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甘い毒 前編

「お前のせいだ!」「お前のせいだ」「お前のせいだ」「お前のせいだ!!」「お前のせいだ」「お前のせいだ!」「お前のせいだ」

「お前のせいだ!」「お前のせいだ!!」


焼け落ちた街。


「お前のせいだ!」「役立たず!!」「お前が遅れたから俺達は街を失った!!」「酷い」「どうしてもっと早く来てくれなかったんだ!!」「一日中待ってたんだぞ!!」


怨嗟の声。ドス黒いマグマの如き感情。


「……………遅れて……ごめんなさい」

『やめろ』


「役立たず!!」「嘘つき」「全部お前が悪いんだ!」


「ごめんなさい………ごめんなさい…ごめんなさい!」

『やめてくれ』



「信じた私が馬鹿だった!!」「そうだ!責任取れ!」「どうするつもりだ!」


逆上。落胆。逸脱。蔑視。


「そんな……私は…」

『なんで私が責められなきゃならない』


「恥を知れ!!」「屑!」「卑怯者!!」


愚弄。下劣。憤慨。憎悪。


「…………………………………………」

『お前達はどうなんだ。ただ逃げ回るどころか、隣の人間を囮にして切り捨てたくせに』



「人を守るのが天使の責務じゃないのか!」「守ってくれるって言ったじゃない!!」「あなたが遅れたから夫が死んだ!!」



依存。厚顔。陰険。俗悪。


「本当に……どう謝ればいいのか………」

『物の譬えじゃ無い。私は本当に全力を尽くした。あの時も、それよりもずっと前から、自分にできる事は全て遣り尽くした。あれ以上、どうすれば良かったんだ』


浅ましく、愚かしい背徳。


それでも、心身ともに幼かった彼女はただ、己の無力を嘆き、心の底から謝る事しかできなかった。


「俺達がどれほど苦しんだか分かるか!?」「お前も死ねば良かったんだ!!」「役立たず!」「消えろ」「死ね」悪辣。「私の家族を返して!!」「お前のせいだ」怠慢。「屑!!鈍間!!」「嘘つき!!」「どうして最善を尽くさなかった!!」「恥知らず!!」「アンタなんか天使じゃ無い!アンタが徒に先祖を甘やかした所為で人は戦い方を忘れたんだ!アンタは人を堕落させる悪魔だ!!」惨憺。


多くの者は恐怖から距離を取り甘露には群がる。


悍しい化物を前に、逃げ惑い、息を殺して隠れる事しかできなかった鬱憤を、あろう事か自分達の為に戦った者にブツける暴挙。


道中で負った全身の傷以上の激痛が、ただでさえ弱っている心を更に掻き乱す。


罪を罪とも思わない、気付きすらしない盲目な傲然。


不毛な争い。


理不尽。


不合理。


全ては後の祭りなのに。



「お前のせいだ!!」「役立たず!!」「これからどうしろって言うんだよ!!」「街を返せ!!」「夫を返せ!!」「信じていたのに!!」「裏切り者!!」「どうして守ってくれなかったのよぉぉぉ!!!」廻る視界。「オマエノセイダ」「オマエノセイダ」「シネ」「キエロ」「クズ」「アクマ」「ウラギリモノ」「ヤクタタズ」「シネ」「サイゼンヲツクセ」歪む心。「ノロマ」「ナンデマニアワナカッタ」「シンジテイタノニ」



絶望。忌避。決別。『やめろ……やめろ…やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろ』「やめろぉ!!!」



突風に吹き飛ばされたかのような勢いで上半身が起きる。



テレビ画面から漏れでた光が一定の範囲を照らす空間。


唯一適切な状態にある子綺麗なベッドと、辛うじて残った足の踏み場以外はゴミに塗れた薄暗い部屋。


さっきのは悪い夢だったか。


否、眠りから覚めて、少しずつ鮮明になっていく意識が、過去に起こった現実である事を告げる。



己の心境を投影したような部屋の中、人影は自身の頭部辺りを片手で押さえ、深呼吸の意も兼ねた長く深い溜息を吐く。


「…………ッチ。チッ、チッ、チッ!」


溜息の余韻が消えるのと同時に口から大きな舌打ち音が漏れる。


「チッ!チッ!チッ!うぜぇ…うぜぇうぜぇうぜぇうぜぇウゼェ!」


負の感情を吐き出す声の中に「フラン」と言う単語が混ざると、悪口の合間に短く発された自身への呼び掛けに応え、薄暗い部屋の中にテレビ画面とはまた別物の淡く光る正方形のモニターが宙空に現れ、天使の聴覚でしか聞き取れない周波数を用いた機械音声が喋りだす。


