甘い毒 後編
いつの間にか眠っていたのだと気付いたのは、瞼裏の暗闇の遥か上方で、巨大な生物が羽ばたく音を聞いた数瞬後だった。
「……………」
有意識と無意識の両方から、レードが静かに目を開く。
猫が寄りかかっていない方の右腕を動かして、薄くぼやける目を小さく擦ると、幾らか明瞭になった視界の先、背中から生えた3対6枚の翼で羽ばたく巨大な猫の姿が確認できた。
「ウ"ニ"ャ"ア"ア"ア"ァ"ァ"ァ"」
単純な音の規模は雷鳴に匹敵するものの、頭を震わせるような振動や不快感等は一切無い鳴き声で、巨大猫が鳴く。
「ぅぅにゃ…にゃあん?にゃあん」
巨大猫の鳴き声を聴くと、レードの肩に寄り掛かっていた猫が起き上がり、レードに向かって鳴き始める。
「親が呼んでるぞ」
レードが声を掛けながら頭を撫でる。
ひとしきり撫でてから手を離すと、猫は最後に、レードに短く鳴いてから、翼を広げ親猫の元に飛んで行く。
レードの位置からは見えないが、猫が親猫よりも上空に行ってから、背中あたりに乗ったのであろうところで、親猫がレードに短く鳴く。
「じゃあな」
レードが肘を曲げ小さく挙げた手を左右に振ると、その様子を確認した親猫が何処かに飛び去って行く。
猫が雲の向こうに消えて行った後も空を眺めていたレードは、そこから更に30秒程経ったところで、両肩と共に深い溜息を落とす。
「はぁ………」
項垂れてから5秒程のところで、今度は気怠げに、一瞬だけ空を仰いだ後、前が見える程度の力は残しつつ上半身を脱力させ、気怠げに歩き出す。
「帰ろ……」
家に帰ればウザい用事が待ち受けている。
できる事なら帰りたく無いがそう言う訳にも行かない。
重い足取りで帰路に着き、ドアを開けて、溜まったゴミを苛立ちまじりに蹴飛ばしながらベットの前まで移動してから、勢いよくベットに座り込む。
「フラン…どんな感じだ……」
覇気の無い声で呼び掛けると、レードの眼前に一筋の淡い光が走り、一瞬でそれが縦横90センチ程の正方形になる。
「お待ちしておりましたレード様。およそ必要であろう労力に比べて、報酬の高そうな仕事を幾つか見繕っておきました」
天界のコンピューター、フランの機械音声と共に、画面の中に映し出された文字と、簡単な参考写真をレードが確認する。
「なになに?紀年法確立以前の第7宇宙A1地点の中心で知的生命体が住む為の星の建設か…期限は1週間で報酬は21万TP……不備が見つかる毎に無償で是正?フザケンナ!こんなクソ仕事だれがやるか!次だ次!」
苛立った声で拒絶の言葉を投げ掛けると、自動で画面がスライドされ、次の案件が映し出される。
次の画面に映った天歴1488年の第5宇宙J13地点のニビルで人類を導くと言う文面。
まだ途中までしか読んでいないが、【人類を導く】まで読んだ時点で、「この類いの仕事は金輪際提案するな」の言葉と共に、画面がスライドされる。
「下級悪魔を100体討伐か…期限は20日……う〜ん……報酬が安過ぎるな」
少しだけ迷ったが、次の案件を表示させる。
「世界樹に巣食う虫を全て討伐、期限は15年で報酬は8億………報酬は良いけど、めちゃくちゃキツそうだな………とりあえず保留で次に行ってくれ」
「最上級悪魔40人討伐……期限は108日…色んな意味でハード過ぎるぞ…次」
10…30…50…100と案件を確認していくが、どれもこれも現状のレードが受けようと思える仕事は無かった。
いっそのこと無期限の仕事を受けてその世界で自給自足の引きこもり生活を送ってやろうかと思っていた矢先に、妙に興味を惹かれる案件が画面に映った。
【年代:西暦2200年。
場所:第3宇宙F9地点の地球。
カテゴリー:討伐。
討伐対象:人類 (ホモ・サピエンス)
詳細:悪人を4人討伐。
期限:対象の地球換算で100日。
報酬:3億TP。
備考:①ホモ・サピエンスではあるが魔法能力を有する。②討伐対象に協力する者複数有り。③討伐対象の協力者の無力化を許可する(TPの増減には影響なし)④無関係な周囲の生命の保護の有無は当事者の良心と判断に委ねる(TPの増減には影響なし)⑤対象地域には法律が存在する(対象地域の法律は別途参照。対象地域の法律を違反の有無はTPの増減には影響なし)】
幾何学模様と数字の入り乱れた天使の共通言語で画面に記された内容を確認すると、レードの声量が驚きで大きくなる。
「なんだこりゃ!?どっかで桁間違えてんじゃねぇのか!?」
天使が人類の討伐を敬遠するとは言え、魔法能力を有するとは言え、複数人の協力者がいるとは言え、いくら不確定要素を考慮しても、労力に比べて報酬が高過ぎる。
「いいえ。画面に記された通りです。計算ミス、誤字や記載漏れ等、一切ございません」
間違い無いとの言葉が機械音声で告げられる。
『う〜ん………まぁ、フランの故障やら何かの間違いを疑うほどに数の桁が違う訳でも無いしな。一般的な天使が有する人類討伐への嫌悪感にさえ目を瞑れば最高に運が良かったと断言できる案件ってところか?事実として似たような話しは過去に5件ほど有ったらしいし…………』
「分かった。この案件を受けよう」
「レード様、提示しておいてなんなのですが、本当にこの案件を受けて宜しいのですか?」
「は?どういうことだ?」
「いえ、確かに誰かがやるべき仕事として存在はしているのですが、人類を討伐する事によって心の傷を負う可能性も」
レードが手近に有った剣を手に取りながら、話をブチ切り転送を促す。
「なんでも良いから早くしろ。グズグズしてる内に他の天使に取られるかも知れねぇだろうが」
「かしこまりました。転送の準備は宜しいでしょうか?武器や食糧、着替えなど忘れ物はございませんか?」
「あっ、ちょっと待て」
レードが慌てて立ち上がり、剣を持っていない方の左でクローゼットを開き、白いTシャツとスカートと下着をそれぞれ3枚ずつ手に取る。
「完了だ。今すぐ転送してくれ」
「かしこまりました。それでは転送します」
フランが言い終えると、レードの全身が淡い光に包まれる。
次第に風の流れるような音が流れだすと、それとほぼ同時に、部屋の中からレードの姿が消えた。
のちにレードは、絶望に近い心境の中で皮肉と自戒混じりに語る。
「報酬に釣られたのか、少なからぬ有った人類への憎しみを合法的に晴らそうとしたのか。よくよく考えてみれば、なんでこの仕事を選んだのか分からないな。まさかその選択が、こんな結末になるとは想いもよらなかった」と。




