観測記録25:二ノ宮紅葉編「青鳥と世界を天秤にのせて」(後編)
ぼんやりと視界を開いた先は、白い天井。
見慣れたそれがすぐに病院の天井だと気付くのに時間はかからなかった。
「おっ、譲。起きたか?」
「…あかば?」
「ああ。今、卯月先生と夏乃さん呼んで貰うように頼んでくるから。少し待ってろ」
「ん…」
側にいてくれたらしい紅葉が椅子から立ち上がり、病室の外へ。
周囲に入院患者はいない。いつも通り個室らしい。
だけど、病室の外から声が聞こえる。
…終末病棟ではないらしい。
「少ししたら来てくれるってさ」
「ありがとう…」
「大丈夫か?」
「まあ、うん。だるいけど…」
「なんか外で倒れていた上に、インフルかかって集中治療室送りって。心臓も止まったらしいぞ…」
「…そう、なんだ」
紅葉がどうしてここにいるのかは理解している。
彼は元より、クリスマスの日に鈴海に戻る手はずだったから。
だから、ここに…。
「そういえば、紅葉」
「なんだ?」
「今日は…」
「ああ…十二月三十日だよ。年末には、間に合ったな」
「…そんなに」
二十五日の晩から三十日の朝まで…かなりの時間意識を失っていたらしい。
…こんなに長く眠るのは久しぶりだ。
「お前身体弱いんだから…風邪一つで命取りっていい加減自覚しろよ…」
「肝に銘じておくよ…」
「起きたわね、譲」
「…夏乃さん」
「連絡してくれた光輝から聞いたのだけど、あんた職員寮の廊下で倒れていたらしいわよ」
「…」
「何か心当たりは?」
「…ない」
「そう」
いつも通り。夏乃さんが僕の手を取ろうとする。
彼女はいつもこうだ。問診を終えたら手を取って、安心させるように握りしめる。
ただ、それだけなのに。
触れた瞬間、いつもとは違って。
頭の中が一瞬真っ白になって、気がついたときには…。
「…あえ?」
口から刺激性のある液体が出ていたことに気がついた。
それが逆流してきた胃液だということは、嫌でも理解できた。
「具合がまだ悪かったのなら先に言いなさい…」
「…夏乃さん、手離して」
「勿論よ」
「もう一回」
「はぁ…?」
「いいから」
「…」
渋々手を握りしめた夏乃さん。
先程と違う感覚が作用することを、心のどこかで祈っていた気がする。
だけど、現実はそう甘くなかったらしく…また、同じように視界が白くなって、口元付近に広がる不快感と共に意識が戻ってくる。
「…あんたね」
「…紅葉」
「なんだ?」
「僕の、手を」
本当にダメなら、これもダメだろうと。
だけど、紅葉の手には何も反応をしない。
女性の看護師さんには反応を示す。
夏乃さんが呼んでくれた伊依のお父さん…心療内科医をしている卯月蓮也にも反応がない。
「…なるほどなるほど。なるほどね〜」
「…何か分かった?」
「憶測でしか物を言えないけれど。と、いうか君も実例を見てしまっているんだ。ある程度の予想は出来ているんじゃないかな〜?」
「…」
「とりあえず、ここは夏乃君だけにしてくれるかな。患者さんのことだから、保護者の方以外聞かせたくないからね〜」
「…蓮也さん、俺もダメ?」
「だめ。相棒でも、赤の他人だよね?」
「蓮也さんのケチ」
「ケチでも何でも決まりだからね。ほら、出て行った」
「でも伊依には話すんだ」
「…例えどんなに支えが必要な結果であろうとも、息子相手だろうが絶対に他人の診察結果なんて言わないよ。魔法を使った誓約書も書いている。見せても良いけど」
「…ガチなの分かったんで、あんまり睨むのやめてくれます?」
「…君こそ、得体の知れない感情を常に覗かせないでくれ。不快になる」
「…あんたこそ、人の心勝手に読むなよ」