「おはようございますレード様、本日はどのような御用件で」起動時の挨拶を無視して、宙空のモニターに表示されるデフォルメされた剣のマークや、拳のマーク、盾のマーク、ダンベルのマーク、滝のマーク、座禅のマーク、桃のマークや飲み物のマークや工具や温泉や音符や羽、ゴミ箱、怪我人、本、動物、など様々なマークの中から球体のマークを人差し指でタッチする。


球体のマークをタッチすると画面が切り替わり、太陽のマークや月や星のマーク、雷のマーク、火・水・木・金・土の五行を表すマークや球体の割れたマーク等が並ぶ画面で、雲の上からラッピングされた箱が落ちているマークをタップして、パスワード入力画面に移行するなり両手で素早くパスワードを打ち込む。


一度だけ鐘を鳴らしたような承認音が出て、画面一杯に雲の上からラッピングされた箱が落ちているマークが表示されると、そのマークを連打する。


マークを一度打つ度に部屋の中のゴミが一瞬、淡い光を放ってはすぐ光と共に消えていく。


短時間に何度もそれを繰り返すとけたたましいサイレン音を鳴らしながら機械音声が注意を促す。


「違法な行為が感知されました。ただちにその手を止めてください。違法な行為が感知されました。ただちにその手を止めてください」


勧告を無視してひたすら画面を連打する。


「うぜぇうぜぇうぜぇうぜぇクソ、クソクソクソクソクソクソうぜぇクソうぜぇクソうぜぇクソうぜぇ!」


一時的なストレス解消にこそなれど根本的な解決にはならない。


そんな事は分かり切っている。


衝動を我慢できない事も無いが、吐き出した方が幾分か心が晴れる事を経験で知っているレードは、言葉で、行動で、負の感情を撒き散らす。



「強制停止します」



やがてはモニターがブツリと途切れて闇の中に消えていき、部屋の光源がテレビの画面だけの状態に逆戻りする。


少し間を置いてから、項垂れて、小さな溜息を吐き、目を閉じてから10秒程そのままの状態をキープしたのちゆっくりと頭を上げて、静かに目を開く。


手近にある100ミリリットルの缶を開けて中に入った水をごくごくと飲み干し、空になった缶を、ある程度はゴミの減ったもののまだまだ汚れ放題な部屋の中へ適当に放り捨てる。


「…………………はぁ……めんどくせ………」


後悔する事も、切り替えて前向きに物事を考えるのも、あれもこれも億劫だ。



無意識下で八つ当たり気味に苛立ちを放ちながらテレビ画面を横目で睨むと、その世界観がドットで表現されたロールプレイングゲームの、ボロボロになった教会の中の様子が映し出されていて、ゲームの主人公と会話していたシスターが「おぉ!神よ!なぜこのような悲劇が起こったのでしょうか!」と嘆きの声を上げていた。


『あぁ…そうだった…ゲームで街の襲撃イベントがあって、それが思ったより冗長だったから途中で寝落ちしたんだ』


街の襲撃イベントから実際に起きた悲劇を連想してしまった所為なのか嫌な事を思い出した。


あれはどの世界線の出来事だったか、思い出したくもないが、いずれにせよ、天使の責務を放り出すに至った大きな要因のひとつには相違無い。


「もういいや……忘れよ面倒くせぇ」


自分に無理やり言い聞かせるように気怠げな独り言を発する。


寝落ちして見逃したゲームのイベントを最後まで見る為に、ベッドから起き上がってテレビの前に移動し、テレビに付属したゲーム機のリセットボタンを左足の親指で押す。


数秒、部屋の明かりが消え、ゲームが再起動しているうちに足元のゴミを退かしてある程度のスペースを確保する。


座り込むのとちょうど同じタイミングでゲーム画面がまた部屋を照らすと、座る事によってゲーム画面と距離が近くなった人物像を画面から溢れた光が露わにする。


天使と言う種族としては少女と言う表現と女性と言う表現の境目の年齢に位置するレードは、実年齢と同じくあどけなさを残しつつも凛とした大人の色も備えた美しい顔立ちをしているのだが、その表情は死人同然。


