観測記録11:二階堂鈴編「元辰憑き神と祖父の願い」
「・・・あれ?」
今日はまだ時雨ちゃんはここに来ていない
いつもの光景なのに、少しだけ物寂しく感じる
いつものように椅子に座り、本を手に取った
しかし・・・なんだ。静かすぎるのも退屈だ
「・・・仕方ない。仕事でもするか」
今日の観測は、優しすぎて自分を犠牲にして大事な人を救った少女のお話
これは、彼に巡り合う前の、少し昔のお話だ
「それじゃあ、観測を始めようか」
※今回は世話焼き神様と社畜の恩返し。を一通り読んでいただけたら少し楽しい感じだと思います。
一日目①と三十六日目②に関連した話です
また・・・三十五日の夏彦と雪霞の名前が入った回と、彼の過去を辿る二つ目の欠片の回も少しだけ。・・・こちらも、よろしくお願いします
気の遠くなるほど、長い年月を生きたと思う
腐った村が滅び、新たな町が出来上がるほど長い年月
それでも私は、今もなお「憑者神」としてこの世を彷徨っている
「ただいま。柳永村」
智と祝の遺体があったらしい丘の上から、かつての柳永村・・・そして今の柳栄町を眺めながらそう口にした
二百年ぶりに、私はこの土地に再び戻ってきた
理由はいたって単純。お墓参りである
この村を去る前に突貫で作った、かつての主「花籠雪霞」に再び会うために
・・・・・
かつて神宮があった場所の裏道を歩き、そこへ辿り着く
かつての面影はもうないけれど、目印をして植えた桜の木が見事に咲き誇っていた
しかし、そこには人がいた
珍しい。こんな山奥に人が・・・しかも老人がいるなんて
桜の木を眺める老人を、私は木陰に隠れて様子を伺った
「今から独り言を言う。もう俺の話を聞けないヨシエのかわりに、お前が俺の話を聞いてくれ」
桜の幹に触れた後、老人は一人で語りだす
「孫の友達の東里君から、夏彦が就職したと手紙が来た。東里君も、一緒らしいんだ」
「一馬君から頼まれた通り、沢山あの子の写真を送ってくれていて。たとえ嫌われていても、怖がられていても・・・あの子の成長を見守ることが出来ているのは嬉しいと思うよ」
どうやら、話し相手がいない老人らしい
・・・桜の下で涙を流しながら語る様子は、異様な光景だけれども、邪魔をしようなんて発想はなかった
彼がいなくなったら、私も同じようにするのだから
しかし、彼がいなくなるまでまだ時間があるだろう。しばらくは彼の話でも聞いて暇をつぶしておこうか
あの子と、夏彦と、孫は一緒だろう
彼には夏彦という・・・名前からして男の孫がいる
しかし、彼は嫌われているのか怖がられているのかわからないけれど、孫は彼の元に近寄らない
そんな彼に、彼の友人である東里と一馬という人間は、彼の写真を老人に送ってくれている
ざっと整理した感じ、こんな感じだろうか
「ほら、桜。これが夏彦だ。誰に似たのかわからんが、整った顔をしているだろう?自慢の孫なんだ
。よく見ておくれ」
そして写真を桜の方へ向ける
ここからでは見えないけれど、そこで偶然、奇跡が起きた
春風は老人の手から写真を奪い、私の元へそれは舞い降りた
「ああ、写真。写真はどこへ・・・」
周囲を探す老人
その声を後ろに、私はその写真を手に取った
「・・・この人」
背広を着た、少し荒んだ目の青年
その髪の色は、日に照らされた稲穂のような山吹色。目も、深い海のような青い色
その特徴は全て、かつての主と相違ない
「・・・あの老人の孫は、今代の龍のお気に入り」
そして、雪霞様の生まれ変わりだ
写真を探し続ける老人に目を向ける
このチャンスは、逃してはいけない。今度こそ、守り抜くために
「あの。これ、貴方の写真ですか?」
写真を片手に、老人の前に現れる
これが、私・・・二階堂鈴と巽龍之介の出会いとなる
・・・・・
彼と出会ってから十二年が経った秋
