量産型戦艦ヤマト
架空戦記創作大会2021秋作品となります。よろしくお願いいたします。
1945年5月 日本広島県呉軍港
今まさに、1隻の巨大な戦艦が引き渡し式を終え、見送る造船所の工員や市民の歓呼を背に受けて、大海原へと旅立たんとしていた。
前部に3連装2基、後部に同1基の46cm主砲を搭載した大戦艦である。
呉市民ならば、4年前の12月に竣工した帝国海軍の象徴「大和」を誰もが想起するだろう。しかしながら、その「大和」は現在呉の沖合に停泊し、出港していく戦艦を見送っているところであった。
「大和」の艦尾に翻るのは、16条の光線と太陽を象った旭日旗だ。しかし、今出て行こうとする戦艦に翻る旗は、似ても似つかぬものである。
つまり、今出港していく「大和」型は大日本帝国ではなく、外国籍の艦と言うことだ。
そして、この「大和」型戦艦は呉で完成した3隻目の「大和」型であった。
ちなみにこの他に「大和」型は佐世保で完成した2隻、横須賀で完成した2隻、大神で完成した3隻の計10隻が存在し、そのうちで帝国海軍籍にあるのは6隻に過ぎない。
残る4隻は全て売却されている。
この世界でも最大最強の部類に入る戦艦のうち、建造した4割を輸出に回すというのは、普通に考えれば何とも奇異な話である。
しかしながら、大日本帝国は注文主からの要請に応え、その最大最強の戦艦の輸出に踏み切っていた。
何せ、その見返りとして帝国で年間に消費するほぼ全量の石油や鉄、ボーキサイトが提供されているのだから。
そんな気前のいい国が地球上のどこにあるのか?正解を言ってしまえばない。
「大和」型戦艦をはじめとした、大日本帝国の兵器を輸入し、その見返りに莫大な天然資源を輸出した国は、時空の壁の向こう側にあった。
時を遡ること15年前、昭和恐慌に大日本帝国が揺れる中、突如として鳴門付近の瀬戸内海に、光の柱が出現し、そこから見たこともない旗を掲げた少々時代遅れなシルエットの軍艦が出現した。
この事態に、ただちに呉から海軍の駆逐艦が出動し、臨検を行った。
乗り込んだ海軍軍人たちが見たのは、自分たちとよく似た格好(つまりは軍艦乗りの格好)をした男女と、高級官僚が着るような仕立ての良い燕尾服を着た、明らかに日本人ではない者たちであった。
しかし、よく見るとその内の何人かは、まるで動物の様な耳や尻尾を生やしていた。しかも彼らは、流暢な日本語を口にした。
この奇怪な事態に、臨検に乗り込んだ士官や水兵も、自分たちが乗り込んだ目的を、一瞬忘れてしまうほどのショックを受けた。
ただ幸いなことに、相手と言語で意思疎通できたことで、無用な衝突は避けられ、20世紀最大の出来事とされる地球と異世界との接触は、平和裏に進んだ。
そう、光の柱は異世界とを繋ぐ次元ゲートであり、そしてそのゲートから出てきたのは、異世界のとある国からの使節団であった。
後に昭和の黒船ともいうべき異世界からの使者の出現に、最初日本政府は困惑したが、相手側が友好の意志を持って接触してきた以上、無下なこともできず、日本政府は取り敢えず使節団を受け入れ、もてなした。
その結果、彼らは光る柱の向こうの世界にあるフィスカ王国の外交団であり、友好関係を求めてやってきたとのことであった。
瀬戸内海と言う、日本国内にゲートが開いてしまったのは、単なる偶然とのことで、この点に関しては直ちに謝罪がなされたが、この前代未聞の事態に国内の意見は極論すれば二つに分かれた。
一つは突然の来訪と領土の侵犯、しかも帝国のど真ん中に入り口を作るという暴挙を許さず、追い返すという強硬的な意見と、とりあえず相手が友好関係を求めてきているのであるから、こちらからも使節を派遣して様子を見ようという穏健的な意見である。
結局、最終的にこれは天皇が穏健的な意見を支持したこともあり、日本側からも使節団(というより半分以上調査団)が派遣されることで決着し、彼らは見知らぬ異世界に不安を抱えつつも、出発していった。
その後、2週間ほどして帰ってきた使節団の持ち帰った情報は、日本にとって天祐と言えるものであった。
次元の向こうのフィスカ王国は、石油や鉄鉱石などの天然資源に恵まれ、自国での消費分に対して余りある埋蔵量を有していた。そしてフィスカ王国は、大日本帝国に対してその天然資源を売却する用意があると回答した。
そして、フィスカ側がその見返りに求めたのは日本との貿易であり、その中には日本製武器の売却も含まれていた。
この時、フィスカ側の世界では戦争こそ起きていないものの、複数の国とフィスカは緊張関係を抱えており、一つの国相手なら互角以上に戦えるレベルにあったが、万が一敵が同盟を組み、複数で攻め込まれた場合には心許ない状況にあった。
そんなフィスカ側にとって、彼らの保有するそれよりも10年は先を行っている日本製の武器は、魅力的な商品であった。