かつて黄金に譬えられた切れ長の明眸は黄土色に濁り、短いながらも最上質のシルクの川の流れを想わせていた銀髪は枝分かれしまくりながら無造作に伸び散らかし、小柄で線が細いものの骨格と筋肉のバランスが完璧で実用性でも美的観点でも非の打ち所が無かった身体は不健康に痩せ細り、シミひとつない木目細やかな未踏の雪原の様な肌は、あくまでも生物然としていた過去のソレからは外れて幽鬼の様に白ばんでいる。


ヒビ割れた工芸品。カビの生えた絵画。



史上最高にして最強の天才と謳われたのも500年前の昔話。


自然豊かな土地に一軒家を保持している事以外、天使としては最底辺だと蔑まれる様な日々を過ごしていた。


誰の目も無いからといって衣服すら着用しない。


人との関わりを断ち切った為に、悪い刺激と良い刺激の大部分を失った彼女の専らの楽しみは外に出ずとも気軽に行える映画や音楽の鑑賞、テレビゲームといったものが大半を占めているが、そのゲームも今は、さっき見た悪夢の影響によって思い出した過去のトラウマが頭の片隅にチラつく事になり集中できずにいた。



『チッ…あぁ〜もう………忘れろめんどくせぇ……過去の出来事だろ…今さら気にしても仕方ないじゃねぇか……』


忘れようと意識すればするほど何故だか気にしたくない方にばかり意識が向いてしまう。


寝る前まで見ていて内容も覚えている冗長なゲームのイベント場面を流し見している内に、心中に、まだ見てない場面に移行すれば多分そっちに意識が集中する筈だとの考えが浮かぶが、程なくして訪れた結果から言うと所詮それは希望的観測に過ぎなかった様で、心の焼け跡からしつこく煤が舞い続ける。



『あぁもうウザってぇ!!全然イベントに集中できねぇじゃねえかクソッタレ!!』


心中で怒りの叫びを挙げてからゲームの電源を切ってカセットを抜く。


『もうイイやめんどくせぇ。やっぱRPGはゆっくり楽しみたい。今みたいな気分の時はある程度あたまを空っぽにしてもできる格ゲーか短期で集中できる音ゲーだな。格ゲーや音ゲーは確かこの辺に……』


散漫な意識のまま暗闇の中で手近なゴミの下に手を突っ込み、ゲームのカセットを手に取る感触を感じると、腕を引いてタイトルも確認せずにそれを本体に突っ込み電源を入れる。


適当に手に取ったゲームは、音楽に合わせて次々に流れてくるマークをタイミング良くボタンを押してタッチするゲーム。通称、音ゲーと呼称されるゲームだった。


機能設定で難易度を最高にすると、最高難易度の状態でも全曲クリアーどころか、それに飽き足らず、得点のカンストが立ち並ぶ場面が表示される。


しかし、ただひとつ、高得点でクリアーはしているものの、得点がカンストしていない超絶難易度の曲があった為に、レードはその曲を選択する。


音楽が始まると同時に大量に流れてくるマークをドンピシャのタイミングで押し続ける。



クリアーするだけならば問題無いが、最高得点を目指す場合は少しでも気を抜けば一瞬で失敗する。


ある種の戦いに似ているそれを、過去の話とは言え命懸けであらゆる戦場を戦い抜いた一流の天使の経験がたまたま働いた為に捉えて離さず、重量感と奥行きを感じさせながらも軽快でキレのある完成度の高い歌声や楽器の音も相まって、特に意識せずともトラウマは一時的に虚無へ還り、ただ目の前の画面だけに意識が集中する。



曲が終わってコントローラーを置けば画面には9の数字が立ち並び、これ以上は無い文字通り最高の得点を叩き出した事を画面が告げる。


『お?くく……なんだよオイ。今まで全然クリアーできなかったのに、まさかの一発成功かよ』


思いも掛けない超難易度制覇でまぁまぁな達成感が得られた。


『いやぁ〜まさか一発成功しちまうとは思わなかった。嫌な事の後だから尚更うれしい。これはなかなか気持ちが良いもんだ。結構テンション上がっちゃうな〜。ちょっとした祝いで晩餐にでもしちまおうかな〜。ここ10年ぐらい水しか飲んでねぇし偶にはパーっと………って、意識したらマジで腹減ってきた。減ってきたって言うかいま気付いたけど既にかなりの空腹だ。今の状態でシリウスのハチミツを塗りたくった桃源郷の桃を齧りながら旧パンデモニウム産の酒を呷ったら堪らねぇだろうな〜。よし決めた。久々に好き放題飲み食いしてやろう。酒が入ればさっきのアレも薄れんだろ』


