観測記録25:二ノ宮紅葉編「青鳥と世界を天秤にのせて」(前編)
12月25日はクリスマス。
普段の僕ならこういうことはしないのだけれど、今日は特別だ。
杖に腰掛け、雪が混ざった風を浴びながら向かう先は「高陽奈」
大事な相棒が仕事をしている場所であり、大事な友人が住まう街。
こんな事をする理由は単純。大事な友人である二人にサプライズを行うため。
こういうイベントの時ぐらい、年相応に友人とはしゃいでみたい。サプライズをしてみたい。
ただ、それだけなのだ。
紅葉は今、任務先の一時拠点として用意されている学生寮で過ごしている。
僕のもう一人の友人である千早も一緒の寮だ。
彼らは今日まで寮で一日過ごした後、鈴海に来ると語っていた。
そんな彼らの前に、僕がサプライズで現れたら…どんな反応をするだろうか。
反応が楽しみだ。
高陽奈高校の敷地内にある学生寮に到着し、周囲の様子を伺う。
紅葉の部屋には明かりが付いていなかった、もう寝たのだろうか。残念。
仕方ないので、同じ寮の…千早の部屋のベランダの前に立つ。
カーテンの隙間からうっすらとした明かりが零れている。彼女はまだ起きているらしい。
登場のタイミングを伺う為、部屋の中へ聞き耳を立てる。
…話し声がする。誰と話しているんだろう。杉浦さんかな。
「…なんか疲れた」
「確かに…」
「体力自慢な大社職員でも疲れちゃうことだった?」
「慣れないことをしているからなぁ…。千早だってそうだろ。すげぇ甘えてきて可愛かったけど」
「…ああいうの、好き?」
「超好き。でも、普段の千早も当然好き。全部好き」
「ん…私としては、小っ恥ずかしかったけど…」
部屋の中から、紅葉の声がする。
ここにいたらしい。でも、なんで千早の部屋に?
雪降る街の静寂が、うるさくなる。
これが自分の心臓が奏でる音だということには、まだ気がつかない。
それになんだろう。この空気…。
なんだか、間に入ってはいけないような…。
「あれ、普段の千早に近いんだろう?あんなに甘えたさんとは思わなかったな。普段もあれぐらいの距離で…」
「人前であんなベタベタできるわけないでしょ」
「俺の前だけでいいから」
「そういう発言がさらりと飛んでくるところ…何というか、口説き慣れてる?」
「仕事をするか、譲と夜雲と遊ぶか、暇な時は絵を描くか…その三択しかなかった俺に、千早以外の女の子を口説く暇なんて無いんだが…」
「知ってる。初めては全部貰った身だから、当然ね」
窓辺に近づいて、中を覗くのは流石にダメだ。
けれど、なんで、どうして…心の中に渦巻く感情の答えを求める為には、その先の光景を知りたいと思ってしまうのだ。
例え、何もかもが壊れてしまっても。
人はその好奇心に、抗えない。
「それはお互い様だな」
「でしょ」
「それより、明日起きられそうか?朝一の船で鈴海だぞ」
「…起きられる自信がない」
「座席の予約をしているわけじゃないし、一便遅らせるか?」
「それは譲に…」
「譲より、俺のこと。俺のことより自分の事、考えて」
「…じゃあ、一便遅らせる。理由は大掃除の疲れ」
「よし。そう連絡しておくよ」
紅葉も千早も、聞いたことがないような優しい声音で語らう中…、ポケットの中に入れていたスマホが揺れる。
紅葉からのメッセージ。「今日は大掃除で疲れた。千早もヘトヘトだし、一便遅らせて鈴海に行く」
普段の僕なら信じただろう。
けれど、その言い訳を作る瞬間を聞いてしまった。嘘だと見え透いたメッセージに、どう返せばいいか分からない。
少し、具合が悪くなってきた。
寒さで身体を冷やしただろうか。
もう帰った方がいい。帰るべきだ。
まだ、引き返せる。
けれど、そのタイミングは待ってはくれない。
「あ、千早。雪降ってるぞ。ホワイトクリスマスじゃん」
「本当?見に行こうっと…」
「あ、それ俺のワイシャツ…着るもの返してくれ」
「い〜や。彼シャツやってみたかったもん」
「やってみたかったって…意外といいな、それ。可愛い」
「でも、これだけじゃ寒いから。紅葉は毛布羽織って私を包んでいて」
「…仰せのままに」
二人が窓辺に近づいた。
僕の存在が悟られないように、魔法を素早く展開して…自分と二人の間に壁を作り上げた。
カーテンを開き、外の光景を眺めながら、仲睦まじく笑う二人。
冬場ではすぐに冷えてしまうような薄着。千早はワイシャツ一枚みたいだし、紅葉は…半袖?