もちろん、実際のところ地球と言う視点で見れば日本製の武器の品質は、決して良いものではない。米英独等、日本製よりも水準の高い兵器を造れる国はいくつもあり、現実問題フィスカ側に売り込もうとした国も、あるにはあった。
しかし、フィスカ側が開けた時空ゲートは日本国内、厳密には日本の領海内にあり、日本製以外の武器を輸入するには色々とハードルがあった。それに対して、日本製の武器ならば様々な面で好都合だった。
無資源国であり、またまだまだ欧米に比べて技術面で遅れ、市場の開拓も不十分な日本にとって、突然出現した大規模な市場。これを天祐と言わずとして、何と言うか。
こうして、フィスカ側がゲートを開いた半年後には、各種条約や協定が日本とフィスカの間に矢継ぎ早に結ばれ、その中には当然貿易や兵器の輸出関連のものも含まれていた。
こうして、1931年初頭から日本とフィスカの交易が開始された。日本から様々なヒト・モノが異世界側へ、逆にフィスカからは石油などの天然資源が日本へと持ち込まれた。
この異世界との交易開始は、昭和恐慌以降日本を覆っていた閉塞感と落ち込んだ経済を一気に打ち破るものであった。
日本は少ない投資で高品質の天然資源を得られることとなり、またその販路開拓に窮していた日本製品の売り先を得たからである。
この影響により、それまで幅を利かせていた大陸への進出論は急速にしぼむこととなり、それどころか急速に活気づく国内経済を支えるために、外地の人間を呼び戻さなければいけない程の勢いとなる。
もちろん、陸海軍もこの恩恵に預かることとなった。第一次大戦後以後の軍縮に次ぐ軍縮で、将兵の頭数を減らされたのみならず、思うように軍備を整備できない状況であったが、だぶついた将兵は異世界側に顧問として大量に送り出され、また旧式兵器を異世界側に供与して、その穴埋めを新兵器で埋めるという流れができあがった。
一方で、この流れは諸外国の反発を招くことになった。特に艦艇については。
各国海軍ではワシントン条約を皮切りとする軍縮条約と世界恐慌後の緊縮財政の煽りで、旧式艦の代替すら進まないのに、一人日本だけは条約の枠内とは言え新造艦をバンバン造り、経験を蓄積している。脅威と思われても仕方がない話であった。
もっとも、建造される艦艇の性能そのものは、先述したように条約で定められた枠内であることに加えて、純粋な商取引なので、結局のところ日本としては、抗議の声をはねつけるだけであった。
さらに、日本にとって実に都合の良いことに、日本本土を中心とする日本経済圏は異世界との交易開始でウハウハ状態が続くのに対して、その他の地域ではきな臭い事態が増えはじめた。
中国大陸では米英等の支援を受けた国民党軍と、ソ連の支援を受けた共産党軍、ならびに東北軍が小競り合いの回数を増やし、その余波は外国租界の多い上海などでも治安の悪化や、経済の悪化を徐々にもたらし始めた。
一方ヨーロッパではファシスト党が政権を握ったイタリアがエチオピアに対して侵略を行い、またドイツでは一時同じファシストのナチス党が政権をとったものの、経済の活性化に失敗して他の政党が反撃に出て急速に国内情勢が悪化し、それに対して周辺諸国が軍事介入を匂わすなど、急速に戦火が間近いという空気が醸成されていった。
こんな状況であるから、軍縮条約もなし崩し的にエスカレータ条項が連発された挙句、最終的に1940年に全ての条約締結国がその無効化を確認して瓦解してしまった。
こうして世界の海軍は無条約時代に突入した。
もっとも、世界各国の海軍は条約の瓦解を見越して1935年頃から新鋭艦艇の建造準備を進めており、日本海軍でもそれは同様で、その目玉と言えたのが「大和」型戦艦であった。
その存在は当初4万5千トン級戦艦と対外的には発表されていたが、軍縮条約が正式に無効となったところで、46cm主砲の搭載と6万5千トン級の史上類のない巨大戦艦であること、さらにその内の4隻は建造中で、さらに4隻の建造を計画中であることが改めて発表された。
この報せは世界を駆け巡ると同時に、驚愕させた。
この時点に於いて「大和」型戦艦に匹敵する戦艦は世界のどこを探してもなく、特に日本と太平洋を挟んで対峙するアメリカの衝撃は凄まじかった。
米海軍でも条約の失効と前後して「ノース・カロライナ」「サウス・ダコタ」「アイオワ」に至る新鋭戦艦の建造や設計を進めていたが、いずれも「大和」型を圧倒する力は持っていなかった。
「大和」型を圧倒できる「モンタナ」級や「フロリダ」級の設計に取り掛かったものの、その完成は1945年以降と見られ、少なくともそれまでは「大和」型に対抗する戦艦を持たない状態となる。
無論、だからと言って相対的に米海軍が劣るわけではない。戦艦の総数や、その他の戦力を加えれば日本海軍に充分に対抗できる。ただし、圧倒できるとは言い難いのだ。
その「大和」型を8隻も建造(さらには51cm砲を搭載した改や超も計画中)しようとしているのが、1940年頃の日本であった。