「お互い顔を合わせない方が平和だねぇ」
「…それに関しては同感っす」
そう言い放った蓮也さんは紅葉を追い出して、僕と夏乃さんに患者と保護者、そして医者として向き合う。
先程まで紅葉を睨んでいた顔は、どこにもなかった。
◇◇
「…やっぱ邪魔だなぁ」
病室の外でぼそっと呟くほどにストレスが貯まる時間だった。
卯月蓮也。鈴海仕様の心療内科医で、譲が指揮する大社の特殊戦闘課第二部隊に属する卯月伊更の旦那で、卯月伊依の父親。
結構強めの能力者。
心を読む星紋を持っているそうで、その能力を存分に使って結果を出しているらしい。
…どんな願いを抱いてそんな星紋を手に入れたんだか。気が知れない。
その腕を見込まれ、両親を失ったばかりの譲の担当医となった過去がある。
…付き合いが長いこともある上、話しにくいことを話せる相手。
大社では伊更先生に、伊依とも付き合いがある。
譲にとって卯月家は心の支えと言っても過言ではないはずだ。
「紅葉」
「…やっぱ心読むなんて定番能力の対策がなぁ」
「紅葉ったら」
「…あ?」
「仕事モード?それとも、貴方にしては珍しい考え事でもしていたのかしら」
「…ん?ああ、千早?なんでここに…」
譲がこうなっていたので、クリスマスどころじゃなくなったから…あの日は本土に戻ったはずの千早。
何故か今、鈴海の病院の廊下にいた。
俺を覗き込むようにした彼女の目と合う。
何かを見透かしたような、瞬く翡翠の目。
俺と同じ色の筈なのに、どこで差がついたのだろうか。
…真っ当な人生観だろうか。
「家のこと、大方片付いたからこっちに来たの。どうして譲の病室の外にいるの?」
「診断中。身内以外は立ち入り禁止」
「そう。じゃあ、ここで待ちましょうか」
「…千早こそ、どうして」
「そうねぇ。本当はこっちに来る予定はなかったのよ。でも」
「?」
「貴方が心配だったから。譲が倒れたって聞いて、この世の終わりみたいな顔をしていたでしょう?」
「…そうかな」
「無自覚なのね。本当に、譲の事を大事に思っているから、貴方の本命が私かどうか不安になる時があるわ」
「そんな不安持つなよ」
「それぐらい距離も感情も近いってことよ」
先程まで外にいたのだろう。
ひんやりとした手が伸ばされて、しっかりと握られる。
腕に寄り添うように距離を詰めた彼女は頭を俺の身に預けてくる。
…この時間で来たということは、朝一の船で来たはずだ。
まだ、眠いのだろうか。
座らせてやりたいけれど、ここは廊下。待合用のベンチは少し離れたところにあるが…どうやら埋まっている様子。
もう少し、耐えて貰おう。
肩に手を伸ばして、彼女の身を支える。
…もう少しだけ、このままで。
「…ありがと」
「これぐらいしかできないからなぁ」
「いいのよ。これで十分。十分なぐらい、わかるから」
「…?」
「あのね、紅葉」
「んー?」
「私は貴方が考えていることは分からないけれど、それでも私は貴方を信じている。どんな選択をしても、貴方の味方でいるからね」
「急にどうした」
「ううん。言っておきたい事を、今のうちに。言える時に言っておかないと、言う機会を失うでしょう?」
「まあ、そうだけど…」
「貴方がバカなのは重々承知しているけれど、これだけはどんなに時間が経とうとも、忘れたらダメよ」
「じゃあ、約束」
「ええ、約束よ。紅葉」
手のつなぎ方を変えて、互いに力を込めやすく。
決して、離さないように。
互いの唯一を、絶対に。
「そういえば、ご両親は?」
「お母さんは安堵してた。貴方にもお礼を言いたいから、来年は我が家に来ること考えておいてって」
「ん。お父さんは?」
「お父さんも同じだけど、今は寝込んでるかも」