この家に置いてもらうことになった私は、巽家に居候を続けていた
龍之介に、私の事情は全て話している
それでも彼は、私をここに置いてくれていた
けれど、龍之介の身体も少しずつ弱りつつあった
老衰だろう。仕方ないことだが・・・私の能力で少しだけ楽にすることはできる
けれど、龍之介はその申し出を拒み続けていた
治癒を使えば、特異な人間だと証明することになるから
ここにいる間は、普通の子供のように過ごせ・・・と、彼は言った
「龍之介、寅江からご飯を預かってきました」
「ああ、鈴。ありがとう」
サイドテーブルに昼ご飯を置いて、彼の様子を伺う
十二年前よりも老い、今ではもう一人で出歩くこともできない
「まだ、食べませんか?」
「食欲がないからなあ・・・」
龍之介は皺くちゃの顔に、笑顔を浮かべた
私はベッドの隣に置いておいた椅子に腰かけて、龍之介の話を聞けるようにする
「なあ、鈴」
「なんでしょうか」
「多分なあ・・・俺、冬は越せないと思うんだよ。そもそも次の冬を迎えられるかすらも怪しい」
「・・・そう、ですか」
「置いて行ってしまうな、鈴。すまないな・・・俺も、普通の人だから」
「わかっています。仕方のない話ですよ」
そう。これは仕方のない話
私はもう人ではない。龍之介のような、普通の人とは異なる存在なのだ
龍之介のように百年以下の時を満足に生き、逝くことは叶わない
羨ましくも思う
けれど、これは私の選んだ道
雪霞様を救うために選んだ道なのだ。だから、受け入れるしかない
受け入れなければ、いけない
「十年ぐらいか?思えば長く一緒にいたもんだ。夏彦より、長く一緒にいるな」
「お孫さんは、何年ぐらい?」
「十二歳の時に引き取って、高校は元々いた土地に戻っちまったから、三年ぐらいだな」
「そこまで、短かったのですか?」
「ああ。しかも引き取った時が初対面だ。本当に、何もしてやれなかったんだよ」
彼はそう言って、窓から見える庭先を見つめる
正確には、窓際に置いている写真立てだろう
その写真の中には、山吹色の髪の少年が写っている
一つは龍之介と、彼の妻であるヨシエと共に写っている写真
この家に来た時の写真だろう。今でも荒んでいる目は、何も映していない
死んだ目で、カメラの方を見ていた
「夏彦はな、引き取る前は俺の娘・・・つまり、あの子の母親に酷い虐待を受けていたと聞いた。全身あざだらけで、押し入れの中に・・・押し込まれていたらしい」
小学校には一時期通っていたみたいだけれど、小学三年生の後半を境に行ってないとか
しかも、実の父親すらわからないと来た・・・と、彼は付け加えた
「ただ、夏彦は夏澄の息子で、俺たちの孫であることは確かなんだ」
「・・・それで、お孫さんは今どこに?」
「・・・高校は向こうの土地に行った。元々住んでいた土地の高校にな」
確か、神栄市の沼田高校だったか
今もそこで暮らしているらしい。高校の同級生が起業した会社に就職して
「高校の時の先輩の・・・確か、九重一馬君だ。彼がここまで訪ねて来てくれたのは今も覚えている」
この写真立ての中にいる、制服姿のお孫さん
その写真を手に入れた経緯は、彼の先輩にあるらしい
・・・丁度、長期間出かけていた時だろうか。若い男性にあった記憶はない
「夏彦の家庭環境に疑問を持ったようで、わざわざこんな田舎まで来てくれてな。事情を知ると、色々な写真を送ってくれるようになったんだ」
「へえ・・・」
私は、四人の青年が写る写真を手に取る
お孫さんを囲むように、同じ色のネクタイを付けた青年が二人
そして、彼の隣にいる、唯一違う色のネクタイを付けた温和な青年
「その子だよ。ネクタイの色が違う子。その子が九重一馬君」
「この方が・・・」
