゃありませんから、毒なんて入れてませんよ。それにちゃんと未開封ですよ」


 毒なんて物騒なことまで考えていたわけじゃないが、とにかく少女の言動が奇妙で、おれはたじろいでいた。


 とはいえ年端もいかない女の子に気圧けおされるわけにもいかない。俺はペットボトルを受け取る。キャップを触ってみると、確かに未開封の状態ではあった。さっきまで冷蔵庫にいれていたのかちょうど良い感じに冷えている。


「夏はとても暑いですし、特にこの森は湿度が高くなりがちですから、熱中症には気をつけてくださいね」


 そう言いながら、少女は他の調査員にもペットボトルを配っていく。俺達が家から去るのを手を振りながら笑顔で見送った。ジジイよりも態度が良いのは結構なことだが、やはり不気味な感じを俺はどうしても拭いきれなかった。


 今日は一旦ホテルに戻り、明日に森を調査することになった。帰りの道中で俺で部下がこんなことを訊いてくる。


「この森、本当に調べるんですか?」

「あんなのでビビってるんじゃねぇぞ。調べるに決まってるだろ。祟りがありますので調査を中止しますって上に報告しろってのか?」

「そうですね。すみません……」


 前を歩く部下を苛立たしげに見ていると、ふと別の部下の右腕に目が行った。酷暑の中、汗が流れている。


 半袖の端から剥き出しになっている肌へと――。


 ざらざらと……。


「おい! 佐々木(ささき)!」


 気づいたら俺は叫んでいた。怒られるとでも思ったのか、佐々木(ささき)は怯えた様子で振り返る。


「はい。何でしょうか?」


 いつもの荒っぽい口調が出てしまったことを反省しつつ、落ち着いた声色で俺は訊く。


「お前、その右腕、大丈夫なのか?」


 すると佐々木(ささき)は右腕を見ながら、ついでにという風に汗を拭う。それから怪訝けげんそうに俺を見つめる。


「なんともないですけど、何か腕についてたんですか?」

「いや、大丈夫ならいい。忘れてくれ」


 それから道路に出るまでは何もなかった。俺も気のせいだったと思いたい。祟りとか呪いなんて馬鹿馬鹿しい。


 しかしあの時、佐々木(ささき)の腕の上にあったものを俺ははっきりと目に焼きつけてしまった。


 地面を削るように這う、一筋の蛇を――。

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