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女子高生に怪我をさせてしまったので「責任を取る」と言ったら、プロポーズと勘違いされた

作者: 墨江夢

 ――やっちまった。


 俺・森野要(もりのかなめ)の脳裏に真っ先に浮かんだのは、その一言だった。


 夕方の公園。大きな木の下で、女子高生が「痛たたた」と足首を押さえている。

 彼女の足首は青紫色に変色して、見るからに腫れてしまっている。急ぎ病院に連れて行き、治療して貰う必要があった。


「あの……大丈夫か?」


 尋ねると、女子高生は顔をしかめながらも「大丈夫です」と答える。

 俺を気遣ってそう言ってくれているんだろうけど、彼女の表情と足首を見ればそれが嘘だということくらいわかる。


 どうしてこの女子高生がこんな怪我を負ってしまったのか? それを説明するには、少し時を遡る必要がある。


 ――数分前。

 帰宅途中の俺は、近道をしようと公園の中を突っ切って自宅へ向かっていた。


 犬の散歩をしているお姉さんや、運動としてランニングをしているお爺さんなど、平日でもこの公園を使う人は思いのほか多い。例の女子高生も、その内の一人だった。


 女子高生は大きな木の下で、何やら空を見上げていた。


 その場から動こうとせず、ただ上を見ながら頻りに「どうしよう」と呟く女子高生。

 そんな不可思議な行動をしている彼女に、俺は思わず「どうかしましたか?」と声をかけた。


「実は……ハンカチが、木に引っかかってしまいまして」


 女子高生は、木の上を指差す。

 彼女の指先を辿ると、桃色のハンカチが木の枝に引っかかっていた。


 あの高さでは、ジャンプしても届かないな。

 風が吹けばワンチャンあるかもしれないが、生憎今は無風状態。都合良く突風が吹くなんてことはないだろう。

 

 結論。あのハンカチを取ることは、困難である。


 ハンカチくらい買い直せば良いのにと思ったわけだけど、聞けばそのハンカチはお気に入りの一枚だったようで。

 ……大切なものだというのなら、話は変わってくる。

 ハンカチを取るのは困難なだけで、不可能じゃないからな。


 俺は肩にかけていた鞄を置くと、軽い準備運動をし始めた。


「えーと……何をしているんですか?」

「何って、怪我しないようにストレッチしているんだ。これから木に登るわけだし」

「登るって……まさかこの木に?」


 俺はわんぱく小学生じゃないし、ハンカチを取るという理由でもなきゃわざわざ木登りなんてしない。


「ハンカチなんかの為に、木登りなんて危険な真似をする必要はありませんよ!」

「「ハンカチなんか」じゃないだろ? 大切なものって、そう言ってたじゃないか」

「それは、そうですけど……」


 だったら、危険を冒す理由なんてそれで十分だ。

 女の子の前でくらい、格好付けさせてくれよ。


 俺はハンカチを取るべく、木に登り始める。

 木登りなんて、10年ぶりだ。それでも子供の頃に培ったノウハウは今なお染み付いていて、俺は危なげなくハンカチまで到達した。


 ハンカチを掴むなり、俺は女子高生に掲げて見せる。


「取れたぞ。……って、うわっ!」

「危ない!」


 ミスった。

 俺はバランスを崩し、木の上から落下する。


 このままでは、地面に激突して大怪我を負ってしまう。そんな俺を受け止めようとして、女子高生が手を伸ばす。


 女子高生の咄嗟の判断のお陰で、俺は運良く軽い擦り傷程度で済んだ。

 しかし俺を受け止めようとした彼女も軽傷とはいかず、見ての通り足を痛めてしまった。


 そして現在。

 女子高生に親切をするつもりが、かえって迷惑をかけてしまっている。

 自分の浅はかな行動と注意力の無さに、俺はほとほと嫌気が差していた。

 

「取り敢えず、病院に行こう。これからのことは、治療が終わった後考えれば良い」

「これからのこと、ですか?」

「あぁ。君に怪我を負わせてしまった以上、なんらかの形で責任を取らなければならない」

「責任って……」


 女子高生の顔が、赤くなる。……そんなに足が痛むのだろうか?


