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図書館と観測者のブレイクタイム!  作者: 鳥路
第一章:略奪乙女と愛情の観測記録
14/30

観測記録13:山吹尊編「医者志望と幸福な拾い者」

「・・・・」

「・・・譲さん、何してるんだろう」

久々に観測部屋に来た私は、床の上に本を広げて子供のように何かを眺める譲さんを影から見守る

「・・・お父さん、か」

「・・・まさか」

まさか愁一さんの観測をしようとか思ってないですよね?

あ、そっか・・・生前は病弱だったから、紅葉君たちが大社に来たあたりからしか記憶がないからか

だから、こうしていたはずの彼の姿を思い浮かべるのだろう

「・・・今日の観測は、父親になるはずだった青年の物語」

そういえば、今日も観測を行うって言っていたような

確か・・・志半ばで死んでしまった青年の話

死の間際にこれまでの事を思い出す彼は、どこで間違えたのだろうか

「・・・観測を、始めよう」


どうしてこうなったんだっけ

ある春の路地裏

血が溢れる脇腹を抑えながら壁に寄りかかる

目の前にいる男は、僕の血がついた包丁を舌なめずりしながら歪な笑みを浮かべた


「お前が悪いんだよぉ・・・お前が、お前が僕よりも!」

「・・・やえ、ざき・・・おまえ・・・」

「お前さえいなければ、僕は一番でいられたのになぁ。ヒヒッ、ヒッ・・・ヒヒ!」


気味の悪い奇声で笑いながら、かつての同級生は覚束ない足取りで人通りのある道へ歩いていく

包丁はご丁寧に残してくれたが・・・手袋をつけていたし、指紋は残っていないだろう


「せめて・・・」


せめて、奴に繋がる文字の一つ残してやろうと思ったのに、僕の手はもう文字を書けるような状態ではない

両手共に指が切り落とされているし、腕も深く切られて力が入らない

同時に悟る。ああ、もう駄目だと

最期に思い浮かべるのは、何も言わずに出て行ってしまった彼女の事


「・・・か、すみ」


やっと足取りを掴めたのに、こんなことになるなんてね

重くなった瞼を閉じる

そして僕は最期の夢を見る

彼女と出会った、あの日の夢を・・・死の間際に


・・・・・


大学一年生の春

新入生同士の飲み会?の帰りに僕はある「拾い者」をした

駅前のベンチに座っている少女だ

時刻を確認してみると、もう深夜になっている。こんな時間にはいるのがおかしいような少女だった


「・・・どうした、山吹」

「ううん。少し、あの子が気になって」

「どうせ出会い系だよ。気にするなって。自分が好きで・・・え、ちょい待てって」

「ごめん。やっぱり気になるや」


出来たばかりの友人の声を背に、僕はその子に声をかけてみる


「ねえ、君」

「・・・何」


不機嫌そうに細められた目がこちらに向けられる

薄墨色の髪を揺らし、夜の海のように黒い瞳

しかしどこか幼さを残す容姿は、やはりこの時間にはふさわしくない

童顔だから・・・という言い訳も聞きそうだ。僕だって周囲からまだ中学生かって言われるほどの童顔だし気持ちはわかる


けど・・・どこからどう見ても上着から覗く服は高校の制服

目の前にいる子の少女は・・・どう見ても高校生なのだ


「誰か待ってるの?」

「・・・ナンパ?」

「違うよ?気になったから声かけただけだよ?でも最初にそう言う回答をするってことは親御さんと待ち合わせって訳ではないんだ?」

「・・・違うなら放っておいてくれる?」


癪に障ったようで、凄く不機嫌そうに吐き捨てる

怒らせたかもしれないけれど、猶更心配だ


「放っておけるわけないでしょ。そろそろこの市の条例で未成年者は警察に補導されるよ」「あたし、未成年じゃないけど」

「高校の制服見えてるよ」

「じろじろ見ないでくれる!?」


今更上着で隠しても、見てしまったものは見てしまった

ひっぱたかれそうになるが、寸でのところで避ける

しかし、高校生なのは図星なのか・・・


「こんな深夜に女の子一人で放っておくとか、良心が痛むよ」

「・・・じゃあ、泊めてくれる?」

「いいけど」

「おい山吹お前正気かよ・・・あのボロアパート六畳一間に女連れ込むとか・・・」

「だって困ってそうだし・・・」

「・・・貧乏大学生ね。あんまり期待できなさそう」

「まあいいや。お前の頑固さを理解したよ。止められそうにない。明日どうだったか聞かせてくれよ」

「はいはい。それじゃあまた明日ね」


ずっと見守っていた友人は僕に呆れながらも、僕の行動を最後まで見届けた後に帰路へ向かっていく

それを見送った後、少女の方に向きなおした


「それじゃあ行こうか」

「・・・うん」


少女は面倒くさそうに俯いてから、僕の後ろをついてきてくれた

・・・しかしこの子、一体何なんだろう

泊るところがないというか、お金を持っていない?もしかして家出?

でも、身綺麗というか・・・不審な点は高校の制服ぐらいしかない・・・今日、お金が尽きたって感じなのかな


だから、丁度声をかけてきた僕を利用するのか

友人が言うように、それこそ出会い系のそれか・・・今は何もわからない

なんせ僕は、彼女の事を何も知らないのだから


「そういえば」

「何?」

「君の名前は?」

「・・・人に名前を聞く前に自分が名乗れば?」

「それもそうだね」


僕は彼女の方に振り返り、最大限の笑顔を浮かべながら名乗った


「僕は山吹尊。神栄大学医学部一年生です。年齢は十八歳。血液型はAB型。誕生日は九月二十九日。好きなものは大豆全般。ほら、正直な事を話したよ。今度は君の番」

「・・・そんな個人情報いらない。どうせ一晩だけだし」

「いいじゃない。僕の事も知ってほしいし。で、君は?」


少女は僕を一瞥し、大きな溜息を一回吐いた後・・・名乗ってくれた


「・・・巽夏澄。柳永高校の二年生になる予定だった。遊び倒して、全く勉強してなくて、留年して・・・親に怒られて退学と勘当。家を追い出されて・・・ここでフラフラしてた」

「なるほど。夏澄ちゃんね。大変だねぇ」


でも、今は四月の下旬だぞ

三月の終わりぐらいには、こうしてふらふらしていた可能性がある

その割には綺麗な彼女が今までどうやって過ごしていたかなんて、想像に容易い


「・・・そう。大変なの。だからこうして親切そうな人とかに声をかけて貰って一晩泊まらせてもらってるの。あんたもそういう目的で声をかけたんでしょ?」

「・・・そうだよって言ったらどうするの?」

「別に。いつも通りだもの」


目を逸らし、自分の腕を握り締めたまま彼女はそう言い捨てた

「やっぱりか」と思いながら、僕らは二人で帰路を歩く

生きる手段で選んだらしい方法は、間違った選択だけれども・・・彼女自身が好き好んでしている気配がないのが救いだろうか


それに、僕自身「身売り」はあまり好きではない

将来の可能性を潰すことになるし、何よりも彼女の負担になる

正直殴り飛ばしたくなるほど苛立っていたけれど、必死に抑えながら話を続ける


「僕、そういう目的で声をかけたわけじゃないんだけどね」

「わざわざ清純ぶって照れなくてもいいんだけど。そう言う人いたけど、結局最後は思った通りに過ごしてるから」


自慢気に言う彼女に、留めたはずの苛立ちが半分ぐらい出てしまう

僕らしくないと、自分でも思うけれど・・・それでも、何か言ってやらないと気が済まなかったのだ


「・・・ああそう。じゃあ一ヶ月だ」

「は?」

「一ヶ月、タダ飯食わせてあげるし、風呂も寝場所も提供してあげる。その間何もしなかったら僕の勝ち。一生君に身売りはさせない。真っ当な生活ができるようになるまで僕と過ごしてもらう」

「・・・一方的だけど、あんたが負けたらどうすんの?」

「負けたらそうだね。君の好きにしたらいいよ」

「そ。じゃあ取引成立。後で誓約書、書いてよね」

「勿論。その一ヶ月間、君が何をしても文句は言わないけど・・・邪魔しないでよね?」

「・・・はい?」


夏澄ちゃんの素っ頓狂な声を背に、自宅へと歩いていく

これが、僕らの始まり

同居から始まる、奇妙な出会いと関係は・・・ここから始まった


・・・・・


友人から「六畳一間のボロアパート」と表現された通り、僕が住むのは家賃格安木造築六十年のおんぼろアパートだ


「・・・こんなところに住んでるの?」

「家賃五千円なんだよ。超安いでしょ」

「事故物件じゃないでしょうね・・・?」

「なんでわかったの?」

「ひっ・・・!?あんな正気!?」

「正気だよ。僕、君みたいに親が生きてないし、頼れる親戚とかいうのもいない奨学金で頑張っている苦学生なんだ。勉強しながらバイトって大変でね。家賃は少しでも安い方がいい」