「フラーン」


引きこもりのレードからすれば全てが自分基準だ。己が気紛れのひとつで開かれる1人パーティに興じようと、再び宙空に呼び掛けると、暗闇の中に淡い光が浮かんで、その光がバッテンの形になって機械音声が話しだす。


「機能が制限されています」


「んだよフラン怒ってんじゃねぇよポイ捨てぐらいでよー。言うても自然の中には捨ててねぇって。ちゃんと元から薄汚れている都市部に捨てましたよーだ」


へらへらした態度でモニターに向かって喋ると、白っぽかった光が赤色に変化し先程よりも少し大きめの声で注意を促す。


「そういう問題ではありません。天使としての品格の問題です。8分13秒前に行なわれたレード様の行動は知性ある生命体として最低限の尊厳を損ねる」「そんな事よりよぉ!出前取ってくれよ出前!特急でな!」


音声に被せる様にして要件を告げると、赤い光が白色に戻り、平坦な口調で返答する。


「機能が制限されています」


「さっき聞いたよマニュアル馬鹿め。今度から気を付ければ良いんだろ。転送機能そのものは制限されてないだろ早くしろ」


レードの言葉に、少しの間を置いてから、バッテンの形が正方形に変化する。


「………かしこまりました。どのような品を御所望ですか?」


「シリウスのハチミツと桃源郷の桃と旧パンデモニウム産の酒を頼む」


「ポイントが足りません」「あ〜そうそう早くしてくれ」


『…………ん?』


自分の声と被って良く聞こえなかったが、なんだかものすごく聞き捨てならない言葉を聞いた気がする。


いや、本当はハッキリと聞こえていたのだが、いきなり厳然たる事実を告げ知らせて心にダメージが行かないよう、覚悟する暇ほしさに脳が理解を拒んでいるのかも知れない。


本来なら間違いを減らす為に、聴覚に加え視覚でも再確認するよう、頼んだ品のサンプルが表示される筈の画面が、何故か真っ白なままなのも不気味なので今は敢えて触れないでおこう。


とはいえ、真相がどうであろうと確認しない事には話しが前に進まない。


意を決して再び先と同じ3品を注文するが、

音声だけでは的確に状況を伝えられないと機械が判断したのか、画面に幾何学模様と数字の入り乱れたような天使の共通言語を表示して、視覚と聴覚の両方でポイントの不足を知らせる。


「ポイントが足りません」「現在の私のTPを表示しろ!」


天界に対する天使の貢献度を数値で分かりやすく表しながら、通貨の役割も兼ねるポイント、通称TP(天界ポイント)の残額を確認しようと狼狽するレードの声に応えて、了承の相槌と共に、天使言語で画面にレードのTPが表示される。


「はぁ!?なんだこりゃ!?」


画面を見たレードが納得のいかない様子で驚き叫ぶ。


素早く立ち上がり、画面に顔を近づけて言葉を続ける。


「なんでこんなに減ってんだ!?私はちゃんと計算しながら使ったのに!後9000年は保つ筈だぞ!?」


天使の寿命は凡そ1万年。少し長い休暇を取るつもりで、1400才の時点で家に篭り始めたレードは、引き篭りを続ける内に1年も経たずして仕事には復帰せずこのまま静かに暮らしていこうと考え方が変化すると、いちど自分の残りTPを確認し、その後は寿命の終わりが来るまでTPが保つように計算しつつ使っていたのだが、何故だか明らかに計算が合わない。




「実は、レード様が引き籠り始めてから100年近くは特に変化は無かったのですが、ここ400年で過去に例を見ない急激な物価の上昇が発生しましたので」


「あぁ?物価の上昇ぉ?」


画面をいじくり、今までは億年単位で大した変化がなかった筈の、天界でのここ500年間に於ける物価の推移を確認する。


「ってうぉい!!どんな上がり方だよフザケンナッ!!」



物価を確認すると、確かにフランの言う通り最初の100年間は今迄通りだったのだが、それが途中から急激に上昇して、生活必需品から嗜好品に至るまでアレもコレも30倍近くの値段に跳ね上がっている。