「風邪でも引いた?」
「征一君が漏らしたのよ。私が貴方の家に泊まること。その流れで貴方と付き合っていることも言ったのよ」
「あー…」
「節度ある行動をって言い聞かせられたけど、節度って何なのかしらね。私はもう忘れたわ」
「そうだな。もう五日前ぐらいに忘れたな」
「忘れさせたのはどこの誰だったかしら」
「俺かなぁ…」
「そうよ貴方よ。だからちゃんと責任取ってね。私に親から言いつけされるような事を忘れさせて、親が知ってほしくないような事を覚えさせた責任をね」
「そりゃあ責任重大だなぁ…ん。大丈夫。ちゃんと最後まで責任取る」
「潔いわね」
「そりゃあ、俺を捕まえていてくれそうなのは千早ぐらいしかいないし…」
「…私の事、本当に好きなのね」
「好きじゃなきゃそもそも付き合うまで行ってないだろ」
「…それもそうね」
まっすぐに目を覗いてくる彼女は、安堵したように笑みを浮かべる。
この時の俺は気がついていなかった。
千早の目は、何でも見える。
制御が下手くそな彼女は、見たくない物も見えている。
幽霊も、魔力の流れも。
———人の感情の揺らぎでさえも。
◇◇
昔から、嫌なものばかり見えていた。
お兄ちゃんと二人で空を眺めていた時に、流れ星が落ちたらしい。
私は偶然目を逸らしてしまって、それを見たのはお兄ちゃんだけ。
「千早見てないのか、流れ星」
「私も見たかった!」
「でも何度も見れる物じゃないからなぁ…」
「今度は見逃さないもん。絶対に!」
もう何も見逃さないように。
流れ星を見逃した程度で抱いたちっぽけな願いの形。
それは形作ることなく目に宿り、何でも見える目を与えた。
その目には何でも映った。
その気になれば、過去も未来も…どこかに存在する世界の姿でさえも映し出す。
だからこそ気付いてしまう。
「…屋上に来てサボりなの?」
「能力の授業、嫌いだから。貴方は?転校生君」
「僕は授業を免除されている身だから」
これから長い付き合いが出来る魔法使い。
桜哉と水さんと合流する前の譲の背後には、既に二人の幽霊が取り憑いていた。
ボロボロの身体で彼の背中に触れた、親らしき幽霊。
彼を包み込むかのように漂う赤い靄を振り払うように彼らは息子に覆い被さり続ける。
私は彼らに声をかけることなんてできやしない。
ただ、見つめるだけ。
彼らもまた、私には気がつかない。
しかし、あの靄は何なのだろうか。
出来たばかりの大事な友達の身を脅かすようなものであるから、幽霊達はそれを振り払おうとしている訳なのだし…。
どこかに繋がっていることは分かっていたけれど、それを一人で追いかける覚悟は私にはなかった。
私はただ、見えるだけの能力者。戦う事なんてできやしない。
だけど、私も舞台に上がる羽目になる。
十二歳から、十七歳へ。
時は流れて…私が住まう高陽奈で起きている事件を調査するため、譲の親友が高陽奈に派遣されることになった。
譲曰く、凄腕の能力者らしい。
信頼は置けるけれど、鈴海から離れ…本土で過ごすのは初めてだからと。手を貸してほしいと言われ引き合わされた存在は、赤い靄を身に纏っていた。
「はじめまして、二ノ宮君。譲から兼々話は聞いているわ」
「俺も聞いているよ、熱海。ここ、初めて来たし知り合いもいないから…色々頼らせて貰っても?」
二ノ宮紅葉。
彼こそが譲に纏わり付いていた靄を生み出す張本人。
彼はにこやかに笑って、手を差し出した。
何を考えているかは分からなかったけれど…少なくとも譲が信頼を置いている相手だ。
彼を裏切ることは、していないと思いたい。
…そもそも彼はあの警戒心が強すぎる譲の信頼を勝ち取った男でしょう?
