空見
幼い頃から空をよく見ていた。
母の自転車の後ろに乗った時に見上げた空、遠足の時にレジャーシートに寝転がって見た木々の額縁に囲まれた空、運動会の日に疲れて伸びをした時にふと視界に入った空、救いが欲しくて縋るように覗いた窓から見えた燃えるように赤い空、こっそり夜に散歩に出かけて、歩き疲れて公園のベンチで見た都会では珍しく星の出た空。どれも大好きだった。
いつからだろう、空を見なくなったのは。日々の生活に追われて、誰かとの関わりに焦がれて、俯いてスマホばかり見ていた。
部活帰りスマホを覗けばSNSに溢れる誹謗中傷、妬みに嫉み、自慢と欲望。そんな感情の渦に嫌気がさして逃げるように顔を上げた。
そこにあったのは夕焼けと夜空の混ざった、柔らかい色。全てを包み込むような、赤と藍の混ざったような色。昼間と夜の間の「つかの間」の空の色。
ふと辺りを見渡せば、ほかの乗客はみなスマホを食い入るように見て、私の他に誰もこの優しい空に気がついていなかった。ちょっぴり得をしたような気分で電車を降り、鼻歌交じりに歩き出す。今日は、少し寄り道してから帰ろうかな。花見ならぬ、「空見」をしに。