 早く医者に診せないと。

 そう思った俺は、彼女を背負うと病院に向かって駆け出すのだった。



 


 女子高生の怪我は、捻挫だった。どうやら俺を受け止めようとした際に、足を捻ってしまったらしい。


 全治3週間。少なくとも2週間は、松葉杖を手放せない生活になるだとか。

 ……俺のせいで、彼女には不自由な生活を強いてしまう。本当、申し訳ない。


 病院から出ると、俺は女子高生に封筒を手渡した。

 封筒の中には、現金が入っている。その額30万円。さっきATMでおろしてきた。

 今後の治療費にでも充てて欲しい。


 慰謝料としては少ないかもしれないけれど、バイトでしか収入のない俺には、これが精一杯だった。


「あの……これは?」

「これから色々入り用になるだろ? 少しばかりだが、俺の気持ちだ。受け取ってくれ」

「俺の気持ち……それって……」


 女子高生は俯きながら、胸の前でギュッと封筒を握り締める。

 彼女もお金には苦労しているのかもしれない。喜んでくれたなら、何よりだ。


「家はどこだ? 送ってくぞ?」

「いえ。近いので、一人で大丈夫です」

「そうか。……それじゃあ、お大事に」


 謝罪をし、治療も終え、慰謝料も渡した。

「送らなくて良い」と言われた以上、ここに留まっている理由もないだろう。

 俺が別れを告げて、立ち去ろうとすると、


「あの!」


 女子高生に呼び止められた。


「まだ何か? もしかして、やっぱり一人じゃ帰れないとか?」

「そうじゃなくてですね、その……」


 女子高生は、何やら言い出しづらそうにモジモジしている。

 ……あっ、そういうことか。彼女の言いたいことが、わかったぞ。


「もしかして、もう少しお金が欲しいとか? 悪いが、もう貯金が尽きてしまってな。親に相談するから、時間をくれ」

「違います! お金じゃありません! お金じゃなくて……あなたの名前を教えて欲しいんです」


 名前? どうしてそんなものが知りたいんだ?


 ……あぁ、そうか。自分をこんな目に遭わせた男の名前を、知っておきたいのか。

 もしかすると女子高生は、明日学校で俺の悪口を言うつもりかもしれない。

 それでも構わない。俺は彼女に、それだけのことをしてしまったのだ。


「森野要だ」

「要さん、ですか。……フフフ。良いお名前ですね」


 何がそんなに嬉しいのか、さっぱりわからない。

 だって俺は、君に怪我をさせた男なんだぞ? 


 怪我をさせてしまった事実は消えないけれど、償いはしたつもりだ。

 だからこれで彼女と会うことも、二度とないだろう。そう思っていたのだが……


 翌日の放課後。

 校門の前で、俺は女子高生と再会することになる。


古泉真綾(こいずみまあや)です。約束通り、あなたに嫁ぎに来ました」


 …………はい?





 昨日俺のせいで怪我をした女の子が、松葉杖をついてわざわざ俺に会いに来た。それだけでも驚きなのに、彼女ーー古泉さんは、更に信じられない一言を口にする。


「要さん、私と一緒に幸せな家庭を作りましょうね」


 ニッコリと、満面の笑みを浮かべる古泉さん。その表情に、裏があるようには思えない。

 そうなると……まさか純粋に、俺と結婚したいだけだというのか? 

 正直なところ、俄には信じられない話だった。


「ごめん、ちょっと待ってくれ。まだこの状況に、頭が追いついていない」


 少し時間を貰って、俺は現状を整理してみる。


 古泉さんの目的は明白だ。俺に嫁ぐことである。

 その理由は置いておくとして、もう一つ気になるのは「約束通り」というフレーズだ。

 古泉さんのいうことが真実なら、俺は昨日彼女と結婚の約束をしたわけであって。


 ……うん、全く覚えがない。

 昨日は古泉さんに怪我をさせて、謝って、病院に連れて行って、そして慰謝料を払っただけだ。プロポーズどころか、「好きだ」と告白すらしていない。

 

 一体古泉さんは、どうしてそんな勘違いをしているのだろうか?