とてもじゃないけれど、悪いことをしでかすような存在ではないように思えるけれど…。
少しは疑っておこう。
出会った当初はそう、思っていた。
「熱海ぃ…勉強教えてぇ…」
「…高陽奈の美術科ってこう言っちゃあなんだけど、学力って全然求められていないのよね」
「知ってる。だから俺でも一人で三十点以上取れたし!」
「その程度で喜んだら負けだと思うわ」
二ノ宮紅葉はとんでもないバカだった。
譲がカンニング幇助をしても解答欄をずらす凡ミスをかまして赤点すれすれだったと聞いていた通り、おバカだった。
「芸術科でオール三十点台なのは異常だぞ二ノ宮〜!お前バカだったか〜!」
「…あの簡単すぎるテストでそれはダメだろ」
「病欠ばかりの僕でも六十点は行くよ、二ノ宮君…」
美術科の先輩達に背中を叩かれた彼の靄は一定。
嘘を吐いている様子はない。このテストもわざとであってほしかったけど…。
これはわざとじゃないのね…。頭が痛くなってきたわ。
「譲から聞いていたけど、本当におバカだったのね。二ノ宮君」
「事実だよ…勉強すかん…」
「はいはい。好きじゃなくて結構よ。とりあえず、補講に突入しない程度には面倒見るから、勉強道具持って来なさい」
「でも、熱海だって勉強大変じゃ…」
「これぐらい平気よ。ただ、美術科限定の試験は自力でパスしてね。流石に私は教えられないから」
「これのことか?」
「何でそれは満点なのよ」
自分が好きなこと。夢中になれることは凄く熱中して…水準以上をたたき出せる。
それに関連した結果は常に上々。
彼は良くも悪くも単純だ。
常に何でも、一直線。それに彼は諦めない。
結果が出るまで、夢中で取り組み…最上を追い求める。
…少しだけ、警戒心が軟化する。
単純なのが見えたからだろうか。
譲が信用するのも分かる。
彼は、正直すぎるから。
仕事で高陽奈に来ていた彼をきちんと見るようになったのはいつのことだっただろうか。
きっかけはあの日だったかなぁ…。
梅雨時期。天気が悪い日の帰り際。足を引っかけて転んで、泥だらけの水たまりにダイブ。
そこから大雨に降られて、制服も何もかも水浸し。
雨宿りができる場所に駆け込んで、せめて土砂降りが終わるまで待っていた時だ。
「…最悪、制服泥だらけだし、透けてるし…鞄じゃ後ろカバーできないし…見えたらどうしよう…」
「どしたの熱海。うげぇ、どろんこじゃん」
「あー…二ノ宮君。さっき転んじゃって…水たまりに」
「そりゃ大変だ。傘は?」
「気がついたら風で吹き飛ばされてた…」
「あちゃー。風強い時あるもんな〜…」
「もう制服こうだけど…せめて土砂降りが落ち着いてから帰ろうかなって。でもその前に少しでも泥、落としたいなって思って…」
「そうかそうか。ほれ」
「…いいわよ。そのタオル使っていない上に、新品じゃない」
「せっかく入ってんだ。ここで使わなかったらいつ使うんだよ」
「…ありがと」
「それから…なんていうか、答えにくかったら別に言わなくていいんだけど」
「?」
「制服、どこまで濡れてんの?」
「…前後共に、べっしゃりと。なんで聞いたの?」
「肩のところ、透けてる」
「あー…ごめんね。気を遣わせて」
「別に。ごめんな、ジャージとかあれば貸せたんだけど…」
「気持ちだけで十分」
「…俺の制服貸そうか」
「ちょっとこんなところで脱がないでくれる!?」
「シャツ着てるからシャツ無くても多少はな。でも…やっぱ見苦しい?」