鍵を開けて、家の中に入る


「散らかってるし、ボロなんだけどね。一応お風呂もトイレもついてるから優良物件だよ。嫌なら近所の銭湯代ぐらい出すけど」

「・・・別にいい。うちも、こんな感じだし」


彼女は僕に続いてこの小さな六畳一間の部屋に上がる

そして、第一声は・・・


「・・・なにこれ」

「まあ、座るところぐらいしかないけどゆっくりしときなよ」


僕は風呂釜に水をためるために洗面所の方に向かい、彼女を部屋に置き去りにする

あの六畳一間に存在するのはたくさんの本と、勉強用の机と座布団。そしてスタンドライトと・・・最低限暮らしに必要なものだけだ


「どうだい。僕の家は」

「汚い」

「ド正論だね?」

「・・・汚いし、狭いし・・・事故物件だし、あんたよくこんなところ住めるね」

「まあね」


僕は座布団に座りながら、机の上に鞄の中を広げる

鞄から出てくるのもノートと筆記具、そして教科書ぐらいだけど

レポート用紙を二枚切り離し、机の上に置いて内容を書き綴る


「・・・なにするの」

「まずは誓約書。ほら、ここに指印して」

「う、うん・・・」


僕は引き出しからボールペンと朱肉を取り出し、彼女に差し出す

誓約書の文面。そして署名欄には既に僕の名前と

僕と彼女は向き合って、それぞれの親指を誓約書の上に押し付けた


「これで完成。同じもの二枚作ったから、それぞれ持っておこう」

「・・・わかった」


原本を大事に仕舞いこんで、僕らは互いに顔を見合わせる

これ以上話すこともないし・・・時間も差し迫っているし、今日の復習と明日の予習をしておきたい


「あ、あの・・・」

「僕は勉強するから。後は好きにしてていいよ」

「・・・えぇ」


彼女の言葉を遮るように、机に向かっていく

留年するわけにもいかないし、夢を諦めるわけにもいかない

だからやらなければならない。努力を怠る事は許されない


「あのさ、そのあんた・・・どんな勉強してるの」

「わかりやすく言えば、お医者さんになる勉強」

「小学生でもわかるような言い方でありがとう。で、なんで医者なの」

「なんでって」

「理由ぐらいあるんでしょ。教えなさいよ」


彼女なりに僕に歩み寄ろうとしているのだろうか。それとも暇つぶしだろうか

言い方が上からだから若干不和を生みそうだけど・・・彼女は口が悪いのだろうか

まあいいや。とりあえず、今回は拾ってきた手前、話に付き合わないと悪いだろう


「・・・僕さ、産婦人科医目指しているんだ」

「なんで」

「理由は少し長くなるけれどね。僕は物心つく前に親を亡くしてね。親の愛情なんてものは知らずに育ったんだ」


自分でもなぜ彼女に夢を語ったのかわからない

なぜか話したくなったのだ。話しておきたいと思ったのだ


「よく、施設へ里子を引き取りに来る里親を見ていたんだ。彼らは望んでも子を授かれなかったり、中には同性のって組み合わせもあった。色々な人が、子供を引き取って、新しい家族が増えるのを心から喜んでいた。もちろん、同じ屋根で暮らしていたあの子たちも同じ」


残念ながら、僕・・・山吹尊や野坂陽彦のように奇特な子や・・・九重大護や夜咲茉莉のように自我が強い子、吉鷹藤馬のように親へ対するトラウマを持っている子とか、川ノ辺夕希のように何かに対する依存や執着が激しい子は・・・全然引き取り先がいなかったけどね

十八歳に・・・高校卒業するまで、あの施設で暮らし続けた子供は本当に指で数えきれるほどしかいない

特に、僕の世代は多かった印象があるのはなぜだろうか


おっといけない。昔の思い出に浸るのはいいが、今は僕の話

彼女が「続きはまだか」といいたそうな視線で、僕の顔を覗き込んでいた


「えっと、うん。だからなんだ。家族が増える瞬間に立ち会いたいなって思い始めて、色々考えた末に、産婦人科医になりたいなって思い始めたんだ。そんな感じで今に至るって訳」

「・・・凄いわね。やりたいことが決まってるのって」

「いつか君にも見つかるんじゃない?」

「そうかしら」

「そうなるように、僕も一ヶ月間手出ししないから」

「・・・なんだかそれ、癪に障るのよね。一ヶ月過ぎたら、手を出すの?」

「そうとは言っていないでしょう。一ヶ月過ぎたら、今度は君が自立できるように手助けするだけ。高校に通わせるとか貧乏だからできないけど・・・高卒認定の勉強ぐらいは見てあげられるし・・・他にもやりたいことがあれば、できる限りのサポートはさせてもらうよ」

「それ、あんたになんのメリットもないじゃない」

「それは・・・」


言われてみれば、僕に利益は何一つない

利益が発生すると言えば、彼女だけ

僕は金銭面・・・最悪、我慢できなければ社会的にも損をするような役回りだ

夢なんて叶えられない可能性だって出てくる

それでも、放っておけなかったのは事実

たとえ、損ばかりで得なんてないとわかっていても、だ


「君はさ、人間が損得だけで動いていると思ってるの?」

「・・・そうじゃないの?」

「僕は違うと思うよ。義理と人情とか綺麗事を言うつもりはないし。それに僕の好きな言葉は「人の行動には何かしらの理由がある」なんだけれどね」


動かしていたシャープペンを置いて、彼女と向き合う


「今回、僕が君を拾った理由は「ない」。なんとなく放っておきたくなかったって言うのが理由に来そうだけど、それは明確な理由じゃない。もう少し、はっきりとした理由があるはずなんだ」

「・・・なんだか小難しい話、してる?」

「そうだね。話している僕もあまりよくわからない。けれど、いつかはっきりとした理由を見つけてみせるよ。なぜ僕は君を拾い、君の自立の手助けをしようとしているのかってね」

「そ。じゃあまず一ヶ月ね。理由探しはその後に勝手にやりなさいよ」

「勿論。君の事を思い出したくもないようなことにならないように努力するね」

「せいぜい頑張りなさい」

「また上から。ここは素直に応援してもいいんじゃない?」


そんな軽口を返しても、彼女は反応せずに僕の布団を押し入れから出して床に引く

そして勝手にそこに転がり、くつろぎ始めた

肝が据わってるなあ・・・とか思いながら、僕は今日の復習に取り掛かり始めた


・・・・・


あの日から一ヶ月間が経過した

六畳一間に二人、向き合って正座していた


「一ヶ月間、どうだった?」

「・・・本当に一ヶ月間何もしなかったわね。平日は大学行って、夜遅くまで勉強して・・・休日は図書館かバイトって。逆に寂しさを覚えるわ」


そう。一ヶ月。あっという間に経過した一ヶ月の約束の日

僕は約束通り、彼女に手出ししなかった。彼女には予想外な結果で終わってしまった


「どや、どやぁ?」

「なんかムカつくわその顔!?」

「さあ、約束通り・・・約束、通り?」

「あんた、顔真っ赤よ。どうしたのよ・・・」

「んー・・・ここ最近、頑張り、頑張る?んん?」

「ちょっと、なんで頭揺らしてるのよ!?勉強しすぎて頭おかしくなったの?」

「んー・・・そんな訳、ないし」


頭がぼーっとする。ここ最近、バイト頑張りすぎたかな・・・

力が上手く入らなくて、向き合っていた彼女に向かって倒れ込んでしまった


「ちょっ・・・やっぱり一ヶ月の約束がなければあんたも・・・え?」

「んー・・・」

「普通に熱があるじゃない・・・今布団敷くから、横になっていなさいよ」

「うん・・・ありがとうね。夏澄ちゃん」


目を閉じようとすると、太ももを軽く叩かれる


「まだ寝ないでくれる?もう少し自分で動いてもらわないと困るんだけど。あたしは、あんたを運べるほど力ないから」

「無茶言わないでよぉ・・・起きてるのきついんだから」

「布団には自分で転がり込んでよね」

「はーい」


文句を言いながらも彼女は布団を敷いてくれる

けれどこれから先は、彼女自身ができないと言っているので自分で頑張らなければ


「ほら、布団敷いたわよ。少しは支えてあげるから、移動して」

「わあ、なんだかんだで最後まで・・・ありがたいねえ」

「からかうなら運ばないわよ」

「・・・目がガチじゃないですか」

「あたしは本気よ。ほら、減らず口叩く元気が無くなる前に布団に入って寝て」

「はいはい」


彼女に支えられながら僕は布団に潜り込む

横になると、先ほどのだるさが少しだけ楽になった


「水、持ってこようか」

「・・・・」

「ねえ、あんた・・・あれ、寝てる?」

「すう・・・」

「疲れ、溜まってたのかしら。勉強に、アルバイトに、家の事も全部やってたものね」


彼女の冷たい手が僕の額に触れる

ひんやりとして気持ちいい。しばらくすると当然ぬるくなるけれど、頃合いを見計らって手を逆にして、再び冷たい手を乗せてくれた


「そういえば、あたし・・・一ヶ月何もしてないな。ずっと山吹さんのお世話になってただけ。どうせ、一ヶ月持たないってタカをくくっていたけど・・・本当に一ヶ月何もしなかった」


「この人は、違うのかな。信じてみてもいいのかな・・・彼なら、彼となら何か変わるのかな」


「今日で一ヶ月の約束が終わった。今までみたいに、山吹さん一人に頼るわけにはいかない。元より無茶ばかりしてるのに・・・少しでも負担を軽くできるようにする方法を考えなきゃ」


