第六話 蝙蝠の足跡
自宅に戻り、妻の私室にあるパソコンを起動する事にした。
実際は妻の寝室になど、足を踏み入れたくは無かったが、此処にしかパソコンが
置いて無いので致し方なかった。
だが、扉を開けた途端に激しく後悔した。
娘が生まれてからは、殆んど入る事の無かった妻の私室は、吐き気がするほどの
おぞましい色彩が渦巻いていた。
どこもかしこも、ピンク・ピンク・PINK・PINK。
そこに、所々に蛍光色の青や黄色、たまに金、銀、散りばめ、もう別世界だ。
とても正気を保っていられそうに無かった。
これで一児の母なのだから恐ろしい。
「うう、目が痛え、気持ち悪い」
「こんなもんに、怯んで無いでさっさと始めんか」
「ああ、わかったよ」
「まったく・・・・」
粗方、貴重品は持ち出したみたいだが、さすがにパソコンは大きすぎたようだ。
もっとも、持ち出せたとしても怪しい物だが。
「モニター画面に表示された物だけを、消したみたいだな」
「何じゃ、無駄足か?」
「まさか、そんな事にはならないさ」
たかだか事務員の経験しか無いあの女が行った操作など、直ぐにサルベージ可能
で、たいした時間もかからなかった。
はっきり言って、もっと絶望的な状況を想像していたのだ。
「ど素人が・・・・」
「随分と詳しそうじゃな」
「一時期は陸幕二部から打診された事もあったからな、この程度なら問題ない」
「そう言えばお主はレンジャー持ちだったのう」
「ああ、おっと、もう出た、一つ目だ」
それは、金山とのメールのやり取りだった。
内容は殆んど吐き気がする様なものばかりだが、履歴を遡るほど、とんでもない
物が、ゴロゴロ出て来始めた。
簡単に整理すると、娘の本当の父親は川田社長だった。
金山との関係は高校を出た美香が入社して直ぐに始まった。
金山は美紀に川田を誘惑して子供を作る事を強要、まんまと妊娠。
処理に困った川田は俺に押し付けた。
これをネタに金山は川田を恐喝、違法輸出の共犯者に仕立てた。
川田の方も、自分の資金だけではFX等の資金が足りなくなっていた為、この提案
に飛びついた。
「金山は美紀を最初から金儲けの道具として見ていたんだ」
「女の方も、良くそんな事を了承したもんじゃな」
「ああ、まるで洗脳だ」
「なかなかに、手ごわそうな相手じゃな」
「奴は怪物だ、いざとなったら周りを巻き込む事も覚悟する必要がある」
「最終手段を持っとるお主に、負けは無いぞ」
「わかってる。だが俺が望むのは、最上級の復讐だ、只の勝利じゃ無い」
「めんどくさいのぉ、プチッとやればええじゃろ、プチッと」
「だから、嫌だと言ってるだろう」
「なんぎだのぉ」
「うるさいよ」
ここから多分、美紀も金の匂いを嗅ぎつけたのか、積極的に協力し始めた。
相手からの、要望や注文は美紀を経由して金山に送られる。
だが、最近、輸出先の国家財政が急激に悪化、不払いが続く。
見切りを付けた金山と田川は、司法の手が伸びる前に会社を計画倒産させて
利益を分け合う事を計画し実行。
俺は離婚され、役目を終えた美紀は娘とともに金山の元に。
いまここ。
「いったい、何なんだ、あのクソ女め」
「見事なまでの、とばっちりじゃな」
「まさか、ここが違法取引の中継基地にされていたとはな」
「たった2回の性交の代金が、給料5年分と住所提供とは、随分高額じゃな」
「うるさいよ」
「なるほど、これも怒りの原因になるのか、興味深い」
「こんな事で感情の学習をするんじゃねえ・・・」
ただ綺麗なだけで、特別な実績のない美紀が、いきなり社長秘書に成ったのは、
こういう事情があった訳だが、当時は何の疑問も持たなかった。
一度だけ寿退社するベテランの事務員さんに、火の無い所に煙は立たないのよ、
少しは自分自身を大事になさい、と最後の出社日に耳打ちされた事が有ったが、
恐らくこの事だったのだろう。
せっかくの好意を俺は無駄にしてしまった。
思い返せば、自分を鑑みる機会など、幾らでもあった。
本当に情けない。
「違法な取引が有るのは知っていたが、まさか関税法違反までとはな」
「それは、まずいのか?」
「妙な所で無知だな」
「わしの役目に無用な知識は、認識する必要を感じない」
「まあ、確かにそうか、つまり表ざたになれば、会社が消滅する案件だ」
「なるほど、それで先に倒産させたのか」
「そうだ、さて次は」
それから持ち帰った取引相手の住所碌と金銭出納帳に記載されていた会社名の