「そして、夏彦の隣に写る小さい男の子が、卯月東里君。一馬君が卒業してから学校の写真を送ってくれている子なんだ」
「お孫さん。沢山お友達がいらっしゃるんですね」
「ああ。沢山お友達ができたみたいで、安心したよ」
・・・一馬と呼ばれた青年からは異常な部分は見当たらない
しかし、この東里とかいう青年。どこか違和感があるような気がするのだが、調べてみる必要がありそうだ
東里だけはない。隣にいる男も。そして、別の写真立てだけに写る灰色の髪の男も・・・彼に関わる事は全て事前に調べておこう
何がきっかけで、戌に繋がるかわからないから
「でも、俺が死んだらあの子の身内は誰もいなくなってしまう」
「そうですね。父親はわからず、母親は行方知れず。親戚関係もないので祖父母がいなくなれば・・・」
いなくなれば、独りぼっち。私と同じだ
「・・・そう。独りぼっち。なあ、鈴」
「なんでしょう」
「鈴に俺が生きる目的というものを与えれば、少しは楽しく生きられるだろうか」
「それは、どういう・・・」
龍之介は身を起こして、私と向き合う
出会った時のように、背筋を伸ばして綺麗な黒目を私に向けた
「鈴・・・いいや。癒しの力を持つ神様にお願いしたい。俺が死んだら、あの子を、夏彦をどうか見守ってやってはくれないか」
「私が、ですか」
「ああ。鈴にしか頼めない」
彼の真剣な表情に応えるまでもない
私の心はもう決まっている
むしろ、龍之介から頼まれるのを待っていたぐらいだ
「もちろんです。龍之介。この十二年間、ここで暮らさせていただいた恩返しをさせてください。貴方の孫は、私が見守ります」
「頼む。どうか、あの子を・・・げほっ」
「龍之介。もう寝てください。起きているのがきついのでしょう?」
咳き込んだ彼の身体を支えて、もう一度横に寝かせる
「ありがとう鈴。術は、使わなくていいからな」
「少しだけ、楽になりますよ」
龍之介は一度も私の「治癒」に頼ったことはない
病気の症状も、完全治癒はもう難しいけれど、少しだけ軽くすることはできるのに
彼は頑なに拒み続ける
「それでも。鈴はもう一人の孫のように思っているからなあ・・・神様としての力は、夏彦を見守ること以外、頼らない」
「・・・では、何もしません。食事、一人で摂れますか?」
「ああ。そうしてくれ。食事は自分で食べるよ。ありがとうな」
「いえ。では、私はこれで」
私は彼に背を向けて部屋を出る
その前に、一言言わなければならないことがある
「龍之介」
「なんだ、鈴」
「ありがとう。私を、人として見てくれて」
そう言って扉を閉めて、部屋を後にする
人として見られたのは、本当にいつ以来だろうか
今までの龍のお気に入りも、私を大事にしてはくれたが・・・いつも私を呼ぶときは「神様」と呼んだ
鈴、と名前を呼ばれたのは本当に久しぶりで、嬉しかった
本心から、そう思う
・・・・・
その数日後、龍之介は息を引き取った
死因は老衰。九十九歳は大往生といえるだろう。百歳をお祝いできなかったのは、少し残念だ
私は、龍之介宛の手紙箱から、東里からの手紙を探していた
彼は東里と共に今も働いていると、暑中見舞いに書かれていたと龍之介は言っていた
だから、それさえ見つかれば・・・お孫さんに連絡が取れるのだ
龍之介の葬儀の事を、彼に伝えられる
そんな時だった。玄関先から、かつて聞いたことのある声がしたのは
「あら、あら・・・貴方は、お孫さんかしら。写真に写っていた子と面影がそっくり」
「写真はわかりませんが・・・私は巽夏彦と申します。貴方は、祖父のお手伝いさんですか?祖父の事を聞いて・・・すみません、色々と任せてしまって」
山吹色の髪を秋風に揺らし、かつての主人と同じ声で話す彼は何の連絡もなしに巽家へやってきた
私は物陰に隠れて様子を伺う
連絡も何もしていないのに、なぜ彼がここに・・・?