「…見苦しいと思う」
「まあこんな大雨の中外出してる奴なんて、それこそ俺たちみたいに帰り際の連中だろうさ。今なら視界不良だし、あんま気付かれないって」
脱いだ半袖シャツを私に羽織らせ、肩には髪を拭いたタオルを巻き付ける。
私は泥だらけでも、気にしないけれど…
「ワイシャツ…」
「どうせ洗うんだ。気にすんな〜」
「…」
「ほれ。帰り道一緒なんだし、置いていく理由なんてないだろう?一緒帰ろ、熱海」
「…ありがと」
「…俺の荷物持ってくれたら、背中カバーできるけど…重いからリュック貸せねぇわ…すまん…」
「何に対して謝っているの…なにから何までありがとね」
十二歳の時から、仕事とはいえ人助けを続けていた精神がそうさせているのだろうか。
…靄は一定。面倒くささを覚えている様子はない。
負の感情はどんな猛者であろうとも少なからず揺らぎを生む。
だからこそ断言できてしまう。
ここに策略はない。答えは単純。善意しか存在しない。
どんなに見えていても、ここまでする理由まで特定することはできない。
彼は、何を考えているのだろうか。
見えないところが、気になり始めた。
「千早勉強教えてぇ!赤点取っちゃった!」
「紅葉君、赤いのは名前だけがよかったわ。赤点いくつ?」
「複数前提なの分かられてるって感じだけど、今回は現国一個〜」
「複数じゃないのね」
「うん」
「譲からは複数覚悟しろって言われていたから…ちゃんと力になれているようで安心しているわ」
「…千早の教え方上手いもん」
「ありがと。さ、次の追試で赤点回避しないと夏休み消えるわよ。本土に来たの初めてって言っていたでしょう?遊んでいる場合じゃなくなるわよ」
「それはダメ!またいつ本土来れるかわかんないしちゃんと遊びたいし!」
「それならちゃんと追試クリアしないとね。嫌じゃなければ、私が高陽奈案内するわよ」
「マジで!?デート!」
餌を見つけた犬のように前のめりになって、向かい側から身を乗り出す。
…靄もふわふわと嬉しそうにしている。
ここまで喜ばれるとは思っていなかった。
「…そうねぇ。あ、二人が嫌なら征一君とか誘うけど」
「嫌じゃないし、むしろ大歓迎。遂に俺にもデートができる日がきたんだな…」
「貴方自分がモテてること存じてない?」
「知らん」
「…その辺の女子に声をかけたら、喜んでデートしてくれると思うわよ」
「でも知らない奴とデートしてもつまらないと思うぞ。気を遣いまくって大社の仕事より疲れそうだ」
「そ…私とは、一緒に面白いの?」
「面白いってか、楽しい」
「そ。私も楽しいわよ」
「ホント!?」
「ええ。元気に小学生を相手にしている気分」
「それ馬鹿にしてない?」
「気を張る必要がないって凄いことだと思わない?本当に三ヶ月ちょいの付き合い?私達とっても気が合うと思うのよ」
「確かに。千早は俺の親友?かもなぁ」
「なんで疑問形なのよ」
「…断言するのが、なんか。もやっと。よくわからんけど」
「…?」
靄も不思議そうに渦を巻く。
こんな靄は見たことはないけれど、悪い物ではないと直感で悟った。
もしも悪い物であったとしても、私はきっと…目をつぶったと思う。
彼はそんな悪い物を抱えるような人間ではないと、信じていたくなったから。
どんなことがあっても私は彼を信じていようと決めたのはいつだったか。
付き合い始めた八月?一夜を一緒に過ごした十二月?