いや、さっきの言葉を信じるのなら…着るものがない。
冷たい風が吹き渡る。
星の光も、月すらも見えない真っ暗な夜。
思い出したくない、自分の心の深淵を彷彿とさせる時間。
真っ暗なクローゼット。父以外の男に穢された母の泣き叫ぶ声。
それを、真っ暗な空間で震えながら…見せつけられた。
忘れないように、心の深くまで傷つけるように。
怖かった。今でも性的な事が全て苦手になる程度には…僕の恐怖として植え付けられた「大人にしかできない行為」
僕だって、十七歳だ。それ相応の知識は存在している。
当時はわからなかったが、自分の母親が何をされたのかも当然理解している。
そしてこれまでの会話や、二人の着衣事情を見るに…。
ああ、二人は…先に、大人になったのか。
別に大人になることは悪いことではない。当たり前の事だ。
生きていれば、自然なこと。
けれど、心がなぜかぐちゃぐちゃになってしまう。
わかっている。心を占めている感情が悲しさと嫉妬だということぐらい。
紅葉と千早からは、付き合っている話を聞いたことがない。
友達とはいえ、報告する義務はない。今日の昼間に話す予定だったかもしれない。
けれど、共通の友人としては…早く知りたかったし、ちゃんと祝わせて欲しかった。
こんな形で、二人の関係を知りたくはなかった。
そして二人が進んだ先のこと。
二人は大人になれた。僕を置いて前に進んでいく。
僕には時間が無い。二十五まで生きられたら奇跡なんて言われ、最悪明日死んでもおかしくないなんて、検査の度に言われ続ける。
過去の一件で成長が歪になって、二次性徴期は来る兆しすらない。
二人は成長できる、大人になれる。未来を手に入れられるのに。
僕には何も無いまま。友達だと思っていた二人に置いて行かれる。
僕には、どんなに願っても未来がない。
この先に、何も残せやしない。
大人になって、何かを残せる存在が、とても憎い。
「…うっ」
急な吐き気に耐えられず、口から漏れ出た苦しみが外へ零れていく。
気持ち悪い。こんなことで悲しさを覚えてしまう自分が。
気持ち悪い。母さんがあんなに嫌がった「怖いこと」を終えた二人が笑顔でいる事実が。
気持ち悪い。明るい未来があることを、祝えずに…憎んでしまう自分が。
———何もかも、気持ち悪い。
雪を穢した吐瀉物は、一滴だけ痕跡を残し…僕は自分の周りに壁を作り続けたまま、震える手でポケットの中から紙を取りだした。
刻んだ魔法は転送魔法。出口は自宅。
膨大な魔力を消費する上、今の僕には魔力の流れを偽装する力が残ってない。
紅葉と千早に魔力の流れで僕の存在がバレなければいいけれど…。
「綺麗だね」
「ああ」
…気づかれるわけ、無いか。
僕がここにいるなんて露ほどにも思っていないだろう。
頭に積もった雪を払い落とす。唯一の形跡に、雪が降り積もった。
ゆっくりと目を閉じ、魔法を起動させる。
誰にも気づかれないまま、僕は「いると思われている場所」へ、戻っていった。
◇◇
次の日。
鈴海に到着した俺たちは、大社の社員寮…譲の部屋に向かった。
約束通り、三人でクリスマスパーティーをするためだ。
これは譲のお願い。彼がお願いをしてくれたのは、付き合いがそこそこ長いが初めての事。
俺と千早はそれが嬉しくてたまらなくて、前日の内から色々と買いそろえ…今日を迎えた訳だ。
「と、譲のことを考えながら色々準備したのに、自分達の欲にかまけて一便遅らせ…」
「九時到着予定だったのに、十二時到着になってしまったんだよなぁ…」