「山吹さんは、あたしが自立できるようにってお願いしてた・・・彼のお願いで、あたしは自立するの?それ、意味ないでしょ。だったら・・・不躾だけど、山吹さんにお願いしなきゃ、だよね」


僕が眠りにつく前に、彼女は一人、長い独り言を経てある決意をする

誓約書が意味を持たなくなった一ヶ月。これから先の事を決める一ヶ月は過ぎ去った

そうなっても、僕と彼女の暮らしは続いていく


今度は、我慢大会のような「試すため」の同居ではない

今日から始まるのは、彼女が自分で今後を決めるための、自立するための同居だ

新たな日々の始まりに喜び、心を弾ませながら・・・僕は本格的に眠り始めた


・・・・・


「色々とありがとう、夏澄ちゃん」


目が覚めたら、昼を通り過ぎて夜になっていた

今朝よりは体調がよくなっている。この分だと明日にはいつも通り動けそう

彼女が持ってきてくれた水を飲み終えてから、僕が眠ってから家の事をしてくれた彼女にお礼を言う

その間、彼女は気まずそうに正座したまま僕に向き合っていた


「・・・・」

「別に、怒ってないよ?」

「逆に怒ってもらわないと困るわよ!?」


そう。彼女は家の事をしてくれていた

・・・正しくは、しようとしたのだろう

しかし、残念ながら家の状態は劇的に変化していた

整理されていたはずの机の上はごちゃごちゃ。床だって色々なものが散らばっている

台所は覗き込む勇気がない。ただ、嗅いだ事もないような異様な香りがするのだけは確かだ


「・・・君、不器用だったんだね」

「その一言で片づけていい話じゃないけれどね・・・」

「もっと追及してお説教とかした方がいい?」

「してくれた方がむしろ気が楽・・・ううん。違う。してほしい」


意外な反応に一瞬だけ動揺するが、彼女なりに何か考えがあるのかもしれない

・・・しかし、僕は怒ることに対して慣れていない

施設で育った時も怒られることは全くなく「いい子過ぎる子」なんて表現されていたし、逆に手のかからない子なのに、里親が見つからないのが不気味とも・・・


当時はよく同い年の陽彦が先生の説教対象だった。彼が反面教師の役割を担っていたかもしれないが・・・それぐらいなのだ

先生たちが陽彦を叱る様子を思い出すが・・・どう考えても陽彦に非しかなかったし・・・先生たちの怒り方も若干ヒステリックだったし、参考にするようなものではないと思う


「ううん・・・君の要望には応えたいけど、とりあえずさ・・・台所。火をつけているなら消してきてね」

「わかった」


彼女は急ぎ足で台所に向かいコンロの火を消してきた

戻ったらすぐに先ほどと同じように正座する


「・・・ありがとう。色々とね」

「だから、お礼を言われることなんてしてないから」

「してくれたことが嬉しいんだよ」


項垂れる彼女の頭に手を乗せて、ゆっくり動かす

細くて柔らかい。何時間でも撫でていられるような不思議な感覚だ


「ちょ、なにすんのよ。頭撫でるなんて、子供の時ぐらいしかやられないわよ」

「不器用でも、何かをしようとして動いてくれた夏澄ちゃんはいい子だね」

「馬鹿にしてる?」

「褒めてる」

「そ、そう・・・」


顔を真っ赤にして、そのまま僕に彼女は頭を撫でられ続ける

気持ちよさそうに、目を閉じようとするが・・・何かを思い出したように目を見開いて僕の手を慌ててどけた


「あ、あの、山吹さん」

「なあに?」

「一ヶ月後の事、覚えてる?」

「うん。ちゃんと覚えてるよ。僕が勝ったんだから、僕の言うこと聞いてもらうよ。ちゃんと自立できるように・・・色々、と」

「それ、なしにしてほしい」

「なしってそりゃあ・・・」


ないよ。って言う前に彼女の頭が下げられる


「あたしに・・・ううん。私に、きちんとした生き方を教えてほしい、です。不器用で、へたっぴで、わからないことが多くて、山吹さんに沢山迷惑をかけると思います。それでも、お願いします!」

「・・・・」


なるほど。「僕に言われたからする」じゃなくて「自分の意志でしたい」ってことか

それは、あの日の約束をなしにしてあげないといけないよね

この一ヶ月で、彼女の中でどんな意志の変化があったかわからないけれど・・・その願いを受け入れない訳はない

同時に、その変化を喜ぶべきだと僕は思う


「勿論。まだまだ若造で、君の思うようなアドバイスとかできないかもだけど、僕も頑張るから。これからも頑張っていこうね。夏澄ちゃん」

「・・・これから、よろしくお願いします。山吹さん」


この一ヶ月、彼女と出会って初めて笑った顔を見たかもしれない


「さて、本格的に始めるのは明日ね。今日はもう少しゆっくりしたい」

「わかりました」

「別に敬語じゃなくてもいいんだけど」

「じゃあ、お言葉に甘えて・・・」


敬語は流石になくしてくれてよかった・・・と謎の安堵を覚えながら、もう一度布団に横になる


「・・・そう言えば、今まで布団ってどうしてたっけ」

「机の上で寝落ちしてたわよ。そう言う寝方も体に負担をかけてたんじゃない?」

「もう一つ布団買わないとだね・・・今日のところは布団一組しかないけど、君今日どうする?」

「どうしよう・・・私、座布団でも寝られるけど」

「・・・さっきの君の言葉をそっくりそのままお返ししてもいいかな?」

「じゃあ、どうしろと?」

「・・・一緒に寝る?」


布団をパタパタさせながら、最善策を告げると彼女は溜息を吐く


「仕方ないか」

「じゃあおいで」

「何かしたら、貴方を殺して私も死ぬ」

「・・・わかってるし、そんな体力ないからね。一応、病み上がりだからね?」

「わかってる。少し、冗談?笑えなかった?」

「冗談が冗談に聞こえない迫真さがあったよ」

「じゃあ、今後はやめるわ」


布団に入り込んだ後、少し落ち込んだように目を細める

なんだろう。これも、彼女の一部なのだろうか・・・まだまだ知らないことが多くて、驚かされる

まだ一ヶ月だから当然と言えば当然だけど


「僕相手ならいいよ。たまに刺激も必要だしね」

「本当!?」

「うん。あと、これをするのは冗談が通じそうな人だけね。約束」

「うん。約束」


子供の頃のように、指切りしながらどうでもいいようで、割と大事な約束をする


「なんだか、指切りって小さい頃以来」

「僕も」


互いに笑いあいながら、眠気が来るまで少しだけ互いのことを話した

今まで彼女が話すのを躊躇っていた両親の事。勘当するに至るまでの事

そして僕からは、大学の話や、施設での話を少しだけ

そんな会話をしながら眠気がやってくるのを、賑やかに待った


・・・・・


あの日から、大体一年が経過した


「尊さん。ごめんなさい。今日の朝食も・・・」

「今日は何?スクランブルエッグ?」

「・・・卵焼き」


・・・歯ごたえのアクセントで卵の殻が結構入り込み、焦げ目が模様になっている特徴的な卵焼き

もちろん、ぱっと見で失敗作だってわかる

それでも、去年よりは大分マシになっているのだ

まだ、卵らしい黄色い生地が見えているのだから


「もちろん失敗よ!卵の殻、未だに割るの苦手なの!これでも少し減ったのよ!」

「わかってるよ。毎日特訓してるの見てるからね。今日も頑張ったね」

「うう・・・わざわざ頭撫でて褒めないでよ」

「まだまだ「ぶきっちょさん」だけどさ、一年前よりだいぶ上手になってるよ。今日の卵焼きだって、殻が絶妙なアクセントに・・・!」

「あ、バカ!食べないで!」


皿に乗せられている失敗作の卵焼きを口に放り込んで、今日の感想を告げる

彼女は慌ててそれを取り戻そうとするが、もう既に遅い

それはもう、僕の胃袋の中に収められてしまった


「・・・吐きなさい!ペッしなさい!おえってしなさい!」

「ちょっ、お腹殴らないでくれる!?」

「それが嫌なら下剤を飲みなさい・・・!」

「ちょっ、どこから用意したのさそんなもの!?」

「この前出たバイト代で買ったのよ。薬局に売ってたわ」


まあ、最近の薬局ならあり得るよねぇなんて呑気な事を考えながら、彼女とゆっくり距離をとる


「し、しかし・・・お高そうなパッケージで。どんな、効果が?」

「これまで悩まされた便秘も一時間で全部出て治る優れものよ」

「・・・なんてものを売っているんだ。想像以上に強力でびっくりだよ・・・あっ!」


鞄を持ってさっさと出かけてしまえば逃げられると思ったが・・・残念ながら鞄は夏澄ちゃんに人質として取られてしまう


「逃がさないわよ。しかも今日は二限から・・・十時からよね。まだまだ余裕よ」

「くっ・・・卑怯だよ、夏澄ちゃん・・・」

「貴方が失敗作を食べなければ、私だってこんなことしないわよ。さあ、尊さん。嘔吐したい?それとも下痢したい?好きな方を選ぶといいわ」

「汚い!それに加えて普通の選択肢がないのも酷い!」

「だって、どう考えても貴方の健康に悪そうじゃない・・・」

「ああもう。僕は大丈夫だから!元気だよ。超元気。おふざけ抜きで超元気!」

「老後の事考えてよね」

「何年後の事だと思ってんの!?」


「ちょっと!うるさいわよ!」

「「ごめんなさい!静かにします!」」


壁越しから怒鳴る隣人からの苦情を二人揃って謝った後、我に返る

二人顔を見合わせて、とりあえず休戦を結んだ

せっかくの朝の時間だし、もう少し穏やかに過ごしたい


「僕は大丈夫だから。老後の事も気にしない。美味しかったよ、見た目と食べ応えはともかく、味はね」

「そ。もっと上手くなってみせるから楽しみにしててよ。今度は卵の殻が入ってなくて、しっかり焼けたの、作るから」

「楽しみにしてるよ。時間がある時は僕も教えるからさ」

「尊さんは、今夜の勉強会の事だけ考えててよ」

「家事の事は考えちゃダメなの?」

「私は、家の事とか尊さんの恩返しでやってるの。住むところを提供してもらって、勉強教えてもらって・・・「してもらって」ばかりだから、返せるものは返したいの。今の貴方は夢を叶える勉強と、今日のバイトのシフトと家計の事だけ考えておけばいいのよ。そうできるように、私も頑張るから」