こう言ってはなんだけど…その時にはまだ疑いが残っていたと思う。
明確に、この人を信じよう。見ていよう。何があってもと味方でいよう。
———この人になら、私の人生を賭けられる。
そう確信したのは、二月。
彼が高陽奈に来た仕事。
その根本的原因に私が取り込まれた時の事だ。
私を助け出すために、全魔力を賭けて…奴に逃げ場を与えないよう、高陽奈全域に浄化の矢を降らせた紅葉の星紋には致命的な欠陥が生じた。
限界を超えた魔力の消耗。魔力生成器官にも負担を与えた上に———。
「貴方の願い…「全てを貫く」だったのね」
「…ああ」
「どこまでも単純」
「でも、あれを浄化するの、すげえ躊躇したんだ」
「どうして?」
「…あれに取り込まれても、半分は———」
「…お兄ちゃんのこと、助けてくれてありがとうね」
「…でも、あのままにしていたらお前は直視せずに済んだはずだ」
「お兄ちゃんがずっと前に死んだ事?」
「…ああ。ずっと、そのままの方が…暁さんはずっと隣に」
「その記憶を封じるに当たって、私は搬送先で祐輔先輩に会っていたことも、瞬先輩に会っていたことも忘れていた」
「…」
「同時に二人を傷つけて、あれにつけいらせる心の隙を作ってしまった」
「…」
「もう現実から目を逸らす時間はおしまいにしなきゃ。お兄ちゃんも心配で成仏できず、こうなったのよ。全部私のせい。貴方が能力を失ったのも」
「…自分を責めるな、千早。俺は正直能力が無くても…お前が生きているなら、それで十分だ」
浄化するにあたり、お兄ちゃんを消すか迷った彼は能力を失った。
星紋は願いが形を得たもの。抱いた願いを叶える為の力。
その願いがブレたら顕現させることすらできやしない。
靄はまっすぐ。こういう時ぐらい嘘を吐いて、私を責めてほしかった。
能力が消えたら、俺は相棒と一緒に戦えない。
全部お前のせいだ。
そんな暴言ぐらい吐いてくれてもよかったのに。
彼は一切私を責めなかった。
無事でいることに、素直に喜んでくれていた。
「譲から静養を兼ねて、しばらくここに滞在していい許可を貰っている」
「本当?」
「ああ。能力も無いんだ。しばらくは普通の高校生やろうぜ、千早」
「このまま能力が戻らなかったら、どうするの?」
「その時は本土で暮らせるように、就職とか考えないとだな〜まともな職つけるように勉強見てくれ、千早」
「もう、普段通りなんだから」
「俺は普段通りを守るために為に戦って、結果として能力を失ったけど」
「…」
「———そんなものが消えてもどうにかなるから。全部捧げた結果、お前を取り戻せて良かったよ。千早」
一言どころか、罵声を浴びせられても仕方が無いと思っていた。
靄は本当に揺らぎが無い。
大事な物を失ったばかりなのに、その原因となった私に…心の底からそう思っていないと出てこない言葉をくれる。
それだけで十分だった。
それ以降、私は彼の靄を見ていない。
見る必要が無くなったからだ。
全てを天秤に載せて、私を選んでくれた彼に。
私は人生の全てを賭けよう。どんなことがあっても、彼の味方でいよう。
例え彼が秘密を隠して生きていても。
私はそれを受け入れて…それが罪になるようなことならば———。
私も一緒に、罰を背負おうと。
そう、決めたのだ。
◇◇
時は更に進んで、二十三歳の幕引きへ。
譲からフルボッコにされた上、世界構成を破壊された。
もう二度と、世界をやり直すことはできやしない。
譲との関係も大きく破綻して、千早にも事実を知られ幻滅されたであろう理想じゃない世界の中心で生きることになる。
理想はもう、掴めない。
その後、重症を負った俺は大社の附属病院に担ぎ込まれて…今は入院中。
今回ばかりは譲も魔法で治す気はないらしく、完治するまで入院していろと命令された。
「譲、貴方が世界構成を使っていた事実を伏せる気でいるらしいわね」