「古泉さん……昨日、足だけじゃなくて頭も打った?」

「いいえ、打っていませんよ」

「だったら何で、俺に嫁ぐみたいな話になっているんだ?」

「だって、要さんが言ってくれたんじゃないですか。「責任を取る」って。それに「俺の気持ち」だと言って、結婚資金を預けてくれましたし」


 責任を取ると、確かに言った。

 しかしそれは慰謝料を支払うという意味で、結婚するということではない。


 俺の気持ちと、確かに言った。

 しかしそれは謝罪の気持ちであって、渡したお金も結婚資金ではなく慰謝料だ。


「危険を顧みず私のハンカチを取ってくれた、優しい人。そんな人にプロポーズされては、女としてときめかないわけがありません。要さんに求婚された嬉しさで、足の痛みもどこかへいってしまいました」

「……」


 ……どうしよう。今更「勘違いです」なんて言えなくなってしまった。


「取り急ぎ、要さんのご両親に挨拶しなくては。案内してくれますか?」


 結局俺は誤解を解くことが出来ず、彼女を自宅まで案内したのだった。





 古泉さんは、とても出来たお嫁さんだった。


 物腰丁寧だし、愛嬌もある。

 怪我が治ってからは率先して母さんの手伝いをし始めたことも、高評価だ。


 両親も古泉さんをとても気に入っている。

 高校生ということもあり、流石に結婚は認められなかったが、婚約者という形だったら寧ろウェルカムだった。


 古泉さんは我が家に嫁ぐつもりだし、家族も学校の連中も俺たちが結婚するものだと思っている。

 そんな当たり前を唯一受け入れられていないのは……他ならぬ俺自身だった。


 古泉さんと出会って半年が経つと、俺の中の彼女への気持ちも変化していった。

 毎日のように「好き」と囁かれ、甲斐甲斐しく世話を焼かれているのだ。俺の心だって、そりゃあ動いてしまう。


 だけど未だに一歩踏み出せずにいるのは、やはり俺たちの出会い方に原因があるわけで。

 古泉さんが今こうしてお嫁さんとして俺に接してくれているのは、全て勘違いに起因しているのだ。


 あの日の勘違いを正さずして、どうして古泉さんを娶ることが出来ようか? 

 覚悟を決めた俺は、デートと称して彼女を初めて会った公園に連れてきた。


「この公園に来るのも、半年振りですね。覚えていますか? あそこの木に、私のハンカチが引っかかっていたのを」

「……あぁ。丁度あの辺りだったよな」

「ですね。それから要さんが木から落ちてしまって、受け止めようとして怪我をした私に……「責任を取る」って、プロポーズしてくれたんですよね」


 古泉さんは頬を赤らめながら、当時のことを思い出す。


「全てが始まったあの日のことを、私は一生忘れません。要くんが言ってくれたセリフを、絶対に忘れません」


 半年経った今でも鮮明に覚えているのは、好都合だ。

 俺はあの日の勘違いについて、古泉さんに切り出す。


「古泉さん、そのプロポーズの話なんだが……実はあの時、俺はプロポーズをしたわけじゃないんだ」

「……え?」


 半年越しのカミングアウトに、古泉さんは心底驚いたような顔をする。

 

 真実を知ったら、彼女は怒るかもしれない。騙していた俺を軽蔑し、婚約破棄を申し出るかもしれない。 


 たとえそうだとしても、俺は古泉さんの勘違いを正さなければならない。それが彼女を好きになってしまった者の義務だ。

 

「君に言った「責任」という言葉も、君に渡したお金も、全部怪我をさせてしまった罪悪感からくるものだ。当時の俺には、君に対する恋愛感情は微塵もなかった」

「そうだったんですか……。「当時」ってことは、今はどうなんですか? 今も……私のこと、なんとも思っていませんか?」

「いいや、今は違う。君のことを、本気で好きでいる。だからこそ、君の言う思い出が誤解だったのだと、伝えないわけにはいかなくて……」


 古泉さんは今、どんな顔をしているだろうか? ショックを受けているんだろうな。

 恐る恐る古泉さんの顔を見ると……彼女は笑っていた。


「古泉さん?」

「ごめんなさい。嬉しくて、つい」


 嬉しい? それはどういう意味だろうか?

 もしかして、また勘違いでもしているのか?


「だって要さんが私に「好き」って言ってくれたの、今が初めてでしょう?」

「……そういえば」


 誤解を解いていない罪悪感から、思えば俺は古泉さんに「好き」と伝えたことがなかった。


「たとえ最初は勘違いでも、今私たちが抱いている気持ちは紛れもなく本物です。なら、それで良いじゃないですか。一緒にいたいと思うことは、決して間違いなんかじゃない」


 あの日間違ってしてしまったプロポーズ。だからこそ今日この時、改めて間違いではない本物のプロポーズをするとしよう。


「古泉真綾さん。俺とずっと一緒にいて下さい」


 この公園が俺たちの思い出の地というのは、どうやらいつまで経っても変わらないらしい。

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