夏澄ちゃんは僕の背中を押しながら、さりげなく伝えてくれる


「そっか。ありがとう、夏澄ちゃん」

「お礼を言うのは私の方よ」


最後に鞄を手渡してくれる。僕はそれを肩にかけてから、出かける準備を整えた

今日は朝から図書館に用事があったのだ

読んでおきたい医学書があるのだが、今日が返却予定日

上手くいけば借りられるのだ

最も・・・僕と同じ考えの人は多くてなかなかの争奪戦となっているけれど。冊数増やしてくれないかな・・・大学側も


「今日は何時ぐらい?」

「十時ぐらい。用意した課題、やっておくんだよ」

「わかった。わからないところは明日聞くようにした方がいい?」

「起きてたら今日中に教えるよ。無理なら明日」

「了解。じゃあ、行ってらっしゃい」

「うん。いってきます」


彼女の見送りを背に、僕は今日も出かけていく

いつもと何ら変わりない。ごく普通の日常のまま、のんびり過ぎていく


・・・・・


彼女と暮らし始めて二年が過ぎた


「尊さん・・・これ」

「どうしたの?」

「・・・私、高卒認定取れた」

「おお!」


震える声で報告されたのは、彼女と決めていた目標が達成された事だった

一緒に暮らし始めてから、勉強の面倒を見るようになった僕は彼女と一つ目標を作った

何をするかわからない状態で勉強をするより、明確な目標を持った状態で勉強するほうが、やる気のモチベーションも保ちやすいと思ったから

それが、この高卒認定試験の合格

彼女は見事、目標を達成したのだ


勉強を教えている間、いくつかわかったことがある

まず、留年が確定するほど・・・と聞いていたのでそれなりの覚悟はしていたのだが、地頭はかなりいい方だった

教えれば教えただけ吸収する。それは逆に教え方が悪ければ、その悪いやり方をそのまま覚えてしまう・・・間違いもまた、教えた通りに覚えてしまうという難点も存在した

そうならないように細心の注意を払いながら、丁寧に勉強を教えたのは記憶に新しい


「合格おめでとう、夏澄ちゃん」

「ありがとう。で、あの・・・その」

「何か、言いたいことがある感じ?ほらほら、もったいぶらずに言っちゃいな?」


そうは言ったけど、正直聞きたくなかった

二年間だけれど、彼女がいる生活に慣れてしまったのか、これからもここにいてほしいなんて思うようになっていた

けれど、僕にはそれを引き留める権利はない

なんせ、僕が面倒を見るのは彼女が自立するときまで。それ以上はもう、彼女だけで歩まなければいけない道なのだ


遂にこの日が来てしまったのだ。聞きたくないけれど、聞かなければいけない言葉を聞く日が、やってきてしまったのだ


「急かさないでよ。私だって心の準備の一つや二つあるんだから」


夏澄ちゃんは胸に手を当てて何度か深呼吸をした後、ゆっくりと口を開いた


「・・・私、奨学金制度使って、学校に行こうと思う」

「学校?はて、どんなところに」


予想外の言葉に安堵と疑問を抱きながら、僕は彼女に問う

確かにもう今の彼女は高校卒業並みの資格はある。だから大学だって通えるし、専門学校にだって行ける

しかし、彼女が何か専門的な事を勉強したいと思うような素振りは見えなかったような・・・


「・・・ご・・・う」

「よく聞き取れない。もう一回」

「看護学校!看護師、目指したいの」

「理由、聞いてもいい?」

「そう、ね。一つは、純粋に働き先に困らなさそうだから?立派な資格だし、普通に働くよりもお給金はいいでしょう?勉強は大変だけど、その分やりがいもあるから」

「まあ、妥当なところだね」

「けれど、一番は・・・その。貴方が・・・」

「僕が?」


顔を真っ赤にしながら、彼女はもう一つの理由を述べようとするが・・・恥ずかしさが最高潮に達したのか、口を噤んでそっぽを向いてしまう


「・・・何でもない!これは内緒!」

「ええ!?気になるところをはぐらかすの!?それはズルくないかい!?」

「ズルくないもん!」

「いいだろう?最後まで教えてよ!」

「いつかね。いつか!」


そう何度も僕の問いをはぐらかし続けた彼女の答えを聞く機会は・・・間違ってしまった僕には永久に失われてしまったけれど、きっと、僕の為になる何かだと思っている

そう、思っていたい


「それよりも、大事な事を頼みたいの」

「勉強なら、今後も教えるよ?できる範囲で、だけどね」

「それも、だけど・・・もっと大事なこと」

「何?」

「・・・まだ、ここにいてもいい?」

「・・・気が済むまでどうぞ」

「やった!」


抱き着こうとする彼女を笑顔で止めながら、嬉しい気持ちは押し隠す

これからも、まだ続いてくれる

彼女がここにいる生活は続いてくれるのだ


「なぜ止める・・・!」

「止めないといけない気がするから。ほら、今日の勉強始めるよ」

「はーい」


二年という時は、色々なものを変えていた

荒んでいた少女は、本来の姿であろう屈託のない笑みが似合う少女へ戻った

そんな彼女に僕は勉強とバイトの往復だった生活に彩りを与えて貰った


「・・・・」

「どうしたの?私の顔に何かついてる?」

「・・・いいや。何でもない」

「でも、顔、真っ赤よ?」


彼女の冷たい手が顔に添えられる

純粋に心配してくれている彼女に反し、邪な事を考えているのが申し訳ない


「ただでさえ体調崩しやすいんだから・・・無理しないでね」

「・・・わかってる」


口元を手で押さえ、震えるそれを隠す

自覚してよかったのか、自覚するべきではなかったのかはわからない

それでも、僕は・・・


・・・・・


彼女と共に暮らすようになってから四年ほど経過していた

夏の日差しが厳しくなる頃。僕らは自宅でささやかなお祝いをしていた

貯金を少しだけ奮発して用意したご飯を机いっぱいに並べて、彼女と向き合って座る


「君ももう二十歳かぁ。誕生日おめでとう、夏澄」

「いえいえ」


そう、今日は八月四日。夏澄の誕生日だ

十六歳だった彼女も、気が付けば二十歳。まさか四年も一緒に暮らすことになるとは思っていなかった


「二十歳になったら何をしたいですかぁ!」

「お酒も煙草もよくなったし・・・一度は、ね?」

「煙草はやめときなよー。むせるよ?」

「お酒は?」

「大人にはお酒の付き合いというものがあるから、自分の限界を確かめるためにも一度、飲んでみることをお勧めするよ」

「だから今日はお酒が食卓に並んでいるわけなのね?」


机の上には確かに食事だけではなく、家には似つかわしくないお酒の缶が並んでいる

缶ビールとかも冷蔵庫には用意してある・・・僕は飲まないけどね


「そういうこと!初めてだし、ジュース感覚で飲めるサワーなお酒をご用意しました!僕のおすすめです」

「貴方、弱いお酒でも少量で出来上がるって聞いたけど、本当?」

「本当。大護あたりに聞いたんだろうけど、事実です」

「弱いのね」

「弱いよ?だから、これでしかお相手できないけど・・・僕よりはるかにお酒が強い人はごまんといるから。君が強かったらきっと、そんな人物が君の相手をしてくれるよ」

「・・・なんでそんなこと言うのよ。私は貴方と飲むのを楽しみにしてたのに。早速色々とかき乱して。本当におバカ。それに貴方以外と二人きりなんて嫌だし」

「何か言った?」

「なんでもないわよ、超絶難聴男!ほら、乾杯するんでしょう?」

「なんだよそれ・・・まあいいや。夏澄の二十歳を祝してー乾杯!」

「乾杯!」


若干不機嫌そうな夏澄の飲みっぷりを見ながら、お酒をちびちび口に含む

それからの彼女は凄いも何の・・・暴飲暴食と言わんばかりの謎のやけ食いを見せられた

もちろん、そんなことをしていれば結果なんて見え見えなわけで・・・


「ひっく・・・」

「冷蔵庫にストックしてた分も飲み干して・・・飲みすぎなんだよ、夏澄。調子乗りすぎ」

「らって、たけるが・・・」

「人のせいにしない。確かに、止めなかった僕も悪いけど、君だって自分の限界をわからずに飲み続けたんだからね。自制心ぐらい持ちなよ。全く」


呂律の回らない声で、僕に縋りつく彼女の布団を敷きながら、軽く相手をする

しかし何というか、出来上がっている彼女はいつものツンケンした感じの態度ではなく、凄くふにゃふにゃな感じで・・・可愛らしいのだ


いつもの彼女が可愛くないと言っているわけではない。そこは誤解しないでほしい

本心をドストレートに伝えてくるツンツン具合も好きだよ。そりゃあ。ところどころに垣間見える優しさも好きだよ

けれど、甘えたがりでべたべたしたがる彼女の破壊力はそれ以上なんだよ

いつもは絶対にしないことだからこそ、余計に心をかき乱してくる


彼女はもうちゃんとした学生で、僕抜きでもきちんと生活ができるようになっている

もう、自立できるのに・・・僕の生活が心配だから。これからもっと忙しくなるだろうからと理由を付けてこの家にいてくれているだけだ

・・・恩があるから、ここにいるだけの存在だ


この想いを伝えたところで迷惑だろう。現に、彼女の生きる生活の中には、男の影がちらほらしているわけだし、彼女だって、一人ぐらい心を占める人間がいてもおかしくはない

・・・どうしたら、彼女を解放してあげられるのかな


「ほら、夏澄。布団敷けたよ。ゴロンできる?」

「ごりょーん!」

「・・・・なんだこの可愛い生き物」


笑顔のまま、謎の擬音と共に布団にダイブする夏澄が微笑ましいと同時に、先ほどの考えの続きが思考の中を巡り始める


「たける、ねよ?」

「・・・」

「また、なんりょー?もういいよ。ちょうれつなんりょーおとこ!」

「また難聴扱いして・・・大丈夫、わかってるよ。ってなぜ人の服に手をかけるんだこの子はぁ!?」

「ねる?」

「そっちか!寝ないよ!バカタレ!酔いで昔を思い出した、・・・な?」


僕のワイシャツに手をかけたまま、夏澄は涙を流し始める

その瞬間、何かを悟った。この子、ずっと酔っていた演技をしていたのではないかと


「・・・尊は、本当に男なの?」

「失礼すぎやしないかい?男だよ?」

「じゃあおかしいよ。だって、四年だよ!?四年も一緒に暮らして一回もそれらしい事一度もないんだよ。一回ぐらいは襲われること覚悟してたのに、本当に何もないなんて!」

「・・・勉強時間の優先度と疲労度が勝ってるから」

「真っ当な理由をありがとう。けど、貴方、本当に性欲あるの?」

「ドストレートに聞くね。そんな君に敬意を示して正直に答えるよ。うん。普通に、人並みにあるよ」

「手出しをしやすそうな女と暮らしておきながら一回も手出ししないのは・・・やっぱり貴方おかしいんじゃない?」

「じゃあ君は僕とそう言うことをしたかったと?」

「そうよ」

「・・・は?」


今、彼女は何を言い放ったのか、一瞬思考が止まってしまった

しかし、それを改めて認識することで・・・僕の顔に熱が帯びるのを感じる


「そうよ。何度でも言うわよ。私は・・・」

「ストップ、ストップ。ちょっと待った」

「待ったはなしよ」

「将棋と囲碁だけの話にしてくれる?今回は絶対話さないといけないことがあるから落ち着いて。雰囲気にあてられてとか、酒の影響とか、その場のノリでとか絶対にダメな奴だから」