「なんでこんなに上がってやがるんだ!?大体お前も!なんでもっと早くに物価の急上昇を私に伝えなかったんだ!?」


「お忘れですか?レード様が引き籠り始める時に、静かに暮らしたいから外界の情報は一切いれるなとわたくしに言ったではありませんか」


「なにぃ!?」


ボソクロに言い返してやりたいが、よくよく思い返せば、確かにそんな感じの事を言った記憶が浮かび上がる。


「…………ぶ……物品の購入時に画面に表示されるTPはどうした!?そういえばお前ここ最近は全然表示しなかっただろが!!」


「買い物のルーティーンが出来上がってからは碌に画面も確認せず生返事していたではありませんか」

「なんとなくルーティーンが出来上がったのは最初の数年らへんだろうが!普通なら値段が急上昇した時は強く確認を促す筈だろ!」

「確かに通例どおりならば値段の大幅な振れがあれば確認するよう呼び掛けますが、レード様が引き籠り始める時に外界の情報は一切いれるなと」「そのくだりはもうイイっつの!!舐めてんのかボケナス!!」「いいえ舐めていません。なにかお気に触りましたか?不適切な言動があったのなら今後の参考とさせて頂く為に指摘を御願い致します」


「知るかバカヤロォ!!」


思わず握った拳を振るいかけるが、機械に当たった所で事態が好転するわけでも無いと気付き、既の所で思い留まる。


「……っ!あぁ〜もう!面倒くせぇ………」


踵を返してベッドに向かい、勢いよく座り込む。



「……………………はぁ……………」


深い溜息を吐いて少しだけ頭の熱を冷やす。


「くそったれ……なにが天界の技術の粋を集めて造られた超高性能コンピューターだよポンコツが……」


項垂れ、悶える様子で、銀色の蓬髪を両手でぐしゃぐしゃと掻きながら、力無く雑言を吐く。


「随分と憔悴のようですね。私で何か力になれる事はございますか?」



「あ?あぁ〜いいよもう。ちょっと黙ってろ」


協力を申し出る声を、苛立たしげな返答で黙らせる。


俯いたままの頭を上げもせず、両手の動きだけをピタリと止めたレードは、現状をどうにかしようと、何か抜け道がある筈だと、脳内で状況の整理を行う。



天使の役目は悪魔との戦闘や人類の指導、そして其れ等のバックアップが主となる。天界に於いて本格的な自給自足を行う事は天使本来の責務を完全放棄したと見做され、天界を永久追放される。


天使同士での私物の売買やTPの貸し借りも特例を除いては認められておらず、そもそもレードに頼れる知人、厳密には、一方的に甘え倒せる都合の良い知人など存在しない。




早い話しがTPが無ければ与えられた仕事を熟す他ない。


結論、働く他に道は無し。


「嫌だあぁぁあぁあああああ!!!」


両手で頭を抱えながら上半身を仰け反らせて絶叫する。


そのまま全身を捻りうつ伏せでベッドにダイブし、枕に顔を埋めてくぐもった声で叫びながら両足をドタンバタンと上下に暴れさせる。


「働きたくねぇぇぇ!!!ノンビリと隠居生活を送るつもりだったのにお前の所為で全部台無しじゃねぇかぁ!!!なんとかしろバカヤロォォォ!!!」



一通り叫び、感情の嵐が弱まったタイミングで、フランが話し始める。


「働きましょうレード様。それだけ叫んで暴れる元気があるのなら大丈夫な筈です。確かに物価は上がっていますが、それ以上に賃金も上がってはいます。しばらく働いてTPを貯めて、今度こそしっかりと計算しながら使っていきましょう。2度と同じ誤ちを起こさぬよう、今度は私もTPに関連する事柄は逐一確認し、情報提示をさせて頂きますので、頑張って稼ぎましょう」


前向きな言葉を掛けて働くよう促すフラン。


レードはそれに対して、暫くの間を置いてから、唸るような声色で冷たい負の感情を吐き捨てる。


「…………チッ、簡単に言ってくれるぜ……さすが感情の無い機械様は違げぇや」


皮肉を浴びせながら徐に起き上がって少し歩き、クローゼットの前に溜まったゴミを退かしてからクローゼットを開き、白いTシャツと白いスカートと白い下着を取り出して、それらを着用して玄関に向かい、ゴミの上に適当に置かれた白いクロスサンダルを履いて外へ続く扉の把手に手を掛ける。