朝から二人揃って雰囲気と勢いに呑まれるんじゃ無かった…と、頭を朝から抱え、慌てて外出の準備を整えた。
そして十二時、こうして鈴海に到着したのだが…問題が発生していた。
譲に連絡がつかないのだ。
昨日送ったメッセージも、朝から送ったメッセージも既読が付かない。
電話をしても出ないし、何も反応が無いままだ。
仕事中の夜雲に連絡を取ってみたのだが、どうやら仕事でも…急な任務が入り込んだりした訳ではないらしい。
だから、寮にいるのは間違いは無いのだが…。
「身体、弱いから…風邪を引いて寝込んでいたりしないかしら」
「ピニャや桜哉、水さんがいるから…一人で倒れているってことはないだろうし…誰か出てきてくれないかな…。千早、周囲に誰かいるか?」
「ううん。移動した形跡もない」
「そっか…」
寮のインターフォンを何度か鳴らすが、出る気配がない。
代わりに譲の隣に住んでいる葉桜光輝が眠たげな目を擦りつつ、部屋から出てきてくれた。
「朝からうるさいぞ、バカ葉…と、熱海か」
「もう昼間だぞ、光輝さんや…」
「こんにちは、葉桜君」
「ん。二人は…もしかしなくても、譲に用事、だよな?」
「ええ。譲、朝からどこかに出かけていた?」
「あ〜。二人は知らないか。昨日…ってか、今日の深夜だな。譲、高熱出して、大社附属病院に緊急搬送。今集中治療室送りじゃないかな。呼吸止まったって聞いたし…」
「えっ…昨日の朝はそんな気配は」
「譲、身体弱いからな…。いつ何があってもおかしくはない。そういえば、紅葉」
「なんだよ」
「お前、昨日譲と外で会ったりした?」
「いや、昨日は譲と会っていない。それがどうした?」
「廊下で倒れていた譲を最初に見つけたのは俺。その時の譲の髪、濡れていたんだよ。身体も部屋にいたって割には冷え切っていたし…外にいたなら辻褄が合うんだが。昨日、譲が何をしていたか誰も知らなくてな。お前ならって思ったけど…」
「…すまん。何も知らない。そうだ光輝。詫びだ。これやる」
「え…なんでクリスマスケーキ…」
「元々俺たち、譲とクリパする予定で来たんだよ。譲が寝込んでいるのなら、食べられないからな」
「あ、ああ…そうか。なんかすまん…それなら、いただくよ」
「いいって。押しつけるようでゴメン」
「構わんよ…って、これ、巷で話題の毎日限定50個限定販売のチーズケーキじゃねえか!?よく買えたな!?」
「譲の希望でな!一昨日の夜は徹夜で並んだぜ…!」
「最高に寒かったわ!でも、譲の笑顔の為なら私達なんだってできるのよ!」
「お前ら譲の為に身体張りすぎだろ…。でもホールかぁ…一人で食えないし、優梨でも呼ぶかな…」
当然だ。俺たちにとって椎名譲という存在は大事な友達。
素直に甘えることができない寂しがり屋。
暗くて狭いところが大の苦手だというのは隠しているつもりらしいが、バレバレ。
病弱で入院生活が長いせいか世間を知らないから、些細な事に関心を抱く好奇心の権化。
大人びているように見えるけれど、誰よりも子供っぽくて。
俺が今まで出会ってきた人間の中で、一番繊細な存在。
放っておいたら、明日にでも壊れてどこかに消えてしまいそうなほど儚ない硝子の羽毛を纏った「青鳥の雛」
目を離したくはないと、出会った時から考えていた。
けれど、今は…彼以上に見ていたい人がいる。
けれど目を離してしまえば、あいつは…。
「千早、疲れているところ、申し訳ないが…大社附属病院に行こう」
「勿論よ」
光輝にお礼を再び告げた後、俺は千早と共に目的地へ向かう。
次の、行先へ。
譲がいるはずの、大社附属病院へ。