「細かい・・・でも、仕方ないか。いいわよ。話し合いましょう。互いに、納得するまで」


布団の上に正座しながら、僕と彼女は向き合う


「で、何を話すのよ」

「えっと、その・・・夏澄は僕の事どう思ってるわけ?」

「人に聞く前に、自分から・・・でしょ」


いつも通りで逆に安心する答えに、やはり僕から言わなければいけないらしい


「・・・夏澄」

「はい」

「・・・・」


とりあえず、頭を撫でる


「ちょ、何よ。子ども扱いしてるわけ?」

「してないよ・・・。君の事は可愛いとは思ってる。けど、けれど」

「けれど、何?」

「僕で、いいのかなぁって思うんだよね」

「・・・そんなこと」

「「そんなこと」とは言うけれど、僕はね・・・」


気にしないようにしていたけれど、やっぱり意識することはないとは言えない事はたくさんある

こういう時、陽彦みたいに図太い性格していれば気にすることもないのだろうけど

残念ながら僕はそんな図太い精神は持っていない。だからこそ、普通に気にしてしまうのだ

親がいない事。頼れる身内がいない事。金銭面が不安定なこと

成績だって最近は伸び悩んでいるし、バイト漬けで体力はついたけど・・・疲労は毎日酷い

そのせいで体調を良く崩すようになった


「色々、あるんだよ。だからこそ、君は真っ当な・・・」

「真っ当真っ当言うけどね、真っ当じゃない女を拾って、真っ当に自立できるまで面倒見たのは誰よ」

「それは・・・」

「私は本当に貴方に恩を感じているわ。ここまで面倒見てくれて、本当に感謝してる」


僕の手を取り、彼女は諭すように言葉を紡ぐ


「高校を留年するような私が、高卒認定取って専門学校に通っているのも、まともに家事の一つもできなかった私が、人並みに料理できるようになったのも全部貴方のお陰」

「違うよ。それは、君が頑張ったから・・・」

「それもあるけど、何よりも貴方が背中を押してくれたじゃない。自分の事を後回しにして、嫌な顔せずに面倒を見てくれたじゃない」


手に込められる力が強くなる。半泣きになって、言葉に詰まり始めるがそれでも絶対に伝えなきゃという意志が伝わってくる


「無茶をしているのは知っていたわ。無理して、風邪引いて・・・限度ってものがわからないの?」

「わからない訳じゃないんだよ、けど、ゆとりを持たせたいなって思ったら・・・」

「死んだらどうする気なのよ」

「そう簡単に」

「そう簡単に死ぬものなのよ。いつ、どんな原因で死ぬかわからないのよ」

「・・・夏澄?」


真剣な表情のまま詰め寄られる

視線はまっすぐと僕の方に向けられたまま、夏澄はゆっくり自分の中の言葉を伝え続ける


「私は、貴方に無理をしてほしくない」

「無茶を言わないでほしい・・・」

「ううん。最後まで聞いて。一ヶ月過ぎた頃は、自立することが恩返しだと思って過ごしてたの。けど、四年よ。四年経って・・・何も考えなかったわけじゃないんだから!」

「・・・ん?」

「・・・私はね、貴方への恩返しも確かに果たしたいのよ。でも、今は、無茶ばかりして、自分に負担ばかりかける貴方を、ちゃんと支えたいの!私にも、背負わせてほしいの」


口に触れた柔らかな感触の正体を考える間もなく、本格的に泣き出してしまった彼女はそのまま抱き着いてくる


「・・・そっか。そんな風に、思ってくれていたんだ」

「元は普通に元気なんでしょ・・・貴方の負担を少しでも軽くして、貴方が勉強に集中できて、元気に過ごせるように手伝いたいの」


泣きじゃくる彼女の背を宥めるように撫でる

まさか、こんなことを考えていたとは少し予想外で、反応に困ると言えば困る

けれど・・・


「ありがとう。けど、君に甘えるのもよくないでしょ。今まで通り頑張るよ」

「・・・多少は甘えなさいよ、馬鹿。そういうことするから風邪引くのよ」

「・・・うぐ」

「頑張りすぎ屋で自分の限界を超えて無茶ばかりするそういうところも含めて好きだけど、もう少し頑張らずに生きて」

「無茶苦茶な注文だなぁ・・・ん?」

「どうしたの?」


そう言えば、元はと言えば夏澄が僕を、僕が夏澄をどう思っているのかという質問の途中だったことを思い出す

つまり、夏澄は・・・うん。僕も・・・うん


「・・・マジか」

「あ、やっぱり質問の事忘れてたわね?疲れ?」

「いやいや、色々とありすぎたから少し頭から抜けてただけだし!」

「・・・それで、貴方はどうなの?」

「僕は・・・」


夏澄の問いに、もう一度、頭を切り替えて考える

言うべきではないなんて、考えるのはおしまい

自覚するべきではなかったかなんて、後悔するのもこれで最後

そして、自分の中でつっかえていたものを抱えながら告げる

もう、迷う必要はない。二年越しの感情を、すべて君に


「僕は、ううん。僕も同じだよ。君が好き。ドストレートにものを言うところとか、ツンケンしたところとか、ところどころに見せる優しさとか。全部好き」

「なっ・・・そこまで言う必要ある!?」

「君だって「そこまで」って部分かなりあるじゃないか。そういうことしたいとか言ってくるし・・・」

「それはそうだけど・・・」


言葉に詰まり、視線を右往左往させる姿もとても可愛らしい

真っ赤に顔を染めながら頬を膨らませ、上目遣いでこちらを見るのは反則だと思うけどね


「さて、話も終わったことだし、そろそろ後片付けでもしようかな」

「あ、手伝う」

「じゃあ、残り物にラップ担当ね。僕はゴミ処理」

「うん」


互いに役割分担して、作業に取りかかる

先程までの空気が嘘のように、いつも通りに戻ってしまったけれど、少しだけ僕らの関係は深まり、変化を生んだ


・・・・・


彼女と恋人になって早二年

就職先も決まり、バイト生活とはおさらばしたけれど、この六畳一間の空間からはおさらばしていない

一年はここで暮らし、来年の夏澄の卒業と合わせて引っ越しを考えている


「・・・」

「何しているんだ、尊」

「少し将来の事をね。蒼夜は?」

「・・・同じだな」


一年の時から付き合いのある友人・・・二風蒼夜は、僕の隣に腰かけて溜息を吐く

今日は久々の学食である

理由は単純。最後ぐらい、食べておきたいなと思っただけだ


「蒼夜は戻ったらお父さんの病院だっけ?」

「ああ。お前も来るか?ここより少し田舎だが、色々とのんびり過ごせるぞ。お前なら大歓迎だ」

「嬉しい誘いだけど、こっちで見つけたからさ。また機会があったら」

「勿論だ。お前ならいつでも歓迎するよ」


味気ないけど、水で乾杯しながら他愛ない会話をしながら大学生として最後の一日を過ごす

折角だし、滅多にしない会話でもしようかな


「ありがとう。そう言えば、遠距離の彼女さんとはどうなっているのさ?」

「彼女が既に田舎に戻ってるから、俺が戻り次第結婚するよ。招待状送るから、式に来てくれるか?」

「勿論さ。おめでとう、蒼夜」

「ありがとう。二枚送るから、彼女さんもぜひ」

「いいの?」

「お前の時の参考にしてくれ。お前も今の彼女さんと結婚するんだろう?」

「そうだけどさ・・・なんで僕らが式挙げる前提なんだよ」

「挙げないのか?」

「二人で相談して写真だけにしようかって考えててさ・・・お金のこともあるしね」

「そうか。まあ、二人で決めたなら俺からは言わないよ」