「いえいえ。お気になさらず。私は寅江と申します。そうそう、夏彦さん。連絡先が分からなかったので、勤め先へ連絡を入れたのですが・・・無事に伝わってよかったです」
寅江は彼を歓迎し、家の中に入れてくれる
「・・・会社に?あれ、俺の端末の方に、男性の声で連絡があったんだが・・・まあいいか」
小声で、何か不審な事を呟いていたが・・・何も気にせずに彼は寅江の案内で龍之介がいる部屋まで進んでいく
「・・・初めまして、夏彦様。そして、お久しぶりです。雪霞様」
彼にまだ見つかるわけにはいかないから、彼らとは反対方向に進んで葬儀の手伝いをこなしていった
それが、彼の知らない私と彼の最初の出会いとなる
そして、私の数奇な運命を大きく変える出来事の本当の始まりとなる
・・・・・
彼と巡り合って一年以上の時が経過した
一年前の私が聞いたら驚くであろう出来事が沢山起きた
私が神様でなくなり、人に戻ったり・・・とか、一番大きな出来事といえばそうだろう
そして何よりも
「何を考えているんだ、鈴」
暖かい緑茶を入れた湯呑を龍之介の孫・・・夏彦は二つ運んで来てくれる
葬儀の後、遺品整理をしていた彼の元に現れて、そのまま色々と騙しながらなんだかんだで一緒に暮らすようにした日の事が懐かしく思う
そんな日々を通じて、今もこうして一緒に暮らしている
最も今の彼は見守りたいただの「同居人」ではなくなって、一緒に暮らし、互いに支えあっている「旦那さん」なのだが
「うーん。これまで、色々あったなって」
「そうだな。色々あった」
隣に腰かけて、一緒のタイミングで湯呑に口を付けた
暖かい。心までほっとするような感じが口の中に広がる
「色々あった結果が、今の日々だと思うと、辛いこともたくさんあったけど、よかったなって思う」
湯呑をテーブルに置いて、空いた彼の左手を握り締める
私を人に戻した影響で一時期それは動かなくなっていたのだが、今は少しずつ機能を取り戻していた
「俺も同じだ。あの日々があったからこそ、今の鈴といれる日々があると思っている。あれは、なくてはならない日々だったとも思っているよ。沢山後悔はしたけどな」
一回り程大きな手で私の手を握り返してくれる
まだまだ弱弱しいけれど、いつかきっと、右手と同じように動けるようになるだろう
「鈴」
「なに、夏彦」
「まだまだ未熟者だけど、これからもよろしく頼むよ」
「こちらこそ。不束者ですが、末永くよろしくお願いします」
互いにそう言いあいながら、笑いあった
もう少しで私たちの元にもう一つ「変化」が訪れるのだが、それはまた別のお話
もう少しだけ、私たちは「三人と二羽」の日々を過ごしていく
今までの特別な出来事が嘘だと思うぐらい、平穏な日々を
私の代わりに神様に成った夏彦と
私に憑いていて、今は彼の制御下で過ごす治癒の神様である竜胆と
この家に越してから迎えた、オカメインコの山吹と、セキセイインコの蒼と
そして、夏彦に人へと戻してもらった私で、生きていく
「観測終了だね。お疲れ様」
まあ、その変化は「あの子」の事だろうね
最後に視た時間は、彼らが出会って一年と少しぐらいの時間
二年後の時間は向こうで語られているから、答え合わせはできると思うよ
「しかし、時雨ちゃんは一体どこへ・・・」
「譲さん、譲さん」
観測を終えた後、時雨ちゃんが慌てた足取りで入ってくる
「バレンタインのチョコレートをお持ちしました!」
「手がボロボロだね・・・痛くない?」
「痛いけど大丈夫です!」
包みを開けてみると、どうやら手作りのようだった
しかし、ただ板チョコを切っただけとは思えないほどの傷・・・
まさか、カカオからって・・・わけないよね?
「・・・ありがとう。嬉しいよ」
「生前はあげられませんでしたからね。どうですか?」
「うん。甘くて美味しい。ホワイトデー、期待しておいてね」
「はい!譲さんの夜食・・・じゃなかった、お菓子は美味しいので期待して待っています」
彼女が遅かった理由は、チョコレートを作っていたから
てっきり、前回の観測で機嫌を損ねたかと思ってひやひやしたよ
「しかし、チョコレートか」
「どうされました?」
僕は、そのチョコレートに関する話を一つだけ過去に観測している
それは、とある特殊な双子の物語
有栖川の双子とか、九重の双子とか、赤城の双子とかも十分特殊だと思うけれど
その双子たちの共通点は皆、仲がいいことだ
しかし、次に観測する双子たちは父親の手によって交友を制限されていた
「・・・その続きは、今日中に語ろう。彼の弟・・・片割れが生まれた、今日の日に」