「不都合な事は全部伏せるってさ」
「流石、譲ね」
「そういう千早だって、手伝っているんだろう?」
「ええ。手がかかる夫の不始末を処理するのも、妻の役目でしょう?」
「役目じゃないだろ」
「そうね。でも、したいからしているだけよ」
傷口に触れないよう、そっと額から髪の毛を持ち上げて…互いの顔がよく見えるように。
瞬く翡翠の目と視線が重なる。
これまで彼女に対し、不誠実な事をしてきた自覚はある。
今はそれに目が向けられなくて、目を逸らそうとすると…千早の手が頬へ添えられた。
「言ったでしょう?私はどんな選択をしても、貴方の味方だって」
「…」
「見えていたから。貴方が向ける譲への感情もね。だから貴方が何かを隠していたことも理解していたのよ。まさか、譲が生きる時間を掴む為に何度も世界をやり直しているとは思っていなかったけれど」
「…それでも、俺の隣にいてくれたのは?」
「貴方の言葉に嘘がなかったから」
「…?」
「私を好きだって言うときは、揺らぎが消えるのよ。全然嘘吐いてないし…今までの行動自体、私を利用するだけなら辻褄が合わないことばかり。貴方は優しすぎたのよ」
「それだけ分かれば十分。貴方の気持ちに偽りが無いのなら、私も自分の心のままに向き合うだけだと思ったの」
「だからといって、実の娘の遺灰と親友の遺灰を入れ替える真似をするのは引いたけど」
「…」
「その罰は、今からちゃんと償うのよ」
「…どうやって?」
「貴方が遺灰を入れ替えた女の子は今、私のお腹の中にいるから」
「…」
「この子の遺灰を握る事はもうないわ。貴方が命に替えて守り抜くの。この子を遺灰にしないように。できるわね、紅葉。できるでしょう?貴方はこの子のお父さんなんだから」
青鳥と世界を天秤にのせて、最後はそれらを釣り合わせる。
それに満足して、天秤を手放すことが出来たのならば、俺はやっと隣に目を向けることが出来るだろう。
ずっと隣で、俺だけを見てくれていた存在に。
また、最初のように向き合える日が来ることを…心の底では、待ち望んでいた。
「譲も貴方が死なないように手を回す気満々よ。さっき、二世帯住宅でも建てようかって提案されたもの。あ、受け入れてきたからその辺りよろしく」
「へ?」
「譲は貴方が世界を壊し続けた罪も、貴方の心を壊した罰も引き受ける」
「同時に私は見ていたのに貴方を止められなかった罪を引き受ける」
「だから貴方は罰せられなさい。最後に掴んだ理想じゃない世界の中で、理想を掴む為に藻掻き続け…私達の為に生きなさい」
「…甘すぎないか?」
「人生長いわよ、紅葉。私と譲を看取って喪主をするまで死なせないわ」
「…少なくとも譲の喪主は時雨だろう」
「その気でいなさいって事よ。少なくとも私は看取りなさい」
「…」
「私はもう、大事な人が死ぬ瞬間をこの目で見たくないの。両親と身内である征一君はともかくとして…それ以外は、看取らせないで。もう嫌なのよ。自分より先に、大事な人が死ぬのは」
「…そうだったな」
千早の兄は、千早を庇って死んでいる。
彼女の目はそれをしっかり捉え、忘れられない傷を心につけた。
それ故に、目の能力を嫌い…使っていなかった時期も存在する。
だけど千早は、俺の仕事の為に再び目と向き合った。
一緒に戦って、今も側にいてくれる。
俺をちゃんと、見てくれている。
「もう少し、お前と向き合えていたら」
「十分向き合えていたわよ。ただ、貴方にとって譲も私も、同じぐらい大事だっただけ」
「…」
「だけど、これからはどうしたら良いか分かるわよね」
「ん」
視線を逸らしていた天秤から青鳥が安堵したように飛び立ち、大きく傾きを覚える。
皿の上に残っていた翡翠と共に、俺はやっと歩き出す。
理想的じゃない世界を、理想に近づけるために。
見ていなかった世界と、向き合うために。