蒼夜は一瞬だけ意外そうな顔をしていたが、これ以上は何も言わなかった


「けど、心変わりした時の参考にはさせてもらうね」

「ああ。いいものにできるようにするからな」


そう言って蒼夜は食事が終わったようで、席を立つ

そして、入れ替わるようにもう一人、一年の時から付き合いのあるもう一人の存在が向かい合うように腰かける


「やあ、山吹君」

「八重咲君。こんにちは。君も今日は学食?」

「ああ。最後だし、せっかくだからね」


少し身綺麗な格好をした八重咲亙君は薄く笑みを浮かべる


「そう言えば、山吹君。卒業式で代表答辞読むらしいね」

「うん」

「首席卒業者、おめでとう」

「ありがとう」

「・・・最後の最後に負けるなんて思ってなかったよ」


この時に、気が付かなければいけなかった

今まで、首席だった八重咲は最後の一年ですべて僕に負け続け、その代わり僕は首席として一年を過ごした

それがきっかけなのか、何がきっかけなのかわからないけれど、僕は八重咲に恨みを確かに買っていた

それに気がついたのは死んだ後の事・・・だからこそ、後悔している

この後、僕は八重咲の問いに答えるように彼女の・・・夏澄との話をしてしまう


それがきっかけに、三年に渡る嫌がらせの始まりが起きてしまう

彼女と僕は引き離され、大事に育てるはずだった息子にも酷い運命を背負わせてしまう

それは、酷い運命を辿った先の物語で・・・息子自身が語っているから僕からは語らないことにする

だから、僕は・・・最期に、これからくる不幸な正夢から目を逸らすことにする

僕が見るのは、望んだ「幸せな結末」だ


「毎日、頑張ったんだ。八重咲君に勝ちたくて」

「そう・・・ところで」

「御馳走様。僕、急いでいるからそろそろ行くね。ごめんね、八重咲君」

「い、いや・・・いいんだ。またの機会に」

「うん。また・・・どこかで」


あの時、彼の話に乗らなければあんなことにならなかっただろう

だからこそ、ここは適当にやり過ごす

彼に深く干渉しない・・・それが、正解なのだから


・・・・・


彼女と出会って、十年が経った

十年前の僕が聞いたら驚くことばかりだろう

医者になったとか、それぐらいは驚かないと思うけれど

例えばあの日、拾った子と結婚しましたとか・・・とか言ったら驚くと思う

そして、この光景を見たらもっと驚くだろう


「尊?」

「ん、いや。まだふにゃふにゃだなぁって。可愛いなぁ」


互いに働きながら少しずつ貯蓄をして、余裕ができた頃に子供に恵まれた・・・少し、予定はズレたけれど。まあ、問題はない

そして、七月九日に産まれた息子の夏彦は眠たそうに目を細めながら僕と夏澄に手を伸ばした

二人揃って指を差し出して、その小さな掌に握り締められる

それがもう見ているだけで可愛らしくて、頬が自然と緩んでしまった


「頬、緩んでるわよ」

「おおっと。これはこれは・・・」


緩んだ口元を抑えてしっかり結ぶ

その光景が面白いのか、夏澄が笑い、釣られるように夏彦も笑いだす


「お母さんも夏彦も何が面白いのさ・・・」

「全部」

「あ!」

「・・・全部かぁ」


二人揃って言うのだ。事実だろう・・・少し、ショックだ


「しかし、夏彦・・・何もない所を見て笑うのは一体どうしてなんだい?」

「・・・なんでなのかしら」

「見えちゃうとか?」

「かも。でも、そういうのは大きくなったら薄れていくんでしょう?」

「だといいんだけど・・・どっちかなあ」

「でも、私たちはこの子の味方よ。どんなことがあろうとも・・・能力者でも、私たちの息子だもの。必ず、守るからね」

「ああ。絶対に、この子を信じてあげよう。どんなに突拍子がないことでも」


そんな決断をしながら、幼い息子の頭を撫でながら、これからの事を考える

この子の見える世界を知るのは、もう少し大きくなった後の事だ


・・・・・


夏彦が産まれて七年が経った

小学校に入学し、毎日楽しそうにしている彼の側には一人の女の子がいつも一緒だ

と、言っても・・・夏彦が学校に行っている間は物陰から覗き込む感じらしいが


今日は久々のお休み。夏彦は今、夏澄と共に昼食を作っている

色々なことに興味があるお年頃のようで、積極的に色々と取り組んでいる

いつか、やりたいことをこうして見つけていくのかななんて微笑ましく見守る

僕は久々の休みということもあり、のんびりしていた

そんな僕の相手をするのは、彼女

二人で将棋を指しながら、のんびり過ごしていた


「・・・鈴ちゃん」

「尊さん。どうしましたか?」


二階堂鈴ちゃんは、勝負の最中だからか眉一つ動かさず淡々と僕の話を聞いてくれる

その様子を見て、僕も同じように話を進める


「最近、夏彦はどう?見るもの全てを怖がったりとかしていない?」

「はい。ここ最近、見える能力は眼鏡と結晶の効果で落ち着いています。普通の子供同然ですよ」

「神語り・・・だっけ?神様とかお化けと話せる能力はどんな感じ?」

「出会った時に比べて、能力の操作ができるようになったので今は自分でコントロールしています」


近況報告を彼女から聞きながら、将棋を指す

夏彦は予感通り「人ならざる者が見える」能力を持った子供だった

昔は怖いものを見て、酷く泣いていたけれど・・・特殊能力の制御や、能力のコントロールを覚えることで少しはマシになった


しかし何よりも驚いたのが、この鈴ちゃんが来るキッカケになった事件

夏彦はどうやら、昔のお偉いさんの生まれ変わりのようで・・・この能力を持っているが故に、この能力が存在している事を良しとしない人間に命を狙われていた

それを助けてくれたのが鈴ちゃんだ


鈴ちゃんもまた、少し特別な人のようで・・・そのお偉いさんの御付をしていたらしい

当時から変わらない姿でいるのは、神様をその身に宿したことで不老不死になってしまった影響だと教えてくれた

そんな彼女は、今代の生まれ変わりを守るために来てくれたらしい

相手はどうやら特殊能力者のようだし、僕らにはどうすることもできない

なので、彼女に夏彦を守ってほしいと頼んだ

彼女は快く引き受けてくれて、今もこうして一緒に暮らしている


「夏彦の能力は、伸ばすべきなのかな」

「私たちは、最低限、彼が困らないように能力操作ができる程度にまで伸ばす・・・それ以上伸ばすかどうかは、夏彦君自身が決めなければなりません」

「そうだね・・・」

「尊さん。王手です。どうされますか?」

「抵抗するのが普通だけれど、そろそろ時間だからここで投了で」

「では、勝ち星を頂きますね」

「うん。けど、本当に鈴ちゃん強いね。なんで?」

「夏澄さんのお父様の直伝です」

「ああ。お義父さん強いもんなぁ・・・」


夏澄の両親と和解したのは、結婚する前の事

挨拶は絶対にしておきたいと、嫌がる夏澄を連れて柳栄町に住んでいるご両親に挨拶に行き、話し合いの末に彼女の勘当を解除してもらった

今は僕も実の息子のように可愛がってもらっている

夏澄も、ご両親と昔のように話せるようになったと喜んでいた

そして、唯一の孫である夏彦もとても可愛がってもらっている

夏彦の特殊能力の事を除けば、ごく普通の家庭と変わらない生活を僕らは送っている