「レード様、どこへ向かわれるのですか」


「外の空気吸ってくる。適当にいくつか仕事を見繕っとけ。なるべく楽で、なるべく儲かる奴を頼むよ」


怠惰なセリフを吐きながら外への扉を開く。


外に出る事自体はあまり乗り気じゃ無かったのだが、これ以上この空間にいても気が滅入るだけだ。


一旦、心をリセットしようと、約500年振りの外へ足を踏み入れる。




一歩外に出れば草原が広がり、柔らかく瑞々しい風が頬を撫で、清新な空気が肺を満たす。


ここは楽園。


多次元空間の中心にして全ての始まりの世界と伝わる天界の秘境。


空には3つの太陽が優しく輝き、果てしなく広がる宏大な山々は四季の色めきを同時に映し出し、山の天辺に浮かぶ雲からは雄大な滝が流れていて大規模で且つ繊細な水音を奏で、滝底に落ちて溜まった水は生命の源と成りて小さな精霊を生み出し、宙空で弾けて気体に変化した水は虹を掛ける。


複雑な頭脳労働を行う人型の生物を満たすのは難しいが、基本的には、空気中に漂うマナと言う名の物質が食物の代わりにエネルギー源となり、水資源も豊富な為に虎や獅子などの肉食動物と、羊や牛などの草食動物との間に争いは無く、空では鳥や蝶が共に舞い踊る。


都会の喧騒を離れた秘境には穏やかな自然の音色が溢れていて、清浄な天界には不快な害虫等も存在しない。


『…………………』


小さな球体状に発光しながら滞空する光虫ひかりむしを、ぶつかって蹴散らさないよう避けながら歩き、適当に家から離れる。



『……この辺が良さげだな』


他の生き物からは遠過ぎず近過ぎず、寝転がるのに程良い傾斜がある草のベッドに身体を預け物思いにふける。




『また戻るのか…あの日々に……』


過去の記憶をなぞり、先の事を連想する。




最初の内は、恐ろしくも誇らしかった。


厳しい訓練を乗り越え、戦いに身を投じて、悪魔や、その眷属である魔族を殺し、人を守る。


感謝され、褒められ、遣り甲斐に満たされた。


自分の存在価値がそこにあると信じて疑わなかった。


しかし、戦いを続ける内に、ギリギリでの成功や失敗を経験して、その都度浴びせられる心ない言葉に苦しんだ。


夢で思い出したいつかの日を境に、人を守る仕事から悪魔を殺す仕事に重点を置くようにしたのだが、深く関わる内に敵方にも何らかの事情があるのが見えてきた。


守る事にも、殺す事にも疑問を感じた。



答えの出ない疑問が齎らす苦しみから逃げる為に考える事を諦めて、良い意味でも悪い意味でも公私の区別をハッキリと付けるようになったが、自分の本心から目を背けて走り続ける内に、ふとそれが怖くなった。


正しさという道標を失って、どこに向かえば良いのか分からなくなった。


「嫌だなぁ……………」



空を眺めながら遠くへ呟く。


暫しの間ぼぉーっと空を眺めていると、不意に、首元に柔らかい毛の生えた動物の感触を感じる。


顔を僅かに動かして首元を確認すると、2枚1対の小さな翼が生えた、体長50センチ程の天界固有種の子猫が、レードの首元に自身の額を擦り付けていた。


地上の猫と同じく、額を擦り付けて愛情表現を行う天界の猫を、刺激しないよう、ゆっくりと撫でると、それを気に入ってか、猫はレードの顔に額を擦り付けたり、横腹や尻尾を押し当てたりして甘える仕草を見せる。


「はは、なんだよお前」


それに応えて頭や首元を優しく撫でると、猫は気持ち良さそうにゴロゴロと喉を鳴らしながら、レードの肩を両方の前足で交互に何度か揉んでから、丸くなって肩に寄り掛かり、それから数秒程で眠りだす。


『あ〜ゲームのレベル上げやシリーズものの映画ばかりに夢中になってたけど、久々の外も悪くねぇもんだ』


そんな事を考えながら猫を眺めている内に、心のささくれが幾つか抜け落ち、自然とリラックス状態に入る。


膨大な量の仕事の中から、フランが適当な物を選び出すのにはもう少し時間が掛かるだろう。


既に起こってしまった事からは今さら逃れられないが、今はただもう少し、この平和を堪能しよう。


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