照査に手を付けた。
違法な取引だとしても、今はメールのやり取りだけで、確たる証拠が無い。
ならば、怪しい会社を洗いだして、そこから証拠を確保するしか無い。
どうせ、会社に有った資料は金山が処分してしまった後だろう。
「あの男、性格は最悪だったが、頭は切れたからな、証拠は残していないだろう」
「その割には、お前、お仕置き帳とやらは、放置しておったが」
「それだけ、侮られていたのさ、呆れるほど従順だったからな」
「誰も、まさか小鳥が猛禽に変わるなどとは想像出来んじゃろう」
そして、正規の取引先やだれでも知ってる一部上場企業、先代からの取引先など
を、どんどん除外していくと、通常業務では、殆んど聞いた事の無い会社が二十
社程出て来た。
更にそれらの住所を調べると、半分は有名では無いけれども、かなりの老舗企業
だった。
「この会社の人達にはお世話になったなぁ・・・たのしかったなぁ」
「おい、なにを呆けておる、作業が止まっておるぞ」
「少しくらい思い出に浸ってもいいじゃないか・・・・」
「後にせい」
問題は残りの半分、七社は架空企業で、住所は確かに都心のオフィスビルだが、
そこは他の会社だったり、存在しない階が明記されたりと会社自体が存在しない
ダミー会社で、登録された電話の住所は全て社長の自宅になっていた。
「こいつらは、多分目くらましだ」
「杜撰すぎんか?」
「デジタル表記だと、意外と気づかないものさ、アナログだと目につくけどな」
「理解不能じゃな、理屈に合わん」
「まあ、感覚だからな」
そして本命らしい残りの三社は、全て同じ住所になっている。
一つは販売先、一つは仕入れ先、残りの一つは経営コンサルタント、この三つが
隣県の全く同じ住所で登録されている。
さらに、ここは数年前に開発されたばかりの新しい工業団地で、さまざまな新興
企業が参入し、玉石混交状態になっていた。
間違い無くここが違法貿易の拠点だろう。
まずは、明日の朝までにそこに有るだろう資料を確保する必要がある。
恐らく直ぐには処分に向かう事は、無いだろう。
実際、美紀は金山の元へ行ったのだから。
「さて、レンタカー会社に車を借りに行くか」
「儂がおれば、車など必要無いぞ」
「冗談いうな、あんな所まで飛んだら、内臓ごと吐き出しちまう」
「軟弱じゃのう」
「うるせえ!」
一晩中営業する所が近くに有ってよかったと、思ったが、俺の心配事は違った。
問題は借りられる金が足りるかどうかだ。
「うう、所持金が五千円ちょっとか、借りられるかギリギリだな」
「何だ、金が足らんのか?」
「見りゃ解るだろ、この財布を」
俺の財布には免許証と社員証と定期、それと僅かな現金しか入っていない。
今まで、思う所はあった物の、娘の為にと、己の現状を見て見ぬ振りをしていた
のだが、まさかこんな状況に追い込まれれとは、思いもしなかった。
勿論、引き出せる貯金も口座も無い。
レンタカー会社を、道の向こう側に見つけのはいいが、どうするか頭を抱えた。
「これだけあれば足りるか?」
いきなりそう言って差し出されたのは、百万円の束が二つ。
「いったいどうしたんだ、こんな大金!」
「なに、次元を金庫に繋いで、有るところから借りて来た」
「一体どこの金庫だよ!」
「この国の総理大臣とやらの官邸に有った金庫じゃ」
「げえっ、何てことしやがる!」
「何を焦っておる、たかが人種の国の最高権力者ではないか」
「捕まったらどうする!」
「わしらを捕まえる?一体どんな存在が?まさか警察などと言うまいな」
「・・・・そうだった」
「下らん事に悩んどらんと、早く行かんか」
それから、一台の小型ワンボックス車を借りて、真夜中の道をひた走った。
カーナビに目的地を登録すると、想定所要時間が表示された。
3時間と25分、これなら日付が変わる頃には到着する事が出来るだろう。
ただ、途中で少し休息を取らないと、事故を起したら堪らない。
「そのまま寝とっていいぞ、車は勝手に動かしておくからの」
「そんなことが出来るのか?」
「逆に、なぜ出来んと思う?」
「そう言えば、システムだと言ってたな」
「もっとも、わしを活用する場面じゃと思うがな」
「確かにそうだ」
「着いたら起こしてやるわい」
俺は任せてハンドルを握ったまま熟睡する事にしたが、これが本当の完全な自動
運転システムだろう、世界初だ、発表は出来ないが。
「では、よろしく。おやすみなさい」
そして俺は眠りに落ちた。