「お父さん。ご飯できたよ。すーねえも!」

「うん!今日のご飯は何かな!」

「はい。夏彦君。呼んでくれてありがとうございます。行きましょうか」

「うん!」


夏彦は助けてもらった影響か、それとも鈴ちゃんによく面倒を見て貰っているからか、お姉ちゃんのように慕っている

今日も彼女の手を引いて、テーブルの方に二人で歩いて行った

その光景を微笑ましく見守りながら、僕も二人の後をついて行った


「どうしたの、お父さん?」

「ううん。今日も夏彦と鈴ちゃんは仲良しだなって」

「そうねえ」

「将来は鈴ちゃんにお嫁に来てもらえば安泰ね」

「そうだね」

「なっ、尊さんも夏澄さんも何を・・・!」

「すーねえが、お嫁さん?うん。僕も、すーねえと結婚したい」

「夏彦君は可愛いですねえ・・・」

「?」


子供の戯言と思いながら、鈴ちゃんは夏彦の頭を撫で続ける

僕らはその光景に、ニマニマしながら昼食をテーブルの上に広げていった


・・・・・


さて、時はなんだかんだ過ぎ去って・・・夏彦が産まれてから三十一年


「父さん、母さん。ただいま」

「ただいまです、お二人とも」

「おかえりなさい、夏彦。鈴ちゃん。夏鈴ちゃんも、久しぶりね」

「ばあば!」


僕らは随分歳を取ったけれど、夏彦と鈴ちゃんは立派に大人になっていた

夏彦が中学卒業したぐらいか

中三の冬休みから年明けまで行方を鈴ちゃんとくらますという大事件が起きるのだが、その期間で夏彦は鈴ちゃんに憑いていた神様を天に還して、普通の人に戻したらしい

一言相談とかしてほしいと戻ってきてから夏彦に言ったのだが、思い付きだから・・・と色々と濁された


まあ、なんだろうか

結果的に、小学六年生ぐらいの女の子だった鈴ちゃんも二百年ぶりに成長を始めて、今はごく普通の成人女性にしか見えないぐらいに大きくなった

夏澄とも相談して、鈴ちゃんを夏彦と同じ私立高校に入学させ、現代の子供らしい生活を堪能してもらった


高校で夏彦は僕が施設でお世話になっていた大護の長男と次男と出会った

それがきっかけでまさかの大護と茉莉の家庭・・・九重家との関わりが出来た

久々の再会はとても喜ばしいものだった

大護は、施設で暮らしていた子はもう生きていないものだと思っていたらしいから


聞いた話だと・・・川ノ辺夕希は行方不明。吉鷹藤馬は神楽坂財閥のご令嬢に気に入られて婿入りしてからの記録が一切ない

そして、誰よりも気になってた陽彦は・・・陽輝と宙音という子供が出来たこと以外一切何も知らないそうで・・・陽彦はずっと行方不明らしい。その母親もまた同様に

それすらも陽彦らしいと思ってしまうのが申し訳ない

・・・まあ、僕の昔話の続きなんてどうでもいいのだ


夏彦は高校卒業前に、僕と同じ夢を抱いていてくれていたことを告白してくれた

そして、僕の新しい夢を応援したいとも

その影響で、彼は今は大きな病院で産婦人科医をしている


「じいじ、こんちわ」

「こんにちは、夏鈴ちゃん」


そして、夏彦のお嫁さんは僕らの予想通り、鈴ちゃんになった

形式的な挨拶の時も、夏澄と揃って「予定調和じゃん」なんて言ったのは記憶に新しい


今、二人の間には五歳になる娘の夏鈴ちゃん。そして鈴ちゃんのお腹の中に双子がいる

今回、帰ってきてくれたのは里帰り出産をする為だ

夏彦も割と多忙だし、夏鈴ちゃんもまだ小さいし・・・鈴ちゃんに何かあった時、すぐに対応できるのがここだからという理由もあるけれど・・・今回は一時的なものではない

将来的にはこちらに住むのだからと、親子で話し合った結果、息子一家は本格的にこちらに居を移してくれた


「父さん。俺、今の病院を退職するの、三月末になった。四月からここで勤務できるよ」

「流石。行動が早いね、我が息子よ。しかしいいのかい?」

「いいよ。父さん一人じゃ大変でしょ?それに、俺は父さんと仕事するのが夢だったわけだしね」


そう。僕は新しい夢を一つ叶えている

それは、小さな産院を持つことだ。大変だけれど、その分やりがいはある


「嬉しいことを言ってくれるね、夏彦」

「四月からよろしくお願いしますね、先生」

「うん。頼んだよ、若先生。それに、調理師さんも」

「ええ。調理師免許も栄養士の資格も取得したので、いつでもお手伝いできますよ」


一方鈴ちゃんは料理人としての才をのばし、今や調理師として頑張っている

彼女もまた、今の仕事を辞めてこの病院で調理師兼栄養士さんとして働いてくれることになった

もう少し調整しなければならないが・・・十分やっていける


「嬉しそうね、お爺ちゃん」

「うん。嬉しいよ。息子夫婦と孫と一緒に暮らせて・・・夢も叶えて。贅沢過ぎるよ、こんなのは」

「贅沢なわけじゃないわよ。頑張った貴方へのご褒美だと思うわ」

「夏澄・・・!」

「さりげなく抱きつこうとするのはやめなさい。夏彦も、ゆっくり鈴ちゃんに抱き着こうとするのをやめなさい。なんであんた達親子はそんなところが似るの」

「だって・・・」

「だって・・・」

「だってじゃない。時と場所を考えなさい、バカ親子」


夏澄は老いを感じさせないような動きで、僕と夏彦にそれぞれ拳骨を食わらせる

いつの間にか鈴ちゃんの元に戻っていた夏鈴ちゃんの視線は鈴ちゃんが覆って隠していた


「・・・本当に、アホさ加減も何もかもあんたたちはそっくりよ」

「・・・夏澄、今日もいい感じに入ったよ」

「・・・母さん、酷い」


夏彦と互いの頭を撫であう姿を夏澄は無視して鈴ちゃんと夏鈴ちゃんに声をかける


「鈴ちゃん、夏鈴ちゃん。男どもは放っておいたら平気な顔で来るから、その間向こうでおかし食べましょうか」

「やったー!」

「ありがとうございます。夏鈴、お菓子を食べる前に、おてて手洗いに行こうね」

「はーい!」


それが当たり前かと言わんばかりに鈴ちゃんも夏鈴ちゃんの視線を覆い続けて僕らの横を通り過ぎる

そして、僕らが見えなくなったあたりでそれを解除する

夏鈴ちゃんはそうして何も知らずに笑顔のまま、廊下を駆けていった


「・・・夏彦、痛みは治まったかい?」

「動ける程度にはね。父さんも?」

「勿論さ。何年母さんの鉄拳を食らっていると思っているんだい!?」

「タフだなぁ・・・俺はまだ痛いよ」


夏彦が人じゃないものを見るような目でこちらを見てくる

息子の視線がとてつもなく痛い


「丈夫じゃないと母さんの旦那さんなんて務まりませんから」

「そう・・・けど、不思議だな」

「何が?」

「父さんって、なんで母さんと結婚したの?」

「割と難しい質問来たね・・・」


そう言えば、夏彦には一度も話してなかったっけ・・・


「昔、荒れてた頃の母さんを町で拾ったのが、僕が大学一年生の時」

「・・・母さん荒れてたんだ」

「うん。それから色々とあってお付き合いすることになる」

「なんで惚れたの?」

「そりゃあ、可愛く健気に色々な事覚えようとしてくれて、頑張っている姿に惚れない訳はなく・・・」

「・・・これ、本心語る気ないな」

「・・・ツンケンしてるけど、きちんと言いたいこと伝えてくれるところとか、不器用だけど優しい所とか、頑張り屋さんなところが好きになったんだよ。同時に、この子となら上手くやっていけるだろうなってね。六十過ぎた父親に何言わせるんだ、息子よ」

