伝説の桜坊(さくらんぼ)
窓際の机に置かれた山桜の盆栽には、血管から漏れ出した血液が固まったかのような、赤黒いさくらんぼが人数分実っている。
「諸君、今年も収穫の季節がやってきた。準備はいいか!」
部長の威勢のいい掛け声に呼応し、異性との触れ合いに飢えたティーンの部員共は、雄叫びを上げる。
部室棟の一角、オカルト研究会の部室から漏れ出した叫びが、廊下で反響する。
ちょうど前を通りすがった女生徒は、思わず肩をすくめた。
この山桜の盆栽は、代々、偉大な先輩方から受け継いできた大切な代物である。
受け継いだ後輩たちは皆、わが子を愛するよう――もちろん子育ての経験は皆無。股間に生えるヤシの木しか愛でたことはない――に大事に、大事に世話をしてきた。
その甲斐あって山桜の盆栽は、毎春、薄桃の美しい装いをみせる。
湿気を多く含んだ季節が、過ぎ去った頃には、こうして赤黒いさくらんぼを実らせ、我々はその毒々しい果実を口にするのである。
一方味はいうと、かなり不味い。
青春のほろ苦さに凝縮に凝縮を重ね、もはやほろ苦さは消え失せ、青春の苦渋と苦悩に満ちた、筆舌に尽くしがたい味なのである。
しかし、我々オカルト研究会一同は、口にするのを躊躇しない。
何故ならオカルト研究会が取り扱うオカルトの中で、最もオカルトじみており、このさくらんぼが持つ超自然的な効力を知っているからだ。
その実を一粒口にすれば、床を転げまわるような不味さに、もだえ苦しむ羽目になるが、耐えたその先には甘美な一時が待っている。
誰にだって人生に三回はモテ期があるという。
が、いつ訪れるかは、神のみぞ知るばかりである。
思春期の間に訪れる者もいれば、青年期に訪れる者、はたまた壮年期になって訪れる者もいるという。
だが、このさくらんぼを食べれば、強制的にモテ期を発現させることが出来る。
まさに夢のような果実である。
オカルト研究会に籍を置く者は、はっきりいうと、冴えない男ばかりである。
しまりのない怠惰な木偶に、胡散臭い眼鏡に、特殊な言語を話す変人などなど。
くせは強いが、影は薄い。
教室の隅で細々と過ごし、不意に教室から居なくなったとしても、大して気にならない存在である。
かといって別に不満はない。
人は収まるべき所に収まるのである。
憧れなんてない。
いざこざに巻き込まれることなく、日々を平穏に過ごせればよいのである。
と、斜に構えてみるが、これはすべて建前だ。
本心は異性ときゃっきゃっうふふの、甘酸っぱい青春を噛みしめるように味わいたいのである。
昨年、一昨年は、異性たちと距離を縮める機会に、幾度も恵まれたのにもかかわらず、私は好機を逃し続けてきた。
三年になった今年は、彼女を作るラストチャンスである。
もし、可愛い彼女が出来たなら、苦しい受験勉強も難なくこなし、明るい春の門出を迎えられること間違いなし。
反面、人生最後のモテ期を逃せば、私は一生女性に縁がないまま、自宅の畳の上で孤独死という悲惨な結末を迎えることになるだろう。
「それでは皆の検討を祈って、いただきます」
さくらんぼを口の中でひとたび噛む。
刹那、筆舌に尽くしがたい不味さに、部員たちは各々(おのおの)悶絶の表情を浮かべ、床を這いまわる。
だが、吐いてはいけない。
丸のみしてもいけない。
ひたすら臼歯でその実をすりつぶし、試練を耐え忍ばなければ、望む効果は得られない。
私は種まで砕いて、その実をすりつぶし続けた。
そして試練を乗り越え、見事勇者となった。
のちに空前絶後の女殺しとして、オカルト研究会で代々語り継がれる伝説になるのである。
大学を卒業し、無事就職を果たして社会人になった私は、会社に勤めて今年で二十年目になる。
役職は課長。
ゆくゆくは部長にまで出世したいと考えている。
私は机の書類の整理を終えると、今日の仕事を切り上げ、オカルト研究会の同級生の面々が待つ、居酒屋へと向かった。
久しぶりの懐かしい顔ぶれ。
久しぶりの楽しい酒。
かつての仲間たちは携帯端末に収められた、奥さんや子供の写真を自慢げに見せびらかし、青春の思い出に花を咲かせる。
「お前の伝説、今でもちゃんと語り継がれてんのな。息子から聞いたぞ」
「ああ、俺が原因不明の食中毒で病院へ運ばれた後、病室のおばあちゃんにモテまくった話か」
旧友たちは当時の記憶を思い出し、腹を抱えて笑う。
「で、いい女性はみつかったか」
「見つかる訳ないだろう。俺は伝説の桜坊だぞ」