10年前であれば、国力に見合わない不相応な計画と言われたところであったが、異世界との貿易がそれを可能とした。
異世界側から輸入される豊富な資源と、異世界へと輸出される武器も含む様々な製品によって生み出される利益は、日本国内に好況をもたらし、その国力を凄まじい勢いで伸ばしていた。
後の時代に第一次高度経済成長と呼ばれるこの発展により、比例して軍事へ投下される額も増え、その結果「大和」型戦艦を量産し、なおかつ運用と維持までもを可能としていた。
さて、この世界最大最強戦艦に注目したのは、地球上の国ばかりではなかった。日本と時空の壁を越えて結ばれた異世界の国、フィスカもまた同様であった。
日本海軍が「大和」型戦艦の正しいスペックを公表すると、フィスカ側はただちに自国向け「大和」型戦艦の導入を申し出た。
10年前、日本と接触した時点では、30年遅れの旧式レシプロ式機関の艦艇を運用するのが精一杯だった同海軍も、日本海軍からの装備の導入と、指導の下で急速に技術を吸収し、超ド級戦艦を運用可能なレベルにまでなっていた。
もっとも、当初日本海軍は当然ながら難色を示した。何せ世界最大最強の戦艦である。それも自国でもようやく建造を開始した艦である。いくら友好国とは言え、他人様に売るのにはためらいがあった。
しかしながら、フィスカ側は日本に対して猛烈アピールした。当然である。地球側で最大最強と言うことは、科学技術的には地球より遅れ気味の異世界では、最強無敵戦艦を意味するからだ。
そこでフィスカ側は、資源価格と日本からの輸出額に色をつけることや、戦艦以外の武器輸入(特に航空機)に色を付けることを提案した。
この結果、海軍内部で戦艦の新造に懐疑的な意見をつけていた航空派や、外務省、商工省、大蔵省を味方につけることに成功したフィスカは、ついに「大和」型戦艦4隻の購入を許可された。
もちろん、この購入は帝国海軍向けの「大和」型戦艦の建造を優先し、その余剰の造船力によって行うという付帯条件付であった。
とは言え、日本側も重要な貿易相手国であるから、いざ建造が決まるとなるべく早めに引き渡そうという機運になる。
実際にフィスカ側から発注されたのは、1940年10月のことであった。この時点で帝国海軍向けの「大和」「武蔵」「信濃」の建造が開始され、さらに4番艦と5番艦の資材が発注されたところであった。
そこで、この内の5番艦がフィスカ向け1番艦として、急遽振り替えられることとなり、そしてその建造は、1番艦の「大和」が建造された呉の海軍工廠で進められることとなった。
ちなみに「大和」は呉、「武蔵」は佐世保、「信濃」は横須賀、4番艦(後に「三河」と命名)は大神で建造が行われている。
なおフィスカ向けの「大和」型は厳密には「大和」をベースとしたものではなく、改良が加えられた3番艦「信濃」以降の設計をベースとした艦となった。具体的には防御力アップの三重艦底の採用と、高角砲に10cm連装高角砲を採用、電子装備を最新のものとなし、また電気溶接の採用範囲が広げられた。
このフィスカ向け「大和」型戦艦は1943年5月に盛大な進水式が執り行われた。「大和」の時は未だ機密の段階であったため、一般への公開はなされなかったが、このフィスカ向け輸出「大和」は、むしろフィスカが自国最強戦艦の進水式と言うこともあって、大々的な宣伝を行った。日本政府や海軍関係者のみならず、一般市民にもその様子が大々的に報じられ、テレビ並びにラジオ中継されたくらいである。
その後同艦は支障なく艤装工事が行われ、各種試験もパスし、竣工の日を迎えた。
異世界向けの「大和」型一番艦は、無事に次元ゲートを越えて異世界側へと旅立った。しかし、これはまだ始まりに過ぎない。
日本国内では、新たに拡張された神戸や横浜の民間造船所でも「大和」型戦艦、さらにはその改良型戦艦の建造が開始されていた。
異世界との接触と言う前代未聞の事態が、「大和」型戦艦の量産と言う、これまた尋常ではない事態を引き起こしたのであった。
もちろん、これによる影響もまた大きなもので、特に日本と対峙するアメリカは「モンタナ」級と「フロリダ」級の建造を急ぎ、また英独仏ソもそれぞれに戦艦の建造を開始し、世界はポスト「大和」型戦艦建造競争へと雪崩れ込んだのであった。
なお、この戦艦建造競争により各国海軍で勃興しつつあった空母や基地航空隊を主力とする航空主兵主義は隅に追いやられてしまうのであった。
皮肉なことに、航空主兵主義は異世界側でフィスカ海軍が導入した「大和」型に対抗する戦術としてとりあげられるが、向こうの世界では航空機の性能がそれに追いつくには、まだ15年の月日が必要であった。
量産された「大和」型戦艦が、こちらの世界でも異世界でも海の王者として君臨する時代は、実に10年以上も続くこととなる。
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