「いいじゃん。少しは聞かせてよ」

「仕方のない奴め!後は何が聞きたい!」


夏彦の問いに答えながら廊下を進んでいく

ゆっくりとした足取りで、包み隠さず本当の事を話していく

語る機会が、これで最初で最後のような気がしたから


「そう言えば、爺ちゃんが本当は母さんの誕生に入籍する予定だったのに予定を繰り上げたみたいって言ってたんだけど、なんで?」

「それ、凄く言いにくいんだけど・・・ちゃんと話すね。実は夏彦って出来ちゃった感じの子なんだ」

「えっ」

「穴開けられててさ。予定が一年ほど狂ったんだよね・・・」

「母さん!?」

「まあ、その時から結婚の約束はしていたし、問題ないと言えば問題ないんだけど・・・ね」


「・・・母さんとすーちゃんの方が親子感あるな」

「・・・夏彦。そう言えば、夏鈴ちゃんの時、凄く複雑そうな顔してたけど」

「・・・父さんと同じ方法でやられてたんだよ。予定外でびっくりで」

「あー・・・」


確かに、どちらが親子なんだって感じだね。しかし、夏彦もか・・・二度あることは三度ある、まさかね・・・


「夏彦。夏鈴ちゃんはしっかり見張りなよ」

「了解」

「しかし、このネタで数年はからかえそうだねぇ・・・」

「鉄拳制裁きそうだけどね・・・」


なんだか頭に何もされていないのに痛みが走る

それは夏彦も同じだったようで、二人揃って頭を抑えていた


「じゃあ、最後に聞いていい?」

「勿論。何が聞きたい?」

「なんで、父さんは母さんを拾ったの?」


四十年先の未来で、まさかこの問いの答えを出す日が来るとは

なぜ僕は君を拾い、君の自立の手助けをしようとしているのか・・・二人して忘れてしまっていた、僕の課題


「ううん・・・ロマンチスト風にするなら、僕と母さんの出会いは運命で、そんな相手を助けるのは当然・・・って夏彦、露骨に引かないで!嘘だから!」

「・・・本当?」

「ああ。実際のところは、やっぱり放っておけなかったからなんだと思う。けれど何よりも・・・」

「何よりも?」

「勘」

「よりによって出しちゃいけない理由を最後に出さないでくれよ、父さん・・・」


息子には呆れられるけれど、これは本人に最初に言わないといけない事だから

だから今は、はぐらかしておこうと思う。申し訳ないけどね


・・・・


その日の夜

僕と夏澄はいつも通り寝る前に二人きりの時間を過ごしていた

夏彦と鈴ちゃんはもう寝ているだろう。夏鈴ちゃんも二人と一緒に


「今日からまた皆で暮らしていけるのね」

「ああ。そうだね」

「ねえ、尊。私、貴方と夏彦の会話を少し聞いていたのだけれど・・・」

「聞いてたんだ」

「あんな大きな声だったらね」


そして彼女は、僕に小さく耳打ちする


「すーちゃんに吹き込んだの、私だから」

「・・・・」


そう言えば、目の前にいる彼女は・・・僕と出会う前は身体を売っていた時期が少しあった

・・・そこで身に着けた技術じゃ、ないよな。今更だけど


「夏彦も貴方も予定だなんだの言って色々と先延ばしにして・・・色々と早くしてほしいこともあるのよ」

「おっしゃる通りで・・・」

「わかればよろしい。それで、聞かせてほしいのだけれど」

「何かな」

「一ヶ月を始める時に、貴方が言っていたこと。私も思い出したの」

「ああ、あの・・・」


夏彦相手にははぐらかしたけど、夏澄の前では嘘をつく必要はない


「・・・そうだね。まずは放っておけなかった。そして、それにはずっと理由というものをつけられなかった」

「結局のところ、理由はないってこと?」

「そうだね。君を拾った理由なんて存在しないんだ。当時の僕の気まぐれか、偶然か・・・」

「・・・理由がなくて少し安心したかな」

「なんで?」


意外な答えが飛んできて、僕自身も驚いていた

夏澄はゆっくり語りだす


「それは、貴方が本当に何も考えずに私を拾ってくれたってことじゃない。何の打算もなくってことでしょう?どんな大層な理由が来ても、そっちの方が凄いと思うわ」

「ごめんね。理由を見つけるって言ったのに」

「無理することはないじゃない。いいのよ。理由がないのが、理由で。これが一番、最適解だと私は思うわ」


年老いて、少しだけしわくちゃになった手が僕の手に触れる

家事もずっとこなしてくれたおかげで、手は随分硬くなっている

頼りがいのある手を握り締めながら、僕は彼女に聞かなければならないことを思い出す

もう一つの、先延ばしの話を


「そう言えばさ、看護師になりたいって言った時、二つ目の理由ははぐらかしたよね」

「覚えてた?」

「実は忘れてたけど、今思い出した。教えてほしいな」

「仕方ないわね・・・」


夏澄はゆっくりと息を整えて、僕の方を見てくれる


「実はね、貴方が自分の病院を持ちたい事、知ってたのよ」

「なんで」


実際にそうすると決めるまで、夏澄には話したことがなかったのに

あの時の彼女が知るはずのない話なのに、どうして・・・


「貴方、日記をつけていたでしょう?それ、掃除中にうっかり見ちゃって。最終目標書いてあったから・・・それがとても印象的に残っていたの」

「・・・その通りだね」

「日記を読んだのは悪いと思ったけど・・・読んだことで、私は貴方を支えたいって思うようになったの。貴方の手助けをしたいって」


だから、私の目標も叶っているのよ、と彼女は小さく笑う


「そっか・・・!」

「ええ」

「夏澄。公私共に支えてくれてありがとう」

「どういたしまして」


「しばらくしたら、のんびり老後を過ごそうか。新しい目標があった方が、いいでしょう?」

「ええ。そうねえ。目標があった方がモチベーションも上がるわ。のんびりできるようになったら温泉行きましょうよ。夏彦たちも一緒に」

「いいね。けど、まだまだ忙しいからね。元気に生きてよ、夏澄」

「ええ。貴方も百歳以上生きる覚悟で元気に頑張ってね。尊」

「勿論。約束ね」

「ええ。約束よ」


子供のように指切りを交わしながら、互いに笑いあう

あの時、何もしなければ手に入っていたかもしれない未来

そんな未来の夢を見ながら、僕は意識を手放していく


薄れていく幸福な夢は、ここでおしまい

きっと、この選択を選べた僕はこれからも、夏澄と、夏彦と・・・大事な人たちと幸せな日々を死ぬまで送れるのだろう

こんな、誰かに殺されるような悲劇ではなく・・・大好きにな人たちに見守られながら安らかに眠っていける幸福な死を迎えられただろう

そんな「かもしれない」未来は、もう訪れることはない


「・・・ああ、痛いなぁ」


現実を認識した瞬間、最後に全身に痛みが走った


「・・・ごめん、ね」


最期に浮かぶのは、幸せそうな彼女の顔

幸せにすることが出来なかった彼女の、笑顔を思い浮かべながら・・・僕の

・・・山吹尊の人生は、終わりを迎えた


・・・・・


「・・・これが、父さんの死の間際」

『そうじゃのお。骨に刻まれた意識をトレースして出した夢じゃから、精度は高いと思うぞ?』

「・・・最期まで、母さんとこれからの事を考えていたんだな」

『夏彦・・・』


着物の姿の少女は、自分の主である山吹色の男に声をかける

その男は、先ほどまで見ていた二人の特徴を半分ずつ受け継いだような男

名前もまた、二人の子供として名付けられたものと同じだった


「・・・もう、どうやっても父さんと母さんは戻ってこない。だから二人がどんな感じで過ごしていたのかぐらいは知っておきたかったんだが・・・こんな感じだったとは。ありがとう、竜胆」

『いいのじゃよ・・・ほら、夏彦。そろそろ鈴が起きる頃じゃ』

「ああ。じゃあ、そろそろ起きないとだな。じゃあ、また・・・」

『またの、夏彦』

「ああ」


青年の過去を覗いていた男の夢もここでおしまい

そして彼は目を醒ます

両親が生きている、理想の現実の中ではなく・・・

特殊な環境下で、大事な妻と娘と共に生きる幸せな現実へと向かっていった

「観測終わりだね。うん、お疲れ様」

何か妙に長い観測だった気がするけど、気のせいではなかったようだ

「・・・結構疲れた。うん・・・?え、何。尊も夏彦も覚もコンセプトは「同居から始まるお話」?なぜここでコンセプト?」

横に入ってきた紙を丸めて捨てながら、今日の観測について考える

彼に関しては特に語る事はない

ただ、死んでしまう観測だったから・・・せめて最期に幸せな夢を見てほしいと願って、もしも彼が間違った行動をしなかった場合の未来を展開してみた

「間違ったと言っても、八重咲亙に「もうすぐ結婚予定なんだ。この子が僕のお嫁さんになるんだ。」なんて写真を見せながら言わなければ・・・「恩返し」は始まらなかったんだ。彼の見た夢の通りになるんだよ」

それでも彼と辰の少女は巡り合える

「それに、彼が生きているだけで色々な問題が解決する。勘当問題も、特殊能力の事も・・・緩衝材という言葉が似合う男もなかなか巡り合えないよね」

何事も明るく、ポジティブに

悩んでいたのは、彼女と付き合う時だけだったと思っている

それ以外は、思った通りに、まっすぐ進んでいた

「八重咲亙関係の話は、夏彦君の友人である覚君がメインの話で出てくるね。あの理不尽の塊・・・まだ出番あるんだ」

「それと、補足事項としては・・・忘れそうだけど。彼がいた施設は結構特徴的な面々が揃っているようだね」

例えば、年上で彼の面倒を見てくれていた大護君と茉莉さんは・・・夢守で頑張ってくれている九重十人兄妹のご両親

彼の同室だった野坂陽彦君。彼は観測記録5でお昼寝している野坂陽輝君のお父さん

そして吉鷹藤馬君。彼は陽輝君の主人である神楽坂小陽さんのお父さんだね

川ノ辺夕希さん。彼女は終末日の鹿野上蛍君のお母さん

・・・本当に、親子共に特徴的な面々が揃っているな

「彼らも、尊さん並みに数奇な運命を辿ることになる。特に、陽彦君はね」

本を閉じて前を見る。長い観測もそろそろ一度、締めないと

「さて、次の観測は・・・またお父さん関連か。一ノ宮刻明さん・・・こちらもまた複雑な事情をお持ちのお父さんのようで・・・」

次回は10日ぐらいに会えれば幸いだね

「それじゃあ、また会